第6話
「ティアラ」
「な、何かしら」
「その調子で放課後まで持ちますの?」
「言わないでっ」
昨日「明日の放課後に」という言葉だけで彼はパッと顔を明るくして、何度も首を縦に振った。喜んでいる様子が見れてよかった、と今日を迎えたのだけれど。時間が刻一刻と進むにつれてどんどん動悸が激しくなる。アリシアは「ただ一緒におやつを食べるだけでしょう?」だなんて言っているけれど。確かに男性とパーティーの場で一緒に食事をしたことはあったけれど。でも今回は二人きりで、しかも相手はお付き合いしている男性。緊張するなというほうが無理な話だ。
「逃げようと思っても無駄でしてよ。あなたが彼から物理的に逃げられるわけがありませんわ」
「唐突に恐ろしいことを言うのね」
「あら、事実を言ったまでですわ。おほほ」
以前に比べてアリシアの楽しそうな表情を見ることが多くなったような気がする。別に前まで楽しそうではなかったということではないけれど、今だと主に私が平常心を保てなくなったりしていると目元も口元も弧を描いているのだ。アリシアってこんなに子どものように笑う人だったのね、と思っていても大体がからかいが入っているため素直に喜べない。
今日は呼び出しがあるから昼食を共にできないと朝の挨拶のあとに言われ、そうなのねとポーカーフェイスを保っておきながら胸はドッドッと音を鳴らしていた。朝に顔を合わせて、そして放課後まで出会うことがないということだ。これならまだちょこちょこと顔を合わせていたほうが心の準備ができたのにと昼食を済ませ授業に戻る。
時間が止まってほしい、だなんて思ったのは初めてかもしれない。でももう終礼も終わってしまった。ちらりとアリシアに視線を向けてみればにっこり笑顔でヒラヒラと手を振られてしまった。いつも中立を貫いていた彼女は私が不利な状況に陥ればそれとなく手を貸してくれたのに、今回ばかりは思いきり背中を押された気分だ。
逃げ出したい気持ちを抱えながら校舎を出て、そして正門まで続く道を眺める。このまま馬車に乗ってしまおうかしら、そんなことを思った瞬間後ろからかけられる声。近付いてくる足音にまるで錆びついた鉄のようにギッギッとゆっくりと振り返る。
「ティアラさん、お待たせしました」
「ま、待ってはいないわ」
「そうですか? それじゃ行きましょ」
「ま、待って! 着替えないの……?」
「制服のまんまですよ?」
みんなそうしてますから、と続けられた言葉にそうなのと思わず返すしかない。思えば私は正門を出てすぐに馬車に乗っていたから制服姿のままでどこかに出かけたことはなかった。アリシアともパーティーの場や学園でも会うから、それ以外で制服のまま会うという意識は働かなかった。
少し新鮮な気持ちになりつつ彼との軽い会話のおかげでほんの少し緊張もほぐれ、一緒に隣同士で歩き出す。いつもなら正門をくぐれば目の前に馬車、そしてそこで彼と別れるけれど今日は馬車も待ち構えていなければ彼と別れることもない。未知の世界に胸を高鳴らせて少し周りに目を向けてみれば、クロイトの言っていた通りウィステリア学園の生徒が制服姿のまま歩いていた。話しながら歩いているとカフェテリアなどで本当に生徒たちがそのまま談笑している。こういうこともできたのだと、今更ながら初めて気付いた。
「ティアラさんの言っていたとこってここでしょ?」
「……! そう、ここよ」
馬車の中から見えていたお店。外観もスマートで無駄な装飾がなく、けれど可愛らしいポップで商品の紹介をしていて気になっていた。ふと視線を上げてみれば彼がドアを開けて待っているものだから、ドキッとなりながらお礼を言いつつ店内に入る。中にはウィステリア学園の生徒たちが友人同士で仲良く談笑しながらパフェを食べていたりしていた。男性があまりいないようだけれど、クロイトに恥ずかしい思いをさせてしまうかもと思っている私を他所に彼はまた椅子を引いて待っている。貴族であるにも関わらず慣れないエスコートにさっきから胸がドキドキしてばかりだ。
「ク、クロイト……その、恥ずかしくない……?」
「何がですか?」
「だって、周りみんな女子生徒よ……男性ってこういう場入りにくいのではないの?」
「ティアラさんがいるのでどうってことないですよ」
真正面に座った彼がいつものようにパッと輝く笑顔で言うものだから、私だけでなく他の女子生徒もチラチラと彼に視線を送ることになった。唯でさえ男性というだけで目立つのに彼は恥ずかしげもなくそんなこと言うものだから、他の子たちも気になってしまうのだろう。
メニューが渡され目を通す。貴族ではない人たちはこういうのを食べているのね、と思いながらページをめくった。確かに私たちは普段から高級な物を口に入れてはいるけれど、だからと言って平民の人たちが作るものが劣っているとは思わない。試行錯誤で作られたパフェはどれも美味しそうだし、それに可愛らしい。説明文に女性のことを気遣って低カロリーのクリームが使われているということも書かれていた。こういうところがきっと賑わっている秘訣なのだ。
いちごがふんだんに使われているパフェを注文し、クロイトはというと茶葉が使われたパフェを注文していた。飲むだけでなくこうやってお菓子にも使う茶葉があることに驚いたけれど、彼は「故郷でよく飲んでたから懐かしくなりました」と教えてくれてまた一つ彼のことについて知ることができた。
待っている間は大体学園内でのことを会話する。授業内容がまったく違うため相手のことを理解できるわけではないけれど、私の言葉に彼は「大変そうですね」と言い彼の言葉に私は「お疲れ様」とお互い労るような言葉が自然と出てくる。
アルフレッドと、こんな風に会話をしたこともなかったし労りの言葉を言うこともなかった。異性とこんな穏やかな時間を過ごすことができるのねと驚きと共にまた一つ学んだ。
可愛らしい制服姿の店員が私たちの目の前にそれぞれ注文したパフェを置く。こういう場でも彼は「いただきます」と律儀に言ってスプーンですくったクリームを口に運んだ。私もいちごをクリームと一緒にスプーンですくい、口に入れる。いちごに甘みが少し足りず酸味が効いている気がするけれど、そこをクリームの甘みでカバーしている。美味しい、と思わず言葉がこぼれた。
「クロイト、あなたに聞きたいことがあるのだけれど」
食べているとつい無口になってしまっていたのだけれど、あっという間に食べ終わったクロイトの様子を見計らいながら一度口をナプキンで拭いて今まで気になっていたことを切り出してみる。
「あなたって、様々なところから声をかけてもらっているでしょう? すべて断っていると聞いているのだけれど……」
「これ言ったらティアラさん引くと思いますけど、聞きます?」
「あ、あなたがいいのであれば」
別にそんな難しいことじゃないんですけど、と前置きしたクロイトはそれはもう、本当に何事もなく。
「あなたの騎士になりたくて全部断ってます」
とても良い笑顔でそう言い切った。
「実は俺、あなたに一目惚れだったんですよ。でも田舎もんの俺が貴族のあなたにそう簡単に声をかけられないでしょ?」
「……え、えっ?」
「俺って力仕事はしてたんですけど平凡だったんですよ、並ってやつ。でも立派な騎士なればチャンスがあるんじゃねって、すっげぇ頑張ったんです。まぁそれでか色んなとこから声をかけてもらえるようになったっていうか」
俺にとってはおまけみたいなものです、と晴れやかな表情で続けた彼に困惑すればいいのか恥じらえばいいのかわからない。だって彼、貴族の中でもぜひうちの騎士にと声をかけられるほどの実力の持ち主で。アルフレッドとの対決だってまるで赤子の手をひねるように事もなげにやってみせて。
彼の言い方はまるで、そこまでの実力を身につけたのもすべて私のためと言っているように聞こえてしまう。
「でも今こうしてあなたと一緒にいられるなんて、俺にとっては夢のようですよ。まだ騎士にもなっていないっていうのに」
「あ、う、その」
「刺激強すぎました?」
私が引くようなことだと彼は言っていたのに、引くどころか熱くてクラクラする。思考がうまくまとまらないのに彼の目は愛おしげに私を眺めてくる。真正面の席に座るのではなかった、せめて隣同士だったら彼のこんな視線を直接受けることにはならなかったはずなのに。
「お、美味しかったわ……」
もうそれから無心でパフェを食べるしかなくて、最初は美味しいと思っていたのに最後はもう味がわからなかった。食べている最中も彼はひたすら微笑んでいて、でも私には逃げる場所なんてない。取りあえず食べ終わってから女性ばかりのこの場所で彼は楽しかったのかしらと聞いてみれば、会計を済ませた彼はまたあの眼差しで微笑んだ。
「美味しそうに食べるあなたが見れたので幸せでしたよ」
真っ直ぐにそんなことを言ってきて、私は一瞬息をすることを忘れてしまった。それにどこからか「きゃっ」という声も聞こえてきた。食べている最中彼の視線が気になっていたけれど、それと同時に周りから彼に向けられている視線も気になって仕方がなかった。確かに女性が多い場所で男性がぽつんといるのは場違いではあったけれど、制服の上からでもわかる鍛えられている身体に女子生徒が気にならないわけがない。様々な視線を受けていたはずなのに、それでも彼は私をじっと見ていて色んな意味で居心地が悪かった。
ところでさらっと彼が会計してくれたけれど、立場から言って私が支払ってもよかったのに。彼の懐の心配していたら「大丈夫ですよ」と返ってくる。
「ほら、俺たち騎士さんたちに混じって討伐に行くでしょ? そのときにちゃんと報酬出るんですよ」
「そうなの?」
「なのでここは俺に見栄を張らせてくださいよ」
「……ありがとう」
「いいえ!」
にこっと笑った彼はいつもの彼だ。ほんの少しホッとして先程歩いた道を戻る。
「クロイトは随分行き慣れたようだったけれど、よく行っているの?」
「あの辺りにはよく行ってますよ、やっぱ腹減るんで友人と一緒に飯食いに。あのパフェの店の隣の隣ぐらいに大盛り扱ってる店があるんですよ」
「どうりで剣術学部の生徒も結構見えるのね」
「貴族の人たちにとっては新鮮かもしれないですね」
クロイトの言う通り、確かに新鮮だった。色んな生徒が学部を越えて交流していることや生徒数の多さにも驚きだったし、私が歩いていてもチラッと見られることはあってもヒソヒソ話をされることもない。貴族の人間は正門を出れば馬車に乗ってすぐ屋敷に戻るのがほとんどでああいった交流もあまりしない。社交界というパーティーで腹の探り合いをしているせいか、普段は自然と人の多い場所からは避けていたような気がする。
そういえば、とふと思い出す。私たち貴族は首都住みだし屋敷から学園までも移動は馬車だから街をそう歩くことはないけれど。
「クロイトって、東の出身よね? 寮生活なの?」
「覚えてくれてたんですね! そうです、寮生活ですよ」
「寮……」
寮生活というものも私にとっては未知の世界。あらゆる生徒が一つの棟に一緒に生活するようだけれど、部屋は狭いと聞いたし食事はもちろん入浴する場も共有だと聞いた。もしかして門限なんてものもあるのかしら。
「門限はそこまで厳しくないですよ。学部によっては授業内容のせいで帰れないとかあるみたいなんで」
「ああ……研究を主にしている学部ね」
「たまにすれ違うんですけどいっつもクマつけててヨロヨロ歩いてて、なんか悲惨ですね……」
「一番大変な学部かもしれないわ……」
ふと見慣れた馬車が見えてきた。もうそんなに歩いてたのかしらと眉を下げ口を閉ざす。楽しい時間ってどうしてこうも早く過ぎてしまうのだろうか。御者が私たちに気付いて軽く頭を下げ、開かれた扉にクロイトは自然と手を貸して私を中に促した。
「ティアラさん、楽しかったですか?」
「楽しかったわ」
即答するかのようにするりと出てきた言葉に、彼は満足そうに笑ってみせた。
「よかった。また今度行きましょう」
「え、ええ」
「では帰り、お気を付けて」
いつもこうして見送ってくれる彼には嬉しいような、でも少し寂しいような。それを直接彼に言ってみればもしかしたら喜んでくれるかもしれないけれど、どうしても今はまだ恥ずかしさが上回ってしまう。
帰り道馬車に揺られながら、放課後のことばかりを思い出していた。ボーッとしてしまい屋敷に着いたというのに降りてこない私を御者が心配してくれて、慌てて馬車から降りれば今度は出迎えてくれた執事とメイドに驚かれて。皆の視線が恥ずかしくて自室に駆け込むように入れば、あとから入ってきたメイドのアイリーがどこまでも嬉しそうな表情をしていた。
「お嬢様、放課後デート楽しかったですか?」
「……楽しかったわ」
「それはようございました! さ、着替えましょうお嬢様」
アイリーに言われて渋々枕から顔を上げ、ベッドから降りる。制服から普段着へと着替えている最中ですら、クロイトのことが頭から離れない。
「……あんなにエスコートされたのって、初めてだったわ」
「そうでしたか」
「それに、すごくスマートだったの。女性ばかりのお店で彼だけ目立っていて色んな女子生徒が見つめていたわ。見たくなる気持ちがわかるから、もう、なんとも言えない気持ちになって」
「それで?」
「それで、その、あれなのよ……すごく、愛おしげに見つめてきて私気絶するかと思ったわ。まるでお母様を見つめているお父様の瞳のようで……ってアイリー?! 何をさらっと私から聞き出そうとしているのよ!!」
「あ、気付かれましたか。残念です」
「残念ではないわ!!」
何を相談事を受け止めているかのような雰囲気で私から聞き出そうとしていたのか。ふと我に返ってよかった、と思っていてもアイリーは先程以上ににこにこ……いいえ、にやにやとした顔で私の着替えを手伝っている。それでも動かしている手を止めないのは流石だと褒めたいところだけれど。
「お嬢様らから『好き』が溢れ出ていて、私も幸せな気持ちになりました」
「すっ?! す、すすっ、すき?!」
「あれ、違いました?」
グッと言葉が詰まる。ここで恥ずかしさのあまりに「違う」と言ってしまえば私自身が後悔するような気がする。もごもごと口を動かして、何度も開いたり閉じたりを繰り返して、そしてようやく「違ってはいないわ」と絞り出した。
「ふふっ、お嬢様、よかったですね」
「……ええ」
デートというものをしたことはなかったけれど、とても楽しかった。クロイトの言っていたようにまた今度行ってみたい。
そうして余韻に浸っている私に相反して、屋敷の中ではアイリーの情報があっという間に広がって皆のほうが盛り上がっていただなんて、私の知る由もなかった。
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