第4話 最初の出会い 3

 木々のざわめき。

 普段はそれと野犬の遠吠えくらいしか聞こえない森の中である。

 木が倒れるような大きな音がすれば、付近にいる者は気が付く。

 普段、起きるはずのない轟音の様子を見に来た男が俊夫に気付く。


「おい、生きてるのか? おーい、返事が無ければ放って行くぞ」


 男は一声かけた後、近くに落ちていた枝でツンツンと身体を突く。

 ……俊夫の身体は汚物に塗れている。

 顔の下には吐く物が無くなったからか、まだ新しい胆汁が緑色の水溜りを作っていた。

 こんな状況で好き好んで触りたいと思う者は数少ないだろう。

 言うまでも無く、この男は多数派であった。


「んぅ……、人、たすけ……」


 頭痛や腹痛は相変わらずで、体内の水分の全てを吐き出したような感覚に襲われた。

 実際、喉もカラカラだったが、俊夫はこのチャンスを逃すわけにはいかないと声を絞り出した。


 それを聞いた男は、仕方ないなと首を振る。

 俊夫のローブに付いた汚物の感触に顔をしかめながら、彼を抱き起こす。


「どうした、何か変なモンでも拾い食いしたか?」

「変な……、そういえば、その辺に生えてる植物の味を……」

「お前、愚者の実を食ったのか!? ……まぁ、なんだ。とりあえず、これを食え」


 ”こいつ、何をやっているんだ”という目で見ながらも、足元におろしたカバンからカエデの葉のような物を取り出し、俊夫の口へとねじ込む。

 言われるままに噛んで飲み込もうとするが、何故か台所の三角コーナーを思い出させる生臭さとエグ味。

 そう簡単に飲み込めるものではなかった。


「うぉぇ、うっぷ」

「吐くな、飲み込め。セーロの丸薬は無いが、素材の葉でも効果はあるんだ。マズイけどな。味わうな、グッといけ、グッッッと!」


 いっそ殺せとまで思う不味さ。

 だが体内から全てを排出しているからか、そんなものでも身体が求めて自然と飲み込んでしまった。


 すると食べた葉の作用か。

 熱い湯豆腐を飲み込んだ時のように、喉から胃へと熱を感じ、それまでの不快感が消え去る。

 残ったのは、体内の物を全て排出してしまった事による空腹と喉の渇きだけである。


(あぁ、助かった。ゲームだけあって、薬を飲んだら状態異常の回復はすぐ発揮か。腹を壊すのもすぐだったし、そんなもんか。……ていうか、こいつスゲェな。最初に出てきたからチュートリアルキャラだろうけど、無駄にイケメン。そして……!?)


「スゲェな、おい!」


 男の姿に思わず声が出る。

 年の頃は20代後半。

 服装は布の服に申し訳程度の皮の鎧。

 腰紐に棍棒を差していることから、きっと職業はバーバリアンだろうと思われる。


 顎くらいまでの長さがある金髪のミディアムヘアと整った顔立ちをしており、女性向けゲームの登場人物ならパッケージのど真ん中にいるだろうと断言できる美形。

 少女漫画に出てくるようなイケメンの白人男性。

 

 ――しかし、その身体は野獣。


 筋肉質といえば聞こえが良いが、その筋肉はどう控えめに言っても一般人としての一線を越えている。

 肩の筋肉がパンプアップせずとも盛り上がっており、上腕部は俊夫――一般的な成人男子のふとももよりも太く見える。

 上半身だけではない。

 下半身も幅に余裕があるズボンとはいえ、その布の下にある肉厚は隠せていない。


 どう考えても顔と体のバランスが悪い。


 元々、俊夫は開発者の人間性に疑問を持っていたが、開発者の悪ふざけともいえる存在を目の当たりにすると、それは確信へと変わる。


「ん? あぁ、この身体か。バルクもカットもまだまだでな……、そんなに見られたら恥ずかしいんだがな。ところで、あまり残ってないが水はいるか?」


 その肉体を隠すように――隠せるはずもないが――身を縮こまらせながら、腰に下げた皮の水筒を差し出す。


「ほら、とりあえず口をすすげ。今のお前の顔は酷いもんだぞ。まぁ顔だけじゃないがな」

「ありがとう……、あっ」


 礼を言うと共に俊夫は水筒を受け取ろうと手を伸ばし、己の吐瀉物に塗れた手に気付いた。

 視線を腕から胴へと移すと、認めたくないような酷い有様だった。

 ローブは犬の血と泥、汚物に塗れ雑巾―-というよりは道端に落ちている年月を感じさせる布――のように汚らしく、足首に垂れ下がった下着とズボンが、どこか物悲しさを醸し出している。

 もし、女性が同じ姿で倒れているのを見れば性犯罪の被害者としか思えないだろう。


(うわぁ、こいつは酷ぇ。……そういえば、洗浄のペンダントとかいうのあったな。そいつを試してみるか)


 自分の服や地面を見回すと。


「ちょっと待ってくれ。ええと【クリーン】でいいのかな」


 汚れを無くす事を意識して口にすると、瞬時に衣服が綺麗になった。

 

 これにはマッスルボディの男も驚く。

 それと同時に少し複雑な表情を表す。


「おいおい、洗浄の魔法なんて使えたのか。だったら先に使って貰えば良かったな」

「さっきまでは使える状態じゃなかったんだ、勘弁してくれ」


 俊夫は謝りながら目の前の男に【クリーン】を使い、男の服に付いた汚れを洗浄した。

 ゲームとはいえ、リアルな吐瀉物が服にへばりつく様は見ていて気持ちいいものではなかったのだ。


 そして男が魔法と魔道具の違いに気づかなかったのも仕方ない。

 本来ならば魔道具に魔力を注ぎ込む動作が必要なところを、詠唱だけで使ったのだから。


「いやぁ、助かったよ。ありがとう、俺はゾルド。よろしく」

「俺はフリードだ。こんな森の中じゃ助け合いが基本だからな。気にするな」


 俊夫が礼を言いながら立ち上がり、笑顔で右手を差し出す。


 ゲームとはいえ、友好度判定などが採用されている場合は下手な対応をしない方が良い。

 この場で喧嘩別れになったりしたら困るのは俊夫だ。

 ならば、とりあえずは友好的な対応をしておけばいい。


 セーブポイントまでは。


 フリードと名乗った男は差し出された手を握り返す。

 力の加減が苦手なのか、手を握り潰さないように優しく握っているが、それでもその肉厚から来る圧迫感は圧倒的であった。


「とりあえず、ズボンを履いたらどうだ」

「えっ……、あっ!」


 自分の足元を見れば左足首に下着とズボンが引っかかってる状態で、下半身はむき出しだった。

 便意が押し寄せてきた時はズリ下げただけだったが、先ほど野犬を殺そうとした時に右足が抜けたのかもしれない。

 俊夫はその無様な姿に気付き、慌ててズボンを履き直す。


「これに関しては、もうちょっと早く教えてくれると嬉しかったかな」

「ハッハッハっ、そういうな」


 フリードは高らかに笑うと、俊夫の肩をポンポンと叩く。


「浴場とかで見てきた程度だが、お前のは人並みだし恥ずかしがる事はないぞ」

「うるせぇよ!」


 グッと親指を立てるフリードを俊夫は一蹴する。  

 普段ならゲーム内のこういったやり取りを楽しむ余裕があるのだが、倒れ伏していた後であったために、そんな気分には到底なれなかったのだ。

 だがフリードは、そんな俊夫の態度を気にするような素振りも見せずに話しかける。

 冒険者としてではなく、人生の先輩としての余裕だろうか。


「すまんすまん。ところでお前さん、愚者の実を食うくらいだ。旅慣れてないんだろ?」

「そりゃまぁ……、さっき始めたばっかりだしな。なんでわかるんだ?」


”なぜわかるのか”


 そんな事を聞くまでもない。

 ゲームのキャラならそういう発言をするようになっているのだろう。

 リアルな作りだからか、俊夫はついつい現実であるかのように対応してしまった。


「愚者の実。モンスタープラントの実の事で、ゲイリーの実とも呼ばれてるな。あんなどう見ても毒々しいものを食うなんて素人丸出しだ。俺が通りかからなかったら下手したら死んでたぞ」

「あれはノリで食べちゃって。いやぁ、本当に死ぬかと思いました、お礼に街に着いたら飯でも奢らせてください」

「あぁ楽しみにしておこう。……それにしてもノリで食べたのか。セーロの丸薬は持ってるのか?」

「セーロの丸薬? さっき口に入れられた薬か何かですか?」

「いや、さっき食べさせたのはセーロの葉だ。丸薬の原料となる。もしかしてお前セーロの丸薬を持ってないのか?」

「持ってないですね」


 俊夫の言葉を聞くと、フリードは皮のカバンの蓋を開ける。

 そして中からカエデの葉のような物と小さな袋を取り出した。

 小袋の方には黒い粒のようなものが入っている。

 その双方から異臭ともいえる強い匂いが漂ってきた。


「こっちがセーロの葉で、袋の中身がセーロの丸薬だ。旅人には必需品だぞ」

「へぇ、そうなんですね」

「そうなんですねって、人事みたいに言うことじゃないだろう。ほら、少し分けてやるから持っとけ。必要になったら森の奥に木が生えてるから自分で拾いにいくんだな」


 そう言って5枚ほどセーロの葉を俊夫に押し付ける。

 どうせなら小さくて飲みやすそうな丸薬の方をくれないのかな、という考えも過ぎるが笑顔で受け取る。

 一応、毒消しである以上は持っていても損はないのだから。


「ありがたく頂きます。でも、なんでここまでしてくれるんですか?」

「そりゃ人事とは思えないからな」


 何を言っているのかわからないと、頭の上に?でも付けてるような表情をする俊夫にフリードは続ける。


「簡単にわかったさ。質の良いローブと異様な魔力を発する魔剣。それに腕に付けられるような小型化された時計。そしてそんな物を大事にしまうでもなく、こんな森の中で身に付けたまま。セーロの丸薬も知らない事から、今まで必要にならなかったか魔法なんかで治せる環境。そしてそんな言葉使い」


 そこで一旦言葉を切り、フリードはニッと笑う。


「貴族か裕福な商家の家出息子ってとこだろう」

「いや、違うけど」

「ハッハッハッ、隠さなくてもいいって俺も似たようなもんだしな」


 フリードは笑いながら俊夫の背中をバンバン叩く。

 魔神として基礎能力の高さの恩恵を受けているにも関わらず、鈍い痛みが伝わってくる。

 筋肉の鎧は飾りではなかったのだ。

 叩くのを止めさせるために、俊夫は聞き返す事にした。


「似たようなものってことは、フリードは家出息子ってことですか?」

「まぁそんなとこだ。けど親父が病気になったって聞いたから、気ままな放浪生活も終わりだ。実家に帰る前に最後の一稼ぎにセーロの葉を集めに来てたんだが、その帰り道にお前を見つけたんだ。ツイてたな」

「なるほど、それは確かに運が良かったみたいだ」

「なんたって俺も最初は食料を持たずに森に入って”現地調達だ”ってゲイリーの実を食って苦しんだしな。まったくの人事じゃないんだよ。いやぁ俺も世間知らずだった」


 そう言ってフリードは高らかに笑い、それに合わせて俊夫も笑う。 


(まったく、なんだよこの茶番は……。そういう設定のチュートリアルキャラってだけだろう。さっさと話を進めろよ)


 普段であればゲームとしてこういったやりとりも楽しめるのだが、今はログアウトしたいという思いが強く、その胸中ではうんざりちしていた。

 しかし、それも仕方のないことだ。


 ゲームを起動したら異世界に転移していた。


 そんな事をすぐに察しろ、などという事は無理だろう。

 ゲーム中だと思っている俊夫にとって、ゲーム内のイベントで助けてもらっただけで、異世界の住人であるフリードの親切だとは欠片も思っていない。

 しょせんはNPCとしてか考えてないのだ。 


 もちろんフリードはNPCではなく、異世界の住人でそれも比較的善良な部類だ。

 とはいえ、俊夫が心の中で思っているような事を知れば流石に怒るだろう。


 幸い、一社会人としての生活のお陰で感情に関係なく上手く笑顔が作れる事。

 NPCと思っているはいえ、今は助けが必要なので友好度判定のために当たり散らしたりせず、クセになっている営業時の態度で接している事で気づかれてはいなかっただけだ。


「とりあえず、街に向かいながら話しませんか?」


 一刻も早くログアウトし、自身の体を確認したいと思っている俊夫は街へ行こうと促す。

 しかしフリードはそれに待ったをかける。


「どうせなら狼の牙を持っていこう。これでも金になるからな」


(狼か……、犬じゃなかったんだな)


 フリードの言葉に俊夫は同意する。

 モンスターの素材を売るのはRPGの基本だ。

 チュートリアルキャラのフリードが教えてくれてるのだろうと思った。


「いいか、狼の牙を抜く時はナイフを使うんだ。手で抜こうとすると怪我をするし、結構硬いから無理をするな」


 そう言いながらフリードは指先で牙を摘まんで抜いていく。


「言ってることとやってることが違うんですが……」

「俺は慣れてるし、力もあるからな」


 頭部が無事だった2匹の狼から牙を抜くと俊夫の前に差し出す。


「ほら、初狩りだろ」

「それは助けてくださったお礼に受け取ってください」

「初めての獲物は記念にしとけ。飯を奢ってくれればいいさ、そっちの方が高くつくけどな」

「そういうことなら遠慮なく貰っておきます」


 フリードから牙を受け取るとローブの内ポケットに入れる。

 すると狼の牙が入っているという事が思考に浮かぶ。

 これは他のゲームのアイテムボックスでも似たようなものだったので、特に気にはしなかった。


 俊夫が牙を受け取ると、フリードは地面に置いていたカバンを背負う。


「それじゃ街まで案内するよ」

「ええ、よろしくお願いします」

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