三十 進展

 瀬戸が説明を中断したところで、新たに判明した事実を整理する。

 細部は少しずつ違っても、瀬戸の推理と、捜査の方向は正しかった。渋井の情報の裏付け情報が寄せられ、志賀が追加の指示をする。

 渋井は自宅にはおらず、トラックも無かったが、件のホルマリン漬けは倉庫ですぐに見つかった。

 引き続きトラックを捜索している。昨晩は雨が多く降ったこともあり、ぬかるみに付いたタイヤの痕が新しいことなどから、そう遠くへは行っていないと推測される。

 無線が聞かれているならと、交通課の猛者もさたちが時機を見て検問を操作、無線以外の連絡手段と併用することで一部の情報を犯人にだけ隠し、確保しやすいところへ誘導しているそうだ。


「行方不明とされていた小出伊知郎を保護。衰弱してはいるが、大きな怪我は無し、意識も明瞭。また、あかつき日報の椎名記者が捜索していたオスの三毛猫も同時に保護。軽い切り傷以外は異常なし。発見された防空壕跡の調査、小出伊知郎の事情聴取を飯田巡査部長に任せ、報告を待つ。以上」

 無流の班からの連絡報告を聞き終わると、資料を整理していた瀬戸が目を合わせた。

「小出くん、見つかりましたね」

 笑顔を見せた瀬戸に、志賀も表情を和らげる。

「お前に、無流から伝言だ」

「なんですか?」

「秘密の地下室は無かったが、空き家の真下に防空壕があった。瀬戸さん良かったねって和美が言ってる――だと」

「ああ、そんなに近くに。でも、僕の予想とは使われ方がちょっと違うな」

「とりあえず、小出伊知郎と猫ちゃんが見つかって良かったな」

 渋井の家に、盗まれた猫がいた痕跡は無かったが、猫の種類や遺伝的な統計を独自にまとめた記録帳が多数あった。盗まれた日付と符合する走り書きが、記録帳の該当する箇所に挟まれていたそうだ。

「推理を軌道修正しないと」

「無流の聴取結果を待つのか」

「小出くんが保護されたんなら、そうですね」

「もう時間の問題だろ。お前の言う通り素直に捕まってくれるんなら、待ってりゃ犯人がそれぞれ自供する。俺は邪魔されないところで煙草が吸いたい」

「じゃあ、さっきの資料室で」


 瀬戸は志賀の横で同じように壁にもたれて、暗い資料室の窓から射し込む陽射しが煙にあたるのを、ぼんやり眺めている。

「晴己。お前、何を隠してる。そろそろ吐け」

「やっぱり、そう来ますか」

 さっき渋井についての解説で語るのを避けていたことを、探るための密談だ。

「猫さらいは重要じゃないのか」

「……急ぐべき問題はあまりないかな。痕跡は消され、証拠は隠されてる。切り取り魔の捜査の邪魔になるので」

「ここまでの流れからして、渋井が珍しい猫の精液を採るために、布袋充にさらわせたってことでいいのか?全部オスだ」

「合ってます」

「猫を戻したのは誰だ」

「布袋充です。僕たちが小出くんに注視している間に戻した。そのために小出くんは、行方不明になったふりをした」

「狂言か」

「計画的に行方をくらませたという感じですね。渋井には、人より猫が本題なのかも。布袋充にやらせたのは、簡単に自首しないよう罪を重ねさせるためかな。渋井が、独創性の貧困さに悩む布袋充をそそのかしたものの、小出くんの介入で色々と好転した」

「好転って流れじゃ無いがなぁ」

 志賀が灰皿のあるテーブルまで移動し、黒い革張りのソファに座ると、瀬戸も隣に座った。


「布袋充も初めは、自分の切り取った角も含めて何か、異形の像を造るつもりだったんでしょう。北原さんの顔を基礎にした、神像のような石膏像だったはず。でも、出来上がった像が見当たらないところをみると、途中でやめた。北原さんにモデルを断られた際に、両親が関わったのもあります」

「俺はそういう大作が、秘密の地下室とやらの祭壇に祀られてるのかと思ってた」


「僕もです。布袋充は、設備や金銭面で他の学生より恵まれていることは確かですが、基本的に真面目に学んでるし、技術もちゃんと持っています。口論になっても、暴力沙汰は起こしてない。小出くんは、純粋に作品の出来を評価していたんです。暗い情熱が空回りしてるだけで、暗さと情熱を分ければいいと気付いて、助言したのかも。空き家の様子を見た限りでは、あの二人は本当に友達のようです」

「友達ねぇ。やな奴を浄化するほど、小出伊知郎はいい子ってことか」

 布袋充は芸術家向きではないと言われていたが、美術を仕事にするのに必要なことのほとんどは、理論や技術力を身に着けることだ。欲張らずとも知名度が既にある彼に、独創性は無くても困らなかったはずだが、小出伊知郎や坂上啓のような才能を目の当たりにしていれば、焦りも出る。渋井にその隙に付け込まれ、誘惑に勝てなかったのだろうか。


「小出くんが描いた絵を、無流さんが見ていました。ケンタウロスの絵だそうです。二人とも神話が好きだと言われていましたが、空き家にあった小出くんのスケッチは全部『神曲しんきょく』の絵だと思います」

「あぁ――ダンテか。ミノタウロスとケンタウロスは、地獄で続けて出てくる」

 言われてみれば、あのミノタウロス像がギリシャ神話の場面なら、生贄は少年少女のはずだ。


「『神曲』は二人の本棚にもありましたし、北原画廊に通う趣味があるなら必携図書でしょうね。時期的に、石膏像を見て『神曲』だと気付いた小出くんの方から、布袋充に連作と合作を持ち掛けたんでしょう。空き家で描いていたのはその企画だ。画廊に絵が売れたから、小出くんも資金のあてができた」

「最初から、怪しいと知ってて近付いたわけではないのか」


「違います。空き家に猫がいることに気付いたのも、偶然です。というか、体質かな」

「まだ出し惜しみしてるな」

「すぐ、はっきりしますよ。何より、小出くんが無事で良かった」

 何やら廊下が捜査員でばたついている。

「検問にかかったか?行くぞ」

 志賀が煙草を揉み消しながら立ち上がると、瀬戸は先に立って扉を開け、志賀を待った。

「落ち着いたら、小出くんとも話してみたいなぁ。猫ちゃんも合わせて」

「お前、猫好きなんだな」

「好きです。本当は一緒に暮らしたいんですけど、帰れない日が多いと、ちゃんとご飯をあげられないから」

「遠回しに俺を責めるな」

「そう聞こえました?」

 わざとおどけて見せた瀬戸を小突いて、揃って会議室へ向かった。

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