第11話
目が覚めて起き上がり背伸びをしたのとメイドのアイリーが入ってきたのはほぼ同時だった。
「おはようございますお嬢様。よく眠れたでしょうか?」
「ええ、よく眠れたわ」
「それは良うございました。ではお着替え致しましょう」
いつものように制服を持ってきてくれたアイリーを背に鏡の前に座る。いつも丁寧に手入れをしてくれているおかげで髪が痛んだことはないけれど、どうも癖っ毛のようでどうしても先のほうは勝手に巻いてしまう。小さい頃はさらさらのストレートな髪に憧れて無理にでも伸ばそうとしていたのだけれど、お母様が「それも貴女の魅力よ」と言ってくれて。それ以降この髪も悪くないと思えるようになった。
今日もアイリーが丁寧に髪を櫛で梳かしてくれる。途中までは真っ直ぐ、先に行くにしたがってくるっとなってしまうのはもうご愛嬌だろう。
「ところでアイリー」
「はいなんでしょう、お嬢様」
「……さっきから、その顔はなんなのよ」
「えっ? どの顔でございます?」
「そのにやにやしている顔よ!」
まぁ、だなんてわざとらしく手で顔を触ったところでその表情は直らない。原因はわかっている。
昨日の朝、連れてくると言ったときの屋敷の中の浮かれようと言ったら。すれ違う執事やメイド使用人みんな始終笑顔で、見送るのときはもう屋敷全体がふわふわとしていた。そしていざ帰ってきてみたらだ、普段はほんのわずかな出迎えだというのに昨日は「なぜこんなにいるの?!」というほどの数だった。学園から帰ってくる頃には仕事を終えた者たちはそれぞれ自宅に戻るか宛てがわれている自室で自分の時間を過ごしているはずなのに、昨日に限っては廊下で見えた人間がまぁ多かったこと。
「お許しくださいお嬢様、皆ひと目でも見てみたかったのです。お嬢様を射止めた騎士様を」
「い、射止めたっ?!」
「ご立派でございましたね! お嬢様の後ろを歩く姿はまるで本当の騎士のよう! 調べてはおりましたが実際目にしてみるとたくましいお身体! 精悍な顔つきで尚且つ爽やかさも持ち合わせている! お二人でいる姿はまるでお伽話に出てくるお姫様と騎士でございました!」
「もう! それ以上はやめてよ! 面白がっているだけじゃない!」
「あらあらお嬢様、お顔がにやついておりますよ?」
「えっ?!」
鏡越しにアイリーを見ていたのだけれどその指摘に急いで視線を自分に戻せば、目を吊り上げながらも真っ赤な顔をして口元が若干緩んでいる。何この情けない顔?! と驚いて慌てて手で押さえたけれど元に戻りそうにない。
「旦那様と奥様がいらっしゃる前のお二人と言ったら、とても微笑ましい光景でございました……お嬢様のあのような可愛らしいお姿を見れてこのアイリー、とても嬉しゅうございます」
「やめてやめてー!」
「さっ、支度終わりましたよお嬢様!」
ハッとして立ち上がればいつもと同じ制服姿。あれだけお喋りをしていたのにその仕事っぷりは見事だ。真っ赤になった顔を冷やすべく手で仰ぎ風を送り、そして鏡の前で一通りチェックしてからコホンと一つ咳払いをする。
このあといつものようにお父様とお母様と朝食を共にして、そして門で待っている馬車で学園へと向かう。うん、とてもいつも通り。
「ああそうですお嬢様」
「何かしら、アイリー」
「このにやけ顔は私だけではなく屋敷の者、皆こうなっておりますのでお気になさらず!」
「気になるわよ!」
とんでもない言葉を残してアイリーは軽やかに、それこそスキップする勢いで部屋から出て行く。閉じた扉の向こうから鼻歌が聞こえてきたのはきっと気のせいではない。
折角引いた熱がまた戻ってきそう、と取りあえず自分を落ち着かせるために一度息を深く吐き出す。駄目駄目、こんなことで動揺するなんて淑女のやることではないわと顔を上げて部屋から出る。廊下を歩いていれば執事やメイドたちが頭を下げて挨拶をしてくれて、私もそれに「おはよう」と返すのだけれど……いつもより、皆が頭を下げている時間が長いような気がする。歳の近いメイドとすれ違おうとして立ち止まり、下から覗き込めばとんでもない満面の笑みがそこにあった。
「どういう顔をしているの?!」
「ああ申し訳ございませんティアラ様! 顔が……顔が言うことを聞かないのです!」
「どうして?!」
「おめでとうございます!」
「何に対してのお祝いの言葉よ!」
彼女が言い出すと傍にいた皆も口々におめでとうございますと口にする。やめてやめてお願いだからやめて、私ものすごく恥ずかしくて居た堪れない。
逃げ込むように部屋に駆け込めばすでにお父様とお母様の姿があって、急いで挨拶を済ませて私も席に着く。
「屋敷が楽しいことになっているな!」
「ちょっとお父様!」
楽しそうに開口一番にそう口にしたお父様に何か言おうと口を開いたけれど、なんだかもう疲れた。どうして朝なのにもうこんなにも疲労感に襲われているのか。立ち上がろうとした腰は椅子に戻し、運ばれてきた朝食にナイフとフォークを付ける。
「よかったじゃないかティアラ、お前が選んだ男を皆が認めてくれた証拠だ」
「暗い屋敷よりも明るい屋敷のほうがずっといいわ。ティアラ、素直に受け止めてあげなさいな」
「お父様もお母様も……そう言うけれど、私、ものすごく恥ずかしいのよ……!」
「お前は私たちに似ず恥ずかしがり屋だなぁ」
「本当ですわねぇ」
そう言うやいなや目の前で惚気け始めた二人に胸焼けを起こしてしまいそう。お父様もお母様も政略結婚ではなく、めずらしく恋愛結婚だった。だからこそ何年経とうとも、それこそ子が生まれようともまるで付き合いたてのように二人は今でもお互いにベタ惚れだ。
私もいつかはお父様やお母様のように……と想像してみたけれどとても無理は話。毎日クロイトにお父様のような距離感で近付かれたら私、恥ずかしさのあまりに失神する。本当に、今思えばアルフレッドのときはどうしてあんなにも平気だったのかしらと思えてしまうほど今の自分が信じられない。
「これは早い段階で婚約を決めておいたほうがいいな」
「こ、婚約?! はは早くないかしら?!」
「何を言っているんだ。ティアラも、そしてクロイト君も引く手数多だうかうかしていられない。問題はどちらがどちらの籍に入るかだなぁ」
なんだかお父様の頭の中でトントン拍子に話が進んでいく。そ、そんな婚約だなんて、正直そこまで考えてはいなかった。お付き合いで精一杯でその先のことは頭になくて、それに私は一度婚約破棄された身。そんな私を受け入れるとなるときっとクロイトの世間体が悪くなってしまう。
「こちらの跡継ぎの心配はないんだ、パトリシオがしっかりとやっている」
「お兄様はまだ戻ってこれないの?」
「今はまだ忙しいからなぁ。まぁ苦労したほうがパトリシオのためだ」
今はこの屋敷にいないお兄様、私よりも五つ上で既に成人しており立派に国のために働いている。私のこともよく可愛がってくれて、怒ったら怖いけれどそれでも優しいお兄様のことを私も慕っている。
スノーホワイト家の跡継ぎにお兄様がいるものだから、私はアルフレッドのある意味教育係となるべく婚約者になったのだけれど。その婚約も破棄され、また王族から何か言われない限り私の結婚に関してはお兄様よりも自由度が高い。
「クロイト君が長男のようだからなぁ、彼の要望も聞いてみないと」
「……クロイトって、長男だったの?」
「そうだよ。まっ、このことに関してはやりようによるかな。世間体が気になるのであれば彼を貴族の養子にするっていうのもありだけど、彼が自身の力を示せばそれでオッケーという形にもなり得る。追々話し合いだな。で?」
「え、で?」
「クロイト君は次いつ来てくれるのかな?」
気が早い! と叫ばなかった自分を褒めてほしい。ほんの少しお茶を吹き出しそうになって気管に入り咽てしまったけれど。なんだなんだ考えてなかったのかと呆れるような声と、貴女も頑張ったほうがいいわよと呆れているのか慰めているのかわからないお母様の声。
「そうよティアラ。放課後デートしたことだし、今度は私服デートというものはどう?」
「いいね! 楽しそうじゃないか!」
「彼って地方から出てきてずっと学園生活でしょう? 彼の服を貴女がコーディネートしてあげるの。最高じゃない!」
それからもう、すっかり両親二人で盛り上がってしまって私は黙々と朝食を食べるだけだった。どうして私ではなくてお父様とお母様のほうが楽しそうなの。ついでに屋敷の皆のほうがわくわくしているのよと心の中でひっそりと突っ込む。言葉にしても今のこの状態だと誰の心にも響かない。
デートはいつでもしていいよ! だなんて気軽に許可してくれたお父様に一応感謝する。確かにデートをする度に了承を得ないといけないのは多少大変だからありがたいといえばありがたいのだけれど。でもこっそりデートしたところで皆にはバレてしまうのだから私の恥ずかしさが消えるわけでもない。
「もう、私先に出るから」
楽しそうにしている両親にそう告げ、出立するための準備を済ませる。リボンが曲がってないのを鏡で確認しながら、私服、と小さくこぼす。確かクロイトも田舎で着ていた服しか持っていないと言っていた。そんな彼に私好みの服をプレゼント、と考えただけでも少し楽しくなってしまった自分が恥ずかしい。結局私も考えていることはお父様と一緒なんだわ。
「いってらっしゃいませ」
馬車に乗り込み屋敷の者たちに見送られる。結局彼らは最後の最後までずっと笑顔だった。
考えるのはいいけれど、どうやって話を切り出せばいいのかわからない。そういえば今まで切り出してくれるのはすべてクロイトのほうからだった。どうやって言えばいいの? いきなり「私服デートしない?」って、そんな語彙力の抜け落ちた言葉で唐突に言い出すの? そもそも私からデートしないかって切り出すの?! とてもじゃないけれど無理じゃない?!
「ティアラさん、百面相ですか?」
「ひゃあっ?!」
「え、どうしたんですかそんな可愛らしい悲鳴」
必死に考えていて気付かなかった。いつの間にかクロイトが隣にやってきてい私の顔を覗き込んでいる。彼のほうが身長が高いためいつも私が見上げる形になるのに、時折こうやって身を屈ませて私を見上げてくる姿は心臓に悪い。顔がぐっと近くなるから尚更。
「べ、べべべ別にっ」
「何かあるんですね~どうしました?」
穏やかににっこりと、可愛げのないことしか言えない私に彼はいつだって怒りもせずに待ってくれる。本当、彼に頼ってばかりじゃないと自分が不甲斐なくなってくる。いつだって淑女としての立ち振舞をしてきたのに、全然その通りにできない。
情けない! 気概を見せなさいよ! と自分を奮い立たせてバッと顔を上げる。あまりにも至近距離に顔があったのもだから「ひぁ……」と情けない声が出てしまったけれど。
「ク、クロイト! 近いうちに時間あるかしら?!」
「え? あ~……一週間の間は難しいですね」
「……そうなの?」
「ええ、一週間後にトーナメントがあるんです」
クロイトが言うには剣術学部では三ヶ月に一度、学年関係なしのトーナメント戦があるらしい。忖度なしの実力勝負、それは剣術学部内での腕を競うためのものだから公開はしておらず例の闘技場で行われるとのこと。そしてなぜ剣術学部の生徒たちがかなりの気合いを入るかと言うと、上位になればなるほど学食のランクが一ヶ月の間上がるらしい。
「俺前回六位だったんですよね~。やっぱり就職先が決まっている先輩方が強くて」
試しにクロイトに勝ったという先輩方の名前を聞いてみたら、驚いた。誰も彼も王族の騎士か、また貴族の中でもかなりの権力を持っている家の騎士だったのだから。
その中での六位、となるとクロイトが色んなところから声がかかるということも頷ける。朝でお父様が言っていたことはこういうことだったのねとひとりごちた。そんな私の隣ではクロイトがもうワンランク上の学食を食べたいなどと、トーナメント戦と言っておきながらわりとのんびりとした口調だ。なぜかこのとき、頭の中にパッとお母様とアイリーの顔が思い浮かんだ――まるで私の背中を押すように。
「ク、クロイト! ちょっと、提案なんだけど」
「お? なんですか?」
「その……トーナメント、あなたが前回よりも上の成績だったら……わ、私と、私服デート! と、言うのはどう、かしら……」
恥ずかしくて尻窄みになってしまった。顔も上げられなくて最後ちゃんと聞き取れたのか心配になったけれど、それを払拭するかのように隣から嬉しそうな声が上がる。
「マジですか?! えっ、そしたら俺すっげぇがんば……私服って俺のクソダサ田舎服なんですけど?!」
「いいわよ、それでも。街の中を私服で一緒に歩くの。私も街に溶け込むような服を着るわ」
「なにそれすっげぇ見たいです」
今までパッと輝く笑顔とか優しく見つめる眼差しとか見たことはあったけれど、こんな、瞳孔が開いた真顔は初めて見た。なんだか圧を感じて少しだけ身を引いて距離を取ってしまう。
「わかりました、前回よりも上の成績ですね。俄然やる気が出ましたよ」
「な、なるべく怪我はしないようにしてちょうだいね……?」
「ティアラさんがそう言うのであれば」
キラキラとまた輝く笑顔に戻って少し離れた距離が縮まった。もう、彼のせいで淑女の嗜みって何かしらって言いたくなるほど情緒不安定だ。彼の色んな表情を見るたびに心臓をドキドキ鳴らして、このままだと強靭な心臓を手に入れれそう。
きっとクロイトのことだから前回より成績を落とすことなんて絶対にない。私は私で、彼に似合う服を見繕うのが今から楽しみになっていた。
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