第三話 カウント2.9

 こういうのを「ビギナーズラック」と言うのだろう。延髄が急所である事は分かってはいるが、たった一撃で昏倒するとは思わなかった。じっと物言わぬ置物を見下ろす。


 これから始まるもう一つのショー。俺としては「もうKOで良いんじゃないか?」と思うが、お客様にとってはここからが本番となる。分かり易い勝ち名乗りという大義名分の下、場内に「殺せコール」が降り注いだ。


 当たり前の話だがゴブリンが血を流さず昏倒するというのは殆ど無く、多くが出血で倒れる。剣闘士はその名の通り殆どの選手が得物に刃物を使うからだ。そのため、ダメージを与える事は出血させる事とイコールとなる。


 そういった意味で、今のこの状態はお客様にとっては勝敗の決定にはならない。目に見えての分かり易さが足りない形となる。


 溜息を一つ。「仕方ないな」と呟きながら手にした棍棒を大きく振り被った瞬間──


「なっ!!」


 突然寝返りをうつようにゴブリンがゴロリと転がったかと思うと、


「ぶっ!」


 今度は逆方向に転がりながら、太い腕から繰り出される拳が俺の腹部を突き刺した。


 強烈に入ったストマックブロー。想定外の動きに驚いて、ただポカンと見送るだけ。無理な体勢で出したにも関わらず、


 ──ドスンという衝撃を受け、吹っ飛ばされた。


 気持ち悪い浮遊感を一瞬感じた後、地面に尻餅をつく。


「う゛っー、やりやがった」


 腹部に刺すような痛みを感じ、全身から脂汗が噴き出てくる。たった一発でこのダメージ。相手にはまだこれ程の力が残っていた。


 はっと気が付き、力の入らない足を奮い立たせて無理にでも立ち上がる。膝に手を置いて支えながらという有様。相手もまだ起き上がりの最中だったので追撃は免れたのは運が良かった。しかし、良かったのはそこまで。頭を振りながらゆっくりと立ち上げるゴブリンの手には凶器が握られていた。


「……あっ」


 愕然としながらも後退をし、距離を取る。念のために右手を見るがある筈の物が無い。


 そう。ゴブリンが手にした凶器は俺の唯一の得物である特製棍棒だ。パンチを食らった際に手から零れ落ちたのだろう。


 しかも完全に立ち上がった時には、その棍棒を頭上に掲げて俺や観客に向けてアピールするオマケまで付いている。


「ははっ。これじゃあカルロスの事笑えないな」


 さっきまでのコールは過ぎ去った過去。無責任なオーディエンスはドラチックな展開に沸き立つ。まるでプロレスでのカウント2.9からの逆転劇を見せられたような気分。一気に形勢がゴブリン側へと傾く。


「げほっ」


 致命傷とまではならなかったのが不幸中の幸いだが、思った以上に足にきている。足を使った回避はしばらくは使えない。攻撃はガードで凌ぐしかない……ができるだろうか。


 その上で得物を手放して丸腰というのはかなり痛い。俺の得物は相手に渡っている。普通に考えれば絶望的な状況だ。今すぐにでもギブアップしたい。


 だが、それは「今」の話。少し前までは向こうが逆の立場だった。相手はそれをひっくり返して「今」の状況を作った。まだ詰みだと判断するには早い。俺とカルロスはここが違う。


 要は戦いの主導権をこちらが握れば良い。俺も似たようなものだが、向こうには先程の延髄へのダメージはまだ残っている筈。何か一手あればひっくり返せる。


「ん? ……マジか?」


 観客へのパフォーマンスか、はたまた俺への威圧か。ゴブリンが俺の棍棒を見せ付けるように頭上で振り回しながらゆっくりと近付いて来た。獰猛な笑みで今にも舌滑ずりをしてもおかしくない。


 言いたい事は分かる。俺の心を折りにきているのだろう。こんな所で俺に相打ち覚悟の攻撃はされたくない。そんな事になると俺も大怪我では済まないが、向こうも余計な怪我を負うリスクがある。延髄へのダメージを考えるとその選択は悪い手ではない。理想は俺に逃げ回って欲しいのだろう。


 お前は知らないだろうが、ここで一つ大きなミスをした。俺の本職は無手なんだよ。だから高い目線で見下ろしている奴にはこう思うんだ──


 チャンスは一度切り。迷ったら負けだ。悲鳴を上げる脚に鞭打って地面を蹴り、低い姿勢で駆け抜ける気持ちで身体ごと相手に預ける。


 ──「下半身ががら空きだ」ってね。


 "諸手刈り" ── もしくはタックル


 後は相手の両足を取り体重を前に入れれば良い。ここで足を開いて踏ん張られたらご破算だったが、そんな素振りもなく重さを感じない。ここぞとばかりにそのまま倒れ込むように押し込む。


 相手の重心が高いままだったのが功を奏した形だ。ドスンという音を立てもつれる様に一人と一匹が地面に転がる。ゴブリンは受身に失敗したらしく、後頭部を押さえて呻き声を上げている。


 ここがこの試合の最大のチャンスなのは間違いない。絶対にものにする。


 する事は簡単だ。相手の右脚を取り、跨ぐように自分の足を内側から入れてそのまま倒れ込むだけ。後は自身の両足で相手のももを挟み込みながらその踵を全身で捻りながら引っ張っていく。


 "ヒールホールド" ── 複雑な動作が必要ない割には、決まると地獄へ一直線の極悪な関節技。


 まさかこの異世界でゴブリン相手に関節技を使うとは思わなかった。だが、パワーでも防御力でも上回る敵に対抗するのにこれ以上の技はない。この世界ではこれまで関節技の練習をする機会は無かったが意外と覚えていた。


「ふん」


 絞り上げた瞬間、割れんばかりの悲鳴が場内に響く。聞くだけで痛さが分かる程だ。声だけではなく本体の方も狂ったようにのた打ち回る。だが、ガッチリとロックした足は俺が絶対に離さない。結果、動き自体は派手だが、体力を消耗するだけの意味の無い行動が続く。


 笑い話のような展開だが、今回のように意識の問題で動きに気付かなかったり反応が遅れる事は意外とある。分かり易いのはマジックではないだろうか? ある部分に注目を集めておいて違う部分で本命の動きをする。今回の場合は得物を持った事でゴブリンの意識がそちらに流れてしまい、下半身への警戒を忘れてしまった形だ。


 今はヒールホールドで絞り上げているが、もし万全の状態であれば間違いなくローキックの連打を選んでいた。往々にして得物を持つ事で逆に弱くなるケースは起こり得るが、これほど典型的だと過程こそ違えど結果はそう変わらない。


 慣れない物や身の丈に合わない物を使うのはそれだけで危険を伴う。逆転を狙って手にした俺の得物が滅亡への片道切符だったという皮肉な結果。そう思うと少し憐れではあるが、一歩間違えば俺もいつコイツと同じ立場になるか分からない。そう肝に銘じ、勝利を確実にするべく手に力を加えた。


「ギャァァァァァーーー!!」


 先の試合でもそうだったが、こういうのは逃げ方を知らないと極まったが最後、抜け出せない。今更思い出したかのように俺を蹴飛ばしてきた所でもう遅い。力の無い蹴りにどれ程の意味があろうか。その都度勢いをつけて俺は悪辣に踵を捻り上げていく。


 ある種異様な光景に客席がざわめき出す。多分この世界でも極め技の概念くらいはあると思うが、より洗練された形の関節技というのは目にした事がない筈だ。ましてや、それを怪物に対して使う剣闘士はまずいない。全てが初めてのこの光景。


 それでも一つ言える事がある。今、観客達が目の当たりにしているゴブリンの苦痛に歪む顔、耳を塞ぎたくなるような金切り声、そして何とかしよう必死になる泥臭い抵抗、これら全てが最高のご馳走であり、酒の美味さを引き立てる極上の肴。起こっている出来事は初めてでもなんでもなかった。


 隙間風吹く席が俄かに熱を帯びていく。


 移り気だった観客からのもう何度目か分からない「殺せコール」がまたも出始めていた。それは悲鳴の力が弱くなる毎に反比例するかのように盛り上がっていく。ゴブリンが断末魔の声を上げる頃には三六〇度全てから沸き起こっていた。


「ありゃ……少しやり過ぎたかな」


 抵抗する力がなくなったので様子を窺ってみると……動きが完全に止まっていた。それだけなら先程の事もあるので技を解く事はないが、下腹部が濡れて液体が地面に染み出している事に気が付く。その上、口からは泡を吹いている状態。これ以上はゴブリンの臭い足の臭いを嗅がなくても良いらしい。


「ようやく終わったか……って、はいはい、分かってますよ」


 個人的にはこれくらい分かり易く気絶してくれているなら、もう俺の勝ちで良いと思うのだが、相変わらず客席から降ってくる無責任なコールは止みそうにない。審判からの試合終了を告げる勝ち名乗りもない。つまり──


 地面に落ちていた特製棍棒を拾い、しっかりと両手で握る。その得物を天に掲げるべく大きく上段に振り被り、白目を剥いた異形の顔面へとただ振り下ろしていく。


 ──血が足りないらしい。


 一撃毎に鼻が潰れ、皮膚が裂け、血が飛び散る。手に伝わる感触も時に硬く、時に柔らかく、時に爽快に。そのままでは固くて食べられない肉を、口元でほろりと蕩けるように柔らかくほぐしていく作業。鼻腔を刺激する不愉快な臭いが、青い返り血が、手に持つ得物に俺の身体に纏わりついてきた。


 今や目も背けたくなる程ハンサムとなった緑色の肉塊。所々陥没し、肉を通り越して骨が顔を覗かせる。


 お客様は興奮も最高潮だが、それを実際に行なう俺にとってはいつ終わるともしれない地獄の時間が続いていた。こんな汚れるだけの意味のない行為は早く終わらせて身体を拭きたい。


 ふとそんな時、


「チェストーーーー!!」


「はっ?」


 客席のどこかから聞こえてきたその言葉。意味が分からず動きが止まってしまう。


 やがて「ああ先輩か」と声の主が誰かを理解する。きっと前の俺の試合を観ていてくれたのだろう。その時、俺が止めを刺す時に使った言葉を覚えてくれていたんだな。


「ありがたいね。これで後はゆっくりできる」


 他のお客様にとっては意味不明だろうが、俺には意味が分かった。なるほど。「そろそろトドメを入れろ」という事か。


 息を吸いながら、手にする棍棒を大きく振り上げて充分なタメを作る。目標はハリウッドもびっくりの超二枚目俳優。下ろすのは幕ではないが、今日の所は我慢してくれ。


 丹田に力を込めながら大きく叫ぶ。


「チェストォぉぉおーーーー!!!」


 こうして俺の復帰第一戦は白星で飾る事になった。

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