第二十一話 男装の麗人

 "季節が変わった"


 理由は特に無い。ただ、今の町の雰囲気を見て何となくそう感じる自分がいた。


 暖かな日差しの中、松葉杖を突きながらゆっくりと歩を進める。隣には三角巾で腕を吊り下げながらも、フードを被り顔を隠したシモンが付き添ってくれた。ある意味有名人のコイツは顔バレを防ぐために偽装している。お陰で怪しさ満点の二人。行き交う人々はそんな俺達を見て若干迷惑そうな顔をしていた。


 こんな状態で何故そう感じたのだろう?


「先輩知ってますか? 二、三日前までここら一帯、昼間から馬鹿騒ぎだったんですよ。他の先輩達が文句言ってました。『折角大勝ちしたのに飲みにも行けねぇ』って」


「何だそりゃ」


 疑問に答えるかのようにシモンが俺に囁く。


 今日、ジャンからようやく外出許可が出たので、フィルに元気な姿を見せるために町に出たのだが、俺の知らない間にこの町……と言っても色付きカラードのテリトリーのみとなるが、そこはある種のお祭り騒ぎだったらしい。


 その名残と言えば良いのか、通りにはゴミが散乱し、記憶している姿よりも汚れていた。後は……あれだけ目立っていた剣闘士関連のショップに気付かなかった事くらいだろうか?


「先輩、分かってて言ってるんですか? 先輩がレッドキャップを倒したからですよ」


「いや分からん。それに何の関係があるんだ?」


 俺の的を得ない相槌に少しイラッとしたのか、上ずった声で言葉を続ける。


 レッドキャップを倒した所で何かが変わる訳ではない。白いのからしても、それに代わる新たなモンスターやスター選手を用意するだけだ。俺がした事は精々が「スカッとした」くらい。酒の味が少し良くなる程度としか思えなかった。


「先輩がそれで良いなら俺からは何も言いませんけどね。ただ……色付きを代表して、礼は言っておきます。ありがとうございました」


「お前の腕を折った奴に礼は言わなくて良いぞ。それに俺は特別な人間じゃないさ」


 フィルがあの時言っていた言葉を思い出す。どうやら、ただレッドキャップを倒したという事ではなく、俺という「色付き」の剣闘士が倒したという事実がこの町の雰囲気を変えたとシモンは言いたいのだろう。


 合っているかどうかは分からないが、今回の一件は同じ国の選手がオリンピックで金メダルを取ったのと同じ感覚かもしれない。いや、シモンの言う浮かれっぷりからなら、阪神〇イガースがリーグ優勝は勿論、日本一となったようなものかもな。さしづめ道頓〇に飛び込んで喜びを表している、という所か。


 そう考えると、確かにこれ程嬉しいニュースはこれまでのアルパカではなかったという訳だ。


 ならそれを成し遂げた俺は、この町の英雄なのかと思えば実はそうではない。こうして町中に顔を堂々と出しても何も言われない。まあ、今も顔の半分近くに施術跡があるので当然と言えば当然ではあるが。多分、名前さえも知られていないだろう。割り込みで試合を奪ったのだから、これが普通の反応とも言える。


「先輩が何をしたかったのか、俺は未だに分かりませんよ」


 温度差のある俺の態度にシモンが諦めたようにこう言う。「もっと自身の功績を誇れ」とでも思っているのか、もしくは何もしていない自分が顔を隠し、レッドキャップを倒した俺を誰もがスルーするこの状況を間違っているとでも思っているのか。その両方かもしれないが……。


 けれども俺はこれで良いと思っている。何故なら今回レッドキャップと戦ったのは、町の人のためではなく、たった一人のファンの望みを叶えるため、ひいては俺のためである。だからこそシモンの感謝の言葉も、町の人の賞賛も俺にとっては必要の無いものであった。


 ただ……この騒ぎの後を見ると一つだけ願う事がある。この町に次にやって来る季節、それが暖かな風を運ぶ春であって欲しいと。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「ようやくだな」


 人通りの多いメインストリートを抜け、旧市街に到着する。松葉杖を使っての移動は困難を極め、ここまでくるのに普段の数倍はかかった。午前中に出たというのに昼も近い。


 もうすぐ俺達はアルパカを離れ、ニトラに戻る。元気な顔をフィルに見せ安心させようというのと、お姉さんとシモンを再会させるという以前の約束を果たすためである。フィルのお姉さんが確かシモンの幼馴染という話であった。怪我をさせてしまったので恨まれるかもしれないという心配が心の隅にあったりはする。その時は素直に謝ろう。


「騙したみたいになって悪かったな。フィルのお姉さんがお前に会いたがっていると聞いてな」


 当然この目的で連れ出したとは一言も言っていない。元々は俺一人で町に出るのが心配だから付き添いという名目であった。今更ながらの種明かしをする。


「目的地がここだと知った時に何となくそうだろうとは思ってました。けど、先輩がフィルを知っているとは思いませんでしたよ」


 意外だったのが、こんな騙まし討ちをした形でもシモンが堂々としている事だ。苦笑いをしてはいるが、町中とは違いフードを取って顔を出している。以前のコイツでは考えられなかった。今回の件で色々と吹っ切れたのだろう。


「そう言えば俺、フィルのお姉さんの名前を知らないな。シモン、教えてくれるか?」


「名前ですか……」


 そうして雑談を続けながら家の方へと向かっていた所で、


「デリッーーク!」


 元気の良いフィルの声が俺を呼び止めた。こんな姿でも俺の事が分かるとは凄いな。


 声を便りに視線を運ぶ。丁度曲がり角を出て姿を現した二人組みがそれだ。一人は当然フィルの姿。そして隣にいるもう一人は……


「えっ? どうしてアイダが? じゃあ、もしかして……」


 そこにはアイダの姿がある。今日も凄く可愛い。いや違う。「どうして?」と思った瞬間、全てが繋がった。レッドキャップ戦で聞こえたアイダの声、それに観客席で隣同士で座っていた二人。そこから導き出されるのは……


「えっ? もしかしてシモンなの?」


「そんなー」


 一気に力が抜け地面へとへたり込む。


 解はフィルのお姉さんがアイダであるという事。そして、シモンの幼馴染がアイダであるという事。


「痛っ! 久しぶりに会ったのにいきなり平手とは何考えてんだ」


「どうして便りの一つも寄越さなかったのよ馬鹿! ずっと心配してたのよ」


「わ、悪い……」


 そうしてシモンの胸に飛び込み泣き崩れるアイダ。腕が痛いだろうにそれをおくびにも出さずにしっかりとシモンが受け止めている。


 ──つまり、アイダの想い人はシモンであった。


 こんな事ならフィルに余計な事を言わなければ良かったと後悔の念に駆られるが、どの道アイダは一途にシモンの事を想い続けていたので俺にチャンスは巡ってはこない。そう思うと、余計なお節介をした意味はあったと。そうとでも思わないとやってられない。


 ……それにしても、今のシモンの姿を見てオーギュストの気持ちが今回とてもよく分かった。どうしてアイツばかり。「リア充爆発しろ」と。今度オーギュストに会ったら酒を奢ってシモンの悪口大会を開こう。それが良い、それが良いと言いました。


「デリック、もしかしてまだ痛むのか?」


 俺がハンカチを噛みながら呪いの言葉を発しているのを(あくまで気持ちだけ。実際は地べたに座って恨めしそうにしている)見て、フィルが駆け寄って来てくれた。半ミイラ状態の怪我人だからと心配してくれているだろう。


「ああ、悪い。少し足の力が抜けてな。怪我が悪化した訳じゃないから大丈夫だ」


「あんまり大丈夫なようには見えないけど…………あっ、もしかしてデリックも姉ちゃん狙ってたの?」


 最初は俺を気遣うような態度だったが、俺の視線を見て何かに気付いたのかニヤついた顔でからかう口調に変化する。


「あっ、いや、そこまでは考えていなかったけど……って、今更恥ずかしがっても仕方ないか。ごめんなさい。その通りです。『仲良くなってデートしたい』くらいは考えてました」


「姉ちゃん美人だもんな。前にも言ったけど姉ちゃんはシモン兄ちゃん一筋だから、初めから無理だったけど」


「まさかフィルのお姉さんがアイダとは思わなかったぞ」


「オイラも姉ちゃんがデリックの事知ってたのは驚いたよ。普段剣闘に興味を示さない姉ちゃんがデリックの事、必死で応援してたし。まあ、オイラが言ったんだけどね。『デリックがレッドキャップに勝ったら、シモン兄ちゃん連れて来てくれる』って」


 そう言いながらも「ほら立って」とそっと手を出してくれる。


「ああ、ありがとう」


「『私のせいでデリックさんが死ぬかも』って、棍棒が折れてデリックが締め技受けている時、姉ちゃん凄く悲しんでたよ。嫌われてはなかったと思う」


「そう言ってもらえるだけでも嬉しいな。っと、おっ、とっととと……」


 手を引いてもらって立ち上がったは良いが、まだ足元が覚束ない。ついフィルにもたれ掛かってしまう。もう少しで二人纏めて転びそうになるのを何とか踏み止まってくれた。


「何やってんだよ。随分と情けないなあ。あの時の勇ましい姿はどこに行ったんだよ」


「ははっ、悪い。お陰で助かったよ。ありがとうな」


 憎まれ口を叩きながらも心配をしてくれる。何だかんだ言って良い奴だ。本当はフィルだって久々に会ったシモンと話をしたいだろうに……って、そんな雰囲気じゃないか。平手打ちから始まった過激な二人の再会も、気が付けばお互い抱き合って甘い雰囲気になっている。シモンはバツの悪そうな顔をしているが、幾ら空気の読めない俺でもこの中に入っていく勇気は無い。


「デリック、ちょっと耳貸して」


「ん? 何だ……」


 突然フィルがそんな事を言い出す。大事な話でもあるのかと何も考えずに耳を突き出すと、頬に不意打ちのように感じる柔らかく暖かな感触。


「? えっ……? ええぇ!」


 自分の身に何が起きたのか始めは理解できなかった。しかし、フィルの顔が近付いたかと思った途端の出来事。きっかり十秒を経て全てを理解する。


「もう可哀想で見てられないよ。オイラがデリックと結婚してあげるから元気出して。今のはおまじないのキスだよ」


 ギギギと油の切れた機械のような動きでフィルの方を向くと、照れくさそうな顔でこう言う。またしても予想外の出来事が起こった。


 キスだけでも意味不明だったのに今度はプロポーズ。一体どうなっているんだ? 何が起こったかは理解できているが、何が起こってこうなったのかが全く理解できない。ついフィルの顔を見続けてしまっていた。

 

 始めの内はフィルも俺がじっと見つめている事に若干照れていたが、何も言わずに固まっているのを受け、戸惑いながらもふと何かに気付いたように……


「あのさあデリック、もしかしてオイラの事、まだ男だと思っていない?」


「えっ、違うのか?」


 そう、俺にとってフィルは元気の良い弟のような存在。慕われているという自覚はあったが、兄弟的なものだと思っていた。それが実は違っていたという事だろうか?


「はぁー、これだからデリックは駄目なんだよ。確かに格好も男みたいだけれども、オイラきちんと名前を『フィル』だって教えたよね?」


「ああ、しっかり覚えている」


「『フィル』は女の名前だよ! どうして気付かないかな。ほら、手を出して。これでオイラが女だって分かるだろう」


 言うが早いか俺の手を取り、無造作に自分の股の部分に持っていく。


「ほらっ、ここ。男にはある物がないだろう? これでオイラが女だと分かるだろう。こんな美少女そうそういないのに、本当デリックは失礼だよな」


 服の上からではあるが、自分の股間を男に触らせるというあり得ない状況。そしてそれを当たり前のように受け入れる俺。どうしてこうなった。


 そんな異常な光景ではあるが、俺も俺でフィルの意図を汲んでしっかりと触り続ける。確かに……無い。触った所で突然アレが生えてくる訳ではないが、何故か丹念に何度も何度も触り続け「彼」ではなく「彼女」である事を確認していた。


「ちょ、ちょっともう良いだろ。いつまで触っているんだよ」


「……あっ、悪い」


 少し艶っぽいその一言で現実へと戻される。


 急いで手を引っ込める。気が付けば俺はとんでもない事をしてしまっていた。白昼堂々の出来事だ。間違いなく通報案件である。そんな事にも気付かず、ついつい夢中になっていた自分に恥ずかしさが込み上げてきた。


「キスもしたし大事な所も触られたし、やっぱりオイラはお嫁さんになるしかないよな」


 フィルも同じくだった。恥ずかしくなったのか顔を真っ赤に染め下を向き、何かブツブツと言っている。


 やがて、


「六年! ……いや五年だ!」


 突然顔を上げたかと思うと、真剣な表情で俺に向かって掌を突き出して宣言する。もう耳まで真っ赤だ。


「今はこんなだけど……姉ちゃんの妹なんだから、大きくなったらデリックが驚くような凄い美人になってやる! おっぱいだってきっと大きくなる!」


「おっ、おう……」


「絶対にデリックが惚れるくらいの女になるから、それまで待ってて欲しい。だから……」


 まだあどけない少女の中にあるその決意。何度か口に出すのを戸惑いながらも、頭を振って吹っ切れたかのように続く。


「ずっと待っているから、オイラを迎えに来て欲しい。デリックじゃなきゃ嫌なんだ……」


 最初の軽いノリからは考えられなかったが、その真っ直ぐな目からは嘘や冗談でない事が分かる悲痛な叫び。


 ──きっと最初は照れ隠しだったのだろうな。


 本当にフィルは困った奴だ。こんな大事な話、その場のノリで言う事ではないだろうに。それに俺は驚くほどの不良物件だぞ。明日をも知れぬ我が身で未来はどうなるかも分からない。それでも良いのか?


「分かった。必ず迎えに行くよ。例え何年掛かっても」


 そっと小指を差し出し、迷いなくこう言う。もし全てが終わるなら、「こういうのも悪くないな」とふと思ってしまった。非日常を送る日々だからこその平凡さへの憧れなのかもしれない。


「約束だぞ」


 ゆびきりの風習がある訳でもないのに、俺の意図を察したのかはにかんだ笑顔でフィルも同じく小指を差し出してくれる。


「ああ、約束だ」


 絡み合う二つの指。ある晴れた日の、何でもない日常。


 前略 カルメラ姉さん

 今日、小さな婚約者ができました。

               草々

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