第十話 キスの味

 俺の悪い予感は当たった。金髪の男、名はオーギュスト。コイツは予想通りシモンとかなりの因縁のある男であった。いや、オーギュストが一方的にシモンを恨んでいた、というのが正しい表現かもしれない。


 部屋に二人して入った時、コイツは俺達に喜色満面の笑顔を見せる。まるでずっと会えなかった恋人や家族に再び会えたような雰囲気だった。


「ようやく会えたな。シモン」


 飛び出した第一声もそれを感じさせていた。


 だが、


「テメエだったのか! オーギュスト!!」


 シモンの反応は全くの逆で、まるで汚物でも見るかのよう。動揺もしているのか少したじろいでいる。


「おいシモン、知り合いか? それにしては顔色が悪くないか」


「大丈夫です。デリック先輩コイツは──」


「この町に戻ってきていたとは思わなかったぞ。しかも剣闘士とはな。あの"逃げのシモン"がだ。どういう風の吹き回しだ。この場に顔を出してくれた事を嬉しく思うぞ」


 俺とシモンとの会話を遮るように割り込んでくるオーギュスト。俺と対している時はぞんざいな扱いだったのに、今は別人かと思うほどの饒舌さである。


 次第に表情も粘着質な笑顔へと変わっていく。


 シモンを歓迎している体をしながらも会話の内容に早速悪口が混じっている辺り、和やかに話を進める気がなさそうだ。


 しかもだ。この不名誉な二つ名。この言葉で二人の関係は昔から良好でなかった事が分かる。もしかしたら、シモンがこの町を離れた理由はコイツではないだろうか? 何となくそんな風に思ってしまった。


「その名を言うな!」


「"逃げのシモン"は"逃げのシモン"だろう。何度だって言ってやる。先日の試合でお前の名前を見た時から、どうにかしてお前と会えないかずっと機会を窺っていた。普通に呼び出したんじゃ絶対に来ないのは分かっているからな」


「当たり前だ! どうして俺がお前に会いに行かないといけないんだ。こんな事を言うために態々手の込んだ事をしたのか?」


「当然だろう。あの忌々しいシモンに私が味わった屈辱の少しでも返さないと死んでも死に切れないからな。強くなるために剣闘士になったが、こんなに早くその機会が巡ってくるとは思わなかった」


「ん? もしかして、昔シモンに負けたのかコイツは。それを今も根に持っているのか?」


 旧交を温め合う二人には申し訳ないが、部外者である俺には何の事を言っているかがさっぱり分からない。ただ、二人の関係性がおぼろげながらに見えてきた。このオーギュストにとって、シモンは復讐の対象なのかもしれないと。


 ただ、その切っ掛けは案外単純な理由じゃないか。そんな考えがこの発言に繋がった。


「違う!! あんなのは勝ったとは言えん!! 偶然に決まっているだろ! 実力はこちらが上だ!」


「よく分からないが、そういう話なら二人で今からタイマンすれば良いんじゃないか? 実力はお前が上なんだろ?」


 やはり見立ては間違っていなかった。焦点の定まらない眼で途端に早口に言い訳を始めたので、認めているのと同義である。経緯は俺には分からないが、二人は以前戦っており、オーギュストがその結果に納得できていないというのが根っこであると思われる。


 なら、もう一度二人で戦えば全て解決となるんじゃないかと思い提案をするが、


「はっ。何故そんな分かりきった事をする必要がある。私が望むのはシモンの苦渋に満ちた顔を見る事だけだ!」


 これが二人の関係を拗らせている原因と言える。現役の剣闘士をしているコイツが、何故肉体言語で語り合わないのか理由が分からない。しかも、明らかに拗らせているとしか受け取れない発言までする始末。

 

「…………昔からこういう奴なんですよ。コイツ」


「あー、嫌がる理由が分かったわー」


 スキンヘッド達の使い方を見ると、指図して人にさせる事を好むのだろう。自分が動く時は美味しい所を頂くときのみ。他人の上前を撥ねる事を当たり前と考えるタイプだ。


 だから白いのは嫌われるのか。


 全ての白いのが同じと言うつもりはないが、この姿を見て彼らを好きになるのは難しい。確かにこうした手合いとは関わりたくはないと思うのは普通の発想だ。シモンの気持ちはとても理解できる。


「おしゃべりが過ぎたが、今日この場にお前を呼んだ事の理由は聞いているだろう? なら、跪いて頭を下げろ!」


「ちょっと待て! まずはシモンが潔白を証明してからだろう。順番を間違えるな」


「何を言っている。被害者がいて、『犯人はシモン』と言っているんだ。それを覆す証拠があるのか」


 これまでの流れでオーギュストの目的が痛いほど分かった。コイツは単にシモンよりも自分が上である事を認めさせ、立場を再確認したいだけである。


 今回の暴行騒ぎはそれを実現させるための手段にしか考えていない。俺との話は取るに足らない事だと切り捨て、自分の我儘を貫く。これが真相だろう。


「シモン、お前はコイツ等を闇討ちなんかしていないだろう?」


「……先輩、俺はそんな事をしていないですが、何を言おうと犯人は俺になるんですよ。それがオーギュストのルールなんです」


「悪い。意味が分からない」


「本当に分からん奴だな。簡単な事だ。シモンが潔白である証拠がないのなら、私の言い分が正しい事になるだけだ」


「横暴過ぎるだろ!」


 俺としてはそんな我儘に付き合う必要はないと思ったが、シモンはそれを受け入れるしかないと悟ったかのような発言をする。


 疑わしくば罰する──そんな言葉が頭をよぎった。


 これがシモンの言っていた「犯罪者だけを犯罪者として扱えば良い」の意味だと理解する。都合の良い解釈で真実を有耶無耶とする手法。これなら、いくらでも犯罪を捏造し放題だ。この町ではずっとこんな事が行なわれてきたのかと思うとぞっとした。


「何が横暴だ! コチラはシモンの謝罪で事を収めようという寛大な態度だぞ。そんなに大事おおごとにしたいなら、そっちの剣闘士一座に賠償を求めてやる。それでも良いのか?」


「そういう事を言っている訳じゃない──」


「先輩、大丈夫ですから」


「……シモン」


 これが寛大だというなら、世の中の争いは全て無くなるんじゃないかと思う。結局はオーギュストが自身の言い分を無理に通しているだけなのが分からないのだろうか。


 一方的過ぎる言い分に俺もキレそうになってきたが、それを止めるかのようにシモンが割って入ってくれる。このままだと口論に発展しそうに見えたのだろう。口元に悔しさを滲ませているが、今のシモンはとても冷静であった。


「オーギュストも言ってますが、今回は俺が頭を下げれば拳を納めてくれるんです。もう俺は以前の俺とは違うんですよ。これくらいなんて事ないですから」


「ほう。随分と潔いな。"逃げのシモン"らしくないじゃないか」


「オーギュスト!!」


「デリック先輩、これ以上は先輩が危険です。引いて下さい」


「……悪いな。俺のせいでお前に迷惑を掛けて……」


 オーギュストの煽りについ声を荒げてしまうが、それもシモンが制してくれた。はっと気が付き、詫びを入れるのが精一杯となる。自分への悪口ならいくらでも流す事ができるのに、仲間への場合はこれほど耐性が無いのかと意外に感じてしまった。


 シモンが俺の顔を見て無言で頷く。もう覚悟は決まっているのがはっきりと分かった。


「オーギュスト! 本当に俺が謝罪すれば今回の件は水に流すんだな!」


「ああ、その通りだ。前に出てきて跪け。きちんと謝罪の言葉を言えたなら、受け入れてやろう」


 その後のシモンの行動は早かった。オーギュストが全てを言い終わらない内に部屋の中央へと進み、膝を折る。突き刺すような視線で少しの間オーギュストを睨みつけるが、やがて眼を伏せ、頭を下げる。


 下を向いたままシモンが謝罪の言葉を発しようとした瞬間、予想もできない行動をオーギュストが起こす。


 あろう事か、オーギュストがシモンに近付いたかと思うと、足を上げ、優雅な振る舞いでシモンの頭を迷いなく踏み付けやがった。


「なあシモン。私は『頭を下げろ』と言ったよな。何だその位置は? それじゃあ下がった内に入らないだろう。頭を下げるというのはこうするんだ」


「オーギュスト! テメェ!」


「勘違いするな。これはあくまで礼儀作法の教育だ。色付きカラードは礼儀を知らないからな。それを私が教えているんだ。感謝して欲しいくらいだな」


「……先輩、大丈夫ですから」


 当然の事ながら、シモンの顔面は敷きつめられている絨毯へと押し付けられる。苦痛と屈辱にシモンの顔が大きく歪む。咄嗟に俺は大声を上げてしまうが、こんな時でもシモンは冷静に俺の事を押し留めた。


「ふむ。綺麗に頭が下がったじゃないか。これなら、後は私への謝罪さえしてくれれば許してやろう」


 そう言いながら踵に力を入れ、シモンの後頭部に圧力を掛けていく。


「うう゛……」


「シモン、それじゃあ謝罪にならないだろう。けれども私はとても寛大だ。きちんと言えるまで待ってやろうじゃないか」


 ……明らかにやり過ぎだ。これはもう報復と言っても良いのではないか。


 確かに殴ったり蹴ったりという暴力的な行為はしていない。それをオーギュストは免罪符とするのだろう。……名目と実態がかけ離れ過ぎている。普通はこれを教育とは言わない。


 しかし、シモンはそんな屈辱的な行為を受け入れている。俺が介入する事を止められてしまった。この場を自分だけで何とかするつもりである。オーギュストとシモンの因縁は俺が思う以上に深い。シモンなりにそれをケジメとして終わらせるつもりなのが分かる。


 ただ……俺は知っている。この手の人間がこれで満足しない事を。隙を見せると付け込み、更に高い要求をしてくる。この場はこれで収まったとしても、次はより一層の無理難題を吹っかけてくる未来が予想できた。


 なら、俺のする事は決まっている。シモンの覚悟を無駄にするのは心苦しいし、ことの後には一層の面倒が降りかかってくる事も分かっている。けれども、この二人の因縁を断ち切るには別の荒治療が必須だ。


 どの道同じ厄介事が待っているなら、この場はぶち壊した方がマシ。そう思わないか? シモン。


「……シモン。今度メシを奢るから今回は許してくれ」


 それじゃあ、いつもの如くこの局面を盤面からひっくり返そうか。


 ヒントはある……というか、ずっと気になっていた。あのスキンヘッドだ。俺の顔を観た時は親の敵のように睨み付けていたのに、シモンを見ても反応の一つさえもしない。もう一人の髭面は相変わらずの無表情ではあるが。


 丁度今の俺の懐にはアイダから買った麻の実以外の種が入っている。育てる気も無いので食べられないかと思ったが、美味しい物でもなかった。当たり前の話ではあるが……。それを親指の爪の上に乗せて、パチンと弾く。目標はスキンヘッドの顔面。


「おい、テメエ。今何しやがった」


「何かの気のせいじゃないのか。そんな事よりオーギュストさんの邪魔をしない方が良いぞ」


 鼻歌交じりにしらばっくれる。


 とても分かり易い反応をしてくれて嬉しい。これでもう決まりだ。後はこのまま俺とスキンヘッドが騒動を起こせば良い。その隙にシモンを助けて逃げる。相手は片足が折れた身だ。狭い室内での立ち回りなんてまずできない。


 すかさずこれ見よがしにもう一度指弾で種をスキンヘッドにぶつける。さっき種をぶつけられた事でスキンヘッドはずっと俺の事を見ていた。それを分かった上での行動。


「やっぱりテメエじゃねぇか。ふざけた真似しやがって!」


 予想通り激高したスキンヘッドは椅子から立ち上がり……はあ?


「ちょっと待て。何だそれは」


 どうして当たり前のように立ち上がれるんだ。しかも、痛みを堪える表情にさえもなっていない。それが意味する所は……


「テメエ等、その怪我嘘だったのか!! どこが大怪我だ。杖無しで立ち上がっているじゃないか」


 可能性としては痛みの少ない立ち上がり方をしただけというのもあるが、今俺がするのは盛大に騒いで注目をこちらに向ける事である。その辺の可能性は全て無視する。違っていたなら、その時はまた考えれば良い。


 だが、


「チッ、バレたか。折角良い所まで行ったのに、つまらん挑発に引っ掛かって」


「……すみません。オーギュストさん」


「は?」


 もっと大騒ぎになるかと思っていたら、オーギュストがあっさりと嘘を認め、この場は沈静化する。


 さすがはオーギュスト。一切悪びれもせず、誤魔化しもしない。しかも芸の細かい事に、俺が「足を外せ」と言う前に一度踏みつけた上でシモンの頭から足をどけている。


 ──つまりは今回の暴行騒ぎは全てがオーギュスト主導の自作自演だった事になる。


「オーギュスト、これは一体どういう事だ」


「……シモンの潔白が証明されて良かったじゃないか」


「テメェ、これだけの事をしておいて、よくそんな事を言えるな」


「興が削がれた。二人共、もう帰って良いぞ。オイ、カードの続きだ。次こそは私が勝つ」


「……」


 さすがはオーギュスト。引き際も素晴らしい。玩具で遊べないと知るや、あっさりと興味を無くす。気が付けば俺達そっちのけでカードゲームを始めだした。何という変わり身の早さだろうか。


「シモン、大丈夫か?」


「……はい」


「帰るか」


「…………はい」


 何も考えずにキレて暴れ出したいが、それをすると今度こそオーギュストを喜ばせる形になる。結果、今の俺達ができる事は、そのまますごすごと部屋から出ていくだけであった。

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