第四話 会員番号ダブルオーワン

「ふわあーー。良く寝た」


 試合の後、逃げるように宿舎へと戻り、青い血で汚れた身体や衣服等を洗った後は藁ベッドへダイブ。そのまま死んだように眠る。


 そして気が付けば翌日。前日の寝不足と試合疲れのダブルパンチは、時を一日進める効果があった。


 そうなると当然、


「うぅっー、腹減ったー」


 勿論、食堂で朝メシはたらふく食った。しかし、所詮は朝食。昨日の夕飯を食い逃した成長期であるこの俺の空腹を満たすにはほど遠い。


 理由は分かっている。おかわりができなかったからだ。代わりにもらったものと言えば「足りなきゃ屋台でも行って食ってこい。こんな充実した朝メシが食えるだけでもありがたいと思え」のぞんざいな一言。


 確かにニトラでは昨日の残り物やオートミールくらいだし、村時代は実質一日一食であった事を思うと(一応は二食。しかし内一食は食事とも言えない量)、朝からスープとパン、ついでにフルーツまで出るこの朝メシはとても素晴らしい事ではある。


 だが、足りないものは足りない。


「さあ、何を食べようかな」


 ニトラでならこんな時は誰かの食べ残しを奪うという裏技もあるが、ここアルパカでさすがにそれはできない。素直にアドバイス通り買い食いの一択となる。昨日の試合の勝利で臨時収入を手にしているからこの選択もできた。


 これから口にするであろう未知なる食べ物に心が躍る。


 問題があるとすれば……ナビも何も無い初めての町ではどこで何が食べられるか分からない事だ。更に言えば、何も考えずに町中に出たら戻ってこられない自信もある。


 辺境出身の俺にとってこの町は巨大な迷路のようなものだ。


 町の周囲をぐるりと高い壁で囲われた「これぞ異世界」と思しき本物の都市。木の柵で覆われたニトラとは町の規模が違う。俺からすればそれでも充分に凄かったが、このアルパカを見ると何も知らなかったという事が分かった。


 例えるなら、地方都市と政令指定都市の違いのようなものだろう。人口は一〇〇万人に届くような事はないと思うが、規模にはそれ位の違いはある。往きの馬車で町を外から見た時、いつまで経っても近付かない事に多少イラッとしたが、いざ到着してみると、視界の端から端までが壁であった事に愕然としてしまった。


 少し高台に上れば全体が分かる故郷の村とは雲泥の差である。


 当然、闘技場の大きさも全く違っていた。ニトラは体育館ほどの大きさしかないが、この町はドーム球場レベルと言っても良いだろう。しかも、専用に作られた石造りの施設である。これだけでもこの町が剣闘士の事業に力を入れている事が良く分かる。軍事施設を再利用したニトラの闘技場が安っぽく感じてしまった。


「よう兄ちゃん! 見ない顔だな」


 昨日は試合を控えていたのでゆっくりと見る余裕がなかったが、今になって俺はこんな凄い所で戦ったのだと思うと感慨深い。今はまだ前座だが、いずれは大観衆の前で戦ったりするのだろうか……本来の目的を忘れた訳ではないが、今のように強い相手と戦って勝つ事がその達成に近付くのではないかとぼんやり思っていた。


「無視するなよ!」


「おぉぅ。何だ一体。……誰?」


 振り返った先にいたのは見知らぬお子様。年の頃はまだ十歳より下に見える。背も低いし、声変わりもまだという感じだ。古ぼけた麻の上下に目深に被った赤いベレー帽が特徴。


 多分、近所に住む子供だろう。もしかしたらコタコタの町の時のように、もう一人のデリックの知り合いかもと考えたりもしたが、そうそうそんな事が続いて起こる筈もない。


「へへっ、兄ちゃん、見た所この町は初めてだろう。何だか困っているように見えたんでね」


 そうした俺の考えは無視して話は続く。


 ……そうか。こんな所で突っ立って闘技場を眺めていたら、田舎者丸出しの行動だな。その通りであるだけに何も言えない所が辛い。キャッチセールスの類だろうか? それならお断りだが。


「悪いが特に困っている事は……いや、待てよ。坊主、この辺の美味いメシが食える所を知っているか?」


 つい「ラッセンの絵」とか「英会話教材」とかを買わされるのかと思い警戒をしてしまったが、思えばここは日本ではなく異世界である。どちらも売っていない事に気付く。


 それにスリをするならこうして声を掛ける必要はない。美人局なら綺麗な女性の出番となる。


 可能性として一番高いのはキャッチ(客引き)か小遣い欲しさのガイド辺りか。なら逆に丁度良かった。腹も減っていたし、チップを渡せばメシが食える場所を教えてくれるだろう。酒は飲めないと言えば、変な所に案内される事は多分ないと思う。


 俺……歌舞伎町に来た訳じゃないよな。


「何だ兄ちゃん腹減ってたのか? ならオイラが店に案内してやるよ……って首から掛けているタグ、もしかして兄ちゃん剣闘士か?」


 そう言いながら驚いた目で俺を見てくる。


 この町は剣闘士事業に力を入れているからか、剣闘士には例えばお店で買い物をした時や飲食をした時に値引きをしてくれるという優遇制度のようなものがある。それを示すのが今首から掛けているタグとなる。町に着いた時にスタッフの人から配られたので、半信半疑ながら首から掛けていたのだが……この反応を見ると大丈夫そうだ。後は奴隷でも有効かはまだ不明。


 優遇制度とは言うが、実際には剣闘士に稼いだ金を派手に使ってもらう方便だろう。俺達のようなのは、少し懐が暖かくなると後先考えずにすぐ使う。それを後押しする制度と言える。俺も同じ穴のムジナだ。臨時収入があったのだから乗っかろうと思う。


「ああ、そうだな。まだデビューしたばかりだから大した事ないけどな。名前はデリックだ。良かったら今度試合を観に来てくれ」


「デリック? ……そうだ。デリックだ。オイラ昨日の試合観たぞ。まさかあのデリックが兄ちゃんだとは思わなかった。よくこんな細い身体であのデカブツ倒したな。しかも何だよあの技。あんな技初めて見たぞ!」


 この町が剣闘士に力を入れているのは本当のようだ。こんな小さなお子様が、目を輝かせて早口で捲くし立ててくる。あまりの迫力にたじろいでしまった。


「あっ、いや……ありがとう」


 こんな時どう答えて良いか分からない俺はこう返すのが精一杯だったが、それが逆に良かったのか子供は笑い出す。


「何だよそれ。デリックは本当に剣闘士か? オイラが知っている剣闘士とは全然違うな」


「俺はまだド新人だからこんなものじゃないか。それよりも店の場所案内してくれないか?」


「よし! 最初は道案内だけのつもりだったけど、もう少し話が聞きたいから今日はオイラが町の案内をしてやるよ! 行こう! デリック!」


 突然手を取り、連れて行こうとする。日に焼けた肌と荒れた手。村時代の俺ほどではないが良い生活を送っていない事は分かる。こんな子供でもこうして働いて生活を支えているのだろう。この世界の人々は皆逞しい。


 最初はメシだけのつもりだったが、こういうのもアリか。悪意もなさそうだ。幸いにも試合翌日という事で今日はほぼオフである。この機会に町を見て回るとしよう。


「仕方ねぇな。まずはメシだ。ガイド料弾むから他にも良い所を紹介しろよ」


「さすが。話が分かるね。しょうがねぇな。オイラがデリックのファン第一号になってやるよ」


「そいつは嬉しいな。よし、ファンサービスだ! メシも奢ってやる」


「やりぃ」


 偶然の出会いと言えば良いのだろうか? まさか俺にもファンができるとは思わなかった。いや、友達というか弟のようなものか。何だか新鮮な気分である。今回の遠征は前回と違い、楽しく過ごせそうな予感がした。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「そう言えば名前を聞いてなかったな」


 ずっと「お子様」や「ガキ」では不都合だと思い尋ねるが、その瞬間にさっきまでの和やかさが嘘と思えるような凍りついた空気となる。


 あっ、ヤバイ。マジで怒れる五秒前といった状態だ。身体を震わせ今にも火山が噴火しそ……


「デリック!! 一体今まで何を聞いてたんだよ! オイラの名前は『フィン』だって言ったろう。次こんな事言ったらファン止めるぞ!」


「わっ、悪い。『フィン』だな。覚えたぞ。間違ってもフィルとかフィーとかは言わないから安心しろ」


「何が『安心しろ』だ! そういう間抜けな事言ってると、変なガイドに当たった時に大変な事になるぞ」


 いや、噴火してしまった。しかも俺の不注意で火に油を注いでしまう。確かに名前を間違うとか失礼だよな。もしガイドとはぐれてしまった時に名前を間違って覚えていたら、二度と元の場所に戻れなくなる可能性もある。生粋の田舎者である俺は気を付けないといけない。


 俺の言葉に呆れてしまったのか、フィンはそっぽを向いて無視を決め込んでしまう。これはマズイと急いで平謝りすると何とか許してもらう事ができたが、その際何か食べ物を奢る約束をさせられる。曰く「デリックの必死さに免じて今日はこの辺で勘弁してやる」との事。何だか立場が逆転しているような気もするが、その辺は気にしてはいけない。


「デリッーク!!」


 丁度近くにいたオバちゃんが大きな籠を背負っており、中身は食べ物だろうという事で売ってもらえるようフィンが交渉をする。結果は勿論OK。籠の中身はリンゴだった。それを元気な声を上げて投げ渡してくれた。


「おう。ありがと!」


 そうして道端に座り込み皮から頬張る二人。予想通りリンゴは甘くなく酸っぱいだけだったが、この味にはもう慣れていた。これはこれで慣れると美味しい。瑞々しいその果肉は口の中に爽やかさをもたらしていた。


「本当、デリックは全然剣闘士っぽくないよな……」


「ん? 何か言ったか?」


「い、いや。何でもない」


 中心地から外れた道であってもやはりここは都会。人の往来が途切れる事はない。中には役人風……とでも言うのか、質の良い生地の衣服に身を包んだ上品な人も見かけた。多くは俺やフィンと変わらぬ姿ではあるが、こういう人が当たり前にいる辺りがニトラとは違うなと思ったりもする。


「そう言えばさ、フィン」


「なんだい」


「ずっと気になっていたんだが、この町、随分と剣闘士関連の店が多くないか?」


 多い少ないの基準は分からないが、この町に来た時から様々な所で剣闘士関連のグッズを売るお店が目に付いていた。入場券を買ったり、場外馬券売り場のように出店先で賭け札が買えるのはまだ分かるが、ファングッズのような物まで販売していたのは驚きである。


 チラリと見た感じではディフォルメされた木彫りの人形であったり、剣闘士の手形や名前が入ったシャツであったり、後はメガホンのような物もあった。後は、今フィンが被っているベレー帽があったのを覚えている。


「そっかー。デリックはニトラから来たんだっけ? ならそう思うかもな。オイラもそうだけど、この町の町長が本気で剣闘を好きなんだよ」


 力の入れようの違いと言えばそれで終わりだが、ここまで来ると芸能人やプロスポーツ選手扱いに近いように思えてしまう。ウチの一座ではトップ選手がファンの人に握手を求められる程度だが、それと大きな違いだった。


 兵士崩れや愚連隊上がりの剣闘士が多いウチの一座とはそもそもの経歴が違うのだろうか? いや、日本でも格闘技の世界も変なのは多かったな。


「それでな、フィン。一番分からないのがどうしてこの町のトップ選手が……ええっと『レッドキャップ』だったっけ? 幾ら強いとは言えゴブリンなんだ?」


 剣闘士の盛んな町、ここアルパカでは俺の感覚では考えられない事が常識として皆に受け入れられていた。

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