10

 裏通り。大通りル・ヴィヴァンの反対側は明かりが殆ど差し込まれないような暗い路地になっていて、明らかに雰囲気が違っていた。活気溢れる通りとは裏腹に、浮浪者や柄の悪い人々を多く見かける。常人ならまずこの通りに入ろうとは考えもしないだろう。

 界は少し周りを見渡しながら目的の場所まで歩いた。

 話を聞いた時、想像でバーの見た目を絵に記したりして情報を補ったのが功を奏したか、すぐにそれを見つける事が出来た。

 控えめにぶら下がる看板には「Corneilleコルネイユ」の文字があった。階段を上がり、そのシックな見た目をした木製の扉を開けると、ベルが頭上できれいな音を出した。

 「いらっしゃい」

 カウンターの奥でマスターらしき男がグラスを拭いていた。店の中には誰もおらず、彼一人だけのようだった。

 界はそのまま一直線にカウンター席へ向かい、腰かける。

 見慣れない店内を少し見回していると、男はカウンターに頬杖をついた。

 「あんた、日本人だろ」

 日本語でそう聞いてきた。

 饒舌な日本語を聞いたのは一年ぶりだった。

 目の前にいる男は人が良さそうな、人懐こそうな顔をしていた。

 「ええ」

 「やっぱりな。街では大分あんた人気者だもんな。俺の耳にも入ってたよ」

 「そうでしたか」

 外行きの愛想笑いを浮かべる。

 「それで? 魔女に頼まれでもした?」

 「いいえ、これは僕が勝手に街のことを調べているだけですよ。魔女は関係ありません」

 男は一瞬、界を見定めるかのように眼光が鋭くなるも、すぐに元に戻った。

 「そっか。じゃあ、やっぱりこの時間からここに来るってことはあんたが個人的に街のことを聞きに来たってことでいいよな?」

 「はい」

 「はっはー。ま~俺もそこそこ有名人だからなぁ。あ、そうそう。俺も一応日本人なんだよ、だから仲間が出来て嬉しいよ。日本人なんて滅多に会えないからさ!」

 明るい笑顔を浮かべて男は手を差し伸べる。界もそれに続いて手を出すと、思い切り男は握手をした。

 「やはり日本人って珍しいですか?」

 「まあ、旅行に来る人はいなくはないだろうけどね。この街にはいないよ」

 「そうなんですね。それってつまり」

 そこまで言うと、男は手で界の口を塞いだ。「ダメダメ。そこからは報酬がないとね」そう言って手を離した。

 「報酬、ですか」

 「そうよ。これでも情報屋やってるからね。お得意様とか贔屓にしてくれてる人にはそれなりに安くするけど」

 「いくらですか?」

 「金じゃない。情報さ」

 「情報?」

 「俺が欲しい情報を教えてくれたら改めて聞いてくれ。さて、情報だけど、まあ簡単な話よ。 ……この人を知らないか?」

 どこからかセピア色の写真を取り出すと、カウンターにのせ、界に見せた。

 その写真には中央に椅子に座る長髪の男が映っていて、身なりが良く、貴族のようにも見える。

 「彼は?」

 「俺の大切な人さ。見たことは?」

 「いえ、すみませんがありません」

 「見たことも聞いたことない?」

 「無いですね」

 「そっかぁ……まあ、この街から出ていないんだもんね?」

 写真をしまいながらそう言った。

 「え? 何で知っているんですか?」

 「情報屋だよ? 何の情報でも仕入れてるのさ」

 「そう、ですか。 ……あの、情報交換、でしたよね? 僕は何も情報を持っていないので、やはり」

 男は何かしら作業をしながら界の言葉を遮る。「いや、別にいいよ。ただの建前だからね。何より人は助け合いだろ? 困ったときはお互い様ってことでさ、知ってることがあったら教えて欲しいって言うだけよ」

 はい、と言ってグラスを界の前に出した。グラスの中には透明な液体が入っていた。その下には赤い液体が沈殿している。

 「何です?」

 「カクテルをご存じない?」

 「は、はい」

 「やっぱ日本って遅れてるね。美味しいから飲んでみてよ」

 「では、お言葉に甘えて……」

 酒を飲む習慣がなかった界は躊躇いつつも、一口口に含み、飲み込んだ。

 体温が上がっているように感じ、アルコールで頭がふわふわとした不思議な感覚に陥り、頭を抱えた。

 「何、だ……?」

 「あっははは! へー! あんた俺と同い年くらいなのに酒も飲んだことないのか! 真面目ちゃんだなぁ」

 腹を抱えて心底面白そうに笑っていた。界は何だか恥ずかしく感じ、舌打ちをした。

 「まー面白いもん見せてもらったし、いろいろ情報売ってやるよ」

 「…………ありがとうございます」

 結果的には良かったもののあまり良い気分ではなかった。


 「俺は秋田あいだ咲次郎さきじろう。ここで情報屋として情報を仕入れたり、売ったりしてる。まあ、普段はただのバーのマスターだけどな」

 カウンターに肘をつきながら酒をあおる咲次郎を、界は訝しげに見つめた。手には先程とは違い水の入ったグラスを持っていた。

 「あんたは?」

 グラスの中の氷で遊びながら界に聞いた。

 「僕は」一瞬、フランスの名前で答えようとしてやめた。「薄墨うすずみかいです。日本では、何でも屋として父と仕事をしていました。ほとんど僕は見ていただけなんですがね」

 「へぇ。あんたも同業者みたいな感じ?」

 「いいえ、確かに依頼されれば情報を集めたり売ることもあるでしょうが、ほとんどは失せ物探しです」

 「ふうん。じゃあなんでサント・コキーここに来たの? それも依頼?」

 「ええ、まあ」

 魔女から依頼を受けた、とは言い難い。それに、依頼者については守秘義務がある。

 「それで? 何が聞きたい?」

 「この街について、ですね。今一応知っている情報は」

 メモ用紙に纏めた話を簡易的に纏めて伝えた。

 「……ドイツとの話と宗教、ね。あの教祖様のことは正直俺もよく知らないな。皆同じことしか言わないからね」

 「そうですよね、僕もある程度聞きましたが、皆口を揃えて“善人”だとか、“彼こそが聖人だ”だとしか」

 「おかしな話だよな。神の使者とも言われたりするんだぜ。ちょっと魔法が使えて、村の人を災害から守れたからってさ」

 咲次郎の言い回しに少し違和を感じた。

 「ちょっと魔法が使えて、って言い方……」

 同じ魔法使いからの言葉なのか、それとも魔法使いという存在を批判する派閥の人間か。

 「ん? ああ、これも言っておくか。俺ね、魔法使いなの。それなりに強いよ」

 そう言って笑った。いまいち信憑性に欠ける。

 「あんたのことはこの店に入ってきた時から気付いていたよ。赤の魔法使いだってね」

 ララが話していたオーラのことを思い出した。ララは集中しなければオーラが見えなかったが、彼は特にそう言った様子は見られなかった。ということは、それなりに魔力が強い魔法使いなのだろうと察する事が出来た。

 「俺が何色か分かる?」

 「いえ、分かりません」

 「そう? じゃあ教えない」

 そう言ってグラスに残っていた酒を流し込んだ。

 飄々としているこの男、敵に回すと厄介な相手かもしれない。穏便に事を運ばせ、上手く利用しよう。

 そう考えていると、扉の方からベルが鳴った。

 薄暗い店内、扉の先の外でさえ暗いので入ってきた人物のシルエットが分からなかった。いや、それにはその人物の見た目に問題があるようだった。

 黒い衣装に身を包み、のだ。

 界ほどの魔力だとオーラは見えるわけがなかったが、その人物のオーラははっきりと見える。黒く淀んだオーラがその人物をはっきりと映し始めた。

 少年だった。

 癖のある黒い短髪に、白い肌、そこに映える真っ赤な瞳。黒い衣装に追随して黒いオーラが放たれている。

 その姿に息を呑んだ。見た目は殆ど子供だが、まるで圧が違う。

 界は少しカウンター席に凭れ掛かった。

 「あれ?」

 少年は言う。

 「お兄さん、だあれ?」

 きょとん、と首を傾げる姿は無邪気な子供そのものだ。

 「あれ、オグル。上にいたんじゃなかったの?」

 咲次郎は少年に問いかける。しかし、何でもないように少年は、「うん。でも飽きちゃってさ!」と答えた。

 二人の会話の空気感について行けず、界は二人の顔を交互に見た。

 二人の会話は普通の日常的な会話のようにも聞こえるが、咲次郎が自称の域を出ないが強力な魔法使いであるということ、黒いオーラを放つ少年と咲次郎が顔見知りであることを考えると、この少年も只者ではないことは明白だった。「上にいた」というのは、この店の二階にいたということだろう。しかし咲次郎は店から出るところを見ていないという風な言い方をしている。とすると、二階からそのまま外へ出たということになる。やはり、少年もまた魔法使いか。そして、を考えると、ララが言っていたことは本当だったのだと確信した。

 界の頭は高速に回転していた。

 「おにーさん!」

 オグルと呼ばれた少年は界に近づいた。

 「お兄さんは咲ちゃんのお友達?」

 「咲ちゃん? ……えっと、友達というか……」

 「いやいや、友達よ。な! 界ちゃん♪」

 咲次郎はカウンターに前のめりになって二人の会話に混ざった。

 満面の笑みを浮かべて界に言うも、界は納得していない様子だったが、面倒だと思ったか「そうだね」と愛想笑いを浮かべた。

 「そうなんだー! じゃあ僕もお兄さんとお友達になりたいな!」

 後ろで手を組んでいたオグルはすっと界に片手を差し出した。界は恐る恐るその手を取り握手を交わす。

 「お兄さん、界って言うんだよね。界お兄さんはなんで、……嘘をつくの?」

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