第二話 前座の登竜門

 中天を指す太陽の日差しが普段よりも眩しく感じる。暖かな気温が瞼を下ろそうと必死で働きかけてくる。口からはしきりに欠伸という形で三大欲求の一つを誘ってきた。


「ううっ、やっちまったー」


 明けて翌日、本日は試合の日。しかも第一試合という最悪の状況。昨日の夜更かしが祟り明らかな睡眠不足となっている。その上で今は午後の一番暖かい時間である。


 言うなれば、丁度五時限目に体育の授業が入っているようなものだ。


 これがまだ後ろの試合ならある程度の仮眠が取れていた。だが第一試合ではこうはいかない。午前中に雑用とアップを済ませると試合の時間となってしまう。


 まばらな客席からは俺に対しての暖かい野次が飛んでくるが、それ位ならまあ許そう。ムカつくのは、席が埋まっていないからと平気で客席で横になって寛いで観戦している奴等が結構いる事だ。「ちょっとお前等俺と代われ」と言いたくなってしまう。この時間の試合にはもう一つの敵がいた。


 当然、そんな寝不足状態の俺を目の当たりにしている対戦相手のゴブリンはニヤけ面である。だらけた姿の俺を見て、戦う前から勝ったと思っているのが分かる。翌日の事を考え話し合いを早々に切り上げておけば良かったのに、どうして俺はじっくりと聞き取り調査をしていたのだろうか。


 自業自得ではあるが、自身の馬鹿さ加減に呆れていた。


「本日の第一試合を始めます」


 やる気のない司会に散発的な拍手が更に気力を萎えさせる。ルーキーだから仕方ないとは言え、声援の一つも無いというのは寂しいものだ。前の試合の時は野次られついでだとは思うが、ダミ声のオッサンから声援をもらっていたのが懐かしく感じてしまう。


 いや、半年近く前の話だから懐かしく思っても間違いではないな。


 先の試合で大怪我を負った俺は怪我が治った後もずっと試合をさせてもらえないでいた。これまで通りの雑用仕事に逆戻りという形である。曰く「もう少し身体作りをしろ」という至極当然の理由で。


 俺自身も実際にまだまだ身体作りの必要を感じていたので、言う通りに従い忙しく過ごしていたのだが、季節は巡りまたもや農繁期がやって来る。そこで今度の遠征には俺が正式に剣闘士のメンバーとして選出される事となった。術後の後遺症も見受けられないし、そろそろもう一度試しても良いだろうという運びである。


 また、今回の遠征先であるアルパカの町は、剣闘士事業に力を入れているからか怪我治療の面でも充実した設備があるという。万一を考え、前回のように大怪我をしても対応可能というのが選出の理由でもあったそうだ。


 少し神経質な気もするがこういう話を聞くと、一座が俺に対して気を使ってくれているのが良く分かる。剣闘士はなり手が少ない職業なので簡単に壊れては困るという打算があるかもしれないが、それでも嬉しかった。


 ならばという事で、その期待に応えるためにも今度は怪我をしないように頑張ろうと思った……のだが、前回に引き続きまたもや嵌められたと理解する。


 闘技場入りする前にこの町のスタッフの人から激励の言葉をもらいながらも判明した事実。なんと今回の対戦相手は「コイツが倒せたら前座卒業」という登竜門的クラスである事。普通に考えてデビュー二戦目のガチガチの新人向けの相手ではない。


 つまりは前回ほどではないにしろ、強い敵と戦わせるから医療設備の充実しているこの町に俺を遠征させたという事になる。言いたい事は分かる。俺の実力を測りたいのだろう。とは言えなんというあくどい手口か。あの時感じた俺の感動を返して欲しい。


 加えて今のコンディション。


「分かっているよ。やれば良いんだろ。やれば」


 俺は呪われているのだろうか?


 ただでさえ前座の試合だ。その上でこんな無謀な試合となれば一層客席は閑散とする。鳴り物入りのスーパールーキーが試合をするとなれば話は違ったろうが、他団体のしかも名前も聞かないド新人の試合である。まず勝てると思う人は少ない(先の試合内容はコタコタの町の団体の不手際があるので広まっていては困る)。例えて言うならRPGにおける中ボスに低いレベルで挑むようなものである。多くの人が「出直してレベルを上げて来い」と思うだろう。


 冷え切った客席を象徴するかのようなおろしの風に身震いをしてしまった。


 口に入った砂がやたらと不快感を煽る。渇きを癒そうと何度も唾を飲み込む。今回もやはり楽をさせてくれそうもない。眠気を振り払うかのように両頬を引っ叩いて活を入れる。


 いつものように、ゆっくりと棍棒を上に位置し得意のトンボの構え。その姿を見て場内からは笑いが沸き起こるが、意に介さず左脚を前に出す。


 戦いの始まりを告げる匂い袋が俺にぶつけられた。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「始め!」


 司会兼審判の声が高らかに上がり、場内から歓声が起こる。


 前回は気持ちが焦っていた事もあり奇襲を選んだが、その後の手痛い洗礼にはもう懲り懲りである。今回は相手の出方を窺いながら慎重に戦いを進めるつもりだ。


 敵は先の相手よりは一回り小さいが、それでも身長は一七〇センチ以上はあり、俺の身長を大きく上回る。今回も得物は持っていない。今回も無手が相手だ。しかし、それであっても体格は俺より遥かに良いので、パワー的には圧倒的に負けている。


 それが大きな理由だろう。ふてぶてしい態度で緑色の怪物が文字通り俺を見下ろす。自身を大きく見せようとしてか、両腕を軽く広げて威嚇してくるような姿勢までしてきた。そうして現れる口元の笑み。


 気の短い剣闘士ならこの時点で雄叫びを上げながら突っ込んでいるかもしれない。だが、残る眠気のお陰で幸か不幸か今の俺は気にならなかった。そんな事よりも早く試合を終わらせて眠りたい。今はどう攻撃を組み立てるか考える事の方が最優先である。


 まずは間合いを計りながら、お互いに牽制から始めるべきか……と思案をしていた所、


「ガァァァッ!」


 力の差を見せ付けたいのだろう。先にゴブリンの方から仕掛けてくる。


 迫力が出るのは分かるが、身体を揺らしながら地面を踏み鳴らして一歩ずつ近付いてくる様に少し拍子抜けしながらも、こちらも渡りに船だとばかりに摺り足で間合いを詰める。


「ハッ!」


 まずは牽制の一撃。体重を後ろに残して予備動作無しでただ速いだけの初手を決める。軽快な風切音と短く乾いた音が心地良い。


 当然、そんな攻撃が有効打となる訳がない。先の戦いと同じく反撃のパンチがやってくるが──


 ──短いバックステップで軽やかにかわす。最初からこの動作までがワンセット。


 体重移動のない軽い攻撃は、すぐに次の行動を取れるのが利点となる。


 ついでとばかりに隙だらけとなっている腕に同じく軽い攻撃を入れておく。小手打ちと言えば良いのか? 大きなダメージとはならないが嫌がらせとしては実に有効。打ち込んだ瞬間、パシンと小気味良い音が聞こえた。


 瞬間、さっきまでのニヤケ面が消えてなくなる。今回の相手はこうした攻撃に免疫が無いのかもしれない。大した威力はなかった筈だが、打たれた患部を左手で擦るような仕草をしている。涙目になりながら何故か俺を睨んできた。


 ……何だろう。痛いのが嫌いなのかもな。それでよくここに来たなと思うが。


 ならばと今度は敢えて普段よりもオーバーアクションで大きく振り被ってみる。そのまま少し距離を詰め、当たらない場所だと分かっていても鈍い風切音を出して力一杯の振り下ろし。しかし最後まで振り切らずに途中で止め、何事もなかったように元の構えに戻す。最後はいつもの気持ち悪いスマイル。


 先程の舐めた態度にお返しをするべく「もっと痛いのを入れてやるぞ」と見せつけたのだが、振り下ろした瞬間に身体がビクリと反応。ここまで効果があると少し驚いてしまう。


 もしコイツが人間であったなら、今頃恥ずかしくて顔を真っ赤にさせている事だろう。その後はコケにされた事に怒り出すのは間違いない。その証拠に今、肩を震わせ小さく何かを呟いている。やがてカッと目を開いて、


「ガァァァァァァッ!!」


 先程とは違う腹の底からの叫びを上げながら一目散に俺に迫ってきた。間違いなく今の咆哮は「殺す!」と言っているのが分かる。


 "来た!"


 力任せで大振りの左右のコンビネーション。向こうはトサカに来ているので、形振り構っていない。


 こちらはそれを素直に食らってやる義理もない。肩が動いた瞬間に後ろに下がり、当たればただでは済まない拳を空振りをさせる。目をつぶっていても……とは言わないが、相手の迫力に飲まれたりせず冷静に対処できるなら、こんな分かり易いパンチに当たる筈がなかった。


 ヒートアップする客席。良く通るダミ声の声援がゴブリンを鼓舞し、逃げ惑う俺への叱咤激励は他の観客の笑いを誘う。


 それを真摯に受け取るつもりもなく、何を言われようと全てスルー。今俺がすべきなのは、相手の動きから目を離さず確実に回避を続ける事。そして、次の一手としての仕込みをする事だった。


 相手の攻撃の切れ目におもむろに構えを解いて、腕をだらりと下げる。いわゆるノーガード戦法。つまりは更なるあおり。


 今ならもれなく、指で「掛かってこいや」と挑発するオマケまでが付いてくる。


 普通は自分の攻撃が通用しないなら、違う手段に切り替える。何度も失敗を繰り返そうとしない。どんな馬鹿でも何か工夫しようとするだろう。故にそれを防止する。考える事をさせない。タフな敵と戦うなら、疲れさせて動きを遅くさせるのは常套手段。なら、回避のしやすいより単調な動きで消耗を誘いたい。


 漫画的な表現で言えば相手のゴブリンは今、頭から湯気でも出ているんじゃないだろうか? さっきまで格下だと見下ろしていたガキに良い様に振り回される。こんな経験、今までなかっただろう。


「ガァァァッ!」


 その甲斐あってか、壊れたテープレコーダーのように当たりもしない左右のコンビネーションを繰り返してくれる。


 …………と思いきや、あっさりと動きが鈍くなった。先の相手とはまた違うようだ。大きな空振りの後、肩で息をしているのか次の攻撃までの間隔が長くなっている。仕掛け時だ。


 何度目となるか分からない必殺の右パンチに対し、今度は逆に半歩前へと踏み込み、軸足の回転で相手の前腕部を左手で押すように叩き付ける。


 "内受け"──それも変則的な使い方。ボクシングのパーリングに近い。


 突然の横方向からの力に更にゴブリンの拳は右へと流れ、体勢を崩す。俺に対して見せる驚愕の表情と隙だらけの肩口。オマケとばかりにフック気味に背中側からその肩口を殴っておく。


 予測もしない攻撃だったのだろうか。横方向の攻撃により、相手はそのまま足をもたつかせながら身体が反転。俺に背中を晒す事となる。


 こうも上手くいくとちょっと笑えるが、どうせ笑うなら勝ち名乗りを上げて高笑いをしたい。この機を逃さず右脚を踏み込み、手にした棍棒をバックハンドの要領で延髄部分に力の限り叩き込む。


 ゴブリンが短い悲鳴を上げ、フラつきながらも膝から崩れていった。


「やった……よな?」


 つい不安になってそんな言葉が出てくる。幾ら延髄に攻撃を入れたとは言え、一撃で昏倒するとは思っていなかったからだ。


 右手に感じた手応えも確かである。倒れ方に演技があったとは思えない。しかも現在進行形で地面に対して情熱的なキスを行っており、ピクリとも動かない。


 KOした以外の回答が出てこなかった。


 客席も俺と同じ気持ちなのだろう。ダウンした直後はざわつくだけだったが、動きを見せないゴブリンに対してトドメを強要する「殺せコール」が徐々に沸き上がってくる。


 何だか釈然としないが、こうなった以上は御要望に応えるしかないだろう。


 デビュー二戦目の幕引きは意外と呆気なかった。

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