番外編 強か令嬢を何とかしたい
第1話
俺は最近頭を悩ませている。友人であるクロイトの毎日の惚気は諦めがついているからいいとして。いやよくないが。いいと捉えないと毎日頭痛に悩まされることになるからもう受け入れるしかない。
問題はまた別のところからやってきた。俺はわりと静かな場所が好きだ、だからクロイトに昼飯を誘われても最初から断った。そもそもあのご令嬢と一緒にいるところを邪魔するかの如くホイホイ行けるわけがない。コイツ馬鹿なんじゃないのかと思うだけにして口にはしなかったが。
「ごきげんよう」
そう、これだ。人のいない場所をその都度変えて選んでいるっていうのに、そこで昼飯を食っていると確実に現れる令嬢。如何にも貴族の娘らしく微笑んだ令嬢は俺の断りなしに隣に座ってくる。
「何しれっと座ってんだ」
「あら、女性を立たせますの? 女性の扱いをわかっておりませんね」
「令嬢の扱いなんか知るか」
クロイトじゃあるまいし、と内心毒づく。クロイトとそのご令嬢関係で何度か顔を合わせたことはあるが、親しくなった覚えはない。だというのにこの令嬢はここのところ毎日やってくる。一々探しているのか、いやもしかしたら静かな場所に目星をつけて来ているのかもしれない。この令嬢は無駄に情報収集に長けている。
その能力を一体どこに使ってんだと呆れながら令嬢に構うことなく昼飯を貪る。ここでイライラしたところで腹は膨れない、ならば令嬢の存在を無視して腹を膨らませたほうがいい。すると隣が何やらゴソゴソと動き出し、今度は何だと顔を顰めながら様子を見てみると俺と同じように昼食を取り出した。
「お前クロイトたちと一緒に食ってんだろ」
「確かに前までは食べていましたわ。でも今は二人の時間を多く取ってあげようと思いまして。顔を出すだけにしておりますの」
「なら顔出したあと食堂行けよ」
「一人でいるとどうでもいい方によく話しかけられるからゆっくりと食べられませんの」
それがここに来る理由と関係あんのかとげっそりする。わからないわけでもない、別に喋りたくない相手から一方的に話しかけられて一方的にずっと喋られるのはたまったもんじゃない。けどこの令嬢わかってんのか、今俺がその状態だ。
「ったく……音もなく忍び寄りやがて。アサシンか」
「あらやだ淑女の嗜みですわ? 慌ただしくないよう、静かに歩いてきているだけです」
すると世の令嬢は全員アサシンの才能があるということか、そんな世の中あってたまるかと鼻で笑った。クロイトのご令嬢も確かに所作が洗礼されていたがきちんと人の気配がある。気配を消すこの令嬢がおかしい。
パッと顔を上げて前方を見てみる。視線の先に女子生徒と男子生徒が何やら身体を支えあっていた。どうやら階段で足を滑らせたところ男子生徒が支えてやったんだろう。制服からして一般学部、多分あれはあそこから恋が始まるやつだ。
「やはり五感が鋭いようですわね」
隣から聞こえてきた声に眉間に皺を寄せつつ横目で見る。いつの間にか令嬢は俺のほうをしっかりと見ていて、まるで品定めするかのような目だ。貴族様が、庶民のことが物珍しくてたまらないのか。
「わたくしには貴方の視線の先に何かあるのかまったく見えませんわ。声だって聞こえませんし。でも貴方は見えていて、聞こえている。きっと貴方の故郷では必要なものなのですわね――だからこうして物静かな場所を好んでいるのでしょう?」
何も言わずただ顔を顰めて飯を貪り食うだけにする。一々反論するのも面倒臭い、言い当てられたからなんだと言い返せば恐らくこの令嬢の思う壺だ。
だがどっちに転んでもこの令嬢は楽しそうに喉を鳴らして笑う。それはもう令嬢のお手本のように優雅に。苛立ちはするが反応すればこっちの負けなのだ、コイツは隣にいない者として飯を食い終わるしかない。
「今度社交パーティーがありますの」
「……は?」
「わたくしは呼ばれていますが恐らくティアラは呼ばれていませんわ。王子の元婚約者、扱いが難しいのでしょうね」
唐突に貴族パーティーの話をしだした令嬢にだから何なんだと顔をしかめる。俺に関係ない話をされたところで何かを言えるわけがない。すると令嬢は「忘れていまして?」とにこやかに笑った。
「最近貴族で怪しい動きがあると、そう言いましたでしょう?」
「……お前まさか」
「絶好の機会ですわ、社交界のパーティーなんて色んなことが蠢いておりますもの。探そうと思えば情報はいくらでも出てきますわ」
令嬢の社交パーティではなくまるで狩人の狩りだ、まさに令嬢はそんな目をしている。
こういう貴族は敵に回さないほうがいいとなんとなくわかるが、嫌な予感が拭いきれない。どうでもいい相手にそんな目論見を口にするだろうか、いや恐らくこの令嬢もそんな無駄なことはしない。有益な情報はきっと有益な相手にしか伝えないような人間だ。
「そうか、頑張れよ」
立ち上がってこの場を去ろうとしている俺の腕を令嬢が隙かさず掴む。振り払ってもいいが俺の力だとこの華奢な令嬢は軽々飛んでしまう。別にそこに申し訳なさがあるわけではない、ただ危惧すべきはそのあとの報復だ。
この令嬢もそれがわかっている、だから目も口元も弧を描き俺の腕を離さない。
「鋭い五感ですわ。多少距離があってもその耳には色んな噂が飛んできそう」
「俺はそういう場所は無理だ」
「か弱い女性が襲われる可能性があるというのに、それを放置しておきますの? 酷いお方ですわね」
「お前がどうなろうと知ったことじゃねぇ」
「良心は痛みませんの?」
「残念ながら」
「まぁ」
酷いお方ですわね、と令嬢はもう一度同じ言葉を吐いたかと思えば懐から何かを取り出した。
「でも貴方を採寸致しますわ。ドレスアップしなければなりませんもの。わたくしの隣にいて恥ずかしくない格好をしていただかなければ」
「おまっ、ふざけんなッ」
「当日までにしっかりと仕上げておきますので。着替えはそうですわね、馬車で迎えに来ますので正門前に待機していてくださる? 狭いでしょうけれど馬車の中で着替えていただきますわ」
「俺は協力すると言ってなッ――」
「あら、わたくしちゃーんとわかっていますわ」
メジャーを取り出し喋りながらも腕の長さを測るという無駄に器用なことをしながら、令嬢は何が楽しいのか満面の笑みを浮かべながら見上げてきた。
「貴方は友人の危機を放置することはできませんし、か弱い女性を一人危険な目に合わせる方でもありませんわ」
グッと言葉を詰まらせる俺に満足したのか、令嬢は鼻歌交じりで採寸を続ける。ここまで来たらどう足掻いても俺は巻き込まれるだけなんだろう。無駄に抵抗するよりもさっさと終わらせたほうが早いと、暴れることなく測られるだけ大人しく測られた。
「北の方々は義理人情に厚いのだと、そう聞いておりますもの」
寒さに耐えるために俺の故郷は自然と周りと協力することを覚えている。誰かに何かが起これば絶対に他の誰かが手を貸す、そういう民族性だ。この令嬢がそれを知っていた時点で俺の抵抗は無駄だった。
言われるがまま、というのは癪だったかもう騒ぎに片足を突っ込んでしまっているためどうしようもない。時間通り制服姿で正門前に待っていれば一つの馬車が目の前に止まった。パープルをベースとした厳かな装飾、馬車だけでもその家の地位を表しているんだろう。やがてドアが開かれ、笑顔で手招きしている当人に顔を引き攣らせながら渋々と乗り込む。
「ちゃんと待っていましたわね」
「そうしてねぇとお前寮まで乗り込んでくるだろ」
「あら嫌ですわ、そこまで野蛮なこと致しません。数人騎士を送るだけですわ」
「十分野蛮じゃねぇか」
「おほほ」
何笑って誤魔化そうとしているのか。ドン引きしていると令嬢は早速と服を取り出した。黒をベースとし色んな装飾が施されているが意外にも動くには邪魔にはならなさそうだ。伸縮性もあるようで動きにくくはないはずとわざわざ説明してくれる。
「わたくしの装いに見劣りしないよう作りましたわ。それに」
令嬢の視線が俺の髪と目に行き、そして満足したかのように笑顔を浮かべた。
「貴方のパールグレイの髪とスペアミントの瞳が映えるようになっているはずですわ」
わざわざそこまでするのか、俺には理解できない。自分の隣を歩くヤツがそれなりの装いをしなければ気が済まないっていうのならわかる、貴族も意地や見栄があるだろうから。だがここまでする必要はあったのだろうか。
やっぱり貴族の考えは俺にはわからない、そう思っているといつの間にか手がヌッとこっちに伸びてきて制服のボタンに手をかけていた。
「何してんだ!」
「あらやだ、着替えのお手伝いですわ。ここにはわたくししかおりませんもの」
「ただ脱いで着るだけだろ自分でやるわ!」
「乱雑に扱われて折角の装飾や布が破れたらどうするんですの? ほら、さっさと脱いでくださいまし」
「下を脱がそうとするなッ!」
細い指がベルトに手をかけるのが見えて慌てて手で制服のパンツを掴む。自分のことを淑女と言うぐらいなら男の服を脱がそうとするな。
結局下は自分で着替えることに成功したが、上はわけの分からないボタンが多く任せる羽目になってしまった。確かに動きやすそうではあるが役に立たないボタンの意味がわからない。げんなりしていると今度は髪を整えるだのどうのとベタベタするやつを塗らてツンとした臭いが鼻を突いた。
「くっせぇ……」
「我慢してくださいな。うん、出来上がりましたわ」
最高傑作です、と満足気な令嬢にアンタは満足したようでよかったよと心にもない言葉を口にするだけだった。
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