第1穴 強行突破
私の母は、毒親だったのかもしれない・・・
彩也子がそう感じたのは、40代後半だった。「毒親」という言葉が世の中に出始めてから、しばらく経った頃だ。
昔は「毒親」なんて言葉はなかった。親と反りが合わないことは、反抗期という言葉で片付けられていた時代だった。
彩也子の母は都内の山手育ちで、親や親戚は名の知れた大手企業に勤めるブランド重視の家系だった。彩也子の生き辛さはそこにも一因があった。家柄の自慢や上から物言いをする高飛車な母の態度も嫌いだった。
彩也子は子供の頃からバイオリン教室や油絵などの習い事に通い、母の叶わなかった夢を辿らされていた。母の敷くレールに乗っていることこそが、彩也子の存在価値だった。
そういう環境に嫌気がさしていても従うしかなかった彩也子は、いつか自立できるのを待つしかなかった。早く大人になりたかった。彩也子の夢はとにかく「経済的・社会的に自立すること」だった。短大を卒業するまで、長い長い反抗期のような状態が続き、社会人になってようやく経済的に自立できたので、一人暮らしをしようとしたが、やはり母は許してくれなかった。
家を出る理由は、もう「結婚」しかなかった。
そんなわけで、彩也子は、男性と付き合うとすぐに結婚を意識した。その人に、結婚の意思があるかどうかが一番大事だった。
彩也子は、喧嘩の多い両親を見て育ったので、自分は両親のようにはならない、朗らかで円満な家庭を作る、そんな理想を抱いていた。若かった彩也子は、少し浅はかだったのかもしれない。
26歳の時に亮一と結婚した。
亮一は、彩也子が短大を出て初めて就職した会社の先輩だった。彩也子は、腰かけくらいの気持ちで就職し3年ほど勤めたら、花嫁修業して結婚して専業主婦になるものだと思っていた。彩也子の母の世代がそうだったからだ。だから、彩也子は3年勤めて結婚資金くらいの貯金ができたところで、その会社を辞めていた。結婚が決まるまでの間は、音楽教室でバイオリンの講師のアルバイトをしていた。
亮一もまた、就職してから5年ほど経った頃、父親の急死や転勤などが重なり、実家に戻ることになって退職していた。
亮一の実家は、北関東のA市にあった。代々商売人の家系で、個人経営の不動産関係の事業をしていたが、父親が亡くなった後は人手に渡し、亮一は親の事業を引き継ぐことなく地元の小さな訪問販売の会社に勤めていた。
彩也子が亮一と結婚すると言い出した時、彩也子の母は、都会のいわゆる「良家の人」と結婚させたがっていたから、あまりに自分が思い描く娘の結婚と程遠い相手との結婚に、当然、猛反対した。猛反対は一年以上続き、話し合いにも応じなくなった母になすすべはなかった。
彩也子は、結婚するのは自分たちだから親の許可など必要ないし、結婚式など出てくれなくて結構、と強行突破で自分の意思を貫くことにした。
勝手に日にちを決め、会場を決めた。二人だけで式を挙げられれば十分だった。亮一の母や兄弟は参列してくれることになった。彩也子の父は、亮一の話も聞いてくれたし結婚を認めてもくれたが、彩也子の母が式に出ないなら自分も出られないと、申し訳なさそうに言った。彩也子側は、唯一、姉だけが参列してくれることになった。
彩也子は、母のプライドに勝ったと思った。
だが結局、式の2週間前になって彩也子の母が折れ、叔父叔母まで参列してくれることになり、急遽、宴席の会場と食事をワンランク上げることになった。もちろん彩也子の母の意向で、半強制的に変更させられることになったのだが。
なんとか婚姻届を提出するまでに至り、ようやく彩也子は「自立」の夢を叶えた。
結婚当初はやはり嬉しかったし、それなりに楽しかった。でも、心も底にあったのは「これで実家を出られる」「母からの解放」という喜びの方が勝っていたことは、亮一は知らなかった。
強行突破という形で、彩也子と亮一の結婚生活は始まった。
もう、すでに蟻が偵察に来ていることに気付きもせずに。
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