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「もう何百年も前の話よ」姿勢を正しながらララは言う。
「あの、魔法使いは不老ではあるが不死ということは間違い無いんですか?」
「ええ、そうね。でも、そうとも限らないわ」
「というと?」
「老人の魔法使いだって存在するかもしれないでしょう?」
確かにな、と界は頷いた。
「魔法使いでも死ぬときは死ぬ。ただ、寿命が人間より遥かに長いだけなのよ。まだ私も、私以上に生きている魔法使いとは会ったことがないけれど、きっといるはずよ」
「なぜそう言えます?」
「可能性の話よ。魔法使いなんて一目見ただけでは分からないことの方がほとんどよ。けれど、そうね。未だに魔法使いのことなんて誰も何も分からないままよ。魔女なんて特にね」
「魔女」か……。
「一ついいですか?」
「ええ」
「魔女って結局なんなんですか?」
「そうね……私もよく分からないけれど、魔法の使えない人間・ノーマルの言う私たちは未知な存在で、巨悪だと感ぜられるものらしいのだけれど、実際悪いとは言い切れないのよ。この街の“六人の魔女”の話は聞いたことがあるかしら?」
「いえ、無いですが」
「そう。魔女はね、私の他に五人いると言われているわ。それぞれに肩書きがあって、私の場合は“感情の魔女”。人間の願いを叶える際に、感情の一つをいただくの。それを先ほど話した箱に入れるのよ。他の魔女は、また別のもの。“欲望”、“希死念慮”、“希望や絶望”。あと一人、彼女だけが何も分かっていないの。私たちよりも遥かに伝説的だわ」
「
「そうね。クルルッタ教を崇拝する街だから、それに関する伝説や物語は多いし、有名ね。ほとんどの人が知っていると思うわ」
「え?」
聞き馴染みのない宗教名に界は耳を疑った。
「何かしら」
「クルルッタ教……とは?」
「あら、知らないの? クルトという教祖がいて、彼を崇拝する人間が立ち上げた宗教よ。私が生まれる以前からあるけれど、彼は現役で、街の人々から愛され、生ける伝説とさえ言われているわ」
「もしかして、その人も魔法使いですか?」
「そうね、紀元前からおられるから、相当長生きな、ね」
まだ直接会ったことはないけれど、と最後につけ足す。
この街も調べる必要がありそうだ、と界は考え込んだ。
船でここまで約五十日ほど。サントコキーで降りてから、船着き場で山について聞きはしたが、実際街のことは聞けずにいた。というのも、依頼者を待たせるわけにもいかないなとも思っていたし、先にその場所を見てみたかったからという気持ちが大きかった。そして幸いにもここは大きな図書館。ここで司書として働きつつ、情報収集といこう。
「クルルッタ教、……教祖クルトを中心とした宗教ということですか?」
「そうね。彼は“選ばれし者”という言い方をされるわ。伝説として、“漆黒の天使から力を授かりし少年が、天災を阻止し、人々を護った”と伝わっているわ。本当かどうかは定かではないけれど。何せ、紀元前の話だもの、誰も生きちゃいないわ」
「真実を知る者こそ、その当事者だけ、か」
「彼のこともいいけれど、ちゃんと図書館で仕事もしてもらうから。“ここを護る”というのも、ちゃんとね」
「受けたはいいですが、正直どうすればいいんですか? 俺は魔法なんて使えませんよ」
「あら、使えるわよ。 ……そうね、そこからね。分かったわ」
何か納得した様子で言うと、ララは立ち上がる。「今日はここまでにしましょう。もうすぐ夕飯の時間だし、今日は休んで結構よ」扉を開け、出るように促す。
「明日。この話と、もっと詳しい話をするわ」
界が部屋を出る直前、ララはぼそりとそう言った。
翌日、午前四時。就寝は夜の八時ほどだった。渡航して来たばかりであれほどの衝撃を受けて疲れていたはずだったが、体が緊張状態にあるのか、なかなか寝付けず、結局この嫌な時間に起きてしまった。ゆっくりと体を起こし、伸びをして立ち上がる。
窓の外を見てみるとまだ闇のように暗かった。森の中にあると言うだけあって、月光も差しにくいのだろう。
ざっと部屋の中を歩き回った。自分を落ち着かせるための工夫でもある。考え事をする時や落ち着かない時はこうして部屋の中を歩き回ると言う癖があった。
一人部屋にしてはかなりの広さで、天井につくほどの本棚やクイーンサイズのベッド。ふかふかのシックな絨毯に、食事用かテラス席のような丸いテーブルと洒落た椅子が置かれてある。そして部屋の隅には
一見すると何の変哲もないものだが、しかしそこには椅子が置かれてある。風変わりなそれに近づき、チェストの
初めこの部屋に来た時、この開かれた状態だったので違和感なく、ただ少し装飾の多い机だと思っていたが、部屋に戻った際にチェストの姿に戻っていたようで不思議に思っていた。まさかこんな場所でこのような絡繰りが見られるとは思わなかった。
椅子に腰掛け、足を組む。壁に掛けてあるランプを点け、本棚から一冊本を手に取り、朝まで有意義に過ごそうと考えた。
何もない時間、静寂が訪れる。
時節、本を捲る音が響き、机の後ろにある出窓から見える景色から聞こえてくる木々の葉が擦れ合う音。それらの音が静寂を破り、と思えば全くの無音にもなる。
しばらくすると、扉の方から音が聞こえてきた。何かが擦れる音だった。
何かと思い、本を置いて立ち上がる。近寄ってみると、扉の隙間から何かがスライドして来たようで、それを拾い上げてみる。丁寧に切り取られた紙だった。美しい字で、「五時、屋敷裏へ」と書かれてあった。時計を見遣ると、あと三十分ほどで五時になるところだった。時間配分を気にしつつ、本を読んで時間まで過ごそうと思った。
四時五十分。しばらく本を読んだ後、ぱたん、と閉じる。
寝巻きから背広に着替える。こちらの方は寒いのでベストの上からジャケットを羽織った。
「……行くか」
ぽつりと呟き、部屋を出た。
辺りはまだ薄暗い。木々の隙間から差す光はぼんやりとしていて、それでも光の少ない夜にとっては眩いほどの月光。遠くの方から太陽も登る準備をしているようで、空の色が少しずつ変わっていくのが見える。
界は図書館を出て、裏手へ回った。
「ララは……いない、か」
図書館裏というから来てみたが、まだ早かっただろうか。
そう思い壁に凭れ掛かった。
──日本人の特性か、それとも俺だけか。まあ、速いに越した事はないとは思っているが。 ……ただ、そういう風に思うようになったのも、あいつらのおかげか。 ……父さんの影響か。いずれにしても、十分前行動は体に染み付いているようだし、続けよう。いつか東京に戻った時に必要なことだ。
──いや、戻れるのか? ……家族のもとに帰りたいという気持ちは一切ない。薄墨家は思った以上に面倒なことになっている。俺は中立的な立場だから、余計に面倒だ。このままここに居続ける方が楽な考えではあるかもしれない。けれど、日本が恋しく感じ始めるのも時間の問題だろうな。
「……なら、ここが第二の我が家にするのはどうかしら」
屋敷の脇から女性が現れた。ララだった。
「また俺の思考を」
「昨日と違う感じね。猫被っていたのかしら」
猫被り。それはよく言われる言葉だった。確かに、初めてララと出会った時の界は、紳士的で笑顔は絶やさなかった。所謂営業スマイルというやつか、愛想を振り撒くのは得意だった。そうして
「昨日の貴方の印象……正直、気味の悪い男だと思ったわ。考えていることこそ普通だけれど、表情は崩さず、笑みを浮かべたまま。愛想笑いが得意なようだけれど、私は今の貴方の方が自然で好きよ。人間は人間らしく、欲を晒し、疑問は相手にそのままぶつけるべきでしょう?」
そう言って界に近づく。
界は何も言わず、ララをただ見つめた。
──ここでは、こいつらに愛想を振り撒く必要はもうない、ということか。隠すことでもなかったことだ。今更、もう、いいか。
界はネクタイを緩め、シャツの第一ボタンを開けた。その行動にララは目を見開き、クスリと笑った。
髪をくしゃくしゃと手で掻き、これが本来の自分であると見せつけた。
「そう。その方がいいわ。素敵よ」
「お世辞かい?」
「そんなんじゃないわ」
ララはその時初めて人前で笑顔になった。
「……そんな風に笑えるのか」思わずそう呟いた。
「心外ね。感情は戻りつつあるのよ、私」
その一言に界も笑った。
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