第20話

 遠征から戻ったら真っ先にあなたに会いに行きます。

 クロイトはそう言って屋敷をあとにした。そして私が学園に行くようになったのと同時に剣術学部の生徒たちは遠征に発ったと言う。

 前にもトーナメント戦で一週間は会えないときがあったけれど、今回はその比ではない。そもそも学園にクロイトはいないのだから。だからあのとき以上の寂しさに襲われた。必ず帰ってくると言ってくれたのだから私もしっかりと彼の帰りを待っていなければいけないのに。

「遠征する騎士の奥様って本当にすごいのね。いつ帰ってくるかわからない相手を待っていなければならないもの」

「確かに大変ですわ。でもティアラ、貴女の相手はちゃんと挨拶をしてくれる人だったのでしょう? 世の中には挨拶もなしに勝手に発った薄情な人もいるというのに」

 アリシアが一体誰のことを指しているのかはわからなかったけれど、そう話すアリシアは不服そうなでも楽しそうなとても複雑な表情をしていた。常にポーカーフェイスである彼女にしてはめずらしい。アリシアにそんな表情をさせる人って一体どんな男性なのかと思いをめぐらせた。


「ティアラさーん!」

 彼がいない一ヶ月半を過ごしたある日、彼は出立前に言っていたように真っ先に私のところへ帰ってきた。門から聞こえてきた声にスカートがいくら翻ろうと構いわせずはしたなく屋敷内を駆ければ、私に気付いた姿が満面の笑みを浮かべて大きく手を振っている。屋敷の皆が見ているにも関わらず、私は構うことなくその胸に飛び込もうとした。

「ストォーップ!」

「えっ、な、何よ」

 まさか止められるなんて思いもせず、戸惑いと恥じらいを感じながら抱きつく前に彼を見上げる。するとめずらしく顔を赤く染めているのは私ではなく、クロイトのほうだった。顔は笑っているけれどまるで何かを堪えるかのように眉間に皺を寄せ、そして少し顔を俯けている。手はこれ以上近寄れないように精一杯に伸ばされていた。

 めずらしい表情を見れてキュンッとしたけれど、でも一ヶ月半ぶりに再会したというのに抱擁をしたら駄目だというの? 私たちはその、婚約しているというのに。不満気な表情を向ければ彼は小さく唸った。

「いや、まさかここまで熱烈歓迎されるとは思っていなくて」

「だって! だって、一ヶ月半よ?」

 その間まったく連絡を取り合うことができなかった。それもそうだ、騎士とは変わらない遠征をすると言っていた。つまりは常に移動しているということ。どこにいるかわからない相手に手紙を届けることなんてできない。

 私も少し我を忘れていたとは思うけれど、それでもやっと会えた相手に喜ばないわけがない。だって寂しさを抱えながらずっと待っていたのだから。だから、抱きついたっていいじゃない。いつもはクロイトのほうが私を抱きしめるくせにどうして今日に限ってそうしてくれないのだろう。

 彼は「それはそうなんですけど」といつもと違ってはっきりではなく、少しも煮え切れない物言いをしている。

「あの、本当に真っ先にティアラさんに会いにきたので」

「ありがとう」

「いいえ。その、マジで寮にも荷物下ろすだけに戻ったんで、すっげぇ埃っぽいし……汗臭いんすよ」

 確かによくよくクロイトの姿を見てみるとあちこちに汚れがついていて、そして頬は掠ったのだろうか傷痕が見える。髪も砂が付いているような気がする。私を止めたのは私を汚さないためだということがわかって、胸がキュンキュンした。それは本当に真っ先に私のところに帰ってきてくれたということだ。

 構うことなく距離を縮めてギュッとクロイトに抱きつく。私を引き剥がそうと肩に手を乗せられたけれどそこの強引さは感じない。クロイトが言っていたように埃っぽいし汗のにおいもする。でも不思議と、それが嫌ではなかった。

「屋敷で汗を流すといいわ。着替えも持ってこさせるから」

「いやなんかすみません。ティアラさんに会いたかったもので」

「……いいわよ。私だって、会いたかったんだから」

「……あ~、抱きしめたいのに抱きしめられない」

「ふふっ、残念だったわね」

 彼は背中に回そうとしている手を宙でプルプルと留めさせている。彼は我慢しているのに私は我慢せずに抱きついたことにクスクスと笑い、そしてこれ以上は意地悪だわとそっと身体を放した。

 手を繋ぐぐらいならいいわよね、と手を重ねると隙かさずするりと指が絡まった。あとで手、洗ってくださいねと苦笑するクロイトに彼も手を放すつもりがないのだと知り笑顔で頷く。そんな私たちを屋敷の皆は笑顔で見守っていた。

 クロイトの湯浴みが終わるまでせっせとお茶の準備をする。遠征は過酷だと聞いていたからきっと疲れているはず、疲労回復に良さそうなものを持ってきてもらっていつでも休めれるように客室の準備も怠らない。クッションやブランケットもいいかもしれないと準備をしていたらアイリーにクスクスと笑われた。張り切っているお嬢様が大変可愛らしいです、という言葉つきで。

 それはもう、張り切るに決まっている。彼はいつも私のことが大切だと言ってくれるけど、私だって同じ気持ちだった。大切な人に何かしてあげたいと思うのは自然のことで、そして私はクロイトからそのことを学んだのだから。

「うわ~、色々とありがとうございますティアラさん」

「すっきりした?」

「はいそれはもう。にしても、この服サイズぴったりなんですけど」

 濡れた髪をタオルで拭きながらやってきた彼は、彼専用に準備していた服に驚いていた。

「それを準備したのはお母様よ」

「流石ですね」

「そうね」

 お互いなぜか真顔で頷く。パーティーのときの服はお父様が採寸を頼んだらしいのだけれどそのときお母様は一緒にいなかったらしい。ならばなぜ彼の服のサイズを知っているのか。お母様の知らなかった才能にごくりと喉を鳴らした。

「美味そうな飯っすね」

「食べていいわよ? お腹も空いているんでしょう?」

「あったかい飯ありがたいです」

 いつもよりゆっくりめに歩いてきた彼は私の隣に座り、そして目の前にあるあたたかいご飯を口に運ぶ。帰ってきたときはわからなかったけれどこうして間近で見れば、やっぱり疲労が出ている。去年つらくて里帰りができなかったと言っていた言葉がわかったような気がした。

 本当なら寮に戻って休みたかったはず。無理にここまで来てくれた彼に感謝しているとお腹が満たされたのか、ウトウトとしている様子が目に入る。休んでいいのよ、と一言告げたら彼は「すみません」と言ってすぐに夢の世界へ行った。椅子の背凭れに凭れかかり顔を俯けてすーすーと聞こえる寝息。こういうときって相手に凭れかかってくるんじゃないの、と少しムスッとしてしまった。彼はこういうとき意外に頼ってこない。

「……もう」

 腕を引っ張って私の膝の上に上半身を倒す。ここまでして起きないのだから相当疲れている。もっと頼りなさいよね、と頭を撫でながらどんどん愛しくなってその寝顔をずっと眺めていた。

 彼が起きたときに私の足が痺れていたのは言わずと知れたこと。

 夜になればお父様とサロンに行っていたお母様が一緒に帰ってきた。どうやらお父様はわざわざお母様を迎えに行ったようで、二人の仲は相変わらず。それから少し遅れてお兄様も帰ってきて起きたクロイトも一緒に夕食を取ることになった。そのときの内容はクロイトの里帰り、並びに私の同伴という名の旅行だ。距離が結構あるためお兄様は最初は反対していたけれど、大賛成のお父様とお母様に押されて仕方がなく折れていた。

「ティアラに怪我でもさせてみろ。俺はお前を許さんぞ」

「そのときは腹を斬ります」

「は、腹を斬る……?!」

「クロイト君の故郷ではそういう風習があったようだからね。うん、もしそのときはパトリシアの首も落とそう」

「なぜ俺も?!」

「ティアラの旅行を許可した連帯責任ってやつだ。クロイト君が腹を斬るのであればお前もそれくらいしないと」

「なぜ?!」

 折角のクロイトも揃っての夕食だというのに内容がまったく穏やかではない。止めてもらおうとお母様に視線を向ければ、楽しそうに笑うだけ。ふと視線をめぐらせればお父様もクロイトも楽しそうで、お兄様は少し悔しそうな顔をしていたけれど。でも皆笑顔なのだから、私も顔も自然と綻んだ。今このときが私の何よりも大好きな時間なのかもしれない。

 夕食が終わればお父様はクロイトに泊まるように勧めた。誰もが彼の疲労を感じ取っていたからだ。一度は断ろうとしていたけれど結局は言い包められて最終的に彼は苦笑で頷いた。客室の準備を、と言ったお父様にもう終わっているのだと告げたらとてつもなくパッと輝く笑顔を向けられて、かなり居た堪れなかったけれど。

「出発する日は迎えに来ますね」

「ええ。しっかりと準備して待っているから」

「それじゃ、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 結局その日、彼は身なりを整えてからも一度も私を抱きしめてくれなかったことに不満に思って、閉じられたドアの向こうに向かってバカと小さくつぶやいた。


 待ちに待った長期休暇、貴族はいつもと変わらないけれど地方からやってきた人たちはこぞって里帰りをしているようだった。私はしっかりと準備を済ませそわそわとして待っていると、彼は言っていた通り迎えに来てくれた。門で待っている姿を見てみると制服姿ではなくだからと言って彼の言う「クソダサ田舎服」とも少し違う、あまり見慣れない服。

「お待たせしました。行きましょうか」

「え、ええ」

「ティアラをよろしく頼むよ、クロイト君」

「はい、お任せください」

「あと、お父上にもよろしくと伝えてくれるかい?」

「お安いご用です」

 そうしてお父様とお母様に見送られてクロイトと共に出発した。ちなみにこの日お兄様は仕事が入っていて朝からずっと不満だと荒ぶっていたけれど。

 クロイトが言うには徒歩と馬車両方を使うとのこと。とても遠いため途中の街で泊まるながらの移動になると説明してくれた。

「泊まるとき一緒の部屋でいいですか? 安いっていうのもあるけど、田舎に行くに連れて治安の心配があるんで女性一人だと危ないかなと」

「え、ええ、だだだ大丈夫よ」

「襲わないので安心してください」

 のほほんとそう言ってくれたけれど、もう婚約もしていることだしその、お、襲ってもいいような気もするけれど。流石に恥ずかしくて口にすることはできないけれど、せめて目で訴えてやるとジッと見てみる。けれど彼は笑顔で首を傾げるだけでこちらが落ち込むはめになった。私を大切にするのはいいけれど、ちょっと大切にしすぎじゃないかしら。

 でも実際は、そんなこと言っている場合ではなかった。確かに彼が馬車を使うと言っていたのはよーくわかった、とにかく遠くそして体力も使う。宿に着く頃にはもう休みたくて身体を拭いて食事を取って、そしてベッドの上に横たわるとあっという間に夢の中。まだしばらく続きますけど、と心配してくれるクロイトは見張りもしてくれているようで私よりもずっと短い睡眠時間。それなのに疲労の色を一つも見せてはいない。

 本当にタフなのね、と今度は馬車に揺られながら彼の横顔を見てつくづく思う。貴族の馬車とは違って乗り合いの馬車のため他にも人がいて、そして何より振動がすごい。少しでも石の乗り上げればガタンと揺れその度に彼は私の肩を支えてくれていた。

「あ、そうだティアラさん。あれってすごいお守りだったんですね」

「あれ、って?」

「これですこれ」

 そう言って首元から現れたそれにあっと声を上げた。そこにあったのは服と共にプレゼントしたネックレス。剣術学部なのだからもっと使いやすい別のにすればよかったと後悔していたそれが、しっかりとクロイトの首にかかっている。

「遠征中にアクシデントがあったんですけど、これに守ってもらいました」

「そう、なの。よかった……」

「なのでこれからも大切に使わせてもらいますね」

 あのとき職人に魔法を込めて作ってもらったネックレスは無駄にはならなかった。よかった、とホッと息をつき笑顔の彼に同じく笑顔で返す。するとなぜか周りから視線を感じ急いでそちらに目を向ければ、一緒に乗っていた人たちが微笑ましく私たちのことを見ていた。その人たちの存在をすっかり忘れていた。

 顔を赤くしてうずくまった私に彼は更に笑って、そしてゆっくりと背中を擦ってくれたのだった。

 途中の街に泊まり、ときには徒歩でときには馬車で。そうして移動し続けてどれほど経っただろう、清々しい風になってきたと思ったとき御者がクロイトの顔を見て嬉しそうな声を上げた。

「なんだ久しぶりじゃないかクロイト! 里帰りか?」

「おっさん久しぶり。そ、去年帰れなかったから今年は帰ろうと思って」

「そうかそうか、そりゃ親父さんも喜ぶよ。それに……」

 御者の人が私に視線を向け、そしてすぐににっこりと笑顔を浮かべる。

「親父さんも喜ぶだろうな!」

「同じセリフ二回言ってんだけど」

 クロイトも楽しそうに笑って、そして私たちはその人の馬車へ乗り込んだ。首都と違ってだいぶん緑が多くなってきた。風が吹いて木々がよく揺れている。空が高く感じて見上げてみれば鳥が気持ち良さ気に飛んでいた。しばらく馬車に揺られ続け私は「わっ」と声を上げてしまった。

 木々に花が咲いていて、風が吹く度に綺麗な花吹雪が舞っているのだ。見たこともない美しい光景に思わず見とれてしまう。身を乗り出そうとしている私の隣で、同じようにクロイトも少しだけ乗り出してきた。

「ここにだけある木なんですよ。四季っていうものがあるんですけど、それに構わずこの木だけは年中花を咲かせるんです」

「なんて言う木なの?」

「『サクラ』って言います。首都じゃ見ないですよね」

「見ないわ……」

 本に書かれているのを見たことはあるけれど実物を見たのは初めて。こんなにも綺麗で淡いピンク色の花が咲くだなんて知らなかった。

「もうすぐ着きますよ」

 花吹雪の中を進んで、馬車はゆっくりと減速する。先に降りて私に手を差し出してきたクロイトを見つめたままその手を取り、馬車から降りた。ヒラヒラと花びらが落ちてきてとても幻想的、ここがクロイトの故郷なのだとわかるとなぜか胸にじんわりとぬくもりが広がった。

 こっちです、と手を繋いで歩き出したクロイトの隣を歩く。自然豊かで農作業をしている人々の姿も見える。会う人が皆クロイトの姿を見た途端パッと顔を輝かせて嬉しそうに挨拶をしている。皆彼のこと知っているのね、と思いつつ人付き合いが濃い場所なのかしらと考えをめぐらせる。そうでないとまるで、人々の反応は主に仕えている者のように見えてしまったから。

「ここです、俺の実家」

「……え?」

 文化が違えば建物だって違う。ただ、彼が示した場所はこの街で一番大きい建物だった。平民だって、言っていたわよね? と戸惑っている私に対し彼は構わず中へ進んでいく。

「親父ー、戻ったぞー」

「おう帰ってきたかクロイト! 待ちわびてたぞ!」

「別に待ちわびなくてもいいだろ……ちゃんと帰ってくるって連絡したんだし」

 玄関だと思われる場所でバタバタと出迎えてくれた人物に、クロイトは間違いなく父親だと言った。

「シロは?」

「仕事が長引いているらしい、まだ帰ってきていない。お前とすれ違いになるかもなぁ」

「あーそうなん――」

「け、『剣豪シオン』?!」

 私の声によく似ている二人は一斉に振り返ってきた。

 幼少期に一度だけ目にしただけだけれど間違いない、数々の功績を残し『剣豪』の称号を貰ったサキョウ・シオン。けれど彼は名誉など欲しがる人物ではなくある日はたと首都から姿を消した。

「マジで親父って有名だったんだ」

「だから言っただろ、俺の名はそこそこに知れ渡っていると。お前もシロも何を聞いてたんだ」

「いやめんどくせぇなーって……」

「聞け父親の話を!」

「ち、父親って……」

 手荷物を渡し何事もなかったかのように淡々と会話をするクロイトに驚きの目を向ける。だって彼の姓は『ブルーアシード』、『シオン』ではなかったはず。

 剣豪シオンが手荷物を持って奥に行ったのを眺めつつ、クロイトは今度は私が持っていた手荷物を手に取った。

「この家のしきたりで外に出るときは母親の姓を名乗るようになってるんです。なのでシロも結婚する前はブルーアシードでしたよ」

「お、お母様はここの街の出身ではないの?」

「そうっすね」

「兄ちゃん!」

「お兄ちゃん!」

 まだ驚きから戻ってこれない私に追い打ちをかけるように、外からやってきた小さな子どもが二人クロイトに抱きついた。慣れた手つきで二人の身体を受け止めると難なくひょいっと持ち上げる。

「お帰りなさい、クロイトさん」

「ただいまセイランさん。これお土産です。あと、彼女の荷物頼んでいいですか」

「ええ、いいですよ」

 奥からやってきた女性に私の荷物とお土産を手渡している。小さな子どもを二人抱きかかえたまま。受け取った女性はここに仕えている人なのだろうか。

「ティアラさん、弟のシグレと妹のヒサメです」

「兄ちゃん彼女連れてきたの?!」

「え~! すっごく綺麗な人~!」

「え、えっと」

「ほら二人とも、その方戸惑っているでしょう? こちらにいらっしゃい」

「はーい!」

「お母さんあの人綺麗~!」

 下にいるとは聞いていたけれど、まさかの二人。そして私は尚更混乱している。弟と妹は彼女に向かって「お母さん」と呼んでいるのに、クロイトは名前で呼びそして敬語だった。

 私の様子に気付いた彼は少し苦笑し、そしてお花を女性から受け取りながら「ややこしいですよね」と口にした。

「セイランさん、ちょっと行ってきます」

「ええ、行ってらっしゃい。きっとあの方も喜びます」

「ティアラさん、連れて行きたいところがあるんですけどいいですか?」

「も、もちろん」

 クロイトが連れて行きたいというのであれば私もどこへだってついていく。自然と差し出された手を重ねそのまま繋ぐと「きゃーっ」と後ろから楽しそうな子どもの声が聞こえた。女の子であるヒサメはもしかしたらこういう話が好きなのかもしれない。

 ほんのり恥ずかしくなったけれど彼の微笑みを見て、その手を離すことなんてできやしない。彼に手を引かれるまま玄関を出て再び外へ出た。自然豊かな大地を歩き、やがて丘のような場所に登っていく。見晴らしのいいその場所はこの街が一望できて、より一層風がふわりと吹いていた。そしてたどり着いた場所に、ハッと息を呑む。数ある石の前を通りクロイトはとある場所で足を止めた。

「母親です」

 碑石には『セルリア・ブルーアシード』と書かれていた。長くなるんですけど、とクロイトは前置きをして私もそれに頷く。

「俺とシロの母親です。普通の女性で、親父が首都に行ったときに一目惚れして滅茶苦茶押してお付き合いしたらしいんです」

「……なんだかとってもデジャヴだわ」

「ははっ、そうですよね」

 持っていた花束をお墓に添え、彼は両手を合わせた。食事を取る前にも同じように手を合わせていたけれどそのときは大地の恵みへの感謝の印だと言っていた。けれど同じ動作でもこれはきっとまた違う意味を持っている。私もまだまだ勉強不足だわと彼の背中を眺めた。

「普通に、平和に過ごしていたんですけど。ある日母さんの容体が悪くなって。医師に診てもらったり薬を飲んだりしていたんですけどそれから徐々に……」

「……そうだったの……」

「母さんがいなくなって親父の落ち込み具合が凄まじくて。飯もまともに食わなかったんです。親父はその調子だし、家にはそんな親父と俺とシロだけでシロは女だった。何かあったときに守るのは俺しかいないと思って」

 クロイトが女性の扱いが長けているのがわかるような気がした。例え姉が後々クマを正拳突き一発で倒せるようになったとしても、当時きっと姉もクロイトも小さくて力も弱かったはず。それでも小さい身だけれど姉を守ろうと必死だったのねと視界がじわりと滲む。

「そんな親父を支えてくれたのがセイランさんだったんです。元はお手伝いさんだったんですけど親父と俺たちの面倒をよく見てくれました。次第に親父も心を開いてきたのがわかって、そんでまぁ、流石に子どもでも気付くというか」

 私の隣に来て笑って、私も彼と一緒に笑顔を浮かべる。再婚しろって背中押したのは俺とシロなんですと言って私は思わず目を丸くした。そういうのってもっと複雑なものだと思っていたけれど、彼と姉は二人が幸せになるほうを選んだのだと。

「下二人はセイランさんの子です。腹違いですけど俺にとっても可愛い弟と妹ですよ」

「それは見てわかったわ」

「それはよかった。まぁそういうわけで、二人の熱い時間を邪魔しないように俺たちは家を出たって感じですかね」

 行きましょ、と告げられた言葉に待ったをかけて私もお墓の前に出て、見様見真似だけれど手を合わせる。会ってみたかったけれどきっと綺麗な方に違いない。だってクロイトもお姉様も綺麗な心を持っているのだから。

 顔を上げて振り返れば少し眉を下げて「ありがとうございます」と微笑むクロイトの顔。きっと彼も会わせたかったのだとその表情でわかった。

 帰りも手を繋いで丘を下る。とても景色がいいのねと言えば故人にとっても残された人にとっても、癒やしが必要ですからねと彼は告げた。ふわりと花びらが舞う街できっと色んな人がこの景色を思い浮かべ、大切な人に想いを馳せているのだろう。

「そういえばクロイトのお姉様のお仕事って?」

「薬の開発ですよ。母さんの病気を治そうと子どもながらに必死に勉強していたみたいで。その延長みたいなもんですかね」

「そうなの……」

 小さい頃の経験が今の二人に繋がっている。母親を治そうとして、薬の開発を生業にした姉。姉を守ろうとして、剣術学部に入った弟。私も元は王子の婚約者という、周りから見たら特殊な環境だとは思ったけれどそれは私に限った話ではなかったのだ。人それぞれに理由があって、色んな思いを抱えて日々を生きている。

 横顔を見上げて、ぎゅっとその腕に抱きつく。歩きにくいだろうに彼は文句一つも言わずに柔らかく「どうしたんですか」と聞いてくる。

 どうしたも何も、理由っているのかしら。好きな人に触れたいと思う気持ちに、理由なんて。

「クロイト、あなたのお父様にしっかりと紹介してくれるのでしょう?」

「もちろんですよ。そのつもりで連れてきたんだし」

「ふふっ、よかった。あなたのお父様って豪快な方ね」

「あの図体で落ち込まれたら滅茶苦茶邪魔ですよ」

「クロイトったら」

 笑い合っていると街の人たちも笑顔を向けてくれて、中には美味しそうなフルーツをくれるお婆様もいた。とてものどかで素敵な場所。社交界なんてまるで遥か遠くの存在のようにこの地に流れている時間はゆっくりだ。

「私、この街とても好きよ」

 素直に言葉をこぼせば、彼は満面の笑みを浮かべたあと「俺はあなたのことが好きですよ」と口にした。

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