第二十話 借金王への成り上がり

「そんな事だろうとは思ってたよ!」


 レッドキャップとの試合の日から一週間、松葉杖を突きながらではあるが、ようやく動けるようになった俺はボスのいる執務室で奴隷解放に就いての説明を受けていたのだが……聞き終わった後の第一声がこれである。


 渡された精算書を何度床に叩きつけてやろうと思った事か。ボスの説明を聞きながら項目を確認していたが、視線を下げる度に手がわなわなと震え、記載されている数字に眩暈を覚えるばかり。はっきり言って詐欺同然の内容にしか思えなかった。


 何が言いたいかというと……俺の市民権獲得は大き過ぎる代償がセットという話である。


 この世界での奴隷解放は、自分自身を稼いだ金で買い直すようなものだ。その方法は多くが労働による給金から天引き、それも数年単位で行なうのだが、時に今回の俺のような大金を手にした事で解放となる場合もある。


 ただ……そういった特殊なケースは、通常の場合と扱いが違っていた。


「大金を稼いだんだから税金を払うのは当然だろ! ワシだって毎年きちんと納めているんだ。デリックだけ特別扱いされる筈がないのは分かるな」


「税金を支払う金が残らないのにですか」


「借金で払えば良い。そういう決まりだ」


 そう、税金である。物凄く当たり前の話だが、大金を稼いだ分、税金も同じく重く圧し掛かってきた。今回はレッドキャップを倒した賞金である金貨五枚と全財産賭けた払い戻し金が対象となる。


 つまり純粋に所得のみに課税され、経費がほぼ認められないのだ(一時所得扱い)。前世の日本では外れ馬券でさえ必要経費として認められた(収入から支出を引いた純利益が課税対象)というのにこの扱い。何たる理不尽。


 結果、今回の俺は手にした大金よりも、俺自身を買い取る金と税金を足した分の方が上回る。収入よりも支出が多いという、何をしているのか分からない形となった。加えてレッドキャップ戦での怪我の治療費、シモンの怪我の治療代まで請求されている。特に俺は大怪我をしたので、治療費も目が飛び出る金額であった。


 奴隷解放という天国から借金地獄に逆戻りする。これほど「三日天下」という言葉が良く似合う奴はいないだろう。さしずめ今の心境は山崎の合戦で負けた戦国武将と同じ気持ちだ。


 やはり俺は呪われているのだろうか? 世界を超えたここでも、前世と同じく借金してまで税金を支払う羽目になるとは思わなかった。奴隷から解放されて市民権を獲得したというのに、今の方が奴隷時代よりも借金の額が多いという悲しい現実。


 こうして俺は一日にして「借金王」への成り上がりを果たす。


「こんな事なら奴隷のままの方がマシじゃないですか」


「どこの奴隷がこんな大金を稼ぐ! そういう寝言は寝てから言え!」


 良いのか悪いのか分からないが、この国は人頭税(住民税の強化版。収入がゼロでもこの税は支払わなければならない)という最悪の税を残しながらも、無駄に累進課税がしっかりしており、大金を稼ぐ人間からはしっかりと上前をはねる。


 ……言いたい事は分かる。金を一箇所に留まらせないためだ。「そんな金があるなら使え。使わないなら国が代わりに使ってやる」というスタンスであろう。とても合理的だ。


 だが当事者となり、この制度の落とし穴に見事に嵌る。嗚呼、俺の賞金達よ今いずこ。


「けど、これだけの借金抱えるなら、やっばりまた奴隷落ちじゃないんですか?」


 余りにも馬鹿馬鹿しいので、それなら「もう一度奴隷に落とされた方がマシ」だと思い、今一度の抵抗を試みるが、


「だから『寝言は寝てから言え』と言っただろう。これだけの大金を稼げるんだ。偉いさんからすれば、コイツはまた直ぐに金を稼ぎだすと見られる。わざわざ奴隷に落とす意味が無い」


 敢え無く撃沈。自己破産は以っての外のようだ(意訳)。退路を全て塞がれてしまった以上、素直に返済生活に突入するしか道がなくなってしまった。


「それは俺を買い被りすぎでしょう。偶然大金を手にしただけの田舎者に何を期待してるんだよ……」


「まあ、今回は諦めろ。借金の都合はワシがしてやるから心配するな。その分、怪我から復帰したらしっかり稼げ」


「えっ? ……あっ、ありがとうございます。そうか、新たな借金先探す必要があったんだ。手間掛けますが宜しくお願いします」


 こういうのは例外無くどうにもならない事は分かってはいるが、愚痴が止まらない。その辺はボスも分かっているのか否定はしなかった。ただ、それでは話は先に進まない。目線を変える意味もあるのだろう、意外な提案をしてくれる。


 確かにボスの言う事は尤もだ。今は悪態をつくよりも先にする事がある。税金を支払うためには新たに借金する先を考えなければいけなかった。それを思い出させてくれた上に、借金の面倒まで見てくれる。結果的に俺がする事はこれまでと何ら変わらない形となるが、そこまで考えて手配してくれたボスには感謝するしかない。


「どうしてお前みたいなのが剣闘士しているのかワシには全く分からないな……」


「はははっ……」


「まあ、今回の件は色々と不本意だと思うが、それでも市民権だけは確保したんだから腐るなよ。悪いようにはしないから、一日でも早く怪我を治せ。それと、復帰までは書類仕事を回してやるから生活は心配するな」


 う、嬉しい。何と至れり尽くせりなのだろうか。借金の面倒だけではなく、今後の生活まで考えてくれている。これで路頭に迷う心配がなくなった。何とかやっていけそうだ。


 ボスにはボスなりの考えがあるのは分かる。その中には打算も多く含まれているだろう。そんな事は百も承知である。


 特に今回の遠征ではボスに面倒事を押し付けてばかりだった。こんな事はもう懲り懲りだろう。厄介な奴だと思われても仕方ない。


 それでも、それでもだ。こんな俺をまだ必要として求めてくれている。俺の居場所を作ろうとしてくれている。これが何よりも嬉しかった。


 考えてみればどん底に落ちるのはこれが初めてではない。この世界に来てから何度となく味わった。その時に比べれば今回はどれほどマシか。大怪我を負い、多額の借金があろうともまた一からやり直せば良いだけである。ボスもそうだが、きっと一座の皆は「俺ならできる」と思ってくれているのだろう。そんな気がした。


 これを意気に感じないのは男じゃない。レッドキャップ戦で絶望を味わった時もそうだったが、まだまだ俺は前のめりに倒れさせてくれないらしい。


 なら、その気持ちに応えるために今できる事をしよう。涙が出そうになるのをぐっと堪えつつも、深呼吸をして腹の底から、


「ありがとうございました!!」


 とただ一言、大きな声で感謝の意を伝えた。


 俺の態度にボスも気を良くしたのか、優しい目でじっと見ている。そういう事だ。また這い上がってやる。


「……ああそうだ。デリック」


「はい。何ですか?」


 軽く礼をして執務室から出ようと振り返った所で、思い出したかのようにボスから声を掛けられる。


「こういったのは今回だけだ。大儲けして気分が良いから骨を折っただけだぞ。それを忘れるな」


「…………」


 前言撤回。俺の感動を返して欲しい。やっぱりこの世界は異世界とは名ばかりの世知辛い世界だった。

 


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 カツーーン


 長い廊下に松葉杖を突く音が響き渡る。


 ジャンのお陰と言うべきか、それともこの町の治療設備が良かったお陰なのか、何にせよ俺の悪運はまだ尽きていなかった。


 治療を終えてから数日は満足に動く事もできず大変だった。粥一つ食べるのにも一苦労で何度床に溢した事か。当然トイレは尿瓶である。治療自体も相当大変なものだったとジャンから教えてもらった。


 診断は全治四ヶ月。しかし、剣闘士として復帰するにはリハビリが必要となるので、軽く見積もっても半年は剣闘士として活動できない状態が続く。


 今はこうして松葉杖となっているが、ジャンの見立てでは右脚に骨の異常は無いとの事である。拳も同じくだった。ただ、完全に引っ付くまでは固定が必要らしく、しばらくは添え木と松葉杖の生活となる。拳も今はがっとりと固定されている。


 サクマはレッドキャップ戦以来、呼びかけても返事すらない。無理をさせたのが原因か、もしくは俺の魔力がスッカラカンになって電池切れでも起こしているかのどちらかだろう。体内魔力も俺の身体の一部だ。充分に時間を掛けて回復が必要なのだと思う。


 そういった訳で怪我の治療はこれから大変だが、後遺症も残らず経過は順調であった。面倒なのは、まだ完全には出血が止まっていないので、一日に数度の包帯交換が必要な事くらいだろう。まだ全身が包帯まみれであり、各所にどす黒い血が滲んでいる。包帯が取れるのはいつになるやら。


 カツーーン


 廊下にはまだレッドキャップのポスターが残っていた。ただ……誰がしたのかは分からないが、レッドキャップの顔の部分には大きくバツ印が入っている。そんな悪戯じみた事をせず、素直にポスターを引っぺがせば良いと思うのだが、これもこの町のいびつさの表れだろう。


 ホセやシモンから教えてもらったが、あの戦い、俺が勝った後は会場が大荒れとなったらしい。結果に納得できない客が暴れ出し、喧嘩へと発展したそうだ。運営に対しての文句が次から次へと声になり、再戦の要求もかなりあったと。騒ぎは夜中になっても収まらず、最終的には憲兵が出て無理矢理に沈静化させたという顛末である。


 俺は俺であの戦いでは地獄を見たが、同じく客席までもが地獄絵図になってしまった。


 個人的には「たかが賭け」である。それでも人によっては「されど賭け」なのだろう。事情は人それぞれ。中には俺達のように全財産つぎ込んでいた奴もいただろう。酒も入っていたし、エキサイトする理由には事欠かないのは分かる。


 けれども、悲しいかなどんなに不満を訴えた所で結果が変わる事はあり得ない。俺やシモン他、ごく少数であったが俺の勝ちに賭けた人間がいた時点で賭けは成立。賭けの上でも勝者と敗者がいるというシンプルな構図である。


 そう言えば面白い事をボスが言っていた。この試合で一番儲けたのは町長もしくは運営だと。会場は満員御礼であったし、賭け札も飛ぶように売れていたので当然と言えば当然である。そのため、例え万馬券が出たとしても全体の収益から見れば大した額にはならず、多くは主催者が持っていった形となる。


 もしこの世界が機械化されているなら状況は違ったかもしれないが、全てがマンパワーである以上オッズはいい加減な

基準で事前に取り決めるしかないので、こういうものとしか言えない。


 癪に障るが、町側からすればレッドキャップの負けによるマイナスよりも、大金を得たプラスが大きいという結果となった。


 そう思うと、今回俺のした事は大局的な視点で見れば意味は無かったかもしれない。例え町側が面目を潰されたと言っても、得た大金で新たなスター選手を連れてくれば良いだけだからだ。きっと、一月も経てばこの町もいつも通りの顔を取り戻すだろう。


 ……ただ、一つだけ面白い事があった。


 オーギュストがあの日以来消息不明となっている。もう、この宿舎には顔を見せていないらしい。「病気療養」の名目で剣闘士を辞めたという事だ。


 正直な所、俺自身はオーギュストが本気で全財産を賭けたとは思っていない。アイツなら万が一負けた時の事も考えて対策はしている筈である。一時的に資産の名義を変える等、方法は幾らでもあるからな。


 そういった実質的な面はさて置き、メンツとしてここに居られなくなったと考えた方が良い。周りの目を気にしていたたまれなくなったのだと思う。きっとアイツの事だ。剣闘士として一からやり直し、地道に実力と実績を積み上げるのを嫌がったのだろう。ある意味非常に分かり易い。


 個人的には町から逃げ出した所でどうにかなるとは思わないが、しくもシモンと同じ選択をした。ざまあみろ。もう二度と会う事はないと思うが、次会った時は「逃げのオーギュスト」と言ってやろう。


 カツーーン


 レッドキャップ戦を経て、騒がしかった俺の周りも一応は落ち着こうとしていた。


「ふぅ。ようやく到着だな」


 目の前には食堂の扉がある。普段なら何でもない距離が随分と長く感じてしまった。今日は俺の奴隷解放を祝うパーティーを開催してくれるというのに、遅刻確定である。


 予想通り、部屋からは笑い声や歌声が漏れ出している。俺の到着関係無しにもう始めている事だろう。どれだけの人間が出来上がっているか。


「それじゃあ、入るか」


 ギィと扉を開けて中に入る。飛び込んできたのは充満する酒臭さとサバトも真っ青の光景。すぐさま逃げ出せば間に合ったろうが、気付いた時には遅かった。突然現れたホセとシモンに両脇を固められ、そのまま連行される。


 傷口が開いてもう一度医務室に逆戻りするのに、それ程の時間は必要としなかった。

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