第6穴 「私の勝手」は「誰かの我慢」

 2年ほど経ってようやく亮一の仕事も軌道に乗り始め、事務的な処理や経理、雑務など、亮一の苦手な分野に人が必要になってきたので、彩也子はお弁当屋のパートを辞めて亮一の仕事を手伝うことになった。

 一応、パートとして亮一の職場で働くからお給料をもらえたが、税金対策なのか、亮一の給料を下げ、二人合わせて普通の給料くらいだったから、彩也子のパート代はないに等しかった。


 内装材のデザインや店舗のポップやコーディネイトなどができる人がもう一人いると仕事の幅が広がるんだけど、というようなことを亮一が話していたのを聞いた義母がすぐに、

「幸恵さんとこの奈美ちゃんが、そんな感じの専門学校出てるらしいよ。東京で勤めてたけど、色々あって先月こっち帰って来たって言ってたから、声かけてみればええね」と言ってきた。

 幸恵さんというのは、亮一の亡くなった父親の妹で子どもの頃は一緒に住んでいた時期もあったので、叔母ではあったが家族同然だった。その娘の奈美は従妹だし、8歳年下ではあったが、兄弟のように過ごしてきたので気兼ねはなかった。亮一自身も土建屋の叔父に助けてもらいながらやってきたので、東京でうまくいかずに戻って来た奈美の力になれたら、という思いもあった。


 早速、亮一が奈美に話をすると、奈美はすぐに手伝うことを了承した。それどころか「亮ちゃんの頼みじゃ断れないし」と、まるで仕方なく手伝ってあげるような言い草だった。

 仕事を手伝ってもらうからには給料も発生する。彩也子は、亮一に聞いた。

「奈美ちゃんのお給料、どのくらいにするの?」

「そうだなあ。いっぺん奈美に聞いてみてよ」

「私が?」

「だって、経理は彩也子に任せてるし」

「私だって経理の勉強なんかしたことないから、収支の計算くらいはできるけど細かいことはわかんないわよ」

「だから、聞くだけ聞いてみて。どのくらいならやってくれるか」


 土建屋の叔父の会社ほど軌道に乗ってないのに、叔父と同じ立場になった気になって奈美を雇おうとしていることには納得できなかったが、求人を出すほどでもなく、とりあえずは身内で助け合っていくしかないのかと、彩也子は亮一に従った。

 仕事場を見に来た奈美に、雑談を交えながら、

「どのくらいで手伝ってもらえる?」と聞いてみると、奈美は、

「東京で働いてた時は20万くらいだったから、同じくらいもらわないとやっていけないかなぁ」と言ってのけた。

 亮一と彩也子の収入は、二人合わせて28万くらいだった。売り上げが足りない月は、帳簿上は給料をもらっていたが借入という形で、自分たちの貯金を崩していた。自分たちがギリギリでやっているのに、実家に戻った独り身の若い奈美にそれだけの給料を払えるはずもなかった。


「・・・こんな田舎で20万って、頭おかしいでしょ。相場も物価も違うでしょ」

 家に帰ってから、彩也子が愚痴ると、亮一は、

「でも、奈美も色々あったらしいからさ。とりあえず、東京にいた時と同じにしてあげてよ」

「え?自分たちも足りてないどころか持ち出ししてるのに?」

「とりあえず、だよ。仕事ちゃんとできなかったら、言うし」


 とりあえず最低賃金で、仕事がちゃんとできたら昇給って言うのが世の常識じゃないの?自分たちが足りてないのに、なんで仕事ができるかも分からない若造に向こうの言い値を支払えるの?


 彩也子は全く理解できず、納得もしていなかったが、親戚のよしみで奈美を雇うことになった。


 奈美が来るようになってから、彩也子の仕事が増えた。

 今までは亮一と二人だったので、お昼になると一緒に家に戻って簡単に食べていたのだが、奈美が来てからは、彩也子はお昼少し前になると昼ごはんを作りに一足先に家に戻らなくてはならなくなった。初日に、奈美はお弁当も何も持って来なかったので、一緒に食べる?と家に誘ったがために、彩也子が作る賄いをもらうのが当たり前になってしまったのだ。

 簡単な麺類や丼ばかりだったから、二人前が三人前になっても大差はなかったが、彩也子が気になったのは、奈美の食後の態度だった。


 同じ職場でほとんど同じレベルの仕事をしているのに、彩也子のパート代はすべて生活費で、奈美のバイト代はすべて奈美のおこづかいだった。彩也子は仕事をしながら賄いを作って片付けてからまた仕事に戻るのに、奈美は仕事をして、賄いを待って食べ、食べ終わるとリビングでくつろいだ。

 初めの頃は、亮一の兄弟同然の従妹だし、と目をつぶってきたが、だんだん彩也子はそれが耐えられなくなってきた。


「私はお昼休みも賄い作って片付けて、結局全然休めてないのに、奈美ちゃんはお弁当も持って来ないし食べさせてあげても片付けないどころか洗い物を手伝おうともしたことないし、いくら従妹でも図々しくない?お給料だけはいっちょ前でさ。私だって、少しは休みたいよ!」

 彩也子は、亮一に苛立ちをぶつけた。ところが、亮一は、

「お昼も俺たち二人の時の感じで、無理にちゃんと作んなくていいからさ。それで足りないとか嫌だったら自分で弁当持ってくるだろうしさ」と言った。


 次の日、昼食後に彩也子が片付けを始めると、奈美はリビングで寝ころんだ。彩也子は目を疑った。いくら家族同然で育ってきたとしても、自分が食べた物を誰かが片付けている時に平気で寝そべることができる神経が分からなかった。彩也子の育ってきた環境では、食堂でお金を払って昼食を食べたとしても礼儀があった。ましてや、賄いを作ってもらって食べさせてもらって片付けてもらっている時に、それをしてくれている人の前で寝そべるなんて、考えられない光景だった。

 それでも、昼食後に昼寝をするのが奈美の習慣になった。


 一か月ほど経った時、彩也子の我慢も限界が来た。亮一に、

「なんで奈美ちゃん、うちのリビングで平気で昼寝してんの。私がお昼作って片付けてるの見ても、手伝いますとかもないのが信じられない!」と言うと、

「さすがに、俺もあれはどうかと思ってる」

と言うので、

「少しは言ってよね。言い値のお給料ほど仕事してないんだから」

と 彩也子は嫌味たっぷりに言った。


 次の日も、奈美は当たり前のように彩也子の賄いを食べ、片付けもせずに食卓を離れるとリビングで寝そべった。彩也子がわざと大きなため息をついた時、亮一がようやく言った。

「奈美、そこで寝そべんなよ」

 奈美が自分のしていることにハッとなるかと思いきや、

「なんで?」と聞き返してきた。亮一も、

「なんでって・・・」て戸惑うだけで言い返せなかった。


「昼休みに何しようと、私の勝手でしょ!」

 

 8歳も年下の奈美にキレられて、

「・・・あぁ、まあそうだけど」としか返せない亮一に幻滅した。


「彩也子が片付けとかしてくれてんだから、そこで寝るのはおかしくねえか?」

 それくらい言い返してくれるかと思っていた彩也子は、完全に言い負かされている亮一に、うんざりした。

 

「私の勝手でしょ」?

 私の勝手は許されないのに、ふざけるな!

 彩也子は、今日も怒りを飲み込んだ。


 蟻の穴は、さらに増えた。


 



 


 

 

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