第3話 最初の出会い 2

 気を失うほどではない。

 だが吐き気や腹痛、頭痛に周囲がグルグルと回る激しい目眩に苦しんでいた。


「誰か……、いないのか……」


 ゲームを終了させるどころか、一時的に停止させる事すらできない。

 最近のゲームはどこでもセーブできるようになっているが、このゲームは宿や協会といった一定の場所でセーブし終了する。

 そんな古いタイプのゲームなのかもしれないと、今すぐに終了させる事はすでに諦めていた。

 窮地に陥った際、回復薬を使うチュートリアルが発動したり、助っ人キャラが登場するフラグになっていたりするかもしれない。

 そう信じて、今は助けてくれる者を待つだけである。

 なんとかしようともがく元気も無くなっていただけなのだが。


(なんでこんな事に……。休みの前だったとはいえ、昨日こんなゲームを買わなければ……)


 しかし後悔してももう遅い。

 すでにこの場に居て、このような状況になっているのだ。


(そうだっ、VRMの緊急通報装置! 今の状況は使用するのに正統な理由のある状況だ。後でサポート費用を請求される事はないだろう。むしろこのゲームを開発した会社を訴えてやる!)


 緊急通報装置はゲーム内で使用されるシステムとは違う、別系統のシステムである。

 ハードやソフトの不具合といった、なんらかの影響により動作不良を起こした場合、VRM本体の開発会社に救援を求めるために設置されている。

 この場合は会社からサポートスタッフが自宅に訪れ、外部からの強制終了などの処置を行う。

 ただし、非常事態でもない限り使用は禁じられている。

 スタッフの数は限られるのだ。

 本当に助けが必要な者のために、乱用する者には法的な処置は無いが、以後のサポートを打ち切られる。

 今回は助けを求めるのに十分な状況だと判断した俊夫は、通報用のコードを発声する。


「コール911、コール911」


 しかし、何も作動した様子がない。

 発動時は大きな音と開発会社のシンボルが眼前に表示されるはずだった。

 少なくとも、公式サイトの参考動画ではそうだった。


「違ったか? コール119、コール119」


(……通報を受理しましたとか普通出るだろ。もしかして、ハード自体にも影響があったのか? それともローカライズの際に無効にでもしやがったか? だったら訴訟物だぞ)


 ――緊急通報装置すら作動していないのではないか?


 その考えは恐怖以外の何者でもない。

 幸い実家住まいなので食事の準備が出来て呼びに来た時など、長時間放置される事はないだろう。

 家族が異変に気付くはずだ。

 だが、その時発見するのはおそらく汚物に塗れた俊夫の姿だ。

 家族――もしかすると親戚にまで、ずっと笑いのネタにされるに決まっている。


(それだけは嫌だ! とりあえず、ここはダメだ。移動しないと)


 助けを求めるにしても、こんな森の中で人が通りかかる可能性なんて絶望的である。

 少しでも街道の方へと、腹這いのまま少しずつ前進し始める。

 落ち葉の下にいるであろう虫を押し潰す感触もある。

 不愉快だが、今はそれどころではない。

 例えわずかな一歩であっても、それが自分の名誉を守る為と思い、今までの人生でも発揮したことの無い必死さで前へ前へと、歯を食いしばりながら進んでいく。

 なんとしても自力でゲームを終了させなければいけないのだ。






 休み休みではあるが、10分ほど――だが、それでも10mほど――進んだところで、風で木の葉の擦れ合う音以外の音が聞こえてきた。


”これを逃せばもう助からない”


 その思いが魂の叫びとなり、疲れきった体とは思えないほどの声量となった。

 森を探索する冒険者か、それともきこりかはわからない。

 もしかすると盗賊などの犯罪者かもしれない。

 だが、誰であろうと助けを求めたいという思いは止められない。


「助けてください。ここでーす。動けないんです」


 かならず相手に伝わったであろう声量を出した事により安心したのか、地面に顔を伏せてるほど脱力した。

 こちらに向かってくる落ち葉を踏むいくつもの音が、相手に伝わったという事を確信させた。

 そして……。


「ワンッワンッ」

「えっ」


 思わず顔を上げた俊夫の前には、先ほどの子犬がいた。

 その子犬の周囲には群れの仲間であろう、成犬が5匹ほど。

 助けに来たのが人間では無かった事に落胆した。


(いやいや、犬は恩義を忘れないっていうし、助けに来てくれたのかもしれない。良かった、イベントやっといて。これで――)


「ぬぁっ」


 一縷の希望を見出す俊夫に犬達が取った行動――それは喰らいつく事であった。

 噛みつかれるのを防ごうと腕を振り回そうとするが、素早い野犬に当たらない。。

 そうしている内に子犬が俊夫の顔に、成犬達は剥き出しの下半身や手に噛み付き、肉を食い千切らんと首を振る。

 彼らは子犬を助けてもらった恩義よりも、飢えを凌ぐ事を優先した。

 野犬達にとって、弱った人間はエサでしかなかったのだ。


 しかし――


「痛っ、痛くない?」


 ――その牙は肉を食い破る事はなかった。


 鋭い牙を持つ犬に噛まれてはいるが、その痛みは緩い洗濯バサミで挟まれている程度のものだった。

 弱っていたとしても、身を守ろうと戦闘を意識した事により、魔神としての基礎能力で高い防御力が発揮されていた。

 お陰で俊夫は少しだけ心に落ち着きを取り戻せた。


(どんな痛みが来るかわからなくて怖かったけど、さすがに痛みのフィードバックは制御しているのか。こいつら、俺に必死に噛み付いているけど、肉を噛み千切られる様子はない。基礎能力か装備補正かわからないけど、雑魚相手ならこんなもんか。なら……)


 俊夫は反撃を開始する。

 まずは恩知らずの子犬を掴み取り、力任せに握りつぶす。

 悲鳴を上げる間もなく、殺された子犬を見て、成犬達は喉や腕、股間など今までと違う箇所に噛み付くが、それでも俊夫を止める事はできない。

 怒りは身体の限界を超えて立ち上がらせる。

 まずは股間の犬を両足で挟み押しつぶす。

 そして足に噛み付いていた犬を、近くの木ごと蹴り抜いた。

 木の硬質な感触と、足と木に挟まれて潰された柔らかい肉の感触が足から伝わる。

 木がへし折れる音が響き、それに驚いた犬達の噛む力が弱まる。

 俊夫は噛む力が弱まったと感じ、片手でそれぞれ別の犬を一匹ずつ頭を掴み、一睨みした後に近くの木に押し付け、擦りつけて殺す。

 それを見た最後の1匹は勝ち目無しと見て逃走を試みるが――


「たかが犬畜生がぁ、舐めやがってぇぇぇ!」


 手の中にあった頭部の残骸。

 細かく砕けた骨を力の限り叩きつける。

 弱っていたとしても魔神としての力で投げつけた骨は、1つ1つは小石程度の大きさであるが故に散弾銃のように広がる。

 体育の授業でしか野球をやった事のない俊夫でも、犬の胴体や足に命中し、肉に食い込み穴を開ける。


 不意に訪れた痛みにキャイン、キャインと鳴き声を上げ痛みを訴える野犬。

 自身に近づいて来ている人間に対し、助けを求めるかの如くか弱く甘い声で鳴くが、その甲斐は無く無情にも踏み潰される。


「人が苦しんでるってのに……、ちくしょうめ……」


 本来なら街道まで向かう最後の力――根性を野犬退治で使い果たした俊夫はそのまま地面に倒れ伏す。


 脳を取り出したくなるような頭痛と、体力を失った事により精神的にも負の感情が強まる。


(もう、どうにでもなれ)


 俊夫はその場に倒れ込み、意識を手放した。

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