第16話
気のせいじゃないと思う確実に。最近前にも増して向けられている視線が増えている。俺にじゃない、ティアラさんにだ。ティアラさんと一緒にいるときに思いきり視線を感じる方向に振り返れば、ほぼ見覚えのない男とバチッと目が合う。そいつがまた慌てて視線を逸らして走り去っていくものだから俺の予想は当たっているはず。
中庭に行けばティアラさんとバイオレットさんの姿。ただティアラさんの手には何かある。やっぱりな、と喉の奥で低く唸りながらいつものように笑顔で二人に駆け寄った。
「ティアラさ~」
「ちょっといいですの?」
「うぉっ?」
話しかけようとしたらめずらしくバイオレットさんがサッと立ち上がって目の前にずずいと迫ってきた。なんだなんだ、美人が凄んだら迫力が増すなと思いつつ少しだけ仰け反る。
「貴方のご友人の好む場所がわかりまして?」
「え? ヴィクトルですか?」
「ええ」
にっこりと綺麗な笑顔を浮かべてバイオレットさんは頷いたけど、俺はなぜかピーンと来た。俺の知らないところで二人に何かあったな、と。
まぁでも俺にとってはどうぞご自由にっていう感じだから場所を教えてもいいんだけど。でもヴィクトルの場所かと顎に手を当てる。賑やかな場所が苦手だから静かな場所にいるといえばいるんだけど、実はそれは固定されていない。時と場合によって場所を転々としている。一応俺にはどこらへんにいるとか言って消えていくんだけど。
「うーん、別に教えてもいいんですけど」
「あら、何か困ることでもありまして?」
「バイオレットさんは、俺に教えられて嬉しいですか?」
同じようににっこりと笑顔を向ければ一瞬だけキョトンとした表情をしたバイオレットさんは、すぐに綺麗な笑みに変わった。
「やっぱりいいですわ。自分で探したほうが面白いですもの」
「そうっすよね~」
「では早速、追い詰めに行こうと思いますわ。二人はごゆっくりどうぞ」
おほほと笑って彼女は颯爽と歩いて行く。その歩き方も綺麗なもんだから周りの生徒の視線が釘付けになっているものの、当人はまったく気にしていない。ファサッと払った髪が風になびくのもまた様になっていた。
「さて、ティアラさん」
「何かしら?」
「それ、なんですか?」
スッと指差した先にあるものは両手でしっかりと持たれている手紙。いや聞かなくてもわかる、俺はそこまでピュアではない。でも指摘されたほうは目を丸くしながら首を傾げている。この人、本当に両親や屋敷の人たちに大事に大事に育てられたんだな。
「これ? 手紙のようなんだけど……内容がよくわからなくて」
「……俺が読んでもいいですか?」
「いいと思うわ。はい」
すんなり手渡してくるところを見ると本当に内容がわかっていないようだ。笑顔でありがとうございますと言ってすんなり手紙を渡してもらい、俺はというと容赦なく封筒を開けて紙を取り出した。
そこそこ綺麗な羅列だ、丁寧で尚且つ気持ちをギュッと込められている手紙。それをラブレターを言わずしてなんと言う。
貴族の招待状やら何やらはきっと屋敷の人たちがティアラさんの目に入るより先に処分しているはずだ。ただ学園ではその人たちの手は届かない。だからこそ帝王学部の生徒たちはここぞとばかりに学園で行動に移そうとしていたのだろう。それは遠くから見ていたり、こうやってラブレターを手渡ししたり。
しかしそれも伝わらないと意味がない。読んでいるこのラブレターも字は綺麗でいいけど、ロマンチックに伝えようとしすぎて言葉が遠回しになっている。美しいアザレの宝石を見る度に貴女を思い出す、って、だからなんだよって感じ。思い出したからなんなんだってきっとティアラさんも思ったはず。アザレの宝石が好きなのねっていう感想しかなかったんじゃないか。
「この手紙ってどういう意味かしら?」
「アザレの宝石が好きなんじゃないっすか?」
「ああ、やっぱりそうなのね」
そうじゃねぇけどそういうことにしておこう。遠回しに書きすぎたコイツが悪い。結局最後の最後までそういう内容だった手紙をもう一度畳み封筒に入れて、そんで自分のポケットに入れる。
「ティアラさん、これ俺のほうで処分しときますよ」
「そう? でもこういうのってお返事書いたほうがいいんじゃないの?」
「いや書かなくていいですよ、余計な期待持たせちまうんで」
「期待?」
「ただのポエムなんで大丈夫です」
よく理解していないようで首を傾げているティアラさんに笑顔で再度「大丈夫です」と告げる。わからなくて結構。ご丁寧に名前も書いていることだしあとでブルクハルトさんに報告しておこう。
というかどいつもこいつも今更なんだよなぁと内心溜め息をつく。あのパーティーの場で誰一人彼女を庇おうとしなかったくせに。婚約破棄されて孤立するものだと思っていたものの、その実そうじゃなかったってことに今ならチャンスとでも思ったんだろうぶん殴るぞ。
確かにティアラさんは美人で綺麗で美しく可愛い人だ、普通に惚れても仕方がない。俺もそれについては人のこと言えないし。だからと言って男も見せずに自分に振り向いてもらおうなんざ百年早い。惚れた女のために自分の恥ぐらい捨てろ。まぁ恥を捨てるのが遅かったせいで遠くから眺めたり、こうやってこっそりラブレターを送るっていう行動に繋がっているんだろうけど。でもそんな男にティアラさんを渡す気も更々ない。
横を見てみると手紙の存在をすっかり忘れてしまっているティアラさんが美味しそうにパンを食っていた。こうやって間近で美味そうに飯を食う彼女を見れる特権を俺が持つことができたのは、あのときにすぐ行動したからだ。
「……クロイト」
「なんですか?」
「そんなまじまじ見ないでくれる? 食べにくいじゃない……」
「いやぁ、ティアラさんはいつだって美しいなって」
「食べにくいじゃない!」
照れたティアラさんにデレッとなりつつ、これからもっと周りに目を配る必要があるなと俺もバカでかいパンを取り出して思案する。遠くから見つめても手紙を書いても彼女に何も伝わってはいないものの、逆に初心だからこそ「話がある」とか切り出されるとホイホイついていく可能性もある。そこが何より心配だ。
相思相愛になったとはいえまったく油断できない。流石は俺の女神様、取りあえず今はこの大量にある飯を腹に収めようとパンにかぶりついた。
とかなんとか思っていたけど。ここ数日穏やかに過ごしていた。
もっとティアラさんに話しかけてくる輩が増えるかと思いきや、様子を眺めているとただ遠くから眺めるだけに終わっている奴がほとんどだった。しかも隣に俺がいて俺と目が合えばほぼ全員が走り去っていく。何やら杞憂に終わったようで内心ホッとする。
「ティアラさんって高嶺の花なんですね」
「いきなり何よ」
「いえいえ、こっちの話です」
そう、ティアラさんは美しすぎて話しかけられない人種だったのだ。マジで安心した。こうやって放課後も正門まで一緒に歩いているけど誰もティアラさんに向かって話しかけてこない。少し植えられている木のほうに視線を向ければ、こっそり隠れながらこっちを見ている生徒はいてもそこから先こっちに寄ってこない。
いやわかるけども。彼女はもうそこにいるだけで輝いているから近寄ったらあまりの眩さで目が潰れると思うかもしれないけど。
とかなんとか思っていたらあっという間に正門だ。本当に放課後のこの距離はずっと時間を短く感じる。ちょこっと喋ればすぐ正門、すぐお迎えの馬車。行きはそこそこ距離はあるのに帰りだけ距離短くなってんのか? って思ってしまうほどあっという間だ。
まぁいくら文句を言ってももう馬車はそこにあるし俺は見送るしかない。いつものように手を差し伸べて彼女が馬車に乗るのを見守る。帰り気を付けて、と言うために口を開いたけど、なぜか俺はその口のまま馬車に吸い込まれてしまった。
何事だ、だなんて。ただ単にティアラさんが思いきり俺の腕を引っ張って馬車に乗せただけなんだけど。今までになかったことに俺は口を開けたままうつ伏せの状態でティアラさんを見上げた。
「……とても間抜けな格好よ?」
「あ、いや、めずらしいなって思って」
「取りあえず椅子に座ってくれる?」
「はい」
言われるがまま身体を起こし向かい合わせに椅子に座ればパタンと閉じる扉。馬車に乗ったのデート以来だな、と思いつつティアラさんに視線を向けた。ある意味二人きりの空間だが、彼女はいつものように恥じらうことなく真っ直ぐに俺のほうに視線を向ける。その視線が、あのパーティーの場で背筋を真っ直ぐ伸ばして王子と対峙しているときのものとまったく一緒だった。
「実は、今度パーティーがあるの。社交界のパーティーよ」
「……! そうなんですね」
「ええ」
学園のティアラさんではなく、貴族のティアラさんの話しだ。そうなると俺は口を挟むわけにはいかない。俺のトーナメント戦で彼女が口を挟まなかったように、その逆に彼女の貴族のパーティーに無駄に足を踏み込むことはできない。互いに自分の領域があって、そしてそれは自分の戦いなのだ。
「きっと学園でのくだらない噂も流れているわ」
「それでもあなたは行くんでしょう?」
「ええ。だってスノーホワイト家の娘である私の役目だもの」
だろうな、と内心小さく苦笑した。ここで「怖いから逃げる」だなんて言うような人じゃない。いつだって家の名を背中に背負ってそれでも真っ直ぐ立っている人だ。その姿が美しくて俺だって一目惚れしたんだから。
「俺に教えてくれてありがとうございます」
「いいえ……実は、背中を押してもらおうと思って。物理的に」
「物理的に?! そしたら俺はすっごい力加減しなきゃいけないですね。あなたをぶっ飛ばしてしまう」
「そんなに強く押さなくてもいいわよ!」
「ははっ」
わかってますよ、そんなことするわけがない。もちろんそれは彼女にも伝わっている。さっきまで真剣だった面持ちが若干力が抜けて俺と同じように笑っている。そちらに言っても? と問いかけると小さく縦に振った頭を確認して立ち上がり、彼女の隣に座る。貴族の馬車だから広さは十分あるが、それでも俺たちの肩は触れ合っていた。
「当日あなたの家に行っていいですか?」
「来てくれるの?」
「そのほうが安心するでしょう? 俺もしっかりと戦いに行くあなたを見送りたいし」
「……ありがとう」
「いいえ」
本当は彼女が傷つくぐらいなら行ってほしくはないけど、でもそうやって籠の中に閉じ込めていい人じゃないこともわかっている。俺にできることはやらなきゃいけないことに立ち向かう彼女の背中をそっと押すことぐらいだ。
「クロイト」
「なんですか?」
「い……今は、二人きりよ」
「……御者の方いますよ?」
「もう! わかっているわよそれくらい!」
二人きりのときは畏まった言葉遣いはなしで、っていう約束だった。確かに二人きりの空間ではあるけれどでもまだ正門の前だし御者の人はいるし。窓の外はカーテンを閉めればいいけど流石に御者の人には声が聞こえちまうんじゃねぇかなって苦笑をもらした。別にやましいことをしようってことじゃないけど、あとで恥ずかしい思いをするのはティアラさんだ。
「ティアラさん」
「なに?!」
「抱きしめても?」
「っ、い、いいわよ。で、でも一瞬よ?! そうでなければ……名残惜しくなってしまうもの」
「……なんでここでそんな可愛いこと言うかな~」
「かかか可愛くないわよ!」
俺のこと試してんのか無自覚に。困った、この人はクロイトキラーだ。一体今まで何度ハートに矢が突き刺さっただろうか。
抱き寄せれば自然と回された手に表情が緩み、一瞬だけって言ったのに言った本人がギューっと抱きついてくるもんだから俺は喉を唸らせた。多分卒業するまで俺は我慢を強いられるが、ティアラさんのことを想えばそれも苦ではない。
一度グッと抱きしめている腕に力を入れ、そして身体を放す。名残惜しげな顔をしているのはティアラさんのほうだ。本当に無自覚で俺をたらし込んでくるなと苦笑しつつ扉を開け馬車を降りる。御者さんに一度頭を下げ、そして走り出した馬車を見送った。
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