第6話 始まりの街 2

 登録の順番が来た俊夫に目の前には、ピンク色のウサ耳をピョコピョコっと動かす獣人が待ち構えていた。


「なんだ、おっさんか」


 思わずこぼした、やや蔑みの含まれた言葉。

 しかしそれが周囲の者達の視線を集める事となった。


 今、俊夫と正対している兎の獣人は真顔で俊夫を睨んでいる。

 それも当然のこと。

 

 この世界で獣人は犬族や猫族といった分類がない。

 父親が犬の獣人、母親が猫の獣人であっても、子供に虎の獣人が生まれて来る。

 獣人の子は、ランダムでなんらかの動物を模した特徴を持って生まれてくるのだ。

 だがそれを両親によって選ぶ事はできない。

 これは非常に繊細な問題で、獣人としての特徴に触れるような発言はタブーとされている。


 この世界において男の獣人は肉食獣、女の獣人は草食獣を模した姿が好ましいとされている。

 そのような価値観の世界の中、男でピンク色の毛を生やした兎風の獣人というのは、凄まじい劣等感を持たせていた。。

 当然、他の者達もその事を理解している。

 人として、そして最低限のマナーとして触れないのが暗黙の了解となっていた。

 俊夫は知らずにとはいえ、そこに触れてしまったのだ。


(なんだよ、この空気は)


 当然、そんな事情を知らない俊夫は今の状況がわかっていない。

 所詮はゲームだという考えが根底にあるからだ。


「冒険者としての登録をしたい」

「……名前をこれに書け。名前くらい書けるよな?」


 何かに耐えるように顔を真っ赤にしながら、受付の男は名刺サイズの紙と一緒にインク壺とペンを俊夫の前に置く。


(日本語対応だから日本語でいいんだよな)


 ”ゾルド”とカタカナで紙に書くと、男はひったくるように紙を奪い取り奥へと歩いていく。


(なんだ、こいつ。何を怒ってるんだ?)


 自分の言動が原因とは思いもしない俊夫は、受付の男の態度を不思議に思っていた。

 けれども、わざわざその理由を聞こうとは思わなかった。

 たかがゲームキャラという思いもあったし、フリードに言われたように下手に出て舐められるような事はしたくなかったからだ。


 だがそれは間違いである。

 そもそもフリードの”丁寧な喋り方はしないほうがいい”という言葉は冒険者に対してであって、ギルド職員に対しても適用するものではない。

 人によって言葉使いや態度を変えるという基本を失念していたのだ。


 ――どうせ、この後ログアウトするからどうでもいい。


 街に着いた時からそう思っていたので、周囲への対応が雑になってしまうのも仕方がない。

 問題はここがゲームの世界ではないという事だ。

 あくまでも暗黙の了解。

 法で制限されているわけではないので、今すぐ何かがあるわけではない。

 だが確実にギルド職員、および周囲の者達の心証は最悪レベルまで悪化した。




「ほらよ」


 気が付けば奥の小型プレス機のような機械で作業をしていた男が戻ってきており、ネックレスのチェーンが付いたプレートが放り投げられた。

 プレートには俊夫が書いた字で”ゾルド”と彫り込まれていた。


「何か説明とかはないのか? 冒険者の心得とか」

「特にはない。強いて言うならば”一般の常識”を持って行動しろというくらいだ」

「ふーん」


 一般の常識という部分を強調されたが、俊夫はそれを気に掛ける事はない。

 ただ”このゲームにユーザーフレンドリーなんて期待できないよな”と思っただけだった。


「仕事が欲しいならボードの依頼表を見るんだな。文字くらい読めるんだろ」

「あぁそうするよ」


 登録を行ったはいいものの、この後の事を考えてもいなかった俊夫は、依頼の概要を書いてある紙が貼られたボードを見てみる事にした。

 フリードの買い取りが終わるまでは暇だろうと思ったし、このイカれたゲームでどんな依頼が貼られているか気になったからだ。

 

「は? なんだこれは……」


 依頼を見た俊夫が感じたのは驚愕よりも失望。

 この町が港町なのだろうという事がわかるものばかりが貼りだされていた。


 もっとも多いのが港湾労働者の募集だ。

 主な仕事は船の荷物の積み下ろし。

 朝早くから夕方までの労働で大体が日当20,000エーロ前後、昼食付き。

 他にも〇〇商会での荷役労働者募集といった、肉体労働者を募集するものばかりだった。


(いやいやいやいや、そりゃフリードがモンスターは少ないとか言ってたけど、なんだこれは……)


 思わず酒場になっている方を振り向くと、日焼けした屈強な男達が酒を飲んでいる。

 しかしよく見てみると剣を下げていない。

 むしろ剣を持っているのは俊夫くらいで、他の者達は武器を携帯している者でもナイフくらいだ。

 それも長さを考えれば作業用ナイフに見えなくもない。


 日焼けし逞しい体をした男達は戦う冒険者というよりも、安全なこの町で暮らしていく事を選んだ日雇い労働者ともいえる者達なのだろう。

 武器を持っている俊夫の方が場違いなくらいだった。


(あるよ、確かに。最初は町中の依頼とかイベントをこなしていき、操作に慣れさせるゲーム。けど肉体労働オンリーってどうなんだ?)


 大学卒業後は父親の紹介で商社勤務、学生時代のバイトも重労働をした事がない俊夫にとって未知の世界だ。

 そもそもゲーム内で魔物を討伐し、その素材を売って稼ぎ、装備を整える。

 RPGとはそういうものだろうと俊夫は思った。

 なんでゲーム内で単純労働をしないといけないのか……。


 他に何かないのかとボードを見回すと各種素材の買い取りコーナーがあったので、そちらを見てみる事にした。

 素材の名前の下に絵と買い取り価格が書いてある。

 その中の1つに聞き覚えのある葉があった。


(セーロの葉、1kgあたり最低1,000エーロからか。10kgで10,000エーロ、集める時間次第では港湾労働よりはマシか。葉っぱを大量に集めた事なんてないからどれだけ大変かわからないけどさ。そういえばフリードはカバン一杯に入ってたからどれだけ集めたんだか)


 巨漢のフリードが背負うだけあって大きなカバンだった。

 葉っぱとはいえ、あのカバン一杯に入れたらどれほどの量になるのだろうか。

 俊夫はどの程度稼いでいるだろうかとついつい考え込んでしまう。


「待たせたな」

「いや、そうでもないよ」


 フリードがどの程度稼いだか。

 そんな事を考えていた事をおくびにも出さず、俊夫は普段通りに返答する。

 他人の懐具合を考える事は日頃から慣れている事だからだ。


「それで、セーロの葉はどれくらいで売れたんだ?」

「キロ単価3,000エーロだったぞ。ゾルドも狼くらいなら倒せるんだろ? この街近辺で活動するならあの森でセーロの葉を集めるのもいいんじゃないか」

「あぁ、選択肢の1つとして考えておくよ。……他に用が無いなら飯を食いに行こうか」

「俺は朝一で船に乗るから、俺の泊まっているホテルの食堂でいいか?」

「もちろん、いいさ」


(出すもの出したからか腹も減ってきたし、試しに食事するのもいいだろう)


 フリードと共にギルドを出ていく俊夫。

 しかしその背中には多くの視線が向けられている事に反応しなかった。

 いや、気付いてはいた。

 あえて無視したという方が正しい。


 この時までは、ログアウトすれば何も関係ないと思っていたから。



 ----------



 フリードに連れられて行ったホテルは年季の入った建物だった。


「泊まるホテルが決まっていないなら、ここにしたらどうだ? 比較的安くて1人部屋だから、相部屋の相手に荷物を盗まれる心配もない。それに酒を飲んだ後に他所のホテルを探すのも面倒だろう」

「それもそうだな。先に受付してくるよ」


 俊夫はホテルのフロントに向かい、宿泊の受付を済ませる。

 宿泊料金は1泊4,000エーロ。


(客層を見る限りでは……、多分安い方なんだろうな)


 俊夫の視線はホテルのロビーに隣接して設けられているティーラウンジに向けられている。

 ……いや、そこはティーラウンジと呼ぶのは通常のホテルにあるティーラウンジに失礼な光景があった。


 良くも悪くも安居酒屋だった。

 それなりに奇麗ではあるが、年季の入った店内の独特の雰囲気。

 客層も冒険者らしき者ばかりで、お世辞にも上品とはいえない。


 挙句の果てにはウェイトレスのお姉さんも年季が入っており、でっぷりとした体型のおばさんと化していた。

 おばさんを見ながら軽い溜息をつく俊夫。

 その心中を察したフリードがフォローする。


「運ぶ人で料理の味は変わったりしないさ」

「わかってるよ。ただまぁ気分の問題だな」

「本人に聞かれないようにな」


 とフリードは苦笑した。


「とりあえず何か食べよう。ゾルドも腹が減ってるだろう?」

「あぁ、出すもの出して腹の中が空っぽだ。遠慮なく多めに頼んでおいてくれ」


 二人はテーブルに着くと、年季の入ったお姉さんを呼ぶ。

 俊夫は料理名がわからなかったので、フリードに任せた。

 やや注文数が多く感じたのは気のせいではない。

 フリードの肉体を維持するには量が必要なのだ。


「ゾルドは酒はどうする?」

「どんな料理かわからないから、適当に合いそうなの頼んでおいてくれ」


 フリードに酒のチョイスを任せたところ、最初に持って来られたのはビールだった。

 俊夫は”あぁ、とりあえずビールね”と思っただけだったが、これは一応俊夫の事を考えて注文されていた。

 ビールは栄養価もあり、食中毒になっていた俊夫に丁度良いだろうとフリードが頼んだのだ。

 空きっ腹にアルコールはどうなのかか……、などという事は考えていなかった。

 フリードは頑強な肉体を持っており、その程度の影響は受けないからだ。


 そして持ってこられた木製の大ジョッキ。

 大きいはずなのだが、フリードが手に持つと小ジョッキにしか見えなかった。


「じゃあ、ゾルド」

「あぁ、乾杯」


 ジョッキをカチンと軽く鳴らして乾杯した。

 二人はそのままグッと勢いよく飲む。


(ぬるい……、けど意外と美味いな)


 俊夫はどちらかといえば、冷えたビールが好きなタイプだ。

 だが、今の疲れた体にはぬるいビールが丁度良い。

 気が付けば、大ジョッキになみなみと入っていたビールを飲み干していた。

 

「おかわり」

「俺も」


 フリードも飲み終えたようで、俊夫と同様におかわりを注文した。

 注文を受けたウェイトレスは、ビールのおかわりと共にスープやパンを持ってくる。

 スープはジャガイモや玉ねぎといった野菜を中心としたスープ。

 味付けは労働者向けなのか塩味が濃い。

 その後にも持って来られたイワシの塩焼き、魚の身を使ったコロッケなども味が濃かった。

 しかし、それだけに酒が進む。


 3杯目からはやや酸味の強いワインを頼むと、食べる速度がさらに加速する。

 それはフリードも同様であった。

 取り留めのない話をしながらも、かなりの速さで食事を進めている。

 それでいて同席している相手を不快にさせないように、マナー良く食べている。

 他の客の中には逆手でフォークを持ち、料理に突き刺して食べているような者もいるのだ。

 やはり、フリードの生まれは良さそうだと俊夫は思った。


(なんで冒険者なんてやってるんだろうか? まぁ良家の出なら、親しくしていればそれなりに使い道もあるだろう。……それにしても意外といけるな、この料理)


 俊夫は最初に口にした果実のせいで、この世界の食事に期待していなかった。

 だが、町中の定食屋といった感じの素朴な料理には満足していた。

 これまでの出来事の中で唯一まともといえる部分であり、料理の味わいを上手く再現している事にだ。

 もっとも、その力を入れる部分をよく考えろとも思っていたが。


「ゾルドもかなり食べるな」

「なんだか食べられるんだよ」


 どんどん持って来られる料理。

 それをフリードには負けるものの、かなりの速度で食べ続けている。


(まぁゲームだからな)


 ――ゲームだからいくらでも食べられる。


 俊夫にしてみれば全ては”ゲームだから”の一言で終わる。

 異世界に転移しているなどとはまったく思っていないのだから当然だ。

 そういう仕様なのだと思っていた。

 そして今では食事に満足してきたという思いもあった。


「フリードはまだ食べられるか?」


 テーブルの上にある料理が空になったところで俊夫が切り出す。


「俺もそろそろ限界だな。……それにしても本当に良いのか? かなり食ったから割り勘でいいぞ」

「いいよ、お礼だしね」


 俊夫はそう言いつつも、財布の中身を確かめる。

 財布は手の中に収まる程度のサイズで、さらに各種硬貨が小袋に分けられて入っていた。


(大体10万くらいか。まぁ足りるだろ)


「フリードはまだなにか頼むか?」

「俺は最後にビールの追加かな。ご馳走様」

「こっちこそ助けてもらったんだ、ありがとうな。お姉さん、ビール2つ追加ね」


 俊夫は自分が飲む分のビールも注文し、勘定を頼む。

 ビールと共にウェイトレスが持ってきた勘定書、そこには2万エーロを超えた金額が書かれていた。


(店のグレードを考えるとかなり食ったみたいだな。フリードの食事量も凄かったが、俺も結構食って飲んだし仕方ないか)


 日本で考えるなら、居酒屋チェーン店で2万円分飲み食いするようなものだ。

 大人二人でそれだけ飲み食いするのは難しい。

 規格外のフリードだけでなく、俊夫もそれなりの量を食べていたのだ。


 俊夫は会計にチップを上乗せして支払うと、フリードと共にフロントへと向かう。

 部屋の鍵を受け取るためだ。

 受け取った鍵に付いているタグに書かれた部屋番号には、4階の部屋であろう数字が書かれていた。

 フリードは3階だった。

 エレベーターなど当然無いので階段を登る。


「前にも言ったが、俺は明日の朝早くに出る船に乗って国に帰る。明日からどうするか知らないが頑張れよ」

「まぁなるようになるさ。フリードも良い船旅を」


 話しながら階段を登り、3階で二人は別れた。


 この時、俊夫の頭には見送りという言葉は浮かばなかった。

 この後すぐにログアウトするから関係ないと思っていたから。


(さっさと休もう。今回は本当に疲れた……)


 肉体の疲れはないが、精神的な疲れが溜まっていた。

 一刻も早くログアウトしようと、少し歩みが早まる。

 そして俊夫は自分に割り当てられた部屋へと向かい、部屋の前まで来た。

 鍵を使い扉を開けると、中は殺風景な部屋だった。


 4畳半ほとの広さの部屋にベッドとクローゼット、テーブルに椅子2脚のみ。

 ホテルとして必要最低限のものだけだ。

 部屋に風呂、トイレ、洗面台などは備え付けられていなかった。

 まったく期待してなかったとはいえ、これにはガッカリだ。


(気合が入ってるかと思えば手抜きかよ。こういう細かいところに力を入れているかでわからんだよな)


 クソゲーだと判断したのは間違いではなかったと再確認する。

 こういう部屋なら1部屋作れば、あとはコピーで済ませられるからだ。


 剣をベッドのヘッドボードに立て掛けると、ベッドに倒れこむ。

 マットレスは硬く、床で寝るよりはマシ程度の素材だった。


(やめだ、やめだ。さっさと終わらせて部屋の掃除だ。あぁクソ、ベッドは買い替えないといけないかもしれないな)


 きっと現実の自分はクソを漏らし、ゲロ塗れだろう。

 風呂場に行くまでの廊下もかなり汚れるはずだ。

 家族になんて説明しようか。


 俊夫はそんな事を考えている内に深い眠りへと落ちた。

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