第12話
「ティアラさ~ん!」
お昼休み、いつのも場所で待っていると聞こえてきた声。顔を上げれば満面の笑みでこちらに手を振りながら走ってきている姿が見えて、その様子で察した私の隣でアリシアが小さく笑った。
先日行われたであろう剣術学部でのトーナメント戦。前回よりも好成績を残すために彼は一週間の間私との接触を減らした。朝も放課後も訓練するとのことで、クロイトにとっては究極の選択だったらしいのだけれど「勝つためなら仕方がないわ」と彼の背中を押した。
正直に言って、この一週間どことなく寂しさを覚えた。朝も放課後も彼が隣にいるのが当たり前になっていたから、こんなに静かだったのねなんて思ったりもして。アリシアがまるでそんな私を支えるように一緒にいる時間を増やしてくれてはいたけれど。
「どうだったの?」
私の隣に腰を下ろすクロイトに視線を向けたまま、そう口にしてみたけれど結果は言わずと知れたこと。彼は先程以上に笑顔を浮かべて「やりました!」と報告してくれる。
「今回三位になりましたよ、ティアラさん!」
「……え?!」
前回は確か六位で、彼のことだから五位かもしかしたら四位までは上げてくるかとは思ったけれど。まさかの三位。上位陣はもう立派な騎士を約束されているであろう先輩方の中でその順位なんて。改めてクロイトのポテンシャルの高さに驚かされた。男性ってこういうものなの? と隣にいたアリシアに視線を送ったけれど彼女は口元に手を当てて笑うだけ。こういう反応するということは、やはり普通ではないということ。
「随分と喜んでいるようだけれど、何かご褒美がありまして?」
「そうなんですよ聞いてくださいバイオレットさん! 前回より順位上げたらティアラさんと私服デートっていう約束だったんです!」
「あらあら、まぁまぁ」
やりますわね、ティアラ。と満面の笑みで言われた言葉にそっと顔を逸らした。黙っていればアリシアも知らなかったはずなのに、よくも悪くもクロイトは正直すぎる。まぁ、そこが彼のいいところで私の、す、好きなところでもあるけれど。
「でもやっぱり……私服ですもんね……クソダサ田舎服が申し訳なさすぎる……!」
「だ、だから気にしなくていいと言っているでしょう?! 私も、その、少し気になるし……」
「そうなんですか? そしたら着ていきます」
「本当に貴方ってチョロ……コホン、ティアラ第一ですのね」
少し出かかった言葉を改めていたけれど、流石にそれは私でもわかるわ、アリシア。
一先ずそのことについては置いといて。クロイトはそう言ってはいるけれど彼が故郷で普段着ていた服も気になるし、それに今回の私の目的は彼に私好みの服をプレゼントすること。背が高くたくましい身体つきのためきっと色んな服が似合うに決まっている。男性の服選びなんてお父様にプレゼントしたとき以来で、あのときはお母様と一緒に選んだのだけれどとても楽しかった思い出がある。だから今回も私はひっそりと楽しみにしていた。それを口にするにはまだ少し恥ずかしいから言わないけれど。
でも私の友人である彼女は、そんなこともきっとお見通し。先程から隣からとてもあたたかい眼差しをもらっていて、とにかくアリシアは私の感情を口にしないでと祈るばかりだった。
「おや? めずらしい組み合わせだね」
突如聞こえてきた声に三人同時に同じ方向に顔を向ける。昼食用の紙袋を持っていた第二王子であるマティスが私たちを見た途端目を丸め、そしてすぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「めずらしいわねマティス。あなたがここにいるなんて」
「たまには気分転換で違う場所で食べようと思ったんだ」
「ん? なんか親しげですね」
「あらお忘れ? マティス王子は第二王子、第一王子の弟ですもの。ティアラも面識があって当然ですわ」
「ああ、そうでしたね」
不機嫌さを隠さない低い声に少しドキッとしつつ、マティスに再び視線を向ける。おかしな話しで、同じ学園同じ学部に在籍しているというのにこうして学園内で言葉を交わしたことはあまりない。婚約破棄されるまでアルフレッドに付き添うしかなかったせいもあるけれど、思えばもう世間体を気にしてお互いに気を遣う必要もない。
弟になる可能性があったマティスが今でも可愛く思ってしまうけれど、そんなマティスの視線は私にではなくクロイトに向かっていた。クロイトもそれに気付いたのか、かぶりついていたパンから顔を離し視線を合わせる。目が合った瞬間、マティスの目が輝いたような気がしてなんだか嫌な予感がした。
「丁度よかったクロイト、君に話したいことがあったんだ」
「俺に? 一緒に訓練のメニューでもするんですか?」
「そ、それは追々だね。実は君にね……将来、僕の護衛騎士になってもらいたいんだ」
目を丸めたのは私とクロイト、アリシアはまるでしまったと言わんばかりに手で口元を押さえてマティスは満面の笑みだった。
「え、いやいや、なんで?」
「僕の状況が変わってきていてね、信頼できる騎士が一人欲しいんだ。クロイトは今まで他の貴族の誘いも断っていると聞いたから、まだ誰かの騎士になる予定ではないんだよね? どうだろう、悪くない話だと思うんだけど」
一般的に考えてマティスの言う通り、確かに決して悪い話ではない。なんて言っても将来王になる可能性が最もある王子からの言葉、しかも直接「信頼できる」とまで言われている。普通ならば光栄なお言葉だ、誰だって彼の騎士になりたいと思うだろう。
「それは困る!」
でもクロイトは迷いもせず、真っ直ぐにそう返答した。あまりの早さにマティスの目も丸くなっている。
「俺はティアラさんの騎士になると決めているから、それ以外はお断りです!」
「……えっ、そうなの? でもどうしてティアラ? そういえば仲良くご飯食べてるけど……」
「お付き合いしてますから!!」
グッと肩を抱き寄せられてこれ以上とない密着度。前に私が昼食遅れてきたときからクロイトはどことなく唐突な接触は避けるようにしていたのに、まさかここで抱き寄せられるなんて。とても近いしクロイトの体温が伝わってくるし声も近い。少しでも見上げると鼻筋の通った顔が見えて一瞬気が遠くなった。ってここで恥ずかしさのあまりに気絶するなんて、それこそ恥ずかしい。アリシアもマティスもいるというのに。
目を丸くしたまま固まっていたマティスだけれど、次に困ったように眉を下げ顎に手を当てた。小さく「困ったな」とこぼれた言葉に思わず小さく狼狽える。
「そうだったのか……実はね、ティアラを僕の婚約者にどうかという話も、出てきているんだ」
「はぁっ?!」
「初耳よ、マティス!」
「貴族の中での話だからね、まだ本人の耳には届いてないものだったんだけど」
そんなこと、お父様の耳にも届いていたのかしら。次の婚約に対して何かを言われたことはなかったけれど、でもクロイトとの婚約には急いでいた気がした。
でもそんな話が出ていても何もおかしくない。第一王子の婚約者だったけれど婚約が破棄され第一王子の王位継承権も破棄された、ならば次に第二王子の婚約者にと考える貴族もいるだろう。第二王子についている貴族たちも、スノーホワイト家の権力を欲しているということだ。
結局令嬢というものは権力争いの道具にされやすい。仕方がないと言えばそうなのだけれど。でも今は。前の私だったらマティスの言葉に頷いていたかもしれない、それがきっと私の務めなのだからと。でも、と隣に視線を向ける。お父様もお母様も、そして屋敷の皆も認めてくれているのに。
無意識に傍にある腕にギュッと抱きついた。近くにいるだけでこんなに安心するのに。
「……私も困るわ、マティス」
愛情も何もない場所にまた行けというの。そもそも私はアルフレッドを支えるための婚約者だった、でもマティスにはその必要はない。アルフレッドのように世間知らずではないし、逆に周りをよく見て耳を傾けるマティスを支える人間が私である必要はない。
「っていうか、貴族とか王族って一体人をなんだと思ってるんだ」
まだ少し低くはあったけれど、でも真っ直ぐな声色に自然と視線が向かう。私のみならずマティスやアリシアだって。
「あんなバカ王子にずっと我慢してそれでも支えて、頑張って耐えてきたっていうのにバカ王子がいなくなったらはい次の王子ってか。この人は
私の肩を掴んでいる手の力が強まる。グッとより一層抱き寄せられて、思わず鼻がツンと痛くなった。思っていても言葉にしていいものではなかった。令嬢たちが思っていたであろう言葉をしっかりと、しかも王子に言ってくれる人がいるとは思わなかった。
「……ごめんね、僕もそう思う。ティアラの話は本当に貴族の一部で言っているだけなんだ。もしそうなったとしても僕も反論するし、そうならないようにする。だから安心してほしい」
「頼むぞマティス! そうじゃねぇとお前がこの間外周一周減らしてたの教官にチクるからな!」
「えっ?! そ、それはちょっと……!」
王子を堂々と脅している人間なんて初めて見た。でもこのやり取りはなんだか友人同士のようで、鬼気迫るものなんてまったくなくて寧ろ穏やかだ。
「でもそっかぁ……ティアラとクロイトが……うん、素敵だよ」
「マティス……そんなしみじみと言わないで……」
「ああごめん。でもティアラが苦労していたことを僕も知っているつもりだから、なんだか感慨深くなっちゃって。そっかぁ」
しみじみと、何かを思いうんうんと深く頷いているマティスの視線がスッとクロイトに向かう。
「でも僕は、やっぱり信頼できる騎士が欲しいな」
ああ、今まで私は思い違いをしていた。彼は優しくて穏やかで、どこか頼りない弟のような存在だと思っていた。でも彼だって王族だ、王家の血がしっかりと流れている。優しくて穏やかなだけの王が国を治めることなんてできやしない。現国王だって優しくて誰からも慕われる王だけれど、同時に厳格さや冷静さを持ち合わせている。いざというとき例え冷酷な判断になろうとも二者択一ができる王だ。
マティス、彼はきっと私のことについては貴族に何を言われようとも諦めてくれる。でも彼が本当に諦めきれないのは私ではない。
「いたいた、マティス王子。教官が呼んでましたよ」
どうしようと考えていたところ第三者の声が聞こえた。どこか見覚えのあるような、ないような姿。マティスはパッと彼のほうに顔を向けて「ああ!」と思い出したかのように声を上げた。
「もしかして外周減らしたのもうバレました?」
「違う違う! 今後の訓練の内容を少し変えようかっていう、その話し合いをしようという約束だったんだ。僕はこれで失礼するよ」
パタパタと走り去るマティスと入れ違いでやってきた男子生徒にクロイトが軽く手を上げた。
「いいタイミングだったみたいだな」
「ありがとな、ヴィクトル。あ、ティアラさんにバイオレットさん、俺の友人のヴィクトル・カクタスです」
「どうも」
いつも彼と共にいる男子生徒ですわとアリシアが耳打ちしてくれて、ようやく納得する。そういえばアリシアはオペラグラスで彼の顔を確認することができたのね。クロイトが私に会いに来るときはいつも一人で、友人が隣にいるときもかなり距離があったから私のほうからは顔の確認ができていなかった。
「ヴィクトルも一緒に飯食うか?」
「俺はもう食い終わったよ。ったく、三位の飯はうめーかよ」
「マッジでうめぇ。ちょっとなら分けてやってもいいけど?」
「いらねぇよそんな施し。八位の飯だってうまかったんだからな!」
クロイトとマティスもやり取りも友人のようだとは思ったけれど。でもこの二人のやり取りのほうがずっと距離が近い。クロイトも彼も気軽に言葉の往来を楽しんでいる。
「じゃぁ先に行ってるからな」
「おう」
本当にマティスだけを呼びに来たようで、彼はすぐにこの場を去った。そういえば私はこうしてアリシアと一緒に食べているけれど、クロイトも友人を呼んでもいいのよね。今度は四人でどうかしらと提案してみたのだけれど、クロイトが言うには彼は人が大勢いる場が苦手で静かなところで昼食を食べているらしい。
貴族が少し苦手、だということもこっそり教えてくれた。
「彼と仲がいいのね。付き合いが長いの? 幼なじみとか」
「いやヴィクトルと初めて会ったのはこの学園でなんですよ。でもなんていうか、アイツも田舎育ちっていうのもあって気が合うんですよね」
「そうなの」
「では。わたくしも一足先に失礼致しますわね。あとはお二人でたくさん楽しみなさいな」
きっと一週間中々会えなかった私のために言ってくれたんだろう。アリシアに小さくありがとうとお礼を告げると、にこやかに笑顔を返してくれたアリシアはクロイトの友人のあとに続く形でこの場を去った。
思えば、クロイトは色々と私のことを聞いたり知ってくれているけれど、その逆はどうだろうか。私はクロイトの友人の顔も名前も今日初めて知った。長男だっていうことも知らなかったし、そういえばクロイトの家族のことも何も知らない。その事実に気付いて少し肩を落とせば、そっと大きな手が私の手に重ねられた。
「どうしました?」
「……私って、あなたのこと何も知らないわ」
「いいじゃないですか、これから知ってくれるんでしょう?」
あっけらかんと言ってみせたクロイトに思わず瞬きを繰り返す。いつもと同じように、パッと輝かせる笑顔はいつだってドキドキするしそしてまぶしい。
「俺だってティアラさんのこと全部知ってるわけじゃないですし。これからお互いのこと知っていけばいいんじゃないんですか? だって俺たち、お付き合いしているんですし」
「そっ、そうだけど……」
「ティアラさんってお兄さんいたんですね、この間ブルクハルトさんに教えてもらいました」
「……え?! いつの間に?」
「お手紙もらったんですよ~。お互いにティアラさんのいいところをツラツラと書いた手紙を行き来させてて」
「お父様もあなたも何をやっているのよ?!」
「すっげぇ楽しいですよ?」
一瞬でもキュンときた私のときめき返して欲しい! そんな、知らなかったわよお父様とクロイトが文通のようなものをしていただなんて! しかも内容が私のいいところ? 男二人して何をこっそりそんな、恥ずかしいことを!
バカ! と思いきり胸を叩いてもそこそこに膨らみがあるそれはきっと痛みを通してはくれない。寧ろパチンと叩いた私の手のひらのほうが痛い。
「まぁまぁ、一緒に知っていきましょ? その手始めに今度の私服デート、ってことで」
「そ、そうね」
そうよ今度のデートは私から言い出したこと。そのために頑張ったクロイトのためにも楽しいものにしなければ。格好いい服だってプレゼントしてあげたいし、デートの最中でお互い色んなことを喋ってそして知っていけばいい。
顔が赤くなっているのを自覚しつつ、必死に頭を縦に振った私だったけれど。「抱きしめてぇ……」と絞り出された言葉に心臓が跳ね上がって思わずビンタをしてしまった。
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