第17話
アイリーに手伝ってもらいながら身支度を済ませる。鏡の前にいる私の格好はいつもの制服姿ではなく、令嬢に相応しい立ち振舞をするための格好だ。ドレスを着飾り装飾品をつけ、髪も結い上げる。
「お嬢様、大変美しゅうございます」
「ありがとう、アイリー」
スッと立ち上がり見事な仕上がりにしてくれたアイリーにお礼を告げる。アルフレッドとの婚約破棄があったあと初めての社交パーティー、別に緊張はしていなけれど今回はより一層背筋が伸びる。きっといつも以上に色んなことを囁かれる、色んな視線を向けられる。けれど私はスノーホワイト家の娘として恥を晒すことはできない。
自室を出て別室に移動する。着替え終わる前に執事からクロイトが到着したとの知らせを受けていた。彼にひと目会って、そして背中を押してもらおう。物理的にも、精神的にも。不思議な話なのだけれどクロイトが見守ってくれていると思うと自然と力が湧いてくる。
扉を開けてもらえば目の前にはクロイトと、そして予想していない人物の姿もあった。
「お兄様……! 戻ってきていたの?」
「お前を同伴者なしで一人で歩かせるわけにはいかないからな」
「……ありがとう、お兄様」
もう何ヶ月も会っていなかった兄が、忙しいのにわざわざ私のために帰ってきてくれていた。しかも今回同伴してくれると言う。こんなにも心強いことはない。
「それに……お前の相手を見てみたかったしな」
チラッとお兄様の視線が後ろにいるクロイトに向かう。私の視線に気付き制服姿のクロイトは軽く手を振っていたけれど、お兄様は小さく舌打ちをした。
「まったくどこの馬の骨かもわからない奴に……可愛い妹の相手に相応しいとは思えないな」
「確かにティアラさんは可愛くて美しく更に美人ですよね」
「くっ……なんて話のわかる奴なんだ……!」
お兄様も私のことを可愛がってくれているのだろうなとは思っていたけれど。我がスノーホワイト家の男性の相手を認める基準がなぜそこなのだろうか。一体何を悔しがっているのか拳を作りフルフルと震わせているお兄様と、相変わらずにこやかなクロイトの間に口を挟む気力すら起こらない。
「無駄話はここまでだ。ティアラ、先に行っておくぞ」
「ええ」
お兄様を筆頭に控えていたメイドと執事も部屋から出て行く。取り残された私とクロイトだけ。みんなが気を遣って私二人きりしてくれたのだとわかる。
いつもなら恥ずかしさもあったりして正常な精神状態ではないのに今は不思議と心が凪いでいる。そんな気持ちのままクロイトと正面で向き合うのは初めてかもしれない。クロイトもいつもは明るい笑顔なのに今は真っ直ぐに私を見てくるだけ。
「行ってくるわ、クロイト」
「はい、お気を付けて――それと」
彼が一歩ずつ近寄り私の前で跪く。まるで初めて彼を認識したあのときのように。でもあのときと違うのは彼の目がキラキラと輝いているものではなく、どこまでも真剣な瞳。そんな彼が私の手を取り、柔らかく口付けを落とす。
「あなたに何かあったら、必ず守ります」
貴族しか立ち入れられない場所にクロイトが入れるわけがない。万が一のことがあったとしても彼は私の近くにはいない。それがわかっているのにその言葉だけで、この先何があろうともきっと助けに来てくれると思ってしまう。
私も勝ち気に笑ってみせてしっかりと頷く。不安などはなかったけれど今の私はまるで怖いものない。ドアに身体を向けて歩き出せば、熱い手のひらにそっと背中を押された。
クロイトだけではなく屋敷の皆の視線を背中に受け、私は私の戦いに赴いた。
馬車の中ではお兄様とお互い近状の報告を交わす。仕事が忙しくて中々帰れなかったことを謝られ、それがお兄様のためなのだから仕方がないと苦笑してみせたけれどその顔色はどこか難しそうだ。しかも何やらブツブツ「いつの間にか知らない虫が」だなんて言っていたけれど。それに対して足を踏み入れるとなんだか面倒なことになりそうな気がしてスルーした。
私のほうは学園で充実した日々を過ごしていると告げる。肩の荷が下りたことによって毎日が楽しいのだと。それについてはお兄様もホッと息を吐き出して「よかった」と言ってくれた。どうやらお兄様もアルフレッドとの婚約についてあまりよくは思っていなかったらしい。
そうこうしているうちに馬車は徐々に減速し、とある門の前で綺麗にピタリと止まる。お兄様が先に馬車から降り私に手を差し伸べた。いつもとは違う手に違和感を覚えつつ、違和感を覚えるほどクロイトの手を取るようになっていたのだと内心苦笑する。馬車から降りれば早速学園では見ないきらびやかさが目に飛び込んでくる。着飾る淑女、エスコートする紳士。よく知っていたはずの社交の場のはずなのに一瞬目がチカチカとした。
「行こう、ティアラ」
「ええ、お兄様」
お兄様のエスコートでパーティー会場へと足を踏み入れる。相変わらずの人の多さにざわめき、端のほうでは早速令嬢が扇で口元を隠し何かをヒソヒソと話している。他にもあらゆる視線が刺さってくるのがわかる。
「まぁ。よくこの場に来れたものね」
「王子と婚約破棄をしておきながら」
「わたくしなら恥ずかしくて顔も出せませんわ」
婚約破棄をされたのは一方的、そして王位継承権を剥奪されたのはアルフレッド自身の問題であって私のせいではない。学園で広まっていた悪評も何の根拠も証拠もない、私を陥れるためのでたらめだった。けれど社交界にとって真実なんてものはどうでもいい。ただ自分たちが楽しめればそれでいいそれがこの世界だ。
「ティアラ、何を言われようとも胸を張れ。お前が臆することなど一つもない」
「わかっているわお兄様」
会わない間に少し過保護になったんじゃないかしらと思ってしまうほど、お兄様が私の背中を押してくれる。わざわざ帰ってきてくれて本当ならば社交パーティーに出るよりも仕事をしたかったはずだ。パーティーが終わったらお兄様にしっかりとお礼をしないと、と小さく口角を上げてパーティー会場の中を歩く。
しばらくパーティー会場の様子を眺めていたけれど誰も彼も遠目から見るばかりで直接は言ってこない。貴族ってやっぱりこういうものよね、と思いつつ手に取ったドリンクに口を付ける。
「悪い、少し席を外す」
お兄様もただ単に私の付き添いとして来たわけではない。スノーホワイト家の次期当主としての人脈作りがある。人混みに向かう兄の背中を見送り壁際に寄る。どうせ一人でいたところで声をかけてくる人はそうはいない。前までは婚約者としてやることがあったけれど今はそれもない、それはそれで暇なものねと会場内を見渡した。
美しく着飾る姿は己の家の威光を周りに知らしめるため、噂話は暇潰し。奥のほうで話している方々は人脈作りや政について。様々な人たちが集まるこの場所にずっといたはずなのになぜか別世界のように感じる。何かに追われるようなこともなくこうして落ち着いて周りを見渡したのは初めてかもしれない。
周りの言葉や視線で落ち込むことがあるかもしれないと思っていたけれど、意外と平気でいられる。お兄様が落ち着いたらすぐに帰っても構わないかもしれないとグラスを置いたときだった。
入り口から聞こえた悲鳴と慌ただしい声、それだけで只事ではないとすぐにわかった。周りにいた貴族たちも周りを見渡したり女性たちは身を寄せあったりしている。その場の視線すべてが入り口のほうへと向かい騒ぎの原因を探ろうとしていた。そうして、現れた人物に思わず目を見張る。
この場にそぐわない立ち振舞をしている人間から自然と遠ざかるように人々が距離を離す。そうして見渡しがよくなったのか、その人物はさまよわせていた視線を私で止めた。
「見つけたぞティアラァッ!」
「アルフレッド……?!」
婚約破棄をされてから彼と一度も会話もしたこともなければ顔すらも合わせてはいなかった。そんな彼が、表情を大きく歪め大股で私のところに歩いてこようとしている。
「ハッ、何食わぬ顔でこの場に顔を出すとは図々しい女だ! お前のせいで俺の将来は滅茶苦茶になったというのに!」
「……それはあなた自身が引き起こしたことでしょう?」
「黙れッ! お前のせいでカレンは学園から追い出された! お前のせいでだこの悪女めッ!!」
カレンとは確か、学園でのパーティーのときにアルフレッドの傍にいた女子生徒。彼女が学園からいなくなったことすら知らなかったのになぜそれが私のせいになるのか。そうなってしまった原因すらわからないというのに。
けれどそう思い込んでいるアルフレッドはひたすら私を糾弾する。何かを言ったあとには「お前のせいだ」としか言わない口に顔を顰める。そもそも社交パーティーだというのに彼はなりふり構わずに叫んでいる。はっきり言って王族だというのに見苦しい姿だ。傍にいた貴婦人は扇で口元を隠しながらもまるで汚らわしいものを見るような目をしているというのに、アルフレッドはそれにすら気付いていない。
とにかくこの場を収めなければ。逃げることなどせずその場に立ち止まり、歩いてくるアルフレッドに真っ直ぐに視線を向ける。
「王位継承権を剥奪されたこともすべてすべて! お前が仕組んだことだろうッ?!」
「私がそれを仕組んでどうするというのよ。王位継承権を剥奪されたのも今のあなたの現状も、すべてあなた自身が原因だわ。私はそうならないようにとずっと近くで言い続けてきたのに」
「お前のような傲慢な女の言うことなど誰が聞くものかッ!! これだから貴族の女は! 何も知らず、ただただ家の財産で好き放題にやるだけの無能共がッ!!」
「……あなたはこの場にいる令嬢をすべて敵に回すつもりなの?」
「うるさいお前は黙ってろッ!!」
何を言ってもこちらの言葉を聞き入れようとはしないどころか、先程から失言ばかりを繰り返している。私に対して筋違いなことを言うのはいいとして、彼の言葉はこの場にいる女性すべてを蔑ろにした。国の経済をすべて男性が回しているとでも思っているのだろうか。
反論しようと口を開けばアルフレッドは近くのテーブルにあったワインの入っているグラスを手に取り、思いきり床に叩きつける。カシャンッと甲高い音と共にグラスは割れ破片が飛び散り、じわりとワインの染みが広がった。尋常ではない様子に周りの人たちもじわじわと出口に向かって身体が動いている。
「謝罪しろ! 這いつくばり俺に許しを乞え!!」
「アルフレッド……」
折角王が慈悲であなたをこの国に留まらせたというのに、恩を返すどころかここまで落ちぶれるだなんて。
「あなたは結局最後の最後まで、変わることができなかったのね」
「黙れぇッ!!」
アルフレッドがテーブルから手に取った物に一気に周囲が騒然とした。食事用のナイフを力強く握りしめ私に真っ直ぐに走ってくる。由々しき事態に近くにいた男性がアルフレッドを止めようとしたけれど、その手を振り払ってなりふり構わずにこちらに突進してくる。
逃げなきゃ、と思うのに足が床に縫い付けられたかのように動かない。お兄様はと視線を走らせたけれど騒然としているこの場は誰もが保身のために逃げようとしているため、人混みに流されて遠く離れたお兄様がこちらに来れない。お兄様が私を助けるよりも早く、アルフレッドの構えているナイフが私の身体に到達する。
「ティアラァアッ!!」
すぐ目の前に眼を真っ赤に染めているアルフレッドの顔が迫っていた。ナイフがゆっくり動いているように見える。咄嗟に、衝撃に備えるためにギュッとまぶたを強く閉じた。その瞬間楽しかった記憶が頭の中を駆け巡る。
こういうときでもあなたの顔が真っ先に思い浮かぶなんて、私自分で思っている以上にあなたのこと想ってたみたい。
ぎゅぅっとまぶたを閉じてどれくらい経っただろう、一瞬だったかもしれないしとても長い時間だったかもしれない。ナイフで刺されるなんてどれほどの激痛なのだろう、と思っていたけれど……いつまで経ってもその衝撃はやってこなかった。その変わり何かが思いきり床に叩きつけられる音が聞こえ、恐る恐るまぶたを持ち上げる。
辺りは相変わらず騒然としていて、けれど目の前の光景だけ妙に静かに感じた。私の身体に刺さろうとしていたナイフは遠くに落ちていて、襲いかかっていたはずのアルフレッドの身体は床の上に伏せられている。そして身動きできないようにと力強くその身体を押さえつけている人物。
入り口のほうから憲兵が慌ただしく走ってくる。アルフレッドの腕を拘束したままその人物は身柄を憲兵に渡し、そして私のほうへ振り返った。
「怪我はありませんか?」
アルフレッドに糾弾されようとも、下手したらナイフで襲われそうになったときも決して涙はあふれてこなかったのに。目の前の人物の顔を見て声を聞いて、じんわりと視界が滲んだ。
「っ……クロイト……!」
「言ったでしょ、必ず守るって」
身嗜みはいつもと違って、それこそ騎士の正装のような格好をしているのに。それでも声色も笑顔もいつも見ているクロイトのものだった。駆け寄ってその胸に飛び込みたかったけれどここは学園ではなく社交界、一つ一つの行動を常に見られている。
でもそんな私に気付いたのか、クロイトはゆるく微笑むと安心させるようにそっと腕に手を触れてきてくれた。たったそれだけのことなのに私は心の底から安堵してしまった。この場をどうにかしなければならないというのに、彼が傍にいると貴族として必要な頭の回転速度が落ちてしまう。
そうした中人混みを掻き分けてお兄様も私の元へやってきた。私が怪我をしていないと確認したあとホッと息を小さく吐き、すぐさまクロイトと視線を交わしている。二人は小さく頷くと、クロイトは私の隣にやってきて背中に手を回した。
「体調が優れないようなので馬車までお連れします」
「ああ、よろしく頼む。ティアラ、お前は先に帰れ。俺はこの場を収めてから帰る」
「お、お兄様……」
「ティアラを連れて行ってくれ」
「わかりました」
グッと腰を押されると自然と足が前に出る。クロイトに付き添われるまま歩き出し、慌てて後ろを振り返ればお兄様が小さく手でシッシッと払っていた。失礼な行動だけれどでもそれもお兄様の気遣いだ。ありがとう、と口の中で小さくこぼしまだ慌ただしいパーティー会場から立ち去る。すぐ目の前にはしっかりとつけられているスノーホワイト家の馬車。扉を開けることも中に促すことも、すべてクロイトがやってくれた。
私が椅子に座ったのを確認しクロイトも乗り込んでくる。けれど前のように正面ではなくすぐ隣に腰を下ろし、そして馬車はタイミングよく走り出した。小さく私たちの身体を揺らしながら馬車は進むけれど、中は随分と静かだ。クロイトに聞きたいことがあったのに上手く口が開かない。そんなにショックは受けていないはずなのに、なぜか気が重くてたまらない。
「ティアラさん」
言葉と共に優しく肩を抱き寄せられる。なぜか何かを言わなければという焦りが出て、喉の奥から言葉を出そうとしたけれどそれも出てこない。
「怖かったでしょ」
「……いいえ、怖くは……」
「殺意と凶器を向けられて『怖い』と思うのは、当たり前のことです」
その言葉が引き金のように、私の手が小さく震えだした。そう、気丈に振る舞っていたけれどあんな殺意を向けられたのは初めてで、あんな死ぬかもしれないと思う状況は初めてで、私は怖かった。今になってそれを自覚して震えだすなんて、なんて情けない。
でもクロイトはそれを当たり前だと言ってくれる、それでいいのだと言ってくれる。そうして家にたどり着くまで、私が震えている中彼はずっと肩を擦ってくれていた。
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