第九話 クレーマークレーマー
調子に乗ってお小遣いを散財したあの日から三日が過ぎる。
その間、宿舎に引き篭もって黙々とトレーニングという名のニート生活を続けていた。金がないという事もあるが、プロテイン(麻の実)を手に入れたのだ。トレーニングにもいつも以上に熱が入る。頭ではそう簡単にマッチョになる事はないと分かっているが、思い描くのは逆三角形の身体。金属製の六角棒を軽々と振り回すイメージ。そんな日が遠くない未来に訪れるのではないかとほくそ笑んでいた。我が筋肉達もきっと大喜びだろう。
……とは言え、無理をすると逆に身体を痛めるという事で、デリックマッチョ化計画は三日で頓挫。今は通常のトレーニングに戻ってたりする。まだ成長期だしな。
そんな事をしている内に、ここアルパカでの俺の二回目の試合があった。
結果は当然の如く楽勝。危なげない試合運びで一方的な形を作る。ようやく、俺の本来の相手であるルーキー用ゴブリンとの対戦だったのだが……対戦して初めて先輩達の言っていた事が分かった。
体格が前回の相手よりも少し下回っていたという事もあるが、楽勝だった理由は別にある。スペックでは計る事ができない動きの部分だ。スピードが遅いという意味ではない。"間"という言い方で正しいのか分からないが、何をするにしてもほんの一瞬空白の時間があった。時々いる一歩目を躊躇う奴と同じである。
お陰で逆にイライラしてテンポを崩され何度も当たりそうになったりもしたが、途中から面倒な回避はきっばり諦める。選んだのは相手の攻撃の前に割り込みを掛けてそれをさせないという行動。具体的には出の速い牽制で動きを封じた。結果、ほぼ相手に何もさせない試合になる。
そんな訳でお客様もニッコリ、俺もニッコリの勝利となるが……思わぬ落とし穴が待っていた。
「へっ? 抗議ですか?」
「そうだ。向こうの団体から、知人が剣闘士に暴行されたと抗議が入ってきた。デリックお前だろ? 他の奴等は心当たりがないと言っていたぞ」
執務室に呼ばれた俺は一座のボスからこんな話を切り出される。今回の遠征にはウチのボスも参加していた。さすがは剣闘士事業に力を入れているアルパカだ。コタコタのような会議室ではなく、きちんと執務室まで宛がってくれている。
俺はてっきり、試合に勝ったからお小遣いを渡すついでにお褒めの言葉でももらえるのだと思っていた。だが現実には、この間チンピラと喧嘩した事を叱るというまさかの内容である。
高価そうなテーブルを差し挟んで、ボスから冷静に俺が犯人だと言い渡される。しらばっくれようにも俺が喧嘩したのは事実なのでそれを認めるしかなかった。
しかし、
「いや、絡まれたのでちょっとした喧嘩になりましたが、暴行と言えるような事はしてないですよ。怪我にしたって痣ができた程度でしょう。それに俺一人に相手は二人です。普通に考えてそれは無理でしょう」
こういう事だ。あれを暴行と言うにはかなり無理がある。まだ俺が骨折なりをさせたなら分かるが、現実には大怪我はさせていない。暴行と言うなら、せめて俺が以前に港町で受けたような扱いをされてからにして欲しかった。どう考えても言いがかりである。
もし本気であの喧嘩を暴行と言うなら、俺の放った濡れタオルで頚椎辺りを損傷した事になる。アイツ等どれだけ身体が弱いんだ。
「お前にも言い分があるのは分かるが、相手は大怪我をさせられたと言ってきた。けれども素直に謝罪してくれるなら
俺の熱弁も虚しくボスは淡々と事実を伝えてくる。向こうが落とし所を設定しており、面子さえ立てばそれで良いという話だ。ボスとしては「相手にも事情があるからそれを考えてやれ。実質的な損害はゼロじゃないか」という事が言いたいのだろう。
確かに頭を下げるだけで良いなら安いものだ。下手なプライドを振りかざしても、パンの一個も食べられない事は分かっているが……
「うっ、ううー。分かりました。先に手を出したのは俺ですから、謝りに行ってきます」
元日本人の性とでも言えば良いのか、悲しいかなこんな事で一座の人達に迷惑を掛けられないなと思ってしまう。
もしかしたら、スキンヘッドが言っていた捨て台詞がこの事だったのかもしれない。だが、やっている事はママに泣き付いているだけだ。最近のチンピラの情けなさにこちらが泣きたくなってきた。前世で五人に囲まれて仕方なく喧嘩となり、勝ったと思ったら今度は負けた腹いせに警察に駆け込まれて拘置所行きになった人の話を聞いた事があるが、それと同じである。
せめて喧嘩をするなら、自分で責任を取れるようになってからにして欲しいと切に思う。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「失礼します。ニトラの一座のデリックです。謝罪に来ました」
「入れ」
宿舎内の指定された部屋までやってきた俺は、ドアをノックして部屋の主に用件を伝える。返って来たのは短い一言。声で分かる。かなりご立腹のようだ。今も室内には嘘暴行の被害者がいるという。白髪三千丈のような誇張表現で俺の凶悪さが伝えられたのは想像に難くない。
今更ながらのアウェー感に怖気づき、回れ右をしたくなったが、ここで逃げると逆により一層立場が悪くなる。覚悟を決めて中に入るしかなかった。
「えっ……」
まず飛び込んできたのが、この部屋の豪華さ。……何だコレは。
本来であれば、一番最初にする事は部屋の主と思しき人物の眼をきちんと見る事だ。しかし、当の本人が俺の事を一瞥しただけで興味を示していない。それよりも今はカードゲームに御執心である。
テーブルを囲んで野郎三人で白熱した戦いを行っている。他の二人はコインを積み上げているのに、部屋主と思われる上質な衣服を纏った金髪の男だけは、残りのコインが少なくなっていた。……機嫌が悪かったのはそのせいだろうか。
それよりも部屋である。とにかく明るい。部屋には太陽の光が入ってきているのでそれだけで充分な明るさがあるのだが、更に室内で照明を使っているのが分かる。さっきのボスの執務室とは別世界の明るさだ。どんな照明を使っているのか。
そして、この部屋が個室であるという事。奥にあるベッドが一人用なので分かった。ほぼ同じ広さの部屋に俺達は六人が割り振られている。扱いの差に愕然としてしまう。
その他、俺達の部屋には無い数々の調度品が飾られており、一見しただけでスイートルームだと分かる仕様であった。
そんな感想を抱きつつのんびりと部屋を見渡していたら、妙に視線を感じる。よくよく見れば、金髪の男とカードゲームをしていたのは、予想通りいつかのスキンヘッドと髭面の男だった。何故か満身創痍の姿であるが……。
「やっぱりオマエ等か。ダセェな」
理由は分からないが、コイツ等二人には怪我の治療の跡と思しき包帯が身体に巻きつけられている。スキンヘッドは頭部と右脚に。御丁寧に松葉杖まで立て掛けてある。髭面に至っては顔面を半分隠すように包帯が巻かれ、左腕は骨折でもしているのだろう。首から布を吊り下げて支えていた。やたらと痛々しい。
「あっ、テメエ! この……どちら様ですか?」
「はあ?」
俺の言葉に反応したスキンヘッドが途端に激高するが、一転しらばっくれる。もう一人の髭面に至っては全くの無反応。何故、そんなバレバレの下手な演技をするのか理由が分からなかった。一体どういう事だ?
「しかも、どうしてオマエ等そんなに大怪我なんだ! 俺は骨なんて折ってないだろう。全くの濡れ衣じゃないか!」
言葉こそ発さないが、スキンヘッドはずっと俺の事を睨み続けている。ポーカーフェイスができないのだろう。髭面の方は目を瞑って我関せずの姿勢。
……今回は単なる勘違いだな。きっと俺に喧嘩で負けた後、違う場所でフルボッコにされたと見た。その時に顔を見る事ができなかったから犯人を俺だと思い込んでいる、という辺りだろう。闇討ちでもされた可能性がある。
それで、このままだと腹の虫が治まらないから、この部屋の主に泣きついたという筋書きが妥当な所だ。俺に責任を取らせる名目で吹っかけてくる腹づもりだろう。下手に自分で剣闘士である事を明かしたのが仇になった形だ。真犯人は別にいるというのに……いや、待て。
なら、さっきスキンヘッドが言った「どちら様ですか?」はどういう意味だ?
そもそもボスから聞いたのは「暴行を受けた」との苦情である。俺がやったというのは一言も無かった。あくまでもボスが俺を犯人だとしたのは、ボスの調査結果によるものだ。俺も俺で実際にコイツ等と喧嘩をしたから、それを咎められたのだと勝手に勘違いした。この勘違いが会話のズレに繋がっているのではないか? 俺の事を「知らない」と言った真意はまだ分からないが、少なくともその言葉からは俺を犯人と見ていない事は分かる。
つまり、コイツ等の言い分は俺以外でウチの一座に犯人がいるという意味だ。それ以外に考えられない。ならそれは一体誰なんだ?
これはしっかりと事情を確認しないといけない。まず手始めに話を聞くのは苦情を入れたこの部屋の主からだ。入念なすり合わせをして情報の共有をする必要がある。
「失礼ですが金髪の方、名前を教えてもらっても良いですか? 貴方がウチの一座に苦情を出したんですよね?」
「シモンを連れてこい!」
「…………どういう意味ですか?」
部屋に入ってからずっと不機嫌な顔をしていた金髪の男が、ようやく俺の問い掛けで口を開く。だが、その内容は質問への回答ではなく、ただ単に自分の言いたい事だけを言うという横柄なものだった。
……これがフィンの言う白い奴等のいけ好かない態度か。部屋の豪華さから白いのはほぼ間違いない。
「この二人に大怪我を負わせた犯人だ! お前等二人共、シモンの奴にやられたんだろう?」
「へっ、へえ」
「……」
「分かったら、さっさとシモンを連れてこい! 話はそれからだ!!」
予想以上に理解不能の展開となった。突然シモンの名前が出てくる理由も分からなかったが、チンピラ二人に大怪我を負わせたのもシモンであるという告白。どうしてこの場にいないシモンが関係してくるのかが分からない。
「どうしてシモンがやったと言えるんですか?」
この二人と面識があるのは俺だ。実際にスキンヘッドの態度からでも明らかである。勿論、シモンに真犯人の可能性がある事は分かる。しかし、証拠が提示されていない現状でそれを断言をされても普通は納得できない。
「分からん奴だな。この二人が証拠だ。……ああ、そうか。お前はこの町の生まれじゃないから分からないのか。なら、こうしよう。この場でシモンに潔白かどうかを聞けば良いんじゃないか? お前等もそう思うだろ?」
「それは妙案ですね」
「はい」
言い回しに違和感を感じるが、一歩譲ってくれた提案を金髪の男が出してくる。要は「こちらの間違いかもしれないからシモンに弁明のチャンスをやろう」という提案だ。何も間違っていない事は分かる。
だが何故だろう。この下卑た金髪の顔を見ていると、その提案に乗ってはいけない気がする。さっきまでのイラついた態度が途端にニヤケ面に変化した。
「……そういう事なら分かりました。シモンが犯人でないと分かれば、今回の件は無かった事にしてくれるという事ですね?」
悲しいかな、無い知恵を振り絞って考えても、この提案を断る良いいい訳が見つからない。せめてもの抵抗でこの言質を取るのが精一杯となる。
「しつこい奴だな。まあ良い。シモンさえ連れてくれば今回の態度は許してやる。さっさと行け!」
明らかな罠の臭いがする今回の会談。俺の考え無しの行動が思わぬ展開へと発展した。何故ここまでシモンに拘るのか? それ以前に何故シモンを知っているのか? どうやら二人には何らかの因縁があるのだろう。
この男が何を思っているかは分からない。しかし、俺のせいでシモンに迷惑を掛ける事になったのは間違いないと言える。
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