第七話 月に代わって

 明けて翌日。


 本日は趣向を変えてロードワークを兼ねた町の散策とした。普段のロードワークでは闘技場の周りをひたすら走るが、折角の遠征である。こんな時に同じ事をするのも味気ない。それに、ここアルパカは俺達の本拠地であるニトラと違い、一日で全てを知る事ができない程の大きさだ。俺の知らない町の顔がまだまだある。


「ちょっと一人で見て回りたいしな……」


 フィンとのアルパカ観光はとても楽しかった。しかし、その中で聞かされたこの町の裏の顔。もう少し真実を知りたくなるのは人情と言える。リスクがあるので、こういう目的の場合はフィンの力は借りない方が良いとの判断だ。


 昨日は観光を終えて宿舎に戻ると、休憩中だったこの町出身のシモンがいた。丁度良いタイミングだと思い、フィンから聞いた内容が本当かどうか詳しい事情を知っていないかを尋ねる。フィンの話は出来過ぎだと思ったからだ。


 しかし、往きの馬車と同じくまたもシモンは話をはぐらかしてくる。余計なお世話だという事は分かっているが、何となくその態度にムカついたので「肉体言語」という体育会系独自の言語を駆使して説得を行なった。「是非聞いてください」と言わんばかりの晴れやかな涙目で、それからすぐ洗いざらい話してくれたのは言うまでもない。


 結論から言うとフィンの言った言葉は全て正しかった。


 けれども、


「言っている事は分かるが、俺の故郷のように食うや食わずになるよりは遥かにマシじゃないのか?」


「先輩の言う通りです。でも、こういうのは住んでみないと分からないものですよ。俺は事情があって逃げ出しましたけど……」


 フィンと一緒に見たアルパカの町並みはとても活気に溢れており、人種差別がどうとかいうのは小さい事のように感じてしまったのだ。俺からすれば、そんな事よりも毎日きちんとご飯を食べられる方が大事に思う。


 そこで思ったのが、実はこのアルパカの町は一本奥に入ればニューヨークも真っ青のスラム街があるのかもしれないという事だった。白い奴等の意にそぐわない人達を押し込める場所。つまりは町から捨てられた人々がいる。


 フィンは俺にそうした汚い面は見せず、綺麗な所だけを見せたんじゃないかとの疑問である。観光として見ればそれは普通の配慮で、何も間違っていない。


 当然シモンからはこう言われた。


「興味本位で下手に首を突っ込むと、町の人の迷惑になるという事だけは覚えておいてくださいよ」


「分かってる。するんなら下手な突っ込み方はしないさ」


「ちょ、それはどういう……」


 茶化して答えはしたが、俺自身も町の人に迷惑を掛けるまで深入りするつもりはないし、俺一人の力で何かが変わるとは思っていない。単純に、フィンやこの町にいる人達の気持ちを知りたくなっただけだ。


 そんなやり取りを思い出しながら、今俺は綺麗に舗装された幅の広い道を駆けている。


 やはり一人で見るとこの町は昨日とは違った顔に見える。いや、予備知識が入ったからかもしれない。昨日は気にならなかったが、白い奴等がふんぞり返っているのを時折見かける事が出来た。また、従者とでも言えば良いのだろうか? 華美ではないが小奇麗にしている人物がやたらと白いのにペコペコしている姿も見る。


 そして、見えない所では舌打ちをしている姿。見たくはなかったが、大勢の前で身なりの良い人物が声を荒げて怒っている場面さえもあった。


 昨日シモンから教えて貰った内容では、元々この町はこれ程ひどくはなかったらしい。違う白人種やそれとの混血の人達とも軋轢はなかったそうだ。だが、長い戦争がその価値観を変えていく。白い奴等の数が一人減り二人減り……と確実に数を減らす一方で、難民とも移民とも言える形で他人種がこの町に流れ込んでくる。


 それが齎したものは元いた人達の生活を脅かすような犯罪だったという結末である。


「白い奴等の言いたい事も俺は分かるんですよ。けど、犯罪者だけを犯罪者として扱えば良いじゃないですか。何も悪い事をしていない人達まで予備軍として見るのはいき過ぎだと思いませんか?」


 憤りを込めて話すあの時のシモンの顔を思い出す。今でこそそんな事は無いものの、この町は密告推奨、自警団が正義の名の元に派手なリンチを行なう恐怖政治的な綱紀粛正がそこかしこで席巻していた時期があったらしい。この町の色付きカラードの老人達にはそのトラウマがまだ残っているという。


 こうした経緯があり色付きカラードはこの町では絶対に高給取りの仕事には就けない。表向きの理由としては、色付きには学が無いから受け入れないとなっている。この世界では教育を受けるのはある種の特権だ。普通の人達に勉学に勤しむ余裕は無い。つまりは学問というソフトウェアが階級を固定化する役割を果たしていた。


 元々そんな気はないだろうが、結果、学の無い色付きの人々は町の意思決定からは排除され、全ては白い奴等が決める。色付きはそれに従うというだけの支配構造が確立される。これがこの町の本当の姿だと。まんまアパルトヘイトである。


 彼らが誇るのは自分達の正統性を示す血と肌の白さ。俺からすればそれはあくまで建前で、単純に自分達が利権を独占したいだけなんじゃないかという疑問が出るが、気が付けばこの町は少数の白い奴等が多くの色付きから搾取し、差別するという構造が出来上がっていた。


「ああ、やっぱり……」


 幾つかの通りを駆け抜け、奥まった箇所……というか、町のはずれだと思う。そこには隔離されたかのような別の顔があった。ざっと見る感じ、区画的には広い。予想通りと言うべきか、スラムと思しき場所である。


 狭い道幅の通路にはゴミが散乱し、歩くのが精一杯と思われる。そこに村時代の俺を髣髴とさせるようなボロボロの衣服を着た人々が項垂れ、座り込む。多分物乞いだ。建物も見た瞬間に安普請だと分かる急ごしらえ。年季の入ったその作りは見るからにボロボロで雨露さえ凌げればそれで良いというのが良く分かる。勿論、雨漏りは当たり前だろう。


 …………そうして何より臭い。離れた箇所にいる俺でさえ違いが分かる。多分、腐臭も混じっている。中に入れば死体が転がってそうだ。


 本当はもっと近くによって見てみたいがシモンから釘を刺されていたので、それは止めておく。一目で分かる。あれは昔の俺の姿だと。


 途中で見かけた白い奴等の専用の区画とは大違いだった。遠目でしか見なかったが、小奇麗な建物にしっかりと整備された道、道行く人の表情は明るい。目の前にあるスラムと比べると自然と乾いた笑いが出てしまう。


 あっ、ヤバイ。


 俺の事を見つけたのか、数人の男がこちらに向かってやって来た。目的は分からないが、きっと強請り、たかりの類だ。少し刺激してしまったか? ここでトラブルを起こす訳にはいかない。「三十六計逃げるに如かず」という事で早々に退散をさせてもらう。


 分かりきった事ではあったが、華やかさの裏には常に影というものが存在する。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「まっ、迷った……」


 すぐに諦めてくれるかと思ったが、思った以上にスラムの住人に追い掛け回され、当てもなく街中を逃避行する。


 振り切った先に待っていた結末……ド田舎出身の俺がこうなるのは当たり前過ぎるとしか言いようがない。


 首に掛けたタオルで顔を拭いてさっぱりとする。ロードワークを兼ねていたので、水で濡らしたタオルを予め準備していた。空気が乾燥しているので汗を気にする必要はないが、こうして顔を拭いたり、もしくは悪臭ゾーンを通過する時のマスク代わりとして使うつもりである。


「それにしてもここどこなんだよ」


 中心部から外れて人通りはないが、先程のスラムのように町から切り離されたという訳ではなさそうだ。言うなれば住宅街。平屋建ての長屋が並び遠くからは子供の笑い声がする。いや、結構年季は入っているな。感覚的には県営住宅か工業団地と言うべきか。


 大きな雲が太陽を隠し空の濃度を一つ増やす。そのお陰か、この区画は冷え切ったような雰囲気に感じてしまった。それでも危険さは感じないのでまだ気楽ではある。


「どうすっかなー」 


 こんな独り言を言いながらも既に答えは決まっている。「諦めて道を尋ねる」と。


 田舎者丸出しだが仕方がない。チップを渡すかメシでも奢れば何とかなるだろうとは思いつつも、舐められてカモにされないように気を付けなければいけない。変な相手には話し掛けないように気を付けよう。


『ワァー!』


 少し歩いていると元気の良いガキ達がチャンバラをしている姿が目に入った。さっき聞こえてきた声の主だろうと思われる。さすがはアルパカ。こんな年齢のガキ共も剣闘士の真似事をしている。こういう姿を見ると、どれ程皆が剣闘が好きか良く分かる。


 ……うん。最悪の場合はこのガキ達に道案内を頼むか。子供達のヒーローとしての剣闘士の夢を壊しそうで躊躇われるが、背に腹は変えられない。


 それにしても大人と言える人が本当にいない。どうなってるんだ。ここは。


 もう馬鹿にされるのを覚悟でお子様達に道を尋ねるしかないなと思っていた所、突然、


「キャーーー!!」


 絹を裂くとも言える女性の叫び声が聞こえてきた。


 続いて、


「大声を出すんじゃねぇ! 大人しくしろ!」


 というドスの効いた典型的な台詞。


 深く考えなくても女性に危険が迫っている事が分かる。厄介事の臭いしかしない。


 声の先には女の子が男に手首を掴まれていた。隣にはその相方とも言える男。計二人。遠目で見る限りでは肉体労働でもしているようなガッチリとした身体つきである。ただ、服装はそこらの庶民と同じなので、白いのとは違う。


 何の目的があってその女の子に手荒な真似をしているかは分からない。フィンやシモンから聞いた話ではこの町はなかなかに厄介だ。「好奇心は猫を殺す」の例え通り、下手に首を突っ込むと後がとんでもない事になるかもしれない。一座の先輩達からは「身分を考えて余計な事をするな」とも言われている。


 ふと、彼女の足元に落ちているバスケットから中身がひっくり返っているのが目に入った。


 うん。バレなきゃ大丈夫だ。


 きっと、このままスルーして見てみぬ振りをするのが賢い生き方だと思う。特にこんな町だ。大半の人はそうするだろう。


 残念ながら俺は非常に頭が悪い。女の子が困っているというのもあるが、バスケットから転がり溢れだした物──きっと、食い物だ。


 食い物を粗末にするのは天が許しても俺が許さない。月に代わっておしおきが必要。


 気が付けば現場に吸い寄せられるように駆け出していた。


「オイ! お前等何してんだ! その女は俺の女だ!」


 もう少し格好良い台詞はないものか。つい調子に乗って変な台詞を口走っていた。


 当たり前と言えば当たり前だが、俺の登場とその言葉に全員の眼が点になっていたのは予定調和だと言える。

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