第4話
ティアラの顔を見る限り、彼はちゃんと出立前に挨拶に行ったのだろう。そんな彼ならばきっと戻ってきたときも真っ先に彼女の元に行く。
「手紙も出せないわよね……」
「各地転々とするようなので無理ですわね」
「そう、よね……」
剣術学部が戻ってくるしばらくの間、ティアラと二人きりの昼食となる。そう考えると思わずクスッと笑みをこぼし、それに気付いたティアラが目を丸くしながら首を傾げてきた。
「どうかしたの?」
「いいえ。去年と比べて随分変わったと思いまして。去年の今頃わたくしたちは食堂で誰も寄り付かない中、死んだ魚の目をしながら昼食を取っていましたわ」
「どういう例えなの?! でも、そうね……去年なんて、ずっと頭を抱えていたわ」
「今も頭を抱えていることには変わりはないようですわね? 内容は全然違いますけども」
「そっ、そんなことないわよっ?」
ティアラはそう言うけれど、でも明らかに変わった。常にポーカーフェイスをしていた彼女の表情は豊かになり、よく笑いよく怒り、よく照れるようになった。友人としてとても嬉しい変化だ。去年と比べてどちらがいいかなんて、そんなことわざわざ言うまでもない。
ある意味婚約破棄をした王子には感謝だけれど、それ以上に彼は許されないことをした。彼に礼を言うなんてとてもではないが無理ですわねと一つ息を吐く。礼を言うのであれば、彼女のあの場所から救い出してくれた彼だ。それはもう、巷で人気のある恋愛小説のように颯爽と現れたティアラだけの騎士様。
あれほど大騒ぎになったのだから、もしかして将来ティアラと彼のお伽話が生まれても不思議ではないとまた笑みをこぼす。
「ティアラ、しばらくは女同士で盛り上がりましょう?」
「そうね! 何の話をする?」
「そうですわねぇ……彼とはどこまで行きましたの? 抱擁は致しましたでしょう? その次は口付け?」
「くくく、口付け?!」
「あ、わかりませんの? キス――」
「わ、わかるわよそれぐらい!」
この反応をする辺り、彼は本当に義理堅い男性のようで。大切に大切にされているのですわね、ティアラ。
一方で挨拶もなしに発った男は愛の囁きも熱い抱擁もないのに、キスだけはティアラたちよりも先に行ってしまってなんだか笑えてしまう。そのキスも、あの状況下仕方がなくわたくしからしたものだったけれど。
彼らがいない間わたくしたちはそうやって初めて『恋バナ』というものをした。面白いことに彼女と友人となってそこそこに長い年月が経つというのに、そう言った話は今まで一度もしたことがなかったのだ。
「あら」
正門のほうが賑やかだと思っていたけれど、そういえばもうすぐで長期休暇に入る。あれからもう一ヶ月半発ったのだとそのまま正門に視線を向ける。ティアラはもう帰ってしまったけれど正門には複数の女子生徒、そしてわたくしはというと先生に聞きたいことがあったため残っていただけだった。
「きっと彼は真っ先にティアラに会いに行くでしょうね」
それを証拠にものすごい早さで正門を横切った何かが見えた。わたくしの目は一般的でとてもよく見えるわけではないから、はっきりとはわからないけれど。でもあの速さで誰かに会いに行くなんて思い当たる人物は一人しかいない。
正門では続々と剣術学部の生徒が現れ、待っていた女子生徒たちは次々に剣術学部の生徒へ駆け寄る。きっと帰りを待っていたのだろう、その様子が遠征に行った騎士の帰りを待っていた妻のようだった。
彼は、行きも帰りもわたくしのところには来ない。それもそうだ、正門に見える恋人たちのような関係ではないのだから。お互い大切な友人を守るために協力したにすぎない。けれど、それにしても、彼は思った以上に薄情な人だ。帰り支度を済ませたわたくしは正門で待機していた御者に一言告げ、そのまま乗り込まずに別の方向へ足を進める。
調べようと思えばいくらでも調べられる。バイオレット家の強みはその情報収集の能力と高さだ。情報は武器、そう幼き頃から叩きこまれた教えは身体にしっかり染みついている。淀みなく足を進め、管理人に笑顔で挨拶をする。どの時間に出入りが少ないのか……どの部屋なのか、その答えにたどり着くのは容易なことだった。
指の背で二回軽くノック、しばらくすればゆっくりと開かれたドア。目の前には思いきり歪められている顔。わたくしを前にしてこんな表情をするのはきっと彼ぐらい。彼は用心深く左右を見渡すとわたくしに中に入るよう促してきた。ここで追い返そうとしたところで素直に帰るとは思っていないからだ。だから誰かに見つかるよりも中に入れることを選んだ。
「とても狭い部屋ですのね」
部屋の中を見渡し素直に感想を口にする。確かに生活する必要最低限のものは揃えられている。けれど普段屋敷で暮らしているわたくしにとって、馬小屋よりも狭く感じた。
「一人で生活するには十分だろ」
憎まれ口はそう続かず、彼は固そうなベッドの縁に座るとそのまま身体を後ろに倒した。
「疲れておりますの?」
「見りゃわかるだろ。ってか、何しに来た」
「用がなければ来てはなりませんの?」
「ああ」
随分とお早い返事だこと。冷たい方ですのね、と一言こぼして彼の隣に腰を下ろす。腕て隠されている先を覗き見てみると疲れている顔、一ヶ月半のうちに髪も少しだけ伸びたような気がする。あちこちに擦り傷、けれどたくましくなった身体。長期遠征は普段身体を鍛えている彼らにとっても過酷なものだったのだろう。
起き上がる気配のない彼を見て、その腕をほんの少し動かす。わたくしが何をしてもされるがままだなんて、本当に疲れている証拠。身を屈め、僅かに見えているそこに覆い被さる――本当に、何も理由もないのにキスするなんておかしな話。
「っ……!」
視界がぐるりと回った。先程までは彼を見下ろしていたのに気付けば天井を見上げている。ヒヤリと悪寒が走り視界に映った彼の顔は今までにないぐらい、怒りを露わにしていた。
首に巻いていたスカーフを外され制服のボタンも外される。力加減のない手で制服が引っ張られ、布が肌に食い込み痛みが走る。随分と涼しげになった首元に彼は一度だけ顔を埋めた。本当に、たった一度だけ。
顔はすぐに上げられた。
「人をからかって楽しいか」
唸るような声色に、なぜだろう、本来怯えるような状況なのに。わたくしの口角は自然と上がる。
「ええ、楽しいですわ――だって貴方、わたくしの思い通りに動いてくれないもの」
ティアラのような初心な娘ではない。パーティー会場でよく目にしていた、情報を仕入れるために軽く誘惑をしたこともあった。だからわかっている、ここまでくれば男性はこの先何をするかを。わたくしはそれをわかっていて仕掛けたのに、彼は止まった。こちらの思惑通りに進んではくれなかった。
彼の顔が大きく歪み、勢いのままベッドに倒れ込む。スプリングの効いていないベッドは弾むことなく重く彼を受け止めた。
「こっちは疲れてんだ」
「ええ、そうですわね」
「お遊びは他所でやれ」
「嫌ですわ、だってここが楽しいですもの」
「ふざけんな」
「至って真面目ですわよ?」
ベッドに顔を埋めながら喋る彼を、同じく横たわった体勢のまま顔だけ向けて見つめる。疲れているのなら、無理矢理に追い出せばいいものの。それぐらいの体力はあるはずだ。
手を伸ばし彼の頬についている傷痕をなぞる。肌が裂けているところを見ると意外にも深く切っているのかもしれない。持ってきていた傷薬を取り出してそこに塗り込んでやればくぐもった唸り声が聞こえた。
「過酷でしたの?」
「……アクシデントがあった。大型のオークの群れに囲まれた」
「まぁ……」
「下級生がテンパッて、結局トーナメント上位陣で対処した」
「それは大変でしたのね」
そういえば、と何かを思い出したかのように彼はベッドから顔を上げた。
「一度だけ、クロイトがつけてたネックレスが攻撃を弾いていたな」
「それはきっとティアラがプレゼントしたネックレスですわ」
「ああ……そういえばそんなこと言ってたな……デレッデレした顔が気持ち悪くてしょうがなかったやつか……」
「まぁ、気持ち悪いだなんて」
簡単に想像できてしまったけれど。ティアラといると彼はすぐに表情が崩れてしまうからわたくしも今まで何度もその表情を見たことがある。ネックレスの意味に『束縛』なんてものがあるのだと彼に教えると、「へー」と気のない返事が戻ってきた。そんな彼にわたくしからネックレスをプレゼントしたらどう思うのだろう。想像するだけで面白くてつい笑みをこぼす。
「長期休暇はどうしますの? 故郷に帰りますの?」
「いいや。卒業するまで帰らねぇって言ってある」
「そうでしたの。ならば、もしかしてずっと寮に?」
「他に行くとこねぇし」
これはチャンスですわ、と内心ほくそ笑みスッと彼との距離を縮める。彼は再びベッドに顔を埋めてしまったため、距離を縮められたことに気付いていても至近距離にわたくしの顔があることには気付いていない。
「バイオレット家が所持している別荘の一つに、とてもいい場所がありますわ。首都から離れ自然が多い場所ですの」
「へー……」
「貴方の五感もきっと安らぎますわ」
「……何釣ろうとしてんだ」
「あら、人聞きの悪い」
やはり簡単には釣られてくれないか。でもそこがまた彼らしくて表情が緩む。知っている、彼が何を望んでいるのか。誰にも絡まれず静かに過ごせる場所にいたいだけなのだと、わかっている。わたくしはそんな彼の欲しているものを釣り針の先につけて、少しだけ垂らしているだけ。
「いいから休ませろ……寝てぇんだこっちは」
「おやすみください」
「用が済んだら出ろよ」
「わかりましたわ」
するとしばらくしないうちに隣から穏やかな寝息が聞こえてきた。あら、お早いこと。スースー言っている顔に近付いてみればぐっすりとよく寝ている。いつもの彼ならきっと、ここまで近付いたら飛び起きるでしょうに。
さて、とわたくしは持ってきていた小説を取り出した。わたくしの用はまだ済んではいない。
だって出立のときも帰ってきたときも彼は挨拶に来ることもなければ、そんな彼を一ヶ月半待っていた。わたくしっていつこんな献身的だったかしらと自分でも笑ってしまうぐらい。でもその一ヶ月半の分、彼の隣を堪能してもいいはずだ。
わたくしって、いつの間にこんなことになってしまったのだろう。だなんて。
だって彼は普段無愛想で、わたくしが笑みを浮かべる度に嫌そうな顔をする。貴族独特の笑みが苦手なのだとわかっていたし、そもそも貴族や王族の強かさが好みではないのだろう。そんな彼が、わたくしが自分の感情を優先させたときだけ真っ直ぐにこちらを見るのだ。そのときだけ、しっかりとこちらの言葉に耳を傾けてくれるのだ。令嬢のわたくしではなく、彼は『アリシア』のときだけ見てくれる。
それに気付いてわたくしは喜びを覚えた。わたくしに求められているのはいつだって貴族の令嬢だったのだから。
「本当に、酷いお方」
わたくしに自覚させておきながら、あとは何もせずに放置する。そういう人だから、わたくしも仕掛けるだけ仕掛けるのだ。そして思う存分楽しませてもらおう。そうでないとフェアではない。
「何だよまだいたのかよ」
「ええ、読書に夢中になってしまって」
「もう遅いから帰れ。馬車待たせてんじゃねぇのか」
「帰りは遅いとちゃんと言っていたので大丈夫ですわ」
「そうか、俺は大丈夫じゃねぇ」
「まぁ、そうですの?」
のそりと起きた彼は隣で読書しているわたくしに気付いて、盛大に顔を歪めた。相変わらず感情を隠そうともしないお顔ですこと。
彼は頭を掻くと一度部屋から離れ、さっぱりとした面持ちで帰ってきた。そしてわたくしに本をたたむように言うとドアを開けて待ち構えている。無言の「出て行け」だ。これ以上は出禁になりかねないと判断し、大人しくそれに従った。
「そういえば」
「なんですの?」
「香水つけてねぇんだな」
彼の前を通り過ぎたタイミングだった。今ここでそれを言いますの? 意外に罪作りな方なのねと笑みをこぼした。
「だって貴方が嫌だって言うから」
だから淑女の嗜みでもある香水もつけては来なかったのだ。
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