第九話 振り出しに戻る

 ──「好事魔多し」そんな言葉が俺の頭をよぎる。


「凄い。凄いよ姉さん! この手袋使い易い。もう最高。愛してる!」


「デリックったら大袈裟ね。父さんの指示通りに作業しただけよ。一人ではこれだけの物はできなかったわ」


 そうは言いつつも満更ではない表情を浮かべる姉は、普段の大人びた雰囲気とは違う可愛らしさだった。自分の仕事を褒められて喜ばない人はまずいない。それが指に怪我をしてまで頑張ったなら尚更だ。無邪気な笑顔は年相応と言える。


 ついに完成し、受け取ったオーダーメイドの革手袋。変な隙間もない寸法通りの仕上がりとなっていた。内側はやや薄く指先の感覚を残しつつも、外側は厚手で多少の事にもビクともしない作り。しかも、指の曲げ伸ばしにも抵抗を感じないとくれば最高の一言しか出ないだろう。


 これでデビュー戦の準備は整った。脚絆や手甲は今回間に合わなかったので、ジャンから包帯の布を譲り受ける約束になっている。後必要なのは棍棒も含めて自分の手に馴染ませるくらいだろう。


 俺自身に付いては何も問題無い。


 問題があるとすれば、借金の返済だった。


 父の手術に付いてはさすがは腐っても鯛、酔っ払っていてもジャンとばかりに無事終わる。正直、骨のズレを治すなんて相当な難度のような気がするが、麻酔を行なった後に該当部分を切開して直接ズレを正していた。迷いなく手際良く進む手術に感心して、俺はただ見ているだけの置物となる。


 人手が必要という事で今回の父の手術に俺も手伝いとして動員されたが、全く役に立たず、術後にジャンに散々に叱られる羽目となった。ただ説教中、素直に「リーダーの手腕が凄過ぎて感動していました」と言うと、その後徐々にトーンが落ちて「以後は気を付けるように」となったのは御愛嬌だろう。神の使いを自称していてもジャンもやっぱり人だった。


 そういう訳で手術は成功。ギブス代わりの固定具を取り付け、家で安静となる。本当なら入院という形が望ましいが、無断で侵入している以上はそこまでは不可能。その分、痛み止めの薬を多めに譲ってもらう。一ヶ月もすれば固定具を外しても良いそうだ。


 こうして父の怪我の方も問題なく片付いたが、借金に付いては思わぬ落とし穴があった。


「はい。返済開始の猶予期間ですね。六ヶ月までなら大丈夫ですよ。但し、その間は利息だけを払って頂く事となります」


「ああっ? 来月まで待てば全額返済するからそれまで待て? 返済するのは当然として、それで本当に返せるなら来月まで待ってやるが、利息だけは払え」


 そう、利息である。この存在を完全に忘れていた。


 念のために父に利息分の支払いが可能かどうか確認するが……結果は予想通りゼロ回答。今は生活するのがやっとなだけの資金しか残っていないので、利息でさえも支払う余裕が無いという。


「参ったなあ。本気で利息の事、忘れていたよ」


「どうするんだ? デリック」


 高利貸しと組合との話し合いを終えた帰り道、重い足取りでとぼとぼと歩く。傍らには父の姿があった。ここまで順調だっただけに落胆の色が隠せない。


 空を行く渡り鳥に淀んだ雲。吹きさらす風に妙に寒気を感じる。天気の良い日は心地良ささえ感じていた筈なのに、今日に限っては何故か虚しい。


 ……少し疲れているのかもな。こんな状態では良い考えも浮かんでこないか。


「とりあえず家に戻りましょう」


「……そうだな」


 まだ何かできる事があると思うが、その切っ掛けさえも掴めない。「下手の考え休むに似たり」とも言うが、それならいっそ休んだ方が良い。そう思い、まずは実家で落ち着いて状況を整理しようと考えた。


 いつもより長い時間を歩いたような変な気分で実家に足を踏み入れた途端、姉からのやけに明るい「お帰りなさい」という言葉。理由を聞くと、ついに俺の手袋が完成したとの事だった。


 嬉しさの余り、何度も感触を確かめる。拳を走らせ、手首を捻り、バックハンドで……。その都度、インパクトの握りを作る。


「もう、デリックったらそんなに嬉しそうにして。やっばりまだまだ子供ね。新しい玩具で遊んでいるみたい」


「…………」


 ふと気が付く。俺は何のために実家に来たのだろうか? 確かに手袋の受け取りは待ちに待ったイベントではあるが、する事があったような……。


 そうして改めて思い出す父の借金の事。金が足りない事。そして、二日後にはデビュー戦がある事を。


 ああ、そういう事か。俺にはその足りない金を捻出する手段があった。どうして忘れてしまっていたのだろう。完全に二つは別の事だと勝手に思っていた。


「ちょっ、ちょっとどうしたの? いきなり黙ったりして。もしかして手袋に変な所があった?」


 改めて姉の方に顔を向ける。


「うん。やっぱり姉さんは最高だよ。このグローブさえあれば大丈夫だ!」


 そして今度は父の方へ。


「父さん。もっと早く気が付けば良かったよ。二日後のデビュー戦に俺の勝ちに賭けて! それで全ては解決だよ」


 そういう事だ。借金の返済方法自体がマトモな発想じゃない。なら何故、利息分の確保だけはマトモに考える必要があったのか。


 ギャンブルで勝った金で利息の返済をする──常識人なら即「狂ってる」の一言。


 だが、そんな事は百も承知。毒を喰らわば皿まで。こんな一発逆転の手に乗らないのはあり得ない。しかも、俺のデビュー戦は新人用の相手だ。きっと分の悪い賭けではないと思う。


「父さ──」


「ちょっとデリック、今何て言ったの!!」


 父に決断を促そうとした所で、猛烈な勢いで姉からの横槍が入る。


「……あっ!」


 瞬時にその意味を理解するが時既に遅し。


「デリック、ちょっとそこに座りなさい」


「……はい」


 またしても冷たい床に正座させられる羽目となる。都合三度目。


 今はまだ表情を取り繕っているがそろそろ限界のようだ。左の口元が少し上がり、青筋が立っている。


「ちょっとどういう事! 今さっき、デビュー戦がどうのと言わなかった? デビュー戦って剣闘士の事よね? デリックが闘技場で戦うっていう事?」


 堰を切ったように頭上から物凄い剣幕で姉が捲し立ててくる。だが、事ここに至ってはどうする事もできない。こうなる事は分かっていた筈なのに口を滑らした俺の責任ではある。しかし、今回ばかりは何とか理解してもらうより他はない。


「…………はい。その通りです。二日後に試合があります」


「何それ! 雑用が仕事じゃなかったの!」


「えっーと。怪我人の代役として先週にデビューが決まりました。もう代わりの人を準備する時間も余裕もないので、試合の変更はできません」


「どうしてそう簡単に言うの。分かっているのデリック? 闘技場で戦うという事はいつ大怪我するか分からないのよ! 下手をすると死ぬかもしれないのよ!」


 冷静に話していたつもりが、火に油を注いでしまう。更なる激しい詰問が俺を待っていた。


 それでも、


「絶対勝つので安心して下さい。姉さんを悲しませたりはしません!」


 ここが踏ん張り所。絶対に弱気は見せられない。死を感じさせる事は姉の恐怖に繋がっている可能性が高い。ふと、もしかしたら俺の事は別人だと実は感づいているんじゃないかと思ったりもしたが……いや、今はそんな事はどうでも良いか。


「…………」


 目を伏せ今にも泣きそうになる。ぼそりと呟く「どうしてこんな大事な事、今まで黙っていたの」の一言。感情の波が変化したような気がした。


「姉さん、今のままじゃ最悪売られる事になるんだよ。あの時の涙は嘘だったの? 本当は姉さんも辛いんでしょう? それだけは何とか止めないと」


「……それでも良いわよ」


 何とか説得しようとするが、更にポツリと抑揚もなく小さく呟く。


 マズイ。かなり意固地になっている。これは何を言っても聞いてくれそうに……いや、それでも説得は続けないと。


 圧倒的に不利な立場とは分かっているが、頭を振って食い下がる。


「良くないでしょ。奴隷になったら楽な所には行けないよ。皆が嫌がる所で働かされるんだ! 下手すると娼館行きになるよ」


 娼館はさて置き俺自身が通った道である。あの時は飯欲しさに必死だったが、結構過酷な労働であった。同じ道は姉には通って欲しくない。


「…………」


 売り言葉に買い言葉。勢いだけで発言し、その後の事は考えていない。よくある事と言えばよくある事だが、結果押し黙ってしまう。


「姉さん!!」


「……帰って」


「えっ?」


「『帰って』って言ってるでしょう」


 そう言いつつ逃げるように姉は部屋から出て行ってしまった。


「あっ……」


 何もできず取り残されてしまう。部屋には俺と父の二人。


 追い詰めすぎたのかもしれない。試合の日も近いという事で焦ってしまった。


 もう少し姉さんの気持ちを考え、時間を掛けて説得に当たっていたらまた違った結果が出たのではないか? そんな事を思いながら軽率な自分の発言に後悔をしてしまう。


 しかし、こうなってしまった以上は仕方がない。今は俺ができる事をするだけ。姉さんには試合が終わったら土下座でも何でもするしかないか。


 そんな最中、これまで沈黙を守っていた父が重苦しく口を開く。


「……デリック。一応聞くけどな」


「何ですか?」


「そのデビュー戦、デリックが負けたらどうなるんだ?」


 今、一番突かれたらマズイ正論であった。自分でも分かっているが、今回の提案は「勝つ事」が前提となっている点である。試合で負ける事は一切考えていない。この時点で破滅的である事は重々承知している。


「あ、はい。お金の事ですね。賭けだから戻ってはこないですが。でも安心して下さい。必ず勝ちますから」


 だが、そんな事はおくびにも出さない。気持ち悪い営業スマイルに爽やかな口調で押し通す。気分はテレビショッピングのMC。聞こえてくるのは「私買っちゃう! 私絶対買うわ!」の幻聴。


「そうは言ってもな……。残りの生活費をつぎ込むんだぞ。デリックが負けたらその日から飯を食べる事もできなくなる。そんな危ない橋は渡れないだろう」


「確かに……そうですね……」


 あえなく撃沈。父の言葉に俺は項垂れるしかなかった。言っている事は全て正しいので、反論の余地すらない。


 結局は振り出しに戻る。


 父は俺に対して申し訳なさそうな顔をするが、「気にしないで下さい」と答えるのが精一杯だった。


「じゃあ、明日また来ます。カルメラ姉さんにも伝えておいて下さい」


 重苦しい沈黙が支配する雰囲気に耐え切れず、その後は実家を後にする。


 宿舎への帰り道、少しでも頭を冷やそうと少し寄り道をしながら人気ひとけの少ない路地を歩いていた。


 太陽が傾き、空が茜色へと染まりだす。家路を急ぐ人々。そこには笑顔が溢れている。きっと、暖かなスープが出迎えてくれるのだろう。長く伸びた影さえほのかに色づいているような気がした。


 俺自身、少し調子に乗っていたのではないかと今更ながら思う。全てが順調だと勘違いしていた。実際には父や母はただ俺に振り回されていただけだったのだろう。だからこそ、今回はこうした結果となった。


 姉に関してもそう。事前にきちんと説明して、少しずつ説得していれば良かった。本当、何を焦っていたのか。


「うまくいかねぇな」


 そんな弱気が口から零れ落ちるが、それでもここまできて逃げる訳にはいかない。余計な事は考えず、まずは二日後の試合できちんと勝ちを拾う。それから始めよう。そこからまた次の手を考えれば良いだけだ。


 目的は何なのか? それを忘れてはいけない。そんな当たり前の事を自分に言い聞かせる。


「いっちょ、やるか」

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