第2話
エスコートなどしたことはない、そう顔を歪めて言った言葉にわかっていますわと笑顔で返す。元より彼に完璧は求めていない。今この場に必要なのはその目とその耳だ、それさえあれば十分。
馬車から降りるときはわたくしに手を差し出すこと、歩くときはわたくしの歩幅に合わせること。それだけ守ってくれれば十分だと伝えると彼は渋々頷いた。
「さて、行きますわよ。戦いの場へ」
「はいはい」
彼の腕に手を絡め、パーティー会場へと足を進めた。
社交界のパーティーは学園のそれとは違う。あの場は歳の近い者しかいないけれどこの場は老若男女、あらゆる野望が渦巻いて決して甘酸っぱい空気などない。誰もが自分の利益になることしか考えていない。もしくは、何かの企みか。
会場へ入ればわたくしが周りの目を引くのはわかっていたけれど、今回はそれ以上に貴婦人たちの視線を集めているのは隣の彼だ。それもそうだ、貴族ではない佇まいに目が向かってしまうのは仕方のないこと。
馬車の中で彼の着替えを手伝っているときも思ったけれど、やはり剣術学部ということもあって彼の身体つきもたくましい。いつも自身に比べて友人のほうが、と口にしているけれどわたくしに取っては引けを取っているとは思えない。しっかりとした筋肉、スッと流れる目元、背も高く黒をベースとした衣装に彼の瞳と髪はよく映えている。
「ダンスはできますの?」
「できるわけねぇだろ」
「ならばわたくしがリードしますわ。貴方はただそれに従ってくださいな」
「従わなかったらその無駄に鋭利なヒールで足を踏むつもりか」
「あら、よくわかっていますのね」
これだけ注目してただ壁の花になるわけにもいかない。彼がリードしているように踊らせることはわたくしにとっては対して難しいことではない、踊っている最中に彼にはその目と耳を酷使してもらおうと笑みを向ける。
ただ一つ心配なのは、五感が鋭すぎるということだ。彼は普段から物静かな場所を好んでいる、今この場はそういう場所とは正反対。わたくしが心配していた通り、彼は軽く目頭を指で揉み貴婦人が近くを通る度に顔を歪めた。
「……大丈夫ですの」
「目も鼻も痛ぇわ」
「我慢してくださいな」
特定する前に使い物にならなかったら困る。彼の様子を眺めつつ、なるべく照明と人の少ないところを選んでダンスのポージングを取る。踊ったことのない彼の足を極力踏まないように気を付けなければ、と音楽が鳴り出したと同時に足を踏み出した。
踊っていて思ったのは、意外にも彼は下手ではなかったということ。もしかしたらわたくしの足やドレスの裾が踏まれる可能性があるとは思っていたけれど、そんなことはまったくない。器用で、何かを吸収するのが早いのだとわかった。だって彼はわたくしと踊りながらも目は常に周辺に向かっていたのだから。
彼には心当たりのある人物像をすでに伝えてある。これならばすぐに探してくれそうですわね、と思いっていると彼の視線がとある場所でピタリと止まる。もう探したのかしらとわたくしも彼の視線の先を追った。まるで物陰に隠れるかのように話し込んでいる男性二人、社交パーティーであれば決して不審ではなくよくあることだけれど。
「間違いないですわね?」
「ああ、あれだな。どうする」
「追いかけますわ」
さらりとダンスを終え場所を移動しようとしている男性二人を追いかける。けれどここは社交パーティー、歩く度に人にぶつかり思うように前に進めない。「通りますわ」と言いながら進んでいてもそれぞれお喋りに夢中で道を開けてはくれないことに、内心ヒールで踏んでやろうかしらと思っていたときだった。
グッと腰を押され何事かと思ったらたくましい腕がわたくしの腰に回っている。隣にピタリとついて人混みを掻き分けながらわたくしを前に進ませていた。
「感謝致しますわ」
「このままじゃ見失っちまう」
彼は恐らく遅いから早く歩けと言っているのだろう。けれど言葉遣いと腰を押す力に多少の強引さはあっても、そこに立っている人がわたくしに当たらないようにする配慮はしている。優しいのか優しくないのか一体どっちなのかしら、そう思うと小さく笑ってしまいそう。ただ彼がタイミングよくこちらを見たものだからいつもの笑顔を瞬時に顔に貼り付けたけれど。
そうして人混みを掻き分けパーティー会場をあとにする。ここから先はいくつもの個室がある場所だ。何に使うかだなんてもちろん、密談やその他もろもろ。人によっては逢瀬に使っている人もいるだろう。姿を追っていた男性二人も談笑しながら中に入り、わたくしたちは廊下で立ち止まった。
「中に押しかけるか」
「これ以上近付くのは危険ですわ。貴族同士の揉め事に発展しますもの……周辺の空いている部屋に入ってみましょう」
両隣を確認してみたけれどどちらも使われている様子だったため一階下の部屋に向かう。真下の部屋がそこによかったのだけれど残念ながらそこも使われていた。仕方なくその隣の部屋に入り、バルコニーに出て上を確認してみる。すると運がよく、あの男性二人は同じようにバルコニーに出ていた。
「姿は見えるけど流石に声は聞こえねぇな」
「口元はどうですの?」
「角度的に無理だ」
口元も読むのも無理、ならば次はどうしましょうと思案する。折角の情報源をここでみすみす見逃すなんてもったいない。次の機会がめぐってくるまで彼女が無事でいられる保証もない。何かいい案がないかと視線をめぐらそうとしていたわたくしの隣で、彼はある一点だけを見つめていた。
「……? どうしましたの?」
「掴まってろ」
「え? ――きゃっ」
思わず声を出したことに羞恥を一瞬だけ覚えたけれど、でも彼が言っていたようにしっかりと掴まっていないととんでもないことになってしまう。
ヴィクトルがわたくしを抱えたかと思ったら、なんと隣のバルコニーへ飛び移ったではないか。それも軽々と。落ちる心配はあまりないとはいえだからと言って手を離してしまったらわたくしの体勢が大きく崩れてしまう。だから彼に言われた通りしっかりと掴まっていた。
「重てぇな」
「まぁ。レディに対してなんてことを」
「ドレスが無駄に重てぇんだよ。纏わりついてくる」
「他の令嬢だったら貴方今頃ビンタされていますわ」
軽口を叩き合いながらも彼は難なくわたくしを下ろし、真上のバルコニーを見上げた。わたくしでもよく彼らの会話は耳に届いてきた。
「やはりスノーホワイト家の力を削ぎたいが……――」
「ならば娘を使う他ないだろう。王子もかなり恨みを持っているようだからな、うまく利用させてもらおうじゃないか」
「随分と穏やかじゃねぇな」
「そうですわね」
スノーホワイト家は中立を保っている貴族の中でも優秀でそれなりの権力も持っている。優秀だからこそ、他の貴族は面白くないのだろう。妬み嫉み、彼らは己の能力の低さを棚に上げそうやって相手を貶めることしか考えない。しかも、明らかに次期当主の長男ではなく力も弱くまた婚約破棄をされ令嬢として立場の弱くなった彼女を狙う。随分と卑しい連中ですこと。
それから男たちは今後の計画について話し始めた。密談ならばそのまま部屋でしていればよかったものの、酒を煽りすぎて思考もまとまらなくなったのか。風を浴びながら談笑するのは構わないけれど、下にわたくしたちがいるとは露ほども思わないのだろう。かなり綿密な話し合いになり、わたくしの口角も上がる。
「有益な情報を得ることができましたわ」
そろそろこの場を離れても問題ないだろうと彼を見上げたのだけれど、わたくしは急いでその顔を両手で動きを封じそして――問答無用に口付けた。
すぐに窓が開け放たれたわたくしたちのいたバルコニー。この部屋にいた住人たちはそこにいた男女二人の姿を見てぎょっとしていた。そんな彼らに、薄っすらと笑みを向ける。
「わたくしたちが先客ですの。邪魔しないでくださる?」
「あっ、こ、これは失礼」
「いいえ」
それとなく雰囲気を醸しだすと彼らは急いで窓とカーテンを閉めた。窓に背を向けていた彼はもちろんのこと、この月明かりではわたくしの顔もよく見えなかったに違いない。そもそもこんな場所で男女二人きりとなると考えられることは一つ。彼らはきちんと場の空気を読んでくれたのだ。
「お前ぇ……」
「あら、もしかして初めてですの? これは失礼なことをしましたわ」
「初めてじゃねぇけど失礼なことには違いねぇな」
何やら胸にチクリと痛みが走ったような気もするけれど、きっと気のせい。このまままた彼に運んでもらって隣のバルコニーに移ったほうがいいと、思ったのだけれど。カーテンが妙に揺らいでいる。
「まだこっち見てるじゃねぇか」
「覗き見なんて悪趣味ですのね。ほら、もっとこっちに寄ってくださいまし。このままでは怪しまれますわ」
ぐいっと彼の頭を引っ張りわたくしの首筋に埋める。はっきり見えなくともそれなりの格好をしなければ。
「くっせぇな。なんだこの香水」
「今令嬢の中でも人気の香水ですのよ? 貴方からしたら香水も立派な武器になりますのね」
人の首筋に顔を埋めておきながら言うセリフではないけれど、彼の場合は仕方がない。このままずっと同じ体勢でいたら彼のほうが体調を崩すかもしれない。そろそろ放したほうがいいのだけれど、でも相変わらず窓の向こうの気配は消えない。
すると彼は渋々とわたくしの背中に腕を回し、抱き寄せた。少し力が強いような気もするけれど。
大きな手が背中を這い、より一層首筋に近付く顔。わたくしも彼の背中にしがみつけばようやく窓の向こうからバタバタと慌ただしく、パタンと扉が閉じる音が聞こえた。そしてすぐさま離される身体。
「大丈夫ですの?」
「ぐっ……香水はやめろ……」
「まぁ。淑女の嗜みでありますのに」
理不尽な物言いですわねと小さく笑う。理不尽な目に合わせたのはわたくしだけれど。
さてこれからまた隣のバルコニーに移って戻らなければ。そう思ったのだけれどわたくしたちの用は済んだのでパーティー会場に戻る必要もない。すると彼は再びわたくしを抱きかかえ、今度は一気に下まで器用に飛び降りた。
わたくしの足はちゃんと地に下ろされ、よれたスカートを正すべくパンパンと軽く叩いて整える。
「これからどうするんだ」
「そうですわね、まずは厄介な芽を摘んでしまいましょう。貴方、罠を仕掛けるのは得意ですわよね?」
「……は? まさか、そこまで俺を巻き込むつもりか」
「わたくしに狩りの仕方を教えてくださいませ」
教えなくても知っているだろう、という言葉を笑顔で返す。確かに今までどうしようもなかった目障りな敵は罠を仕掛けたことはあるけれど、それは頭脳戦でだ。実践ではわたくしではなくいつもお父様がやっていた。
しかしこれはわたくしの大切な友人に関する問題、その問題を片付けるのはまたわたくしでなければ。女一人の力があの男性二人に敵うとはとても思わない、ならば誰かに手を貸してもらう必要がある。
それこそ口の固い、友人思いの剣術学部の生徒とか。しかもその生徒は襲い掛かってくる獣から街を守るための術を知っている。今回もそれと似たようなものだ。獣に対しての罠を張らなければ。
「タダ働きか」
「あとでお礼はたんまりと致しますわ」
「信用ならねぇな」
「わたくしは貴方を信頼していますわ、ヴィクトル」
言い包められるほど単純ではない、一人の女性のために努力をする男でもない。それでも彼はきっと手を貸してくれるに違いない。
だって彼の表情はとても渋い顔をしていたのだから。
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