第14話
「お母様服をプレゼントするってああいう意味があっただなんてどうして教えてくれなかったの?!」
私はもう涙目である。そう、私服デートをした日のことだ。彼にためにって服をプレゼントしたけれど、まさかあんな意味があっただなんて。恥ずかしくてその日帰ってきたときは自室から出られなくて、そして今日、朝食前にすでに席に座っているお母様にそう問い詰めた。
けれど優雅にお茶を飲んでいるお母様は「あらあらまぁまぁ」だなんて、のんびりとした口調で尚更恥ずかしさが増した。知っていて、そしてあの日私のこと見送っただなんて。
「それって男性から女性へと贈ったときの場合でしょう? 今回は貴女から彼宛てなんだから純粋な意味になるわ」
「……え?」
「おほほ、本っ当ティアラったら初心なんだから」
カッと顔が赤くなる。服のプレゼントより前の、ネックレスのプレゼントだってそんな意味があるなんてこと知らずに送って恥ずかしい思いをしたというのに。ああきっとクロイトは私がどちらとも意味を知らないって気付いたから、だからあんなにも楽しそうな顔をしていたのね。
「やぁやぁ朝から楽しそうじゃないか」
「あら貴方、ちょっと聞いてくださる?」
「おおフェリシア、君は今日も美しいな。それで、なんだい?」
そういえばお父様ってさらっと毎日毎日お母様に「美しい」と言っている。なんだかとてもデジャヴ、と思っているとクロイトの顔が脳裏にポンを浮かんできた。特に昨日は、あんなにも甘ったるい声色で言うものだから……腰を抜かさなかったのを褒めてもらいたいところだったのに。最後の最後でそれ以上のものを投下するだなんて、聞いてない。
「あっはっは! いやぁいいじゃないか、随分と仲睦まじくやっているようだね、ティアラ」
「もう! 笑い事ではないのよお父様! 私が昨日どれだけ大変だったことか……」
「でも楽しかっただろう?」
「っ……」
「ティアラ、私はね、とっても嬉しいんだよ」
大笑いしていたかと思っていたのに、慈悲深い表情を向けたお父様は静かに言葉を続けた。
「前までは報告のような内容だっただろう? でも今はお前が笑ったり照れたり、色んな話を聞かせてくれる。色んな表情を見せてくれるティアラのほうがずっといい」
確かに、以前ならこんな気持でお父様とお母様にお喋りすることはなかった。毎日学園やアルフレッドについての報告のみ、恥ずかしい思いをしたことや楽しかったことを二人に言ったことはなかったしそもそもそんな感情になることもなかった。
チラッと視線を向けると、お父様もお母様も以前よりずっと楽しそうな顔をしている。前の私はそんな二人の表情を曇らせていたのだと今になって気付く。でももう、きっと二人にはそんな表情をさせない。
「いってらっしゃい、私たちの可愛い子」
そんな二人に見送られて屋敷を出る。お父様とお母様だけではなく、本当に屋敷の人たちはずっと私のことを見守ってくれていた。その証拠に皆私が感情を露わにする度に表情を和ませる。普通淑女ならば己を律しろと学んでいるはずなのに、皆は私が感情を見せれば見せるほど嬉しそうな顔をする。
私ってきっと恵まれているんだわ。お父様にもお母様にも、周りの人たちにも友人にも。そして、大切な人にも。色んな人が私を支えてくれるから婚約破棄を言われたときだって悲しくともなんともなかった。悪評だって気にせずにいられた。
「やりますわねぇティアラ」
周りの人たちに感謝しつつ、そして友人であるアリシアにも感謝の言葉を伝えようとした矢先に言われた言葉。思わず目を丸くして瞬いたけれど、アリシアは美しい笑みを浮かべていた。
「私服デート上手くいったようでよかったではございませんか。しかもネックレスまで贈るとは……あらあら、おほほ」
「待ってアリシア。あなたちょっと楽しんでいない……?」
「あらっ心外ですわね。ティアラが楽しそうにしているからわたくしも楽しいのでございますのよ? 本当に……ネックレスまで……まぁ」
「楽しんでいるわよね?!」
いつものように中庭で待っている間に一応アリシアに、し、私服、デート……の、報告をした。流石にクロイトがいる前では恥ずかしいから彼がいない今のうちに。そんなクロイトはというと先生から呼び出しがあって遅れて来るとのことだった。
恥ずかしいところは省いたけれど大まかなことを伝えたらずっとこの笑顔だ。アリシアもこういう反応をするということはネックレスの意味をわかっているということ。私だけ知らなかっただなんて恥ずかしすぎる。
「でも彼はとても喜んだでしょう?」
「それは、うん、そうだけれど……」
「ならよかったではございませんの。私服デート大成功、と言ったところでしょう? おめでとう、ティアラ」
「何に対しての称賛なのよ……!」
「え? 羞恥に耐え抜いた貴女に対してですわ」
なぜ私がずっと恥ずかしかったことを知っているの。しっかりと伏せて伝えたはずなのに。するとアリシアは「貴女の友人ですものわかりますわ」って楽しそうに言うものだから私も何も言えなくなってしまった。以前に比べてアリシアも直接的な言葉を多く言うようになったような気がする。一体誰の影響か、だなんて考えなくてもわかる。
すると笑顔だったアリシアがふと何かを思い出したかのように一旦何かを考える素振りを見せた。今度は何かしらと言葉を待っていると綺麗な瞳は空を眺めたまま「大変ですわね」とこぼした。
「抱擁は致しましたの?」
「ほっ……?!」
恥ずかしさのあまりに倒れそうになったところを介抱してもらったけれど、そ、それは別に抱擁ではないし、それに恥ずかしくて言葉にできない。だから抱擁はしていないと告げればアリシアはまた何かを思案していた。
「彼はティアラのこと本当に大切にしているのですわね」
「え?」
「だって彼も年頃の男性ですわよ? 好意を寄せている女性に触れたいと思うのは普通のことではなくて?」
「……えっ?!」
「ティアラ、貴女は真面目で模範的な淑女ですわ。でもたまには感情に流されてもいいと思いますの」
模範的な淑女、という言葉にハッとした。そういえば以前私が昼食に遅れたときにクロイトとアリシアだけで何かを話していた。もしかしてそのときに貴族ならではの男女の規則をクロイトが知ったのだとしたら? それ以降彼からの接触が少なくなっていったのも頷ける。唐突に抱きしめることがまずはなくなったし、思い返せば線引もするようになっていた。
今思えばそういう面に関してはすべてクロイトが私に合わせてくれている。私自身も初めてのことだからどうしていいかわからなくて、そんな私に気付いている。からかうことはあっても、その先を無理に踏み込んで来たりはしない。
「ティアラ、そんな顔をしないで。以前の貴女なら私服デートだなんて決して言わなかったですわ。貴女も彼のために歩み寄ろうと頑張っている証拠ですわ」
「アリシア……」
「ティアラさーん! お待たせしましたぁ!」
場の空気を壊す勢いで現れたクロイトに、思わずしんみりしていた私たちは一瞬固まりそして同時に小さく吹き出した。そんな私たちにきょとんとしながらも彼は駆け寄ってきて私の隣に座る。
「私服デート、楽しかったんですって?」
「あれ? ティアラさんから聞いたんですか? そぉなんですよ~! もう最高でした!」
誰が見てもわかるぐらいにデレッとした顔に近くにあった足を軽く叩いた。本当にクロイトはすべての感情を表に出し過ぎる。
「ティアラから教えてくれたんですのよ」
「そうなんですね!」
「な、何よ」
どうして私は両サイドからにこにこの笑顔を向けられているのかしら。居心地が悪くて思わずぶっきらぼうな声を出せば、クロイトの表情がまたパッと輝いた。
「いえいえ! あ、ティアラさん。もらったネックレス本当はつけたかったんですけど……」
実習が多い剣術学部のため、何かあったときに外れたら発狂しそうだから渋々置いてきたと肩を落としながら彼はそう報告してきた。私もプレゼントしたあとに実習でも邪魔にならないようなものにすればよかったと後悔したけれど、でもプレゼントは本当に嬉しかったのだと言われてその後悔も少しずつ薄れていく。
「そ、そういえば呼び出しって言っていたけれど、あなたまた何かやったの?」
「え、呼び出しがある度に俺が何かやらかしたって思うのやめてくださいよ~。違いますよ、まだ先の話ですけど恒例の遠征の話――」
「クロ!」
聞き覚えのない声に顔を上げる。一体誰が誰を呼んだのか私はわからない、でも隣にいたクロイトの顔がわかりやすく弾けるように顔を上げた。
「シロ! え、お前なんでここにいんの?」
「先生と一緒に来たの。久しぶりね」
「すみませんティアラさん、ちょっと」
「え、ええ」
私に一つ断りと入れるとクロイトは立ち上がって声をかけてきた女性のほうへと駆けて行く。見慣れない女性、学園の制服を着ていないところを見るときっと生徒ではないのだろうけれど。
「アンタいるかもしれないと思ってたけど、制服もだいぶ板についてきたんじゃない? 胸パッツンパッツンだけど」
「シロよりでかかったりして」
「うるさいわね私だってそれなりにあるわよ! ところで、お父さん元気にしてる?」
「まぁ、してんじゃねぇの? 去年帰れなかったから知らねぇけど」
「今年ぐらい会いに行きなさいよ。長期休暇あるんでしょう? 私も今年は行こうと思ってるから」
「なんだ、そうなのか」
固まってしまっている私の肩をアリシアが軽く揺さぶってくれて正気に戻させてくれる。二人が何か特別なことを言っているわけではない、でもなんで、私今こんなにも苦しいんだろう。ただの日常会話のはずなのに、何気ない会話なのに自然と近い距離に躊躇うことなく互いに触れる手。
二人の会話が段々聞こえなくなって、もう顔を手で覆い隠したくなったときにふわりと風が頬に当たった。のろのろと顔を上げればさっきまで女性と会話をしていたクロイトが私の前に屈んで心配そうに顔を覗き込んでいる。いつの間にか女性もいなくなっていて、「ティアラさん」という声がいつも以上に優しげに聞こえた。
「具合悪いんですか? 医務室に行きましょうか」
「い、いいえ、別に、大丈夫よ」
「わたくしが連れて行きますわ。何かあったら貴方にすぐに連絡しますから」
「お願いします」
昼食の味なんて忘れた。ただアリシアに支えられて医務室にではなく教室に移動した。
「アリシア、私今すごく嫌な女になってる」
さっきの女性がクロイトとどういう関係なのかはわからない。私にはまだ彼について知らないことのほうが多いし、今から知っていこうとしていたところだったから。でもあの二人の様子を見て、すごく嫌な気持ちになった。私が貴族だから彼は気軽に触れて来ようとはしない、でもあの女性に対してはそうではない――誰かに対して「羨ましい」だなんて、今で思ったことなかったのに。
そんな自分が嫌になって頭を抱えれば、そんな私をアリシアは優しく抱きしめてくれた。
「貴女が今まで知らなかっただけで、それは普通のことですわ。誰かを羨むことも嫉妬することも、決して悪いことではありませんの」
「で、でも、私……とっても嫌だわ、こんな」
「それを直接彼に言ってみたらどうかしら。きっと彼ならきちんと受け止めてくれるのではなくて?」
私自身が受け止めきれていないのに、それを果たしてクロイトが受け止めてくれるのかしら。アリシアは普通のことだと言っていたけれど周りは皆こんな感情を抱えているのだろうか。お父様もお母様も、そしてアリシアも。とてもそんな風には見れない。
結局私のこのわだかまりは放課後まで引きずることになって、いつも通り私に会いに来たクロイトは私の様子を見て眉をひそめた。身を屈めて私の顔を見ようとしたから、咄嗟に顔を背ける。
「ティアラさん」
「ごめんなさい今は」
「ティアラさん」
手を握られ正門ではないほうへと引っ張られる。どんどん周りの生徒の声が小さくなっていって、気付けば誰もいない校舎の影に来ていた。
パッと手を離されクロイトはもう一度私の顔を覗き込んでくる。目を逸らしたいのに真っ直ぐに見てくるものだから、伏目がちに視線を向けるしかなかった。
「あなたの悲しいとかつらいって気持ち、あなたをずっと見てきたからわかりますよ。でも俺はどうして悲しいのか、どうしてつらいのか、そこまでわかることはできません。言葉にしてもらわないと」
「っ……」
「ティアラさん、何が悲しいんですか?」
私、悲しかったのだろうか。ううん、きっと自分で気付かなかったけれど悲しかったのだわ。確かに羨ましく思った、でも彼のこと何も知らないのねって言われているようで。それが。
「クロイト、お昼に話をしていた女性って一体誰なの?」
こんな問い詰めるようなこと言いたくなかったのに言葉は我慢することができず、するりと私の口からあふれた。答えに対する心の準備なんてまだ何もできていないくせに。
「ああ、姉っすね。俺の」
「……姉?!」
「そうですそうです、姉です。いやー姉は完璧に母親似で俺が父親似なもんで似てないって言われるんですけど。でも眼の色は一緒だったでしょ?」
ほら、と自分の眼を指差すクロイトをまじまじと見てしまう。確かにあの女性も綺麗なコバルトブルーの瞳だった。ということは、あの会話は姉弟の会話ということで。まるで恋人同士が故郷に帰るという風に聞こえていた内容は、その実姉弟の実家帰りの内容。恥ずかしすぎる私ったら完璧に勘違いしていたってことじゃない!!
「でもあなた長男だって!」
「下にもいるって言ってたじゃないですか。男では一番上ってだけで姉弟では二番目ですよ、俺」
確かに言っていた私服デートのときに。随分と手慣れた様子に彼の兄弟の話を聞こうとした矢先に、その話を遮ったのは紛れもなくこの私。きっと私が遮らなければクロイトはあのとき姉の話もしていたはず。
「しかも姉は嫁にも行ってますからね。今の名前はシロティ・アプリコットだったかな」
「……もしかして彼女が言っていた『先生』?」
「違います違います、その人は姉が務めている先の教授ですよ。旦那はアプリコット家の嫡男で、地方の貴族なんですよ。昔その人がクマに襲われているところ姉が正拳突き一発で仕留めて、ついでにその人もハートも射止めたって感じですかね」
「……確かに姉弟のようね」
クロイトのお姉様のとんでもないエピソードも聞いてしまったような気もしたけれど。でもそのエピソードで二人が間違いなく姉弟なのだとわかって、全身の力がどっと抜けた。勝手に勘違いして勝手に落ち込んで、なんて恥ずかしいこと。数カ月前だったらこんな状態になることはなかったのに。
フッという声が聞こえて更に物陰へと引っ張られる。近くなった距離に息が詰まりそうになったけれど私を見下ろしてくるクロイトから目が離せない。
「嫉妬してくれたんですか?」
「嫉っ……」
「俺は別によかったんですよ、俺はあなたのことが大切だし俺ばっかり一方的に想っていても構わないって」
顔が赤くなっていくのがわかる。無意識に喉を鳴らして固まったままの私に、彼はより一層愛おしげに見つめてくる。
「抱きしめても?」
周りには誰もいなくて、貴族の規則だから……だなんて、きっと今は気にする必要はない。だってここはウィステリア学園、常に周りを気にしなければならない社交場ではないのだから。
小さく頷くと力強く抱き寄せられる。鍛えている身体に対して私の小さな身体はすっぽりと収まってしまって、全身にぬくもりが広がった。
「ティアラさん、結構俺のこと好きじゃないですか」
「……そう、よ」
今まで恥ずかしくてちゃんと言葉にしたことはなかった、ちゃんと彼に伝えたことはなかった。まだ恥ずかしさはあるけれどそれを隠すように彼の背中をギュッと掴んで、肩に自分の顔を見えないように押し付ける。
「す、好きよ、あなたのこと」
「ははっ! マジっすか。俺すっげぇ浮かれそうなんですけど」
「だ、だからっ、お願いがあるんだけど」
「なんですか?」
一旦身体を離して私の顔を見ようとしているクロイトに対し、私はまだ恥ずかしいし顔を見て話せる自信もなかったからそのままギュッとしがみついたままだった。
「……二人きりのときぐらい、喋り方を改めなくてもいいじゃない」
「……可愛いお願いですね。あなたはいつでも可愛いですけど」
「か、からかわないで!」
「本心だよ」
バコンッ! と今まで聞いたこともない音を立てて心臓が跳ね上がった。身体が離されて見つめられて、頭が真っ白になって動けない。徐々に近付く顔に心臓が口から飛び出すのではないかと思うほどドキドキと高鳴らせている。咄嗟にギュッと目を閉じて小さく震えながらそのときを待った。
「……え?」
でもふにっとした感覚は予想していたところではなく、額にやってきた。思わず目を丸くして彼を見上げる。眉間にグッと皺を寄せた彼は何かを耐えるように低く喉を唸らせていた。
「あ~……俺たち、まだ『お付き合い』じゃないですか。だから、ね」
「そ……そそそっそうね! まだ『お付き合い』……」
ならばその『お付き合い』から先になったとき、どうなってしまうのだろうか。ドッドッと心臓が鳴りなんだか汗も掻いてきた。馬車、待たせるかもしれないですね、というクロイトの言葉にぎこちなく頷き再び手を握られて正門へと歩き出す。
「……私、あなたと一緒にいたらものすごく心臓が鍛えられそう」
「ははっ、そしたらバッキバキの心臓にしちゃいましょうよ」
「……ふふっ、何よそれ」
繋がっている手から感じ取れるぬくもりに、今ではすっかりと安堵感を覚えるようになってしまっている。前に小説を読んだときは私にとって夢物語だと思っていたのに。楽しいことや嬉しいこと、つらいことや悲しいこと、それらをたった一人の人から全部もらえるなんて。『恋』ってこういうものなのね、なんて思えることができたのは彼がいてくれたからこそだ。
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