第十八話 不親切な覚醒
どんな高級な食材を用いた料理であったとしても、味付けが足りなければ興醒めをしてしまう。客席が望んでいた最高のスパイスは今、ようやく俺の口から流れ出した。
容赦無く締め付けられる身体。骨が軋み内臓を圧迫される。そして、とめどない絶叫。そう、これまで足りなかったものは悲鳴と絶望であった。
途端に空気を震わすほどの歓声が全周囲に響き渡り、観客席は最高潮の盛り上がりへと変化する。
しかし当事者である俺はそれを喜べる立場ではない。痛みと共に全身に脂汗が吹き出し、頭を抱えてあらん限りの身悶えをしていた。少しでも痛みが和らげばという願いを込めて。
「ハァハァハ……ア゛ッァァァーーー!」
少し弛んだと安堵すれば、嘲笑うかのようにまたも力が加わる。痛みで先に潰れるか、はたまた骨が先にやられるか。どちらにしろ行き着く先は同じ。地獄へのカウントダウンは続く。
だが、その特急列車に乗る訳にはいかない。どんなに痛かろうが、悲鳴で喉が潰れようが、歯を食いしばって泥臭くもがく。それが俺だ。苦しんでいても「まだ何かできる事がある」と思える自分自身がそこにいた。
「やってやる。サクマ、実行──ファイトグローブ」―― (Yes、ボス)
何度目かの締め付けが緩くなった瞬間に破れかぶれで叫ぶ。これまでの俺ならまず間違いなく魔法を行使できる精神状態ではない。しかし、サクマと契約した今ならもしかしたらという思いがあった。サイコロの出目はロクゾロの丁。俺の命令を受け、サクマが魔法を実行する。
淡いブルーの光がグローブ部を含めて両前腕部を包み込んでいく。強化魔法で硬質化させたグローブと手甲。その名も「ファイトグローブ」 俺の唯一の切り札。痛さの余りに特製棍棒も落としてしまったから、今はコレだけが頼りだ。
「……ッオラッ」
もう一つオマケの破れかぶれ。下半身の力は一切使えないが、「そんなの関係ねぇ」とばかりにレッドキャップの横っ面にフックパンチをブチかます。
所詮は苦し紛れだ。やわなパンチ一つで崩れるレッドキャップじゃない。そんな事は分かっている。それでも何かせずにはいられなかった。
「ペッ」
お返しに上目遣いで睨まれ唾を吐きつけられる。
何と分かり易い行動だろうか。余程俺の悪あがきがムカついたらしい。本人は気付いていないと思うが、腕の締め付けが少し弱まっている。余計な事に気を取られるからだ。これだけでも充分に意味があった。
俺がコイツの立場なら間違いなくそのまま殴らせる。もし殴られるのを嫌がるなら、俺の腕が動いた瞬間に締め付けの力を強めれば良い。それだけで動きを封じられる。これまで駆け引きを学ぶ機会が無かったのだろう。絶対的な強さと言えども穴はある。
「なあレッドキャップよ。そんなに嬉しいのか? ならもっと殴ってやるから喜べ」
この世界に来て何度もリンチされ、唾を吐き捨てられたこの俺だ。今更それが一つや二つ増えた所でどうって事はない。お前と違ってお上品じゃないんでね、それくらい好きなだけやりな。
急に楽しくなって来た。何も考えずに振り回しても勝手に当たるパンチ。一発入れる毎にレッドキャップが親の敵のように憎しみを露にする。更にはそれを嫌がって首を振り始める。当然その全ては無意味な行動。面白いように側頭へ頬へ顎へと続けざまに拳を当てていく。ああっ、ファイトグローブ展開中だからそれなりには痛いか。
予想通りベアハッグは完全に緩まっていた。俺の攻撃に気を取られる余り、自身の技への集中ができていない。この調子なら後もう少しで脱出可能だ。
とそんな時、不意に身体が落下するかのようなふわりとした感覚が襲う。ついに根負けして俺を解放してくれた。しっかりと爪先から着地して膝のクッションを使い、すぐに動ける状態へ。
「なっ!」
喜びも束の間。俺が足元に気を取られていた瞬間、目の前には巨大な緑色の掌。頭丸ごと鷲づかみにされ、視界を奪われる。今度はアイアンクローか? 締め付けられる前に手首を殴りつけないと──
そう思った瞬間、頭を手前に引っ張られて、
ダンッ
まるでボールを投げ付けるかのように俺の頭は思いっ切り地面に叩きつけられた。
投げっ放しのスタイルにしてくれたのが救いだった。咄嗟に顎を引き、直撃だけは防ぐ。最後まで手を離さずに地面に押し付けられたなら、血を流し意識を失っていた自信はある。これが悪運の強さなのか。
とは言え、もろに背中から落ちたのだ。この硬い地面に。それだけでも相当痛い。全身に電気が駆け巡るような刺激を感じた。更には落ちている石や金属片までもが背中を直撃。見た目には大した事無さそうだが、これが思った以上に身体を疼かせる。
「痛ってーーー!!」
気付けば我を忘れて悶絶していた。脊髄反射のように各部をバタつかせ苦しむ。痛みから逃れたと思った瞬間の今一度の痛み。ゴールに辿り着いたと思ったら振り出しに戻されたようなこの気分。苦行のループ。
「ハア、ハァ、ハ……ヤベッ」
突然に思い出す。レッドキャップの存在を。アイツがこのチャンスに黙って見てくれているとは思えない。まだ序盤なら俺の憐れな姿を見て観客と共に笑うくらいのゆとりがあったろう。しかし、先程やらかしたイケメンへの矯正手術を忘れる筈がない。
霞んだ視界に黒い影が映る。太陽の光を遮る巨大な物質。寸前に聞いた大地を震わす音。一際目立つ赤色のベレー帽。それが示す最適解は──
"ニー・ドロップ" ── 別名膝落とし。ダウンした相手にジャンプして片膝を叩き込む。
「ギャアアァァァッッーーー!!」
あの短いゴブリンの足で滞空時間の長い華麗さを披露する。全てを理解した時にはもう遅かった。逃げる余裕もなく、全体重をその身に受ける。できたのは辛うじて急所を外しただけ。結果、右脚へと直撃。あり得ない衝撃と重さが一点に突き刺さった。
これで終わりではない。先程のお礼とばかりに俺の腹の上に馬乗りとなるマウントポジションを取る。痛さで転げ回る事すら許してもらえない。何と無慈悲な事か。
咄嗟にピーカブースタイルのガードをするのが精一杯だった。まだファイトグローブは生きている。今はそれに賭けるしかない。
一際大きく吠えながらレッドキャップが拳を思いっ切り振り被り、ガードの上からでも構わないとばかりにそのまま繰り出す。鈍い音が響く。一撃がとても重く、ファイトグローブを展開していても尚、腕への衝撃が伝わってきた。このままでは骨さえも砕かれるのではないかと恐怖心がもたげてくるほど前腕部が軋む。フックパンチをしてこなくて良かったという安堵感よりも、またも死のカウントダウンが始まったかのような思いがあった。絶望感が押し寄せてくる。
リズミカルに打ち込んでくる左右のパンチが、腕の感覚を奪い、体力を奪っていく。片目はほぼ見えないくらいに霞んできた。腕は見るまでもなく赤く腫れている筈だ。
ガードの隙間から様子を窺うが、これまでのうっぷんを晴らすかの如く嬉々とした表情で何度も俺を殴りつけていた。
「…………」
何を思ったか、レッドキャップが振り被ったまま動きを止め、自身の拳をじっと見つめていた。拳の先には青い血が滲んでいる。ファイトグローブが盾の役割を果たし、アイツにダメージを与えていた証だ。この土壇場においても自身の違和感に気付く。何という冷静さ。
「ガアァァッーー!!」
少し考える素振りを見せた後、大きく吠える。
嵐が吹き荒れたかのようであった。拳を傷つけたのが俺の手甲だと分かった瞬間、怒りが頂点へと達したのか、レッドキャップが何度もケツを落としてきて胃液を逆流させる。かと思えば、今度は立ち上がり、親の敵のように執拗に蹴飛ばしてくる。鬼の形相で、恨みを込め、何度も何度も。
その都度俺は呻き声を上げ、苦痛に表情を歪ませる。意識だけは飛ばさないようにとじっと耐え忍ぶしかできなかった。
ようやく攻撃の手が止んだ。攻め疲れか。両者共に息が荒い。だが、俺だけはその意味が違っていた。全身を襲う痛みで歯を食いしばっているだけである。
「えっ!?」
今度は両足を取られ引き摺られる。またもやってくる浮遊感。そうかと思うと次は真横に身体を振り回される。チラリと相手を見ると俺の両足を抱え込んだまま円を描くように回転して──
"ジャイアントスイング" ── ダメージを与えると言うよりは平衡感覚を狂わせる技。パフォーマンスとしての意味合いが強い。
俺がもう虫の息だと判断したのだろう。こんな場面になっても客席へのアピールは忘れない。さすがはチャンピオンの風格。
レッドキャップと観客が一つとなった。一回転する毎にお客様が大きく数を叫んでいる。もう俺の方は抵抗する余力さえ残っていない。完全にボロボロ。それなのに追い討ちのように三半規管までもが狂わされるこの地獄。いつ終わりがやってくるのか。
回数が一〇を超えた辺りで地面へと投げ出される。ここでも意識だけを投げ出さないようにするのが精一杯。またも背中から落ち、ドサリと鈍い音がした。
一斉に客席からレッドキャップの大技を称える歓声が上がる。俺の方は一斉に全身から大惨事を伝える警告が上がる。後はトドメを刺されるのみ。俺なりに必死で頑張ったつもりではあったが、大方の予想通りの結末へと向かいそうだ。
「ハァハァハァハア……」
大の字に寝転んだまま荒い息を吐き続ける。最早歯を食いしばる力さえも残っていない。涙を流す事さえも億劫だ。完全に心が折れてしまった。
そんな中、客席のボルテージが最高潮となる。焦点の合わない眼で覗き見るとレッドキャップが右腕を高々と掲げていた。ドクロの刺青のアピールだろう。そう言えばフィルが言っていたな。あの刺青がレッドキャップにパワーを与えるんだっけか。そうするとこれから俺は闘技場の外まで吹っ飛ばされるのか。それも良いかもしれないな。
俺の諦めの気持ちを察知したのかどうか、お客様達はやんやの声を上げ、手拍子を始める。必殺の一撃を見逃すまいとヒートアップしていた。
デカイ口を叩いてこの
そうした思いで客席へと目を向ける。罪悪感がそれをさせたのだろう。大入り満員の客席でフィルを見つけるなんて無理だと分かっていても。
なのに偶然目に入る。今も必死で俺の事を応援してくれているフィルの姿が。しかも隣には同じく必死で応援するアイダの姿。「デリック頑張れ」と言ってくれているように聞こえてくる。
その近くには、まさかのカルメラ姉さんの姿まで。涙を流しながらも声を振り絞ってくれている。そして、コタコタの町の父さんに母さん。
ホセやシモンの姿もあった。ジャンはホセにヘッドロックをしながら「死んでも負けるな」と言ってくれているように見える。
そして、俺をこの世界へと誘った名も知らぬ麗しの
「まだ俺にやれって言うのかよ。あぁ分かったよ。やってやるよ。……けど、ありがとな」
ここまで来れば俺の目に入ったのは幻だと分かる。そして、もう一つ分かった事があった。俺はこのままでは終わらせてくれない事。まだ立ち上がらなければいけない事を。
「気休めでもやらないよりマシか」
目の前にはさっきレッドキャップに膝を落とされ、あり得ない方向に曲がっている右足。杖もない現状では立ち上がるにも不安を覚えるので、魔力を通して何とかならないか試みてみる。
淡いブルーの光が右足を包み込んだその時、
(ゲンコウノセイギョジュツシキノカクチョウガカノウデス。カクチョウシマスカ?)
「はぁ?」
契約して以来、こちらからアプローチしないと何も言わなかったサクマが頭の中にこの謎のメッセージを流してきた。
(ゲンコウノセイギョジュツシキノカクチョウガカノウデス。カクチョウシマスカ?)
「分かんねぇけど、拡張OK。好きにしてくれ」
(セイギョジュツシキノカクチョウヲシマシタ。ソタイトドウキシマスカ?)
「はいはい。同期、同期」
頭が回らない今ではサクマの言っている意味が全く分からない。面倒なので、全てイエスの形で答えておいた。
(ドウキカンリョウ。シュウフクシマス)
「は?」
俺のいい加減な対応が原因か、またしてもよく分からない単語が飛び出す。シュウフク……"修復"だな。一体何を修復するつもりだ。
途端に全身に不快感が訪れる。ごそりと何かが引き抜かれた感覚。多分魔力だ。ファイトグローブにしか使い道はないとは言え、こうも大量に持っていかれると軽く眩暈がする。鳥肌が立つような嫌悪感が身体を走った。
それまで統一されていなかった会場の手拍子が一転、タイミングを合わせたリズミカルなものへと変化する。同じテンポで大地を踏むレッドキャップ。何を求めているのかが直感的に分かった。フィニッシュの時間がついにやって来たと言う意味だ。寝んねの時間は終わり。三六〇度全てが俺に立ち上がれと、そしてトドメを刺されろと催促する。
「痛っでぇーー!」
何が起こったのか分からなかった。いや、起きた事は分かる。さっきまであり得ない方向に曲がっていた右足が勝手に動き出し、正常な位置へと戻っていた。何故こんな事が起こったのか? さっきサクマが言った修復がこれなのか? いや、今はどうだって良い。この結果を甘んじて受け入れよう。
俺の魔力を引き換えに、ずれた肉や神経を無視して有無を言わせずカメラの逆回転のように折れた足が戻る。壮絶な痛みを伴って。これだけでも軽く三回は気絶できる。
「フゥ、フゥ……。せめてもう少し優しくできないのか……って言うだけ無駄か。でも、サンキューな」
(シュウフクカンリョウ。ナイコッカクニヨルドウサホジョガカノウトナリマシタ)
「か……可愛げがない……って、何だ? 動作補助?」
まるでコンピューターウィルスに感染したかのような錯覚を覚える。不用意な行動であれよあれよという間にハードディスクを侵食され、取り返しの付かない羽目になるあれだ。
行き着く先は師匠や俺が本来の使い方をしなかった事が原因だ。こんな使い方をすれば、当然サクマも何ができ、何ができないかなんてその状況にならないと分からない。しかもコイツはきちんとプレゼンテーションをするなんて気遣いを見せる筈もない。だから、今俺の身に起こっている事は相当なリスクを抱えているだろう。
「相変わらず不親切だよな。師匠の友達、どうして説明書の一つも一緒に添えなかったんだよ。まあ、良いや。サクマ、動作補助は分かりづらい。登録名"パワーアシスト"で登録」―― (Yes、ボス)
けれどもそれが何だって言うんだ。この世界に来た時点でそれ自体が充分取り返しの付かない出来事だ。ならする事は一つ。「毒を食らわば皿まで」 どうせなら皆で一緒に仲良く奈落の底まで落ちようぜ。なあそうだろ、レッドキャップよ。
会場の思いに応えるべくゆっくりと立ち上がる。右足の感触を確かめる。うん。違和感はあるが、これ位なら問題無い。
「いっちょやるか。絶対に吠え面をかかせてやる。実行──パワーアシスト」―― (Yes、ボス)
瞬間、全身に力が
地面の上に立つ俺の姿を確認したのか観客は大盛り上がり。レッドキャップはこれ幸いにと右腕を大きく回し、満面の笑みを湛えている。
現在の俺の状況。満身創痍。所により気絶もあるでしょう。どこもかしこも痛い。立っているのがやっと。だが──
足取りはしっかりしている。身体はいつも以上に軽い。今ならきっと何とかなる。
雄叫びが一つ。視線の先から聞こえてきた。丸太のような腕で俺の命を刈り取るべく、徐々にスピードを上げ近付いてくる。
誰もが想像しているだろう。俺が
──それがどうした。
最後の勝負どころ。奇しくも一発逆転の舞台が整った。二度と立ち上がれなくなるのは誰か、これから嫌でも教えてやる。
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