第7話 始まりの街 3
「すみませーん、チェックアウトの時間過ぎてますよー」
ドンドンとドアを叩く音と男の声で俊夫は目を覚ます。
「あー、すぐ起きます」
とりあえず返事をしてから腕時計を見る。
(やべぇ、10時過ぎてる!)
前日の記憶が無い。
だがどこかのホテルに泊まっているというのなら、遠方の顧客と会うために出張中ということだろう。
備え付けの電話によるモーニングコールではなく、直接起こしに来ているという事は、かなりの時間寝過ごしたはずだ。
待ち合わせの時間が過ぎているかもしれない。
俊夫は慌てて飛び起き、スーツを探すと――
「…………えっ? なんで」
――あるのは驚きだけだ。
その原因はログアウトしたはずであった、ゲーム内の宿に居た事だった。
「いやいや、おかしいだろ……。終わったはずだろ!」
驚きのあまりに独り言を呟く。
独り言は知らず知らずのうちに情報を漏らしてしまうからと、独り言をしないようにしていたにも関わらず思わず零れてしまう。
そもそもベッドで寝ただけで、ゲームが終わったと早合点をしてしまった俊夫が悪い。
ログアウトしたと確認したわけでもないのに。
俊夫はもう一度腕時計を見る。
ゲームを始めた時から1日経っている。
もしこれがゲーム内の時間で加速――睡眠などの行動を取った時の時間短縮――されているなら良いが、現実時間と進む速さが同じだったなら……。
「いつもならお袋が止めるはず……。けど止まってない。どういうことだ」
俊夫の母親は一応ドアをノックするものの、返事が無ければ部屋に遠慮なく入ってくるタイプである。
寝ている時ならいいが、ゲームをしている時などは非常に困った。
安全装置が作動しているとはいえ、本体の電源をいきなり切ってくるのだ。
しかし、今なら歓迎するべき行為である。
それがない。
それの意味するところは
なんらかの要素で、外部からの終了もできなくなった可能性が高いのではないかと俊夫は考えた。
そうなるとその原因として考えられるのは――
「やっぱ、このゲーム最悪じゃねぇか!」
――プレイしていたこのゲームだろう。
「内容がクソってだけならともかく、本体まで巻き込んで異常起こすとか、ほとんどウィルスじゃねぇかよ。緊急通報装置も作動しなかったのはこのゲームのせいか!」
このような事態に陥るなど予期せぬ事。
彼が憤るのも当然だろう。
「いや待て。落ち着け、落ち着け俺……。ゲーム制作会社に対しての愚痴は後でもできる。今はログアウトの方法を探すのが優先だ」
”きっと何か方法があるはずだ”と自分に言い聞かせるように繰り返す。
何とかなって欲しいという希望でしかないが、それでも今は行動の時だというのは間違ってはいない。
俊夫はチェックアウトを済ませ、ログアウトの方法を探しにホテルを出た。
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街の中をむやみやたらに探し回ってもセーブできる場所は見つからない。
そう考えた俊夫が最初に向かった先は教会。
彼の経験上、RPGでセーブする場所は大体宿か教会だったからだ。
ホテルのフロントで大まかな場所を聞くだけでなく、道すがら通行人に教会の場所を聞きながら向かった。
教会は古い石造りの建物だった。
いつものようにゲームをしている時であったならば”雰囲気出てるなぁ”くらいの感想は持っただろう。
しかし、今は心に余裕が無い。
身廊を足早に歩き、祭壇にいる神父のもとへと向かう。
魔神信奉者と疑われるような漆黒のローブを着て、禍々しい剣を背中に下げている者が教会を訪れたのだ。
今まで天神を祭る教会に、そのような恰好をしている者が入ってくる事などまず無かった。
席は半分ほど埋まっていたが、祭壇に近い場所に座っている者達は何かあった時に備え、いつでも飛び掛かれるように座り直して警戒していた。
だが、この場で一人冷静に観察している者がいた。
「いかがなさいましたか」
――この教会の神父だ。
彼は俊夫が教会に入ってきた時から、長年の経験で暴れたりすることはないと見抜いていた。
俊夫の表情が深刻な悩みがあると語っていたからだ。
ならば恐れる必要などない。
神父として、迷える子羊を正しい道に導く手助けをするだけ。
目前まで来た怪しい人物に対し、普段通りの穏やかな声で問いかけたのだ。
周囲の者達はそれを見て”流石、神父様だ”と感心する。
「神父様、セーブかログアウトの方法を教えてください。お願いします」
暴れたりすることなく、すがるような目で見つめてくる若者。
しかしその問いに答える事ができなかった。
セーブやログアウトといった言葉など、今まで聞いた事がないのだから。
「申し訳ありませんが、セーブやログアウトといったものは存じません。どういったものか教えていただければ力になれるかもしれません」
「いえ、ご存じないなら結構です。少し祈りを捧げてもよろしいでしょうか?」
「お力になれずに申し訳ありません。祈りでしたら空いている席でご自由にどうぞ。なにやら今はお急ぎのご様子。お時間のある時にでもゆっくりと話し合いましょう」
「その時はよろしくお願いします」
俊夫は軽く会釈をして、人の少ない席を選んで座る。
フリードに言われたようにタメ口で話すのではなく、普段の営業口調になっているあたり動揺が伺える。
着席した後、手を合わせて祈り始める。
逆に周囲の者達は、その見た目とは裏腹に腰の低い人物だったのだ安心していた。
それ故に近くに座っている者は、俊夫が祈りを捧げながら早口でブツブツと呟いているのを見て何を呟いているのかと耳を澄まし――
「セーブログアウトセーブセーブメニュセーブセーブセーブステータスセーブセーブセーブセーブクローズセーブセーブセーブセーブセーブイグジットセーブセーブセーブセーブセーブセーブストップセーブセーブセーブセーブセーブセーブセーブクイットセーブセーブセーブセーブセーブセーブセーブセーブエンドセーブセーブセーブセーブセーブセーブ……」
――聞かなかった事にした。
それから10分ほど祈り続けた後、俊夫は肩を落として教会を出て行った。
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それからしばらくの間、俊夫は街をぶらついていた。
”もしかしたら教会なら何か情報があるかも……”
そう思っていたのが空振りだったのだ。
過去にプレイしたゲームの中には、神に祈る事がセーブ方法というものあったので、その方法を試してみたが効果は無かった。
町中をぶらつきながら通行人の雑談に耳を傾けていたが、残念ながらそちらも空振りだった。
(こんな時でも腹は減るか……)
時計を見れば、いつの間にか12時を過ぎている。
寝過ごしたために朝は何も食べていなかった。
起きた時の状況で食事にまで気が回らなかったという事もあったが。
俊夫はひとまず近くの食堂に入るとカウンター席に座る。
店に入ってから服装で注目を浴びる、カウンター席に座った時に隣に座っていた奴が一つ横に移動するという事があったが”たかがNPC”と思い、気にはしなかった。
注文した料理を食べながら、ふと嫌な考えが頭をよぎる。
(ゲーム内部か外部の関係なく、なんらかの手段ですぐにログアウトできるならいい。けれど異常が長期に及ぶ場合は……?)
俊夫は注文した海外風焼き魚定食ともいえるようなランチセットをじっと見る。
(このゲームだと死んだ場合どうなるんだ? 腹が減るから餓死とかありそうだし、死んだ場合は肉体にまで影響を及ぼしそうだ。ゲーム内での生活を安定させる必要があるな。そうなるとあの夢も希望もないギルドで、何か仕事を受けないといけないかもしれないのか……)
――それでも危険は冒せない。
長期戦になる場合、ゲーム内での生活も必要になってくるだろう。
野宿をしたりして風邪をひくなどのリスクも避けるべきだ。
病気になった際、現実の体にも悪影響があっては困る。
ならば仕事をしてホテル代と食事代を稼ぎ、現実に戻るまで生きる事。
それが今の自分に出来る事だろう。
暮らす内に現実に戻る方法が見つかるかもしれないし、メーカーサポートによってゲームを終了させてくれるかもしれない。
(あぁ、ホントめんどくせぇ……)
こんなゲームを買った時の自分を殴りつけたい。
だが、今は行動するべきだ。
料理を食べ終えると、まずは道具屋を探しに行く。
カバンを買い、フリードに聞いたセーロの木の群生地で採取する予定だ。
多少の出費は仕方ない。
今後のための先行投資なのだから。
(さぁ、行くか!)
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「はぁぁぁ? てめぇふざけんなよ!」
集めたセーロの葉を買取カウンターに持ち込んだはいいが、そこで俊夫は営業スマイルという仮面が剥がれ怒鳴り散らす。
「ふざけてませんよ。セーロの葉の買取は1kg辺り1,000エーロになります」
「昨日は3,000だったろうが!」
「昨日は昨日、今日は今日の相場になりますので」
「1日で最低買取価格まで下落するとか普通はねぇだろう!」
「えぇ、普通は無いですね」
そういうと買取担当者の男は意地の悪い笑みを浮かべる。
「あなたは特別ですので」
「何がだよ!」
「いえいえ、それはご自分でお気付きになっていただかないと。それでお売りになられますか? やめますか?」
「そこまで足元見られて売るわけねぇだろ、返せっ」
俊夫はカウンターに載せられたカバンをひったくるように取り返すと、今にも殺さんばかりに担当者を睨みつける。
”たかがNPCが!”
その思いがいまだに強く心にある。
だからこそ、自分が何をしたのかという事にまで考えが及ばない。
「どうぞどうぞ、今夜は野宿でもなさるのですか?」
「はぁ?」
脈絡の無い話をし出した相手の意図が読めず、俊夫は困惑する。
それを見て男はにやついた顔のまま――
「セーロの葉は臭いがきついのでホテルの宿泊や食堂への持ち込みは断られますよ。それとセーロの葉は薬剤の原料なので、町中に許可なく捨てた場合は罪に問われます。また森まで捨てに行かれますか?」
男は暗に最低価格のまま売れ、暗にそう言っているのだ。
わざわざ捨てに行かずとも、いくらかの金になるだけマシだと。
当然、それくらいの事は俊夫もわかっている。
こいつの言う通りにするのが嫌なだけだ。
(いつか必ず殺してやる。だが……、今は我慢だ)
この世界での警察組織がどういったものなのかがわからない。
人の見ていないところで殺しても、一般人を殺したというフラグで殺人犯として手配されるゲームもあるのだ。
その辺りのシステムを理解しない内に、無茶な行動はしたくない。
衛兵は、大体が序盤の状態では勝てないような強さに設定されている場合が多いのだ。
魔神としての身体能力を生かし、暴れ回りたくなりたくなるがグッと我慢する。
それに生活するのに必要最低限の金は稼げる。
メーカーサポートによる復旧がどの程度かかるかわからないが、そう長くはならないだろうと高をくくった。
数日の間、生活費を稼げばそれでいいのだ。
「わかった、売ればいいんだろう」
「はい、ありがとうございます」
今、俊夫の前にいる男の顔は笑顔は笑顔でも人を見下した笑顔。
それが余計にイラつかせる。
(NPCなんぞに折れるのは今だけだ。今だけ……)
俊夫はセーロの葉と共にプライドを売り、5,000エーロを得た。
昼から採取に出かけた為、量を集められなかったのだ。
(さっさと修理しろよ。サポート体制どうなってんだよ)
懐に金を入れながら、機械本体の修理作業はどうなっているんだと愚痴をこぼす。
”こんなゲームを作った制作会社を訴えてやる”
その思いを胸に立ち去る俊夫の背中に――
「アルヴェスさんをコケにするからだ」
――そう呟き、悪意ある視線を向ける者達がいた。
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