第7穴 保険屋の叔母さん
結婚して4年目に、ようやく彩也子は子どもを授かった。本当は2年前に一度妊娠していたのだが、3か月目で流産してしまった。だから、今回は絶対に生まれてきて欲しいと願っていた。初めての妊娠で喜んでくれたのはありがたいが、いろんな人におめでただ、おめでただと義母や亮一が触れ回ったので、流産した時に「だめだったのよ・・・」という言葉を何度も聞く羽目になったのが、彩也子は一番つらかったので、今回は、彩也子の家族と義母にだけ妊娠の報告をし、前のことがあるから、安定期を過ぎるまでは誰にも言わないように、釘をさしておいた。
亮一の仕事もなんとか生活はできるくらいにはなってきていた。手伝っていた奈美も去年、結婚するからと亮一の職場を離れた。代わりに、週3日だけパートさんに来てもらうことになったので、彩也子はしばらく家でできる経理事務だけを手伝い、元気な子を産むことを最優先することにした。
妊娠6か月に入った頃、奈美の母親、亮一の叔母である幸恵が急に家にやって来た。
保険会社のパートをしていた幸恵は、結婚してすぐに色々な保険を勧めてきた。その時は、亮一の先輩に保険会社に勤めている人がいて、最低限の保険はすでにそっちで入っていたし、仕事を辞めたばかりでそんなにたくさん保険に入る余裕がないからと、断った。その後、結婚してA市に越してきた時も、彩也子に女性向けの保険を勧めてきて、契約書類も揃えてきたから今すぐ契約できると、かなり強引に話を進めるので余計に嫌になり、
「保険料の引き落とし口座は私名義じゃないとだめなんですよね?私の銀行口座、旧姓のままで、旧姓の印鑑を実家に置いてきちゃったので名義変更がまだできなくて。私の旧姓、珍しいから普通の文房具屋とかにないんですよね。だから今すぐ契約はちょっと・・・」と、珍しい旧姓だったことをうまく利用して断った。
その翌週、幸恵がまた現れたので、
「すみません、印鑑まだ送ってもらっていないので」
と言うと、幸恵は、
「何万件も印鑑扱ってるっていうはんこ屋さんに聞いてみたら、彩也子ちゃんの前の苗字のはんこ、あったから買ってきたよ」
と、自信満々に言い、彩也子の旧姓の印鑑を取り出したのだ。
こんな強引な保険屋に会ったのは初めてで圧倒されてしまい、亮一の親戚だったのもあり、これ以上断れない雰囲気に負けて、しぶしぶ契約したのだった。
その日の夜、
「印鑑まで買ってくるとか、押し売りにもほどがある!」と愚痴ると、亮一は、
「叔母さんは昔からそういうとこあるんだよ。でもまあ、悪い保険じゃないからよかったんじゃない?」と幸恵の肩を持ったのだった。
そんな過去があったので、彩也子は幸恵の急な訪問に警戒をした。
幸恵は、2階に上がってくるなり、
「オメデタなんだってね。良かったねぇ。今度は大丈夫そう?」
と、ずけずけと言った。
「え・・・なんでご存じなんですか?」
幸恵の言葉にむかつきながらも、安定期に入ったとは言え、誰が勝手に喋ったのだろうと警戒しながら彩也子は聞いた。
「あぁ、私のお客さんにお義母さんの友達がいてね、この間、ちょうど保険の切り替えでお邪魔した時、聞いたんよ」
(やっぱりお義母さんか・・・)
田舎の情報リークの速さはSNS並みだ。しかもSNSよりは正確だ。
「はい、まあ、なんとか」
彩也子は幸恵が苦手だったので、一人で応対しなくてはならない状況に困惑した。
幸恵は、職業柄なのか、どうでもいいような世間話をペラペラとよく喋り、3杯目のお茶のおかわりを出したところで、急に本題を話し始めた。
「学資保険とかは、もう入ったの?」
「学資保険、ですか?いえ、まだですけど」
「今、もう妊娠6か月になってる?」
「はい・・・」
「じゃあ、もう大丈夫。出産前加入っていうのがあって、出産予定日の140日前から加入できるんよ」
彩也子は、流産した時のつらさを思い出していた。
「前のことがあるので、ちゃんと生まれてから考えます」ときっぱり言った。
「そうかい。さっき、亮ちゃんとこに顔出してちょっと話したら、彩也子さんに手続きしてもらってって言ってたから」
と、それでも引かない幸恵に、
「亮一さんからそんな話聞いてないので」と、少し語気を強めて言った。
幸恵は、ようやく「じゃ、生まれたら、よろしくね」と言って帰って行った。
幸恵が帰った後、亮一から、
「学資保険、大丈夫だった?」と聞かれ、
「大丈夫じゃないでしょ。叔母さんも亮一も、私の気持ちとか、全然考えてないよね。もしまたなんかあったらって私は毎日不安でたまらないのに、生まれても来てない子の保険の話なんかできないよ!」
と、彩也子は泣いてしまった。
「叔母さんも良かれと思って勧めて来たんだし、ま、生まれてから考えればいいよ」
(私の悲しみより、保険に入る時期のことしか気にならないんだ・・・)
蟻の穴は、さらに増えていった。
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