第2話

 登校するときは必ず正門まで馬車が送り届ける。門をくぐれば校舎まで長く続く道を各々歩いて行くのだけれど、その間私に声をかけてくる人間はほぼいない。王子が流していたであろう噂で私はいつの間にか「悪役令嬢」とされ、皆が遠ざかっていた。そのことについて別に悲しくもなんともない、貴族であるのならば妙な噂を流されるのは常のことなのだから。

 今日もいつものように歩いていれば周りから聞こえるクスクスと笑う声と、ヒソヒソと噂をする声。実際そうやって陰でやるだけで行動に移せないのだから気にする必要もなければ、わざわざこちらが心身ともに傷付く必要もない。髪をなびかせながら歩いていると、どこからか足音が聞こえてきた。

「スノーホワイトさん、おはようございます!」

 朝からキラキラとした眩い笑顔で、後ろから駆け寄ってくれたであろう彼に胸がキュンとする。おはよう、とかろうじて返したけれど少しぶっきらぼうになってしまった。どうしてこんな反応しかできないの、と自分自身を非難しつつ相手の様子を見るためにちらりと視線を向けてみれば、特に気にした様子もない明るい表情が小さく首を傾げるだけだった。

「あ、そういえばまだ名前教えていなかったですね。俺はクロイト・ブルーアシードって言います!」

 知っている、昨日屋敷の者が調べていたもの。それにとある噂を私も聞いたことがある。

 剣術学部で最初は特に目立ちはしなかったものの、どんどんと腕を上げめまぐるしい成長を遂げている生徒がいるという話。剣術学部の生徒は授業の一環で騎士たちと討伐に赴くこともあると聞いたけれど、その任務中突然現れた巨大なオーガを一人で倒してしまったとのこと。まだ見習いという立場でありながら一体討伐するのは相当なもののようで、その話を聞きつけた貴族や各騎士の部隊が将来の有望性を買い勧誘してみたけれどすべて断られたらしい。

 金でもなければ名誉でもない、彼が欲しがっているものは一体なんだろうと一時期貴族の中で話題になった。隣にいる彼がまさかその人だったとは。それを調べた屋敷の皆は大いに盛り上がってしまって、それについていけなかった私は少し置いてけぼりになったのだけれど。

「……ティアラ、でいいわ」

「え?」

 にこにこと隣を歩く彼に視線を合わせることができなくて、また可愛げのない口調になってしまった。でもこれだけはと思って、そのまま視線を逸らして髪をくるくる指で遊びながら口を開く。

「ティアラでいいわ。『スノーホワイト』なんて、呼ぶには長いでしょう?」

「え?! いいんですか?!」

 ああ、大きく左右にブンブン揺れる尻尾が見える。確かに親しい人以外に名前を呼んでもらおうとは思ったこともないし彼が初めてだけれど。こんなに喜ぶのならば悪くないと思ってしまう。

 そもそもこうやって感情を表に出してくれる人間が周りにあまりいなかった。貴族として令嬢として、常に人から見られていることを意識し言動を制する。私はもちろん周りもそれが普通とされていたため、感情を読まれないように何もかも作り笑顔で隠すことが当たり前だった。アルフレッドは別で彼は普通に表情を表に出していていつでも不機嫌な顔をしていたけれど。

「そういえばティアラさん、ご友人は一緒じゃないんですか? ほら、いつも一緒にいるでしょ」

「え? ええ、そういえば彼女まだ会っていないわね……」

 まさか私の友人のことを知っているとは思わず軽く目を見張りながら、そういえばまだ友人が声をかけてきていなかったことに気付く。いつもならもう一緒に歩いている頃だけれど。スッと周りを見渡してみたけれどその姿は見当たらない。でもここで会わなかったとしても同じ帝王学部所属だし行動も共にしているため、そのうち会うだろうと視界の端に彼の姿を入れる。

 アルフレッドよりも身長が高くて、それに身体つきもしっかりしている。なんといっても、その、胸筋というのはこういうものなのと内心驚いてしまう。ぺたんこではないそこに思わず視線が向かってしまう。

「どうしました?」

「えっ?! い、いいえなんでもないわ。アリシアとはあとで会うから大丈夫よ」

「それはよかった! 食堂でもいつも一緒にいますもんね!」

 どこを凝視していたのか知られたくなくて思わず早口で答えてしまう。何やら彼の言葉に引っ掛かりを覚えたけれどそれもすぐに忘れてしまった。食堂、と口の中で小さく声にする。ウィステリア学園は学部によって校舎が違うけれど、食堂など共有スペースもそれなりにある。とは言ってもやっぱり同じ学部で固まる傾向があるため、共有スペースがあっても学部を超えての交流があまりない。

「……一緒にどうかしら、昼食」

「……へっ?! い、いいんですか?! え?!」

「あ、あなたがよかったらの話よ?! 嫌なら別に……!」

「いい嫌じゃないです全然! 時間が合えば、ぜひっ」

 道のど真ん中でお互い顔を真っ赤にさせて、一体何をやっているのかしら。別に彼の可愛らしい反応にキュンっときているわけではないわ、決して。

 目を中々合わせきれない私に対し、目の端で彼が嬉しそうな顔をしているのが映る。ただ一緒に昼食をどうかと聞いてみただけなのに。私が何かを言う度に嬉しそうな顔をしているのを見ていると、あのパーティーで彼が言っていた言葉が嘘ではないと思えてしまう。

 そうこうしているうちにそれぞれの校舎へ向かわなければいけないところまで来た。私はもう少し歩いた先、彼は右手に見える校舎だ。ふとそちらのほうに視線を向けてみれば剣術学部の生徒が彼に向かって手を振っている。

「あ……それじゃ、俺は向こうなんで……」

「え、ええ、わかったわ」

 さっきまでブンブン振っていた尻尾を今度はしんなりとさせている。どうしてこうも感情表現が豊かなの。大きい身体がそんなに落ち込んでしまうなんて女心をくすぐらないでほしい。

 何度も振り返っては手を振って、そうしてやっと剣術学部の校舎に向かった彼の背中を見送った。何というか、今まで周りにいないタイプだったせいか何から何まで新鮮な反応だ。

「楽しそうでしたわね、ティアラ」

「っ……?! ア、アリシア! いつからそこにいたの?!」

「おほほつい先程ですわ。楽しそうなお二人の邪魔をしないようにしておりましたの」

「べ、別に楽しそうにはっ」

「にしても本当でしたのね、パーティーでの話」

 友人であるアリシアは先日のパーティーには出席していない。アリシア・ヘスター・バイオレット、彼女も貴族の娘だけれどバイオレット家は中立を保っているためその傾向はアリシアにもありありと現れている。誰に噂をされようとも何を言われようとも彼女は気にしない。そんな彼女と気が合ってこうして友人として行動を共にしている。

「面白かったですわ。彼ったら貴女を見つけた瞬間走ってきていたもの」

「え……?! いつから見ていたのよ……?!」

 というかここからそれなりの距離があったというのに彼女はどうやって見ていたのだろう、と疑問に思っていたらサッと取り出されたのはオペラグラス。「淑女の嗜みですわ」だなんて言っていたけれど、どうして学園にそれを持ち込んでいるのか。

「貴女がイジメをしたなどと馬鹿話も聞きましたけれど、今この学園内にとって盛り上がっているのは別のことですわよ」

「え……?」

「まるで、小説に出てくるお姫様と騎士のよう。先程の様子を見る限りそちらは本当のことだったようですわね」

「ち、違っ……」

「貴女が胸筋を凝視していたのは誰にも言いませんわ」

「っ……?!」

 バレている。アリシアは恥ずかしがることはありませんわわたくしたち貴族の娘にとって貴族の男の平たい胸を見ることはあっても騎士の胸筋を見ることはあまりないですもの、とにこやかに告げ出そうとしていた言葉は飲み込まれた。言い返す言葉が何も思い浮かばない。

 昼食、楽しみですわね。とトドメを刺されて私は顔を赤くしたまま彼女の背中を追い駆けた。


 食堂は共有スペース、どの学部も通うことができるためかなり広い場所となっている。人も多いけれどすれ違うスペースも十分にある。アリシアと一緒にいつもと同じ席に着き、お喋りをしながら食事をする。私もアリシアも人から好意的に見られることがあまりないため、周りは空いている席があったとしてもいつもガランと空いている。あまり近くでジロジロと見られるのも食べた心地がしないため別に気にはしていない。

 ただ今日は。朝にあんなことを言ってしまったためついチラチラと周りを見てしまう。別に待ち遠しいわけではなくて、自分からあんなことを言ってしまったし。それに彼も時間が合えばと言っていたから必ず来るというわけでもなく。

「とても気にしておりますのね」

「い、いいえ。そんなことはないわ」

「あら、噂をすれば」

「ティアラさーん!」

 声と共に聞こえるのはプレートを持ってこちらに手を振っている姿。周りに貴族が多いせいか彼の屈強な身体がよく目立つ。思わず視線を逸らさないでいると隣からクスッと笑う声が聞こえて、少しだけアリシアに視線を向けようとしたけれどそれよりも先に彼が来てしまった。

「ご一緒していいですか?」

「え、ええ、どうぞ」

「すみません。あ、ご友人の方も」

「アリシア・ヘスター・バイオレットよ、彼女の数少ない友人なの。よろしくお願いしますわね」

「こちらこそ!」

 なぜ初対面の人間にこんな人懐っこそうな顔ができるのかしら。彼には人に対する警戒心っていうものがないのかしら、と少し心配になっているとそれよりもドンと置かれたものに目を見張った。

「そ、それ……」

「え?」

「それ、全部食べるのかしら……?」

 食堂は共有スペースだけれど学部によって食事が違う。例えば帝王学部の生徒にはそれなりの品質のある食事、剣術学部はとにかく量が多い、そして一般学部は一般的に出回っている食材が使われている。

「もちろんですよ。質より量! これでもちょっと足んないぐらいなんですけどね」

 ティアラさんと一緒なんでちょっと減らしてみました、なんてはにかんだように言っていたけれどそれでも目の前にある量は多い。お皿に溢れんばかりのパスタ、帝王学部の食事に比べて大きめのパンが五つ別の皿に乗っていて更に大きめの器に入っているスープ。本当にこれを一人で食べる気? 四、五人ぐらいで食べる量じゃないかしらと開いた口が塞がらない。

「それじゃ」

 そう言うと彼は手のひらを合わせて「頂きます」と小さく呟き、そして大口を開けてパンを一口頬張った。

「さっきのって」

「ああ、俺の田舎の伝統なんです。大地の恵みに感謝ってことで、食う前に『頂きます』食い終わったあとに『ご馳走さま』って言います。まぁこっちにはない文化なんで友達にも最初変な目で見られましたけど」

「そしたらあなたって東の地の出身なのね。文献で読んだことがあるの」

「えっ、知ってるんですか?」

「一応、知識としてよ」

 個人で学んだことだから胸を張って言えないけれど、でもこうして実際やっている人がいるのだからあの本は間違いではなかったのねとホッとした。土地によって文化が違う、それは当たり前のことだけれど首都になると地方の文化はあまり受け入れられない。

 すると、パスタを大口で食べようとしていた彼が嬉しそうに顔を紅潮させながらこちらを見ている。何か変なことを言ったかしら、と眉間に皺を寄せると彼の口から飛び出してきた言葉は「嬉しいです」だった。

「う、嬉しい……?」

「ええそりゃもちろん! 俺のこと少しでも知ってもらえているんだなって思ったら嬉しくて!」

 キュンっ、と胸が勝手にときめいた。ただ知識の一つを言葉にしただけなのに。

 取りあえず昼食を取らなければ、とナイフとフォークを動かしている正面であれだけたくさんあった食事がどんどん彼の胃に消えていく。その食べっぷりに驚いたし、そして思ったより食べ方も汚くはない。貴族の人間以外は割りと食べ方も拘らないと思っていたから、それも偏見だったのだと気付く。

 しっかりと咀嚼し、喉に通してから口を開く。いつもにこにこと私のことについて聞いてくるし、自分のことも話してくれる。誰かと一緒に食事をすることもお喋りすることも稀で、時間はあっという間に過ぎていった。

「クロイト、この間はありがとな」

「ん?」

 話しているとどこからか聞こえた声に彼は振り返る。胸章は剣術学部のもの、彼と同じ学部の生徒だ。親しげに話しかけてきた生徒に彼は気付き片手を軽く上げた。

「お前のおかげで大した怪我にはならなかったよ。いつかお礼を言いたいと思っていてな」

「いいっていいって、気にすんなよ。困ったときはお互い様だろ? 今度俺が危なくなったら助けてくれよ」

「助ける前に倒しちまいそうだな~クロイトは。またなんかあったらよろしく」

「おう」

 周りの貴族の女の視線がチラチラと二人に向かっている。剣術学部の生徒はそういう視線には気付かないのだろうか。二人は和やかに会話を終わらせた。

 アリシアに肘で軽く突かれ私もハッとする。べ、別に彼の普段の言葉遣いが気になったとかそういうわけではなくて。確かに私と話すときは私の立場を気にしてか常に敬語だけれど。だからあんな、小説で読んだような口調をしているだなんて。ちょっとドキドキしたとかそういうわけではなくて。

「すみませんティアラさん、そろそろ時間で……」

「剣術学部は次は実習ですわよね? お腹に入れたものは大丈夫ですの?」

「柔な鍛え方してないんで大丈夫ですよ! それじゃティアラさん、また放課後」

「え、ええ……」

 放課後、また校舎から正門までの距離を会いに来てくれるのかしら。彼はにこやかに空になったトレーを持って人混みに紛れていく。

「あらあら、物語はハッピーエンドかしら」

「……私、婚約破棄されたばかりよ」

「あんなこと気にしている生徒はもうあまりいませんわよ? 良いではありませんの、折角の学園生活を満喫しても」

 友人にまでそう言われてしまい、まだ食事は残っているのになんだかお腹いっぱいになってしまった。

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