第9穴 天敵の奇襲
亮一の仕事は、軌道に乗ったとは言えなんとか現状維持しているような状態ではあった。長女が小学生になり、次女も保育園に通い始めたので、亮一の仕事をパートとして手伝うことになった。数年前から来てくれているパートの五十嵐さんとも、うまくシフトをしながら仕事をしていた。
ある日、仕事場に急に奈美が現れた。仕事場の入り口の所で、亮一が、
「おう、久しぶり。里帰り?奈美んちの子は幼稚園?保育園?」と話しているのが聞こえた。
「うん、保育園。でさ、亮ちゃんとこで、また働かせてよ」
「えっ?」「えっ?!」
亮一と同時に、奥にいた彩也子も驚きの声をあげてしまった。
「実は、離婚して実家に帰って来たの。うちの子、すぐ風邪ひいたり熱出したりしてさ。しょっちゅう保育園からお迎えに来るよう連絡が来ちゃうから、そういうの許してくれる職場さがすのも大変でさ。亮ちゃんのとこなら、そういう融通きかせてもらえるじゃない」
奈美は一方的に、悪びれるどころか、了承してくれるのが当たり前のように話をしていた。さすがの亮一も、
「うちだって、彩也子とパートさんがいてぎりぎりでやってるから、もう一人雇うほど余裕ないよ」と断った。すると奈美は、
「え~。おばちゃんが亮一のとこでも聞いてみればって言うから来たのに」とふてくされた。
「おふくろは俺の仕事に関わってないから何も知らないんだよ。親父の時みたいにはいかないよ」
昔、一緒に住んで、亮一の父の仕事や家事のサポートを幸恵がしてくれたこともあって、困った時は親戚で助け合うような慣習があったのかもしれない。でも、亮一の仕事は、お客さんからの依頼があってこそなので、人手が増えれば売り上げが伸びるというような仕事ではないから、支出に限界があるのは明らかだった。
奈美が帰ってから、彩也子はすぐに亮一に詰め寄った。
「絶対に無理だからね。従妹のよしみとか情で決めていい話じゃないからね。一人分のパート代増えたら、私たちの給料が取れなくなるからね」
「わかってるよ」
亮一が本当に分っているか怪しかったが、奈美を雇うことに反対の意思は伝えたので、その日はそれで引き下がった。
それ以来、時々、下の階で亮一と義母がボソボソと話しているのが聞こえることがあった。「奈美」というワードが聞こえてくるたびに、ドキリとした。
2週間ほど経った月末、仕事場で片づけをしている時、亮一が気まずそうな顔をして「ちょっと、いい?」と話してかけてきた。
「来月から、奈美が来ることになっちゃって」
彩也子の嫌な予感が的中した。
「なっちゃったって、どういうこと?無理ですって断ればいいだけじゃないの?」
「おふくろからも、少しの間、面倒みてやれって言われてさ。子どもがもう少し大きくなるまでだから」
「うちの子たちが奈美ちゃんのせいでまともな生活できなくなっても、奈美ちゃんの生活を守ることの方が優先ってこと?」
「そうじゃないけど・・・」
「自分の家族を守ってよ!」
彩也子は信じられなかった。この家の人たちの感覚が、全く理解できなかった。かと言って、彩也子は反対するだけでなんの決定権もなく、亮一の決めたことに従わざるを得なかった。
気楽な職場を得て、奈美はほくそ笑んでるにちがいない。想像するだけでこみ上げてくる怒りのぶつけどころがなかった彩也子は、どんどんストレスを抱えていくばかりだった。
蟻の穴の近くに、ウスバカゲロウの子どもが円錐の穴を作っていた。
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