第8穴 女ですみません

 冬の気配が近づいてきた頃に、彩也子は無事に女の子を出産した。かなりの難産で、陣痛が始まってから一日以上かかっての出産だった。

 彩也子が陣痛に苦しんでいる時、亮一は初めてのことに戸惑いながらも「何かして欲しいことがあったら言って」と言ってくれたので、痛みが来た時は腰をさすってもらったりした。しかし、夜中になると亮一は眠気に勝てずちょっとさすってはすぐに寝落ちしていた。彩也子は(こっちは眠たくても痛くて眠れないのに、なんで寝るかな。役立たず!)と幻滅していた。

 翌日、亮一の姉が「食べられる時に食べといた方がいいよ」とお寿司の差し入れをしてくれたが、彩也子は食事を取ることも用意しておいた水筒のお茶を飲むこともできずにいた。

 ようやく出産を終えてへとへとになって自分の病室に戻れたのは、陣痛が始まった日の翌日の夜遅くのことだった。急に空腹を感じた彩也子は、亮一に、

「病院の夜ご飯、食べちゃった?」と聞くと、

「片付けるって言うから、食べた」と言うので、

「お義姉さんが持ってきてくれたお寿司は?」

「食っちゃった」

「えぇ~」丸一日、何も食べていなかった彩也子は、

「コンビニで何か買ってきて」と頼むと、亮一は、メロンパンを一つ買ってきた。

 水分もほぼ取っていなかった彩也子は、

「口がパッサパサでメロンパンなんか喉通らないよ!」と突き返した。

 とにかく疲れ果てていた彩也子は、どれだけ気が利かないんだとうんざりしながら、もういい、と亮一を家に帰した。

 彩也子は喉が渇いていたことを思い出して、自分で用意していた水筒を手に取ってお茶を飲もうとすると、空っぽだった。亮一が飲み干していた。

 彩也子は、ナースコールを押した。

「すみません・・・お水を一杯ください・・・」

 父としても夫としても、頼りなさを感じずにはいられなかった夜だった。


 初めての内孫に亮一の母はとても喜んでくれた。驚いたのは、親戚やご近所や知り合いの人たちの反応だった。

 生まれた子の顔を見にお祝いに来てくれる人たちが皆、おめでとうの後に、

「次は男の子だな」と言った。

 彩也子は、無事に生まれてきてくれただけで十分だったのに、田舎特有の、長男のところは跡継ぎを産まないとという雰囲気に、本当に傷ついた。


 3年後、二人目が生まれた。今度も女の子だった。

 出産に関しては長女の時のことを教訓に、亮一に期待するのは辞めて臨んだのでストレスは少なく済んだのだが、親戚や知り合いにまた言われるのかと思うと、彩也子は憂鬱になった。

 近しい親族の義母や義姉は「今は男の子を産まなくちゃとかいう時代じゃないよ」と言ってくれたが、中途半端な距離の親戚や知り合いの人たちが、やっぱり、亮一に「もう一人、頑張んないとだな」などと言っているのを聞くと、うんざりだった。

 亮一も何か言い返してくれればいいのに、ヘラヘラと笑って「そうですね」などと相槌を打っているのも腹立たしかったが、何も言えなかった。


 次女が1歳になった頃、同じ年に出産していた奈美が、赤ちゃんを連れて遊びに来た。奈美のところは男の子だった。

 奈美は、亮一に向って言った。

「2人目も女の子って分かった時、ちょっとがっかりした?」

 世代も近い同性の奈美に、そんなことを言われるとは思いもしなかった彩也子は、横から咄嗟に、

「男か女かとか私は気にしないので。」

と、きっぱり言った。亮一にも、そうだ、と言って欲しかったのに「がっかりしたりとかはないけど」と煮え切らない返事をするだけだった。

(亮一も男の子が欲しかったとか思ってるの?)

 奈美は、義母にまで言った。

「おばちゃんも男の子、欲しいでしょ」

「まあねえ」

 彩也子は、奈美の失礼な言葉に頭にきて、義母にも宣言するつもりで言った。

「3人目はもうないです。経済的にも無理ですしね。うちは2人で終わりです」

 奈美が悪びれた風もなく小声で義母に言っているのを、彩也子は聞き逃さなかった。

「片山姓、途絶えちゃうね」

彩也子はわざと、亮一に向って言ってやった。

「女ばっかりですみませんね」


 今後ずっと跡継ぎがどうとか言われ続けるのかと思うと、彩也子は心底、田舎に来たことを悔やんだ。亮一が、そういう思考を一蹴してくれなかったことに、亮一こそが彩也子の心の支えになってくれないとやっていけないアウェイでの生活なのに、この先どうなるのか、不安でいっぱいになった。

 

 蟻の穴は、増え続けていた。




 

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