第十九話 人体実験の成果

 ……ずっと俺には足りないものがあった。剣闘士にしては細い身体。成長途中という言い訳は当然ある。だが、これまで自身の非力さ故にどれほど苦労してきたか。それがこの土壇場で突然手に入ったとしたらどうする?


 スゥゥ……


 新鮮な空気を肺一杯に吸い込む。高揚感からか集中力が極限まで高まっているのが分かる。音が消え、全てがスローモーションに見える世界。自分だけはこの世界の住人ではない感覚。


 こんな時は己の直感に身を任せれば良い。身体は勝手に動く。高きから低きへ流れる水と同じ心境で決して流れに逆らわない。


 棒立ちの状態から肩幅に足を開き、両手をだらりと前へ突き出す。


 くの字の状態のレッドキャップの右腕がテイクバックをしていた。腕をただぶつけるだけの生易しいものとは違う。当たる直前に腕を振り抜き、より強力な技へと昇華させる意味の予備動作。なるほど、フィナーレを飾るに相応しい必殺技と呼ぶに値する攻撃だ。もし喰らえば、誇張ではなく、本当に壁までふっ飛ばされるのを覚悟しなければいけない。


 左脚を上げながら、拳を握りつつも右肘を後ろへと引く。心の中で弓のつるを引き絞る姿を描きながら上半身を固定。こちらも準備が整った。


 俺のこの動作にレッドキャップが違和感を感じたなら、全てがふりだしに戻されていた。いや、負けが確定したと言った方が正しい。だが、現実はそうならない。感じたのは無駄な抵抗、もしくは最後の足掻き。口元に浮かんだ笑みがそれを教えてくれる。この程度は自らの圧倒的力の前では簡単に吹き飛ばせる程度の些事さじでしかない。故に全てを叩き潰さんと一切の迷いを見せずに俺の命を刈る選択をする。


 ──これが奴の決定的なミスだ。


 俺の本職を無手だと知らないからこそ生きる逆転の一手。加えてずっと望んでいた「決定力」が今この手にある。それがどういう意味か、


 ダンッ!!


 しっかりと身体に刻んでやる。


 踏み込みによる急激な体重移動。沈み込んだ身体。軸足の回転の力を受け、力を溜め込んだ右拳という矢が放たれる。姿勢を低くした事で、丸太のような腕は間一髪頭上を通過。風切音を残して空を切った。


「ハッ!」


 隙だらけとなった相手の横腹へと最短距離でパンチがブチ当たる。当てるだけではない。今の俺の拳は突き進む矢と同じ。肉を抉り、肋骨を砕き、内臓へと到達するかのイメージで鋭い押し込みを行なう。悲鳴を上げる背筋を無視して、最後まで腕を伸ばし切った。


「まだだ!」


 次は右脚を大きく前へ。伸びた右腕をすっと折り畳んで肘の構え。今一度の体重移動。足首を捻って無理矢理慣性の力を生み出す。最後は強烈に地面を踏みしめる震脚による反発力。この三つの力が、ただの肘打ちを三倍撃の強烈な体当たりへと変貌させた。


 "猛虎硬爬山もうここうはざん" ── 簡易バージョン。八極拳における連撃。本来は掻き毟るような動作で相手を牽制した後に本命の打撃を入れる。今回はその牽制を除いた形。李書文系の流派の仕様。


「……ゴ……フッ」


 完全に捨て身の攻撃。外したらそれで終了の技。だが賭けには勝った。突き刺した肘が硬い何かを砕いた感触を得る。自らの巨体が仇となった形だ。吹き飛んで衝撃を逃す事もできずに体内をくまなく駆け巡る。全身が機能不全へと陥っているだろう。それを証明するかのように急速に力が抜け落ち、いつ膝から崩れてもおかしくない姿となった。


 これで終わらす俺ではない。このチャンスに完膚なきまで叩き潰す。フラついているレッドキャップの頭を強引に押し下げ、俺の腿で軽く挟み込む。拳や肘が痛かろうが関係無い。そんなのは後だとばかりに相手の腹部に手を回して、大きく踏ん張る。後は勢いを付けて頭上にまで……持ち上げ……る。


「フンッ!!」


 "パワーアシスト" ── 一定時間怪力になる。契約者の骨を筋肉の動きに合わせて動かし、力を増強する。アシストスーツの機能と同じ。但し、力の調整はできない。無理な使用は人体への大きな負担となる。


 ──師匠が求めていた人体実験の成果はきっとこれだ。師匠、この力ありがたく使わさせてもらいますよ。


 高々と掲げた緑色の豚。丁度蟻が獲物を運んでいる姿とでも言えば良いか。とても現実離れした光景だろう。持ち上げている当の本人でさえその実感が無い。笑いすらこみ上げてくる。

 

 耳を澄まさなくても大きく悲鳴が聞こえてくる。俺の身体全身から。この状態は危険だと。身を滅ぼすだけの力だと。しかし、そんな事は最初から分かっている。後数分持たせられるかどうかのギリギリの綱渡りなのは百も承知だ。それでも俺にはこれをやり遂げる以外の選択肢が無い。


 吹き付ける風がやたらと心地良く感じる。これまで感じていた会場の熱気は嘘のように無くなり、完全に静まり返っている。


「折角の旅路だ。手土産に甘くて美味しいお菓子をくれてやる。仲良く地獄に行こうぜ」


 進んでも地獄。戻っても地獄。どう転んでも先は無いのなら「旅は道連れ世は情け」 俺の地獄行きにレッドキャップも付き合ってもらおう。


 遠慮は無用だとばかりに直滑降で地面へと叩きつける。


「サクマ式ドロップ!!」


 "パワーボム" ── プロレス技の一つ。パイルドライバーの要領で高く持ち上げて下に叩き落す。


 一〇〇キログラムを超える最高級素材に、重力加速度という極上フレーバーの奇跡の競演。これらが渾然一体となって無慈悲な調べを奏でた時、脳天を突き刺す「一撃必殺」なスイーツが完成する。それは天にも昇る味へと至るだろう。

 

 鈍い重低音と共に大地が揺れた。舞い上がる砂埃と飛び散る青い血。投げっ放しなどせず、全体重を掛けて地面にプレスする。技の全てを堪能してもらうという俺のおもてなしだ。


 途端に地面に亀裂が走り、頭部を中心に青い血がじわりと滲み出す。白眼を剥き大きく開いたままの口。意識をなくし昏倒している姿。もう動き出す事はない。電池が切れたかのようにレッドキャップは全てが停止していた。


 自らのトドメの一撃が呆気なくかわされたかと思うと、あれよと言う間もなく自らがトドメを刺される。刹那の逆転劇。きっと、本人にも何が起こったか理解できず仕舞いだったろう。もしかしたら、夢の中では今頃俺の首を刈り取り賞賛の嵐を浴びているかもしれない。けれどもその程度なら、好きなだけ見続けて欲しい。これから時間だけはずっとあるのだから。


(ボス、ソレハアメデス。アト"ドロップス"ガタダシイデス)


 折角のしんみりとした雰囲気もサクマの冷静なツッコミにより現実へと戻される。感傷の時間は終わりを告げた。


「そうだよな。『甘くて美味しいお菓子』が飴だと少し可哀想な気がするか……って、えっ? 俺、あれだけ格好付けておいて名前を間違ったのか。うっー、恥ずかしい」


 こういう所が俺らしいと言えば良いのか、相変わらず締まらない。恥ずかしさに顔が真っ赤になり、ついつい両手で覆い隠していた。


「ん……うん。悪い。ちょっと取り乱したな。この際仕方ない。レッドキャップには申し訳ないが、"ス(酢)"が入ってなかったんだから、より甘くて舌も蕩けただろう。そう思おう」


(…………)


「まあ良いさ。これで俺の勝ちだ。今回は助けてくれてありがとうな」


 そんな時、会場にドスンと派手な音が立ち、土煙が起こる。地面に頭から突き刺さっていた元レッドキャップと言われた物体が、自重により倒れ大の字となった事を知らせてくれた。


 静まり返った場内に響くこの衝撃は如何ほどか。絶対的なチャンピオンが見せた事のなかった敗北の姿がここにある。なのに、未だ俺の勝ちを告げる判定は下りない。皆が現実を受け止め、勝敗が決した事を理解するにはまだ時間が……うん?


「チェストーー行けーーー!!」


 何処からかトドメの催促をする声が聞こえてくる。きっと一座の先輩だと思うが、この一言が会場の空気を変えてくれた。


 俺としては先のサクマ式で充分にトドメを刺したと思っていたが、「まだ足りない」と教えてくれているのだろう。皆に現実を理解してもらうための分かり易い一撃が最後に必要なのだと。


 笑ってしまいそうになったのが、語呂が気に入ったのか先の一言を皮切りにこの"チェスト"が真似され、ポツリポツリと聞こえてくる事だ。しかも、中には"チョスト"やら”キャスト”やらの間違いまでが混じっている始末。意味も分からず言っているのだろう。これもご愛嬌だ。


 こうした掛け声をするお客さんは俺が勝ったと理解しているのだから、審判に文句を言うのが筋だと思うが、「郷に入っては郷に従え」と言うべきか、エンターテイメントならではの演出を求めているのかもしれない。


 改めてぐるりと客席を見渡す。顔を伏せ祈るような仕草。はたまた呆けた様。「これが悪夢であって欲しい」と願っている人が殆どだ。これからする事はそんな人達には望まれてはいないだろう。


 とは言え、永遠の眠りについたレッドキャップとは違い、夢はいつか覚めるもの。そのためには派手な目覚まし音が必要という訳だ。


「うーん。どうしたものか……」


 お客様のご要望にはお応えしたいが、そう言えば俺の得物は真っ二つに割れていた。これではいつものスイカ割りができない。


 仕方がないので今回は違う形でそれを行なう。「これで勘弁してくれるだろうか?」、そんな事を考えながら地面に横たわっている元レッドキャップの上半身を起こす。トレードマークの赤いベレー帽は地面へと置き去りにされており、何だか物悲しい。剥きだしとなった頭部からは青い血が滲み傷口が開いている。周囲には血の臭いと思しき不快な香りが充満していた。


 状態が崩れないのを確認して、間合いのチェック。数度の素振り。これで大丈夫だ。


「フゥ……」


 右脚を少し後ろに引く。腰の回転と腕の下げで勢いを付け、頭上に跳ね上げるように右脚を一気に真上へ。


 爪先立ちとなった軸足を反転。目標は青く汚れた緑色のハゲ頭。目線は切らさない。最期は持ち上げた右脚を、その踵部分を、開いた傷口に寸分違わず叩き込む。


 "踵落とし" ── 空手技の一つ。奇襲や相手の虚をく形で使われる。一度振りかぶるという余分な動作が入るので使い勝手は悪い。


「チェストォォォォーーー!!!」


 強烈なガツンという衝撃が脚を通して伝わってくる。骨と骨がぶつかる感触。傷口が抉れ、びちゃりと肉が弾け飛ぶ。血管が破裂したのか今回もまた盛大に青い血が噴き出した。こうして血を浴び、身体を染めるのは何度目だろうか。


『勝者、剣闘士デリック!』


 ようやくのお目覚めのようだ。ついに司会兼審判からのコールが上がる。同時に客席の各所から絶叫が巻き起こり、外れ券という名の紙吹雪が舞い上がる。俺の勝利を祝して狂乱のカオス状態へと陥っていた。


 ついに掴み取った大番狂わせの逆転勝利。派手にその喜びを噛み締めたいが、まだ俺にはする事がある。


 すっと胸の前で十字を切りカウントダウン。三、ニ、一……


「ア゛ッァァァーーーー!!」


 受身も取れず顔面から地面へと倒れこむ。予想していた結末であったが、突然全身から強烈な痛みが脳を突き刺し、急速に力が抜けていった。まだ少し動く身体から伝わるぬるりとした感触。多分血だ。ついにレッドキャップとの約束を果たす時がやって来る。同じく血だるまとなり、仲良く一緒の死出の旅。


 ──それは、勝ち名乗りを上げる事ではなく、この一世一代の喜劇に幕を下ろす事であった。


「フィ……ル……関節技使うの忘れて……た……」



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「デリック、しっかりしろ! 絶対に死ぬなよ!」


「…………」


「ついにやりましたよ! 先輩の勝ちです!」


「……あ゛っ……」


 朦朧とする意識の中、頬を張られた感触があったかと思うと、誰かが俺に話し掛けてきた。


「デリック、起きたか?!」


「先輩!!」


「どっこい、オイラは生きてるぞー」


 前言撤回。レッドキャップには悪いが俺は死に損なったらしい。今は担架で運ばれているのだろう。妙な浮遊感を感じる。傍らにはホセとシモンの声。シモンは片腕が駄目になっているので付き添いの形か?


「良しデリック、意識だけは絶対に失うなよ!」


「分か……った」


 悪運の強さに乾杯と言うべきか。自分自身でも血を流し過ぎた事は理解している。身動き一つ取れそうにないのはそれが理由だろう。今回はさすがに駄目だと思ったが、まだ生きている。


 混濁した意識の中で、何故生き残れたかを考えてみる。もしかしたら……ではあるが、パワーアシスト使用時に選択した技の数だろうか?


 普段の俺であれば、きっと出の速い技を連続で出していただろう。それが今回は直感に任せたとは言え、手数が限りなく少なかった。結果、一度の負担は大きいが、トータルではより負担の少なくなったというのが妥当か……というかそれしか考えられないな。


 難しい事は今は気にしても意味が無いだろう。それよりも今は──


『ボス!!』


 ジャンのいる医務室へ向かっていると思われる途中、突如急ブレーキが掛かる。ホセとシモンが現れた人物に驚きの声を上げていた。


「一言だけだ。すぐ終わる。良いからそのままジャンの所へ連れて行ってやれ。デリック、おめでとう。お前は今回の試合の勝ちで奴隷から解放だ」


「……えっ……?」


「やったじゃないか、デリック!」


「だからな、絶対に死ぬなよ。元気になってワシに会いに来い。それだけだ」


『…………』


 呆然とする俺達を残し、風のようにボスは去っていったらしい。


 予想外の援護射撃だ。まだ死ねない理由が一つ増える。一座での生活に大きな不満はないものの、今度は自由を手にできる。ボロボロになってまで戦った甲斐があった。


 医務室の扉を開き、俺達は勢い込んで中に入る。皆が後押ししてくれる俺の命。その期待に応えなくてはいけない。ならまずは、治療というもう一つの戦いにも絶対に勝利する必要がある。


「ギャアアァァァッッーーー!! リーダーー、痛い、痛い、イターーイ!!」


 家に帰るまでが遠足。

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