第2話 最初の出会い 1
いつもとは少し違う感覚の後、目の前に広がる世界の感想は悪くはなかった。
「おぉ、意外とやるじゃないか」
風に乗って周囲の花の香りが俊夫の鼻をくすぐる。
従来の
――匂いを感じる。
それだけでこのゲームが予想以上の出来であると思い感心していた。
従来の物であったなら、必要があれば嗅覚を使用したイベントシーン等もある。
だが、関係の無い場所での匂い等はリソースの無駄として切り捨てられるのが普通であった。
再現が難しいというのもあるが、そこまでやるには開発費がかかる割りにリターンが少ないのが問題だった。
軍事用、医療用であれば別だが、娯楽用であれば割り切ってしまっても良い部分だ。
「さて、どうしようかな」
そう呟きながら自分の姿を見る。
体格はほぼ現実での自分と同じである。
極端に身長を伸ばしたり縮めたりすると拒絶反応を起こ、脳に影響を及ぼすので、自然とVRGでは基本的にそのような仕様で統一されるようになっている。
体格を変更可能なゲームは、脳が拒絶反応を起こさない特殊なプログラムを組み込んでいる。
このゲームでは体格のカスタマイズは無いようだった。
背中には地面に当たらない程度の長さの剣。
禍々しい装飾が柄と鞘に施されている。
鞘には悪魔の爪のような物が付いており、剣の鍔に引っ掛けて抜け落ちたりしないようになっている。
服はどう見ても怪しさを醸し出すフード付きの漆黒のローブ。
意外と肌触りはよく、毛皮のように分厚いにも関わらず薄いシルクのような柔らかさと軽さ。
それ故、見た目ほど動きを妨げるような感じはしなかった。
ローブの内ポケットがアイテムボックスになってるようで、中に手を入れると奇妙な感覚になる。
ローブの内側は白のYシャツと薄い茶色の綿パン。
どうやら、現実の服装がそのまま反映されたようだ。
トランクスも現実のもので、腕時計までつけていた。
フィンガーレスグローブは……、拳を握り締めるとスタイリッシュになれる気がした。
靴は登山靴のように革や靴底が分厚く、足を保護するという点では問題無さそうだった。
今のところ特殊効果は実感できない。
その他、腰から下げた皮袋の中に多額の硬貨が入っていた。
「硬貨にわかりやすく数字が打刻されているだけか」
今見ているのは鉄で作られた貨幣に1000と打たれた物である。
サイズが異なる2000と打刻された物や5000と打刻された貨幣も入っていた。
「これは外国のゲームだからか。外国じゃ20ドル札とか使われてるもんな。……2,000円札とかどうなったんだか」
そう口には出したものの、まぁどうでもいい事か周囲に視線を向ける。
今は平原の真ん中に立っている。
正面には微かに街を囲っているのであろう壁が見え、そして右手側には街道、左手側は森、後ろは平原が続いており、どう考えても正面の街が始まりの街だ。
しかし俊夫は街なんかよりもと左手側の森を見る。
「とりあえず戦闘だ、戦闘。リアルな作りこみだからって、良いゲームとは限らないからな。雑魚狩りでどんなもんか試さないと」
俊夫は茂みを掻き分けて森の中へ入っていく。
森の安らぐ匂い……、ではなく腐葉土のような臭いが鼻を突く。
山林に入る事に慣れていない俊夫には、この臭いは新鮮な感覚ではあったが、それ以上に不快にも感じていた。
「リアルなのは良いんだが、ここまで作りこまなくても……」
つい先ほどとはまったく逆の感想である。
開発者のこだわりはわかる。
だが、こだわりとプレイの快適さは別である。
開発者のこだわりでプレイが不快になり、そのこだわりがあるせいでゲームの面白さを損なう事はよくある事だ。
その方向性を間違っている場合は特にである。
このゲームもその類かと思うと段々と不愉快になってきた。
「結局クソゲーかよ! 少しでも期待した俺が馬鹿だったよ」
憂さ晴らしに近くの木を力の限り蹴り飛ばす。
すると10mほどある木が蹴り飛ばした所から折れ、回転しながら他の木に二度、三度とぶつかり、何本かの木を倒し動きを止める。
木がぶつかる轟音、そして木が簡単に蹴り飛ばせるという予想外の結果を目の当たりにし呆気にとられる。
「これは……、これが魔神としての基本能力の高さか。けどこれじゃアイテムとか持つときどうするんだ?」
俊夫は力の強さを確認するために、足元に落ちている太めの枝を拾って見た。
……何も異常はない。
持ったからといって枝が砕け散るわけではない。
少し力を入れると簡単に折れたのを確認すると、ギュッと拳を握り締め、思い切りよく近くの木を殴る。
すると激しいと音を立てて、拳は木を貫き腕が内部にまでめりこむ。
「へぇ……。目的を持って力を入れるとその分、必要なだけ力が入るみたいだな。強い力を持っているけど、それが暴走しない程度に自然とコントロールできるようになってると。剣の柄を握りつぶしたりしても面白くないし、当然そうなっているか」
力の扱いに納得がいくと、気を取り直しさらに森の奥へと進んでいく。
しばらく森の中を歩き、腐った落ち葉を踏む感触にうんざりし始めた頃、動物の鳴き声が聞こえて来た。
「犬の鳴き声か」
キューン、キューンと悲しげな声が聞こえる方へ向かうと、子犬が1匹、木に貼りついたツタに絡まれていた。
子犬に近づくと俊夫に気付き、助けを求めているかのようにこちらを見て、声も大きくなっていく。
これにはさすがの俊夫もどうしたものかと困った。
「子犬かぁ……、さすがにこれを殺すのはなぁ」
俊夫は特に犬が好きだというのではない。
ただ、本物そのものといえるリアルさのゲーム内で、身動きの取れない小動物を嬲り殺すというのは流石に趣味ではなかった。
それに野良犬とはいえ、子犬特有の可愛らしさがあるという一因である。
「ほら、外してやるから動くな」
犬に言葉は通じないのだが、それでも声を掛けながらツタを外してやろうとする。
俊夫が手を近づけるとツタが絡まり、かなり強い力で引き摺りこもうとするが、それに負けないくらいの力でツタを引き千切り、子犬の首の皮掴んでを助け出す。
彼は子犬を助け出す事で、なんらかのイベントが発生すると期待もしていたのだが……。
今のところは何も起きない。
「おいおい、暴れるなって。ほら、行けよ」
ツタから開放された途端に、離せと言わんばかりに身を捩り暴れる。
俊夫はそんな子犬から手を離し逃がしてやる。
子犬は俊夫から少し離れてから、しっぽを振りながらワンワン!と高く鳴いてどこかへ走り去って行った。
「……なんだ、これだけか。何かイベントが起きるもんだと思ったが。それにしてもこれ、選んだ種族が人間だったら危なかったな。結構この食虫植物っぽいヤツの引っ張る力が強かったし」
従来のゲームの経験であれば――
子犬が恩を返そうとして付いて来る。
親犬が現れて子犬を助けようと襲い掛かってくる。
獲物を奪われた食虫植物が猛り狂って襲い掛かってくる。
といった事が予想されたが、何もイベントが起きない事にがっかりとした表情を浮かべた。
「イベントもない、戦闘もない。これじゃただの環境ソフトじゃないか。所詮はガワがいいだけのクソゲーか。マジつまんねー、やってらんねぇよ。街に行ったらさっさと終わらせて別のゲームでもやるか」
悪態をつきながら、目についた木に貼りついている食虫植物の実を引き千切る。
何気無く千切り取った実はキウイのような形で、赤くやや毒々しい見た目。
手で掴んだ感触は柔らかく、水分が多い果実のようだった。。
ふと、このゲームに味覚はあるのかと興味を持ち、無造作に噛り付く。
「実はバナナのように柔らかい。果汁は甘味のある蜜のように粘度が高いがエグ味が強く、それゆえに柔らかさが逆に不快感を……、って何を味わってるんだ俺は!」
自らの行いを反省しながら、実を地面に叩き付ける。
口内に広がる不快感を拭い去ろうと唾を吐き出すが、それでもネバつく果汁は消え去らない。
水でうがいをしようにも水筒も無く、水魔法の使い方など知る由も無い。
「最悪だ……、味覚があるならまともな味の果物を作れよ。こんな後味の悪さが引くなんてリアルさは誰も求めてないんだよ。こんなリアル……オロロロロ」
俊夫は突然の吐き気に見舞われ、我慢する事ができずにそのまま嘔吐する。
咄嗟に抑えようとした掌とローブに嘔吐物がかかり、そこから地面に滴り落ちる。
意思では抑えきれない、毒素を吐き出さんとする身体の拒絶反応。
――だがそれだけではない。
「マジかよ、ダメだこれっ」
この世の終わりかという気持ちが襲い掛かってくる中、慌ててズボンと下着をずり下げる。
ゲームの世界ならば必要ないのだが、現実世界での日常生活で身に着けた常識が行動へと移してしまうのだろう。
”何故こんな事になったんだ”と思いながらもその場にしゃがみ込む。
尻からひり出された汚物が勢い余ってずり下げたズボン等にもかかるが、そんな事を気にする余裕は流石に無かった。
先ほどの果実に当たったのだろう。
上下の口から体内の毒を吐き出さんと、勢いよく水分が溢れ出る。
だがこのような苦しい状況に置かれても、俊夫が考える事は別の事であった。
(いくら独立系企業のソフトでも、フィードバックの制限くらいちゃんとしてるんだろうな? これじゃ、現実の体がどうなってるかわかんねぇぞ)
例え苦しくても――いや、苦しいからこその心配であった。
ゲームを終了させたら糞尿に塗れた部屋だった。
――そんな事は誰も望まないのだ。
俊夫自身も特殊な性癖を持っていないので、そのような状況を望まない1人である。
体内に溜め込まれた物を体外に吐き出したせいか、急に体の力が抜け、そのまま倒れる。
吐瀉物の水溜りに倒れ込み、抜け出そうにも体に痺れを感じ体が動かない。
(魔神なんてラスボスみたいな大層な種族だから、状態異常耐性くらいデフォで付いてるもんだと思ってたのが悪かったか)
一刻も早くこの状況を抜け出さないといけないという思いはあるが、ゲームを開始したばかりなので所持しているのは初期装備と金だけ。
回復アイテムはおろか、毒消しというアイテムを持ってなどいない。
「メニュー……、設定……、ステータス画面……、ログアウト……、終了……」
体内の物は全て吐き出したにも関わらず、それでも毒素を吐き出さんとする尻穴をひくつかせながら、呪詛でも吐き出しているのかと思える声で呟く。
このゲームにはフェイルセーフという概念が欠落しているとしか思えない。
早く終わらせないと致命的な事になる、そう本能的に感じていた。
「くいっとぉぉぉ……」
通常であればゲームを終了させるのに必要な単語も反応しなかった。
それも当然、ここは異世界なのだから。
開始から10分。
彼は予期せぬ苦境に陥っていた。
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