第八話 マジカルタオル
今日の俺は一味違う。普段とは違い、今、首には水に濡れたタオルが掛けられていた。それを左手で持ち、だらりと地面へと下げる。つい変な事を口走ったが、どの道する事は同じだ。全ては終わってから考えれば良い。
予想もしていなかった役者の飛び入り参加に脚本は急遽変更。男二人の俺を見る眼は、丁度良い噛ませ役が来たとばかりに喜びを露わにしている。
「あ゛あっ? ガキが一丁前に俺達に喧嘩を売ってんのか?」
俺の接近に合わせて二人組みの内一人がこちらへと近付いてくる。
「……違う。その娘を放せ。大人しく立ち去ればこの場は見逃してやる」
便宜上タオルとは言ってはいるが、実際にはタオル地のような吸水性の高い素材ではなく綿で作られた手拭いのような物だ。それでも染み込んだ水分がしなやかさを出し、良く馴染む。俺の自慢の逸品である。
「女の前だからって、格好をつけてんじゃねーぞ!!」
格下とも言える俺の言葉にムカついたのか、スキンヘッドの男が威嚇するかのように野太い声を上げた。
その声にビクリと身体を震わせる茶髪の少女。口元はもう一人のチンピラ──髭面の男の手で覆われている。囁かれるのは「大人しくしていろ」とドスを利かせた脅しの台詞。涙目となる少女。
「さっきの勢いはどうしたよ! もしかしてビビッてんのか?」
俺が何も言わずにいると途端に見下すような態度へと変わる。弱みを見せると嵩に懸かるタイプらしい。
こうしたチンピラ同士の喧嘩はこの町では日常風景かもしれない。何もかもが当たり前のように進む。頭上からは渡り鳥の声が響き、何事もないかのように通り過ぎていった。
「オイ! 良いのか。俺は剣闘士だぞ! どうなっても知らないぞ」
「ハッ。お偉い剣闘士様は剣が無ければ喧嘩もできないのか? そんな事より恥かかないようにテメェの心配をしろ!」
少しは威嚇になるかと思い身分を明かしたが、首に掛けてあったタグも効果は無し。強気を崩さなかった俺の下手な交渉もあると思うが、もう腹を括るしかない。割って入った時点で殴り合いが決まっていたかのようだ。
「そこまで言うなら剣闘士の実力を教えてやる。なあに、剣の無い剣闘士だ。きっとお前でも倒せるさ」
「馬鹿にしやがって! その言葉、後で後悔させてやる!!」
交渉が下手な割りにこうした挑発は何故スムーズに出るのだろう。たった一言発しただけで、スキンヘッドは瞬間湯沸し器のように瞬時に声を荒げ、距離を詰めてくる。
今回のような状況の場合、こういう手合いはとても楽だ。普通に考えれば、人質がいるのだから少しずつ追い詰めていけば良いだけである。向こうにアドバンテージがあるのだから、まずはそれを有効に活用すれば良い。相手を侮って挑発に引っ掛かる時点でアウトと言える。ましてや俺には強気になれる理由がある。
そう。今日の俺は一味違う。左手にはこの局面を物ともしない秘密の無双のアイテムを手にしていた。それは──
「大人しく俺に殴られ──」
今、俺の胸ぐらを掴まんとスキンヘッドの男が手を伸ばしてくる。
「マジカルタオル!」
「ブッ」
何が起こったか分かっていない。さっきまでの勢いはどこへやら、狐につままれたような表情でスキンヘッドが仁王立ちとなる。
間髪入れずにここでニヤリと笑みをこぼす。何が起こったかは理解できていないが、これで何かを俺がした事だけは理解しただろう。白くなった肌の色がまたもや瞬時に赤色へと変わる。
「テメエ、今何しや──ブッ」
更にもう一度。俺独自の魔法「マジカルタオル」がスキンヘッドの顔面を直撃する。パンチやキックが絶対に届かない距離からの反撃不可能な攻撃。バチンというくぐもった音を立てた。
種明かしをすれば何て事はない。単に水で濡れたタオルを顔面にぶつけただけである。水分という質量を得た事で簡易ながらも得物の代わりとなった。勿論、やり方がある。フリッカージャブのように目線の下側から行なう。つまり相手の意識外からの攻撃だ。その時、手首のスナップを利かせればより効果的となり、猫騙しのような眼くらましも期待できる。
さすがに二回目になると何をされたか気付くか。顔面が少し湿っているしな。
ここで俺は相手が体勢を整えるのを待つ必要は無い。即座に一歩踏み込んで前蹴りを放つ。イメージは相手を貫くように。前蹴りは出し方によって役割が変化する技だが、今回はがら空きとなった鳩尾に体重を乗せて突き刺すように放つ。繋ぎ技と言われるこの技も、やり方によっては充分威力を期待できる。
「ウゲッ」
鳩尾には人間の横隔膜がある。つまり、ここを突かれると息が詰まる。気絶させるほどの威力はまだ出せないが、しばらくの間呼吸困難にさせる効果はあったようだ。動きが止まり、膝から崩れだした。
相手は二人だ。KOに拘る必要はない。する事は一時的に戦闘不能状態を作る事。そうすれば、二対一という不利な状況になる事はない。なら、俺が次にするのは今の内に髭面の男を女の子から引き剥がすだけ。
「痛ってー! 何しやがんだ。この女、指噛みやがった」
ナイスだ。スキンヘッドが膝を折って前のめりになった瞬間、一瞬注意が逸れたのだろう。それを見逃さない素晴らしい判断力。あわよくば自身も逃げ出すつもりだったろうが、髭面の注意が俺から逸れる事は考えている筈。そのオーダー、きっちりお受け致しましょう。
「テメェ、殴られてえのか! その綺麗な顔に傷が付くぞ! 体で分からせて──」
すかさず駆け出して距離を詰める。今はまだ直接パンチやキックを当てるには届かない距離。それでも迷わず左足を踏み込み、大きく腰を捻る。
「ヘイチンピラ。こっち見ろよ!」
「ああ゛ん?」
腕を伸ばし、腰の回転を使って遠心力を得る。加わるは水という質量。この二つが合わさった時、単なるタオルが強烈な打撃武器へと変貌する。
「マジカルタオル・ストライク!!」
「ぶっ!」
顔面へクリーンヒット! プロレスラーが平手打ちをしたような派手な音が響く。運が良ければ軽い脳震盪を起こしているだろう。だが過信は禁物。今優先すべきは少女を髭面のチンピラから引き剥がす事。それを現実にするべくトドメの一撃を入れる。
「ハッ!」
右脚を前に出し、踏み込みながらの右拳。右順突き。押し込んだ拳が男を軽々とふっ飛ばした。
痛みに顔が歪みながらも自身に何が起こったかも理解できていないのだろう。豪快に尻餅をつきながらも口をパクパクとさせている。その隙に俺は女の子との間に割って入った。
「テ、テメエ。何しやがった!」
「言っただろう。魔法だ。さっきは手加減したが、次はそうはいかないぞ」
「今のは魔法じゃないと思いますけど……」
「……」
背中側から的確なツッコミが入るがその辺は当然無視。「余計な事をすれば追撃するぞ」という心境で相手を睨みつける。
幾ら今日の俺が無双アイテムを手にしているとは言え、女の子を守りながら二人同時に相手する事はできない。どうしても一人が精一杯だ。
二人の鋭い視線が交錯する。お互いが自らの手持ちの札を確認し、それを如何に使うか模索する。向こうも俺がハッタリで言っている事は分かっている筈。しかし、俺が手に持つ濡れタオルを不気味に思っているのが見て取れた。
緊迫した無言の時間が続いた後、髭面の男が残念そうな顔でよろよろと立ち上がる。目指すは俺ではなく仲間のスキンヘッドの方。この時点で俺の勝ちが決まった。
「帰るぞ。立てるか?」
「あ、兄貴。下手うってすみません」
「気にするな。肩貸してやる。無理してこんな事で大怪我するのも馬鹿らしいからな」
まだ身体にダメージが残っているのだろう。髭面の男の肩を借りてスキンヘッドがヨタヨタしながら立ち上がる。しかし、眼だけはまだ元気そのもの。振り返って俺を親の敵のように睨みつつ、
「このクソガキ! これで勝ったと思うなよ」
としっかりと捨て台詞を残してくれた。
こちらも相手が引いてくれた事でほっと息をつく。もし大怪我でもさせようものなら、処罰が待っていたかもしれない。後先考えずについ余計な事をしてしまったが、この程度で済んでくれて良かった。
「マジカルタオル強過ぎだな」
「それ、普通のタオルじゃないんですか?」
「……その秘密は内緒にしておいてくれると嬉しい」
「今回だけですよ」
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「……と、痛い所はないか? 悪い。気付くのが遅くて」
「はい。まだ少し腕は痛みますが、これくらいなら大丈夫です。心配してくれてありがとうございます」
「良かった。それと最初のアレはなかった事にしてくれ。頼む」
「最初の……あの"俺の女"の事ですね。私を助けるために言った嘘ですよね。分かってますから大丈夫ですよ」
普通に考えれば明らかな失言なのだが、あっさりと許してもらえる。物分りの良い人で良かった。本当は口を滑らせただけなのだが、助けに入る方便と受け取ってくれたようだ。
さっきのツッコミといい、随分と落ち着いている。結構怖い思いをしたと思うのだが、それを感じさせない明るい返事が返ってきた所をみると、とりあえずは大丈夫そうか。
「ありがとう。それなら、まずは零れた籠の中身を何とかするか。食べ物だろ? 無事だと良いんだが……」
「いえ。中身はお花や種なので落ちたくらいなら大丈夫だと思います。折れていたりしなければ良いんですけど」
残念。食べ物なら少し分けてもらおうと思ったのだが違っていた。彼女の言葉から、あの時俺が見たのは何かの種という事になる。
少し周りを見渡すと落ちたバスケットがすぐ見つかる。派手に中身が散らばっているので掻き集める必要がある。
「それにしても……随分と多いな。結構重いんじゃないのか? まるで売り物みたいだな?」
底の深いバスケットから零れ落ちた量の多さに疑問を感じてもしかしたらと質問をする。
この時点で気付いたが、中身は無事だとしても、商品として考えるなら残念な事になっているかもしれない。
「……はい。そのつもりでした」
どうやら彼女もその可能性に気付いたようだ。気落ちした声で落ちたバスケットに向けて歩き出す。
「……良し。面白そうな物なら買うぞ。これも何かの縁だ。どんな物があるか教えてくれ」
多分同情だろう。何があってそうなったのかは分からないが、男達に乱暴されそうになった上で売り物まで駄目にされる。踏んだり蹴ったりの彼女に少しでも力になれないかと思ってしまった。
最初は中身が花と種という事でガッカリもしたが、よくよく考えれば種は食べられる物が結構ある。ひまわりの種は基本だ。日持ちもするし、ポケットに入れておくには丁度良い。しかも多少汚れていた所で気にする必要もない。
「そんな……悪いですよ。助けてもらったのに、その上買ってもらえるなんて」
「気にするな。俺のオヤツにするだけだから。じゃあ、俺は散らばった方を片付けるから……えっーと、悪い。名前を聞いてなかったな。俺の名前はデリック。ニトラから来た」
「デリックさんですね。私はアイダ。この町出身です」
「アイダか。良い名前じゃないか。この町出身と……あっー! そうだった!!」
ここに来て本来の目的を思い出す。俺は道を尋ねるために人を探していたんだと。なのに、突然のハプニングに出くわしてそれをすっかり忘れていた。
「どうしたんですか? デリックさん。突然大声を上げて」
「ははっ。恥ずかしい話なんだが、実は今、絶賛迷子中でね。大通りに出る方法が分からない。片付け終わったら、道案内してもらえると助かる」
「何ですか、それ。迷子で困っている人に助けられるなんて、変な話ですね」
鈴を奏でるような声でアイダが返す。良かった。少し機嫌が戻ったらしい。
ならまずは、この辺に落ちている種を拾い集める事だが……何だろう? 見覚えがあるような。
もし、俺が花の知識を持っているなら話は別だが、そんな事はない。つまりは違う形でこれと同じ物を見た記憶があるという事だ。それが思い出せない。
「アイダ、集め終わったぞ。それで……これが何の種か教えてくれるか? どこかで見たような気がするんだが……」
「あっ、ありがとうございます。きゃっ」
気紛れな風が突然に吹く。肩の辺りで切り揃えられた少しソバージュの入った茶髪がなびく。ふわりと膨らみを増した水色の簡素なワンピース。
年の頃は同じくらい。少女から大人への変化の兆し。少し残るあどけなさ。切れ長の意志の強そうな眼と伸びた眉。透き通るような肌の白さ。つんと高い鼻。
「あっ……」
ずっと「可愛い娘だな」とは思っていたが、風になびくその姿を見た瞬間、心を奪われたように魅入られてしまう。
今、その笑顔が俺だけに向けられている。人形のように整った顔立ち。茶色がかった眼の色。スラリと伸びた手足。細身のスタイル。派手さを感じさせない清楚な雰囲気。そして、赤みを帯びた頬。
何かがこれまでと違った。普段なら叩ける軽口が出てこない。何かを言おうと思えば思うほど言葉に詰まる。これまでに潜った修羅場とは全く違うこの緊張感。
「デリックさん、零れてます。零れてます」
気が付けば、集めた種を意味のない状態にしていた。
「悪い。すぐ拾う」
「もう、しょうがないですね。怒ってませんから大丈夫ですよ」
そう言いながらも今一度俺へと向けられる微笑み。なす術も無く無条件降伏の白旗が上がるのは当然の結果だった。
「あっ、いや。これは俺が買い取るから」
「気にしなくても良いのに……。零れたのは麻の実ですが良いですか?」
「マジか? 麻の実だったのか。七味唐辛子に入ってる、天然サプリメントの、プロテインにも使われている、あの麻の実?」
「何を言っているか分かりませんが、麻の実ですよ。そんなに興奮しなくてもたくさんありますから」
何故麻の実を持っていたのか気になったりもしたが、そんな事はどうでも良い。この機会を逃す手はない。
「全部買う! 全部買う! こうなりゃ勢いだ! 今日の商品全部買う。道案内も宜しく!」
「そんなに大声出さなくても聞こえてますから落ち着いてください」
つい興奮して勢いで言ってしまった。だが後悔はない。待望のサプリメントゲットにアイダとの道案内というデート付きだ。彼女の笑顔が見られるなら何だってできる。
「でも、この麻の実ってそんなに凄い物なんですか? 喜んでもらえるのは嬉しいですが……」
「……悪い。麻の実は……今の俺に必要な物だな。それで幾らになる?」
「そうですね……」
ここで今更ながら失敗に気が付く。商品が売れるのは嬉しいだろうが、大量購入だと計算が大変になるという事を。もし迷惑なら、単品購入に変更しても良いかと考えていたが……
「こうしましょう。銀貨五枚です。全部買ってくれるなら大丈夫でしょう」
「えっ!?」
思い出すのは某ファーストフード店のスマイル ゼロ円の偉大さ。いや、正しくはプライスレスと言った方が良いか。自業自得ではあるが、躊躇いなく差し出したなけなしの所持金。今更「やっぱり無し」とは言えない悲しさよ。アイダの笑顔にはそれだけの価値があった。
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