第ニ話 よく当たる予感

 到着したコタコタの町は大きな宿場町という印象であった。


 幾つもの幹線道路が交わり物資の集積が行なわれる。入って来る荷物、出て行く荷物、そして流れる人の波。陸上にある港とでも言うべきだろうか?


 主要な産業こそ無いらしいが、この町は物流で地域を支えている。


 やはりニトラと比べると随分と賑わっているようだ。町を取り囲む木製の柵に多少の安っぽさを感じるが、道は予想外だった。


「凄ぇー。砂利を敷き詰めてる。ニトラのデコボコ道とは大違いじゃねぇか」


 石畳でなかった点は残念ではあるが、町からある一定距離の主要道はこうなっているらしい。確かに雨でぬかるんだり、大きなわだちがあったりすれば進行の邪魔になるからな。良く考えられている。


 街道そのものも軍による治安維持がしっかり行なわれており、今では野盗さえ出ないと言う。物流やこのコタコタの町の発展はある意味、軍の地道な努力のお陰とも言えるだろう。それを聞かされて初めて気付いたが、治安が悪ければそもそも他の町に興行遠征をするという発想自体が出てこない筈。


 この世界は俺が思った以上に進歩的な考え方のようだ。


 だが、こうした優れた考え方をする人達がいる一方、

 

「ああ、通って良いぞ」


 と持っていった書類に目も通さず、形式的に受け取り返すだけの門番。人の出入りが多く、きちんとチェックしていたら捌き切れない事は分かるが、それにしてもいい加減だな。


 どうにも、人自体はそう簡単には進歩しないようだ。さもありなん。


 まあ、無駄な時間を使わなくて済んだと前向きに考えた方が良いだろう。


 それよりもコタコタの町だ。生粋の田舎者である俺にとっては未知の領域ではあるが、この世界の都会がどんな所なのかとても興味がある。


 もしかしたら、レンガ造りの建物が並ぶ所なのだろうか? それとも白い立派な城があったりするのだろうか?


 逆光の射し込む関所を通過して目の前に飛び込んできた光景。


 ──正解はうんこだらけだった。


 うん。考えてみれば当たり前の話だよな。これだけひっきりなしに馬が移動していたら、道が馬糞だらけになるのは。豚の放し飼いが無いだけマシと思った方が良いかもしれない。


「チクショー。俺の期待を返しやがれ」


 幾つもの馬車が通る事を考えているのだろう。町に入ったすぐのメインストリートは道幅がかなり広い。反対側からやって来る対抗馬車も難なく素通りできる程である。ニトラのように隅に避けたりしなくとも良いというのはとてもありがたい。


 だが大量の糞がある。一つは生まれたてのように瑞々しく、もう一つはグシャリと潰され蹄の跡が残り、更にもう一つは乾燥し、中央部からパックリと割れている。そうしたオブジェがそこかしこに落ちている。


 加えて乱立する木造建築の隙間にある路地にはゴミの山が見え隠れし、カラス達がそこに群がる。死体が野ざらしにされ、物乞いが項垂うなだれていたりもする。ビル風を思い出させるような強い風が時折吹き上げ、ゴミを散らし、カラス達を撃退していく。


 活気が溢れるこの町も少し裏を見ればこんなもの。どこか懐かしさを感じさせる。


「うっ」


 風が吹けば桶屋が儲かるというが、俺の場合は漂う空気と混じり合い、複雑で芳醇な香りへと昇華されて鼻腔を蝕む。それも一度だけではなく二度三度と。こみ上げてくる胃液を何とかねじ伏せ落ち着こうとするが……


「デリック、気分が悪そうだな。水でも飲んで落ち着け」


 脂汗をかき、苦悶の表情を浮かべる俺を心配してくれたのだろう。先輩が水の入った皮袋を投げて寄越してくれる。


「○!※□◇#△!」


 かいしんのいちげきだった。


 実は俺は皮袋に入った飲み物は皮の臭いが気持ち悪くて飲めない。今この時、臭いの記憶が鮮明に蘇った。


「…………」


 揺れる馬車の中で無言で立ち上がり一目散に外に出る。限界の時は近い。沸き上がる嫌悪感をどう飼い慣らすか。強大な敵との絶望的な戦いが今始まった。


 何とか路地裏までやって来れたが、そこで終戦のゴングが鳴り響く。涙目となって視界は曇り、一筋の鼻水が地面に零れ落ち、口の中をすえた臭いが蹂躙する。


「ウゲー、カッ、ハッ」


 膝に力は入らないが、何とか地面にへたり込む事だけは回避できた。中腰で上体を倒したまま何度も吐しゃをする。胃液が逆流を起こし、舌に独特の感覚を感じていた。


 この世界での初めての都会。どうやら俺にとっては華やかさは縁遠いものらしい。


 止せば良いのにこんな時に前世での渋谷駅を思い出してしまう。あれは夏の暑い日、駅から外に出た時に目の前に広がっていたのは辺り一面を覆い尽くす鳩の糞だった。


「ウッ……プ」


 そして、もう一度の吐き気。当然と言えば当然の結果である。


「大丈夫か? デリック。……って、派手にやらかしたな」


「はあ、はあ、はあ……。あっ、リーダー、心配を掛けてすみません」


 顔を向けた先にはジャンが心配そうな表情で俺を見ている。急いで来てくれたのだろうか、まだ少し息が荒い。


「それでも顔色が少し良くなったようだな。歩けそうか? まずは場所を変えて落ち着くぞ」


 そう言いながらそっと手を出し、肩を貸してくれる。


 この惨状を見ても顔色一つ変えない辺りがさすがの一言である。一般人ならしかめ面の一つでもするものだが、そんな素振りは一切ない。馬車の中でギャンブルへの熱弁を振るっていたあの姿からは想像もできない冷静さである。


「ゆっくりなら大丈夫だと思います。ありがとうございます」


 胃の中が空っぽになったからかもしれない。さっきまでの気持ち悪さから一転、逆にスッキリしていた。まだ、多少足元が覚束ないがこれ位なら何とかなるだろう。


 二人三脚のような足取りで歩を進めていく。


 道すがら事情を話してくれた。


 嬉しい事にジャンは俺の事が心配になって途中下車をしてくれたのだと言う。だが、馬車自体は往来で立ち止まる訳にはいかないので、先にこの町の剣闘士宿舎を目指す事になった。荷下ろし等の仕事は先輩達が引き受けてくれるので、宿舎に来るのはゆっくりで良いと言ってくれたらしい。


「……珍しく先輩達は優しいですね」


「荷物自体もそう多くはないからな。デリックは確か遠征は初めてだったよな。こう言えば分かるか? 皆、この町に神の教えが行き届いているか調査をしたいらしい」


「…………えっ?」


 そう言うジャンの表情はいつものまま。……いや、少し口角が上がっているな。


「いや、リーダー。馬車の中で俺の事を『物見遊山じゃない』とたしなめたでしょう。それは嘘だったんですか?」


 とは言え、一応はツッコミを入れておきたくなる。


「嘘ではないぞ。我々は仕事でこの町に来たのだからな。初めての遠征で浮付き、羽目を外し過ぎないように言うのは当たり前だと思わんか」


「そりゃ、そうですけどね……」


 言いたい事は分かる。確かに仕事で出張する事になった時も本来の目的は仕事である。だが、普段とは違う場所に来たのだからそれを楽しみたいという事だろう。それを遊びとは言わず、神の教えの調査か……。きっと、先輩達は般若湯でも飲みに行くのだろうな。


 なら、馬車での先輩達の行動も理解できる。あれは一種のパフォーマンスというのが妥当だ。擬似的に神の教えに目覚めたと言うべきか。何とも手の込んだ事で……。


 まあ、俺には関係のない話だ。奴隷の身分では手持ちの金もお小遣い程度しかないし、教えに目覚める必要はないな。現場では仕事漬けにされそうだが、俺にとってはその方がマシではある。


 そうした釈然としない思いを抱きながら、俺達は宿舎までの道のりをゆっくりと進んでいく。助けに来てくれた時は凄く嬉しかったが、こうした話を聞くと「やっぱり物見遊山じゃねぇか」と思わないでもなかった。


 ふと気が付く。何だろう。このジャンを中心とした用意周到さ。そう言えば俺の遠征参加はジャンからの推薦もあったからだと言っていたような……。彼の涼しげな顔を見た時、一瞬悪寒が走る。いや、考え過ぎか。


 

▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「おうデリック、ようやく到着したか。遅かったな! ああ、荷物はあの場所、寝室はあの部屋、食堂はあそこな。それとお前、来週デビューな。後、臭いぞ」


 ようやくこの町の剣闘士宿舎に到着する。


 到着を待っていてくれたのだろう。先輩が俺達二人を出迎えてくれた。


「心配掛けました。遅くなってすみません。分かりました。まずは荷物を確認しますね……って、あれ? 先輩今何言いました?」


 まずは一言謝った後、急いで遅れた分の仕事に取り掛からないと……と思っていたが、何かとんでもない言葉が混ざっていたような気がした。


 うん。明らかに聞き間違いだよな。一座では普段から良い飯を食わしてくれるので、確かに最近は身体つきもしっかりしてきたし背も伸びてきているが、まだ痩せっぽちの俺にデビュー戦は早い。


 いや、それ以前にこれまで剣闘士のレクチャーを受けた事がないのだから、そもそもが無理な話である。こういうのは普通に考えれば入念な準備が必要だ。


 ただ……万が一の事もあるので、確認のためにと思い、聞き直した所、


「何って、荷物の場所と寝室と食堂の場所じゃないか」


「いや、その次です」


 まるでコントのような返答。先輩自身も気が付いていないのか、明らかに眼が泳いでいる。どうやら素直に言いたくないらしい。


「デリックから酸っぱい臭いがして臭いって事だよな」


「いえ、その前です」


 そうして今一度の肩透かしが入る。多少罪悪感があるのかもしれないな。何だかテストで悪い点数を取ったのがバレた小学生のような態度だ。


「…………」


「今、『デビュー戦が決まった』って言いませんでしたか?」


 仕方がないのでこちらから確認を取るが……


「きちんと聞いてたじゃねぇか!! 回りくどい言い方するな!」


 典型的な逆ギレをして先輩の語尾が強くなる。


 そして、


「そんな大事なこと、どうして今急に言うんですか?」


「急に決まったんだからしょうがないだろ!! 俺は単なる伝言役だ。詳しい話はその先で聞いて来い! じゃあ、俺は伝えたからな。後はお前で処理しろよ」


 物凄い早口で捲くし立てた後、最後は怒りながら去って行ってしまう。逃げるような足取りで視界から遠ざかる先輩を苦笑いで見送る。


 「ああっ、ババ引かされたんだろうな」


 つい、そんな同情をしてしまった。


 それはさて置き、予想通りのトラブル発生。しかも俺の予想の遥か斜め上である。色々と思う所もあるが、慌てても泣き叫んでも事態は何も変わらない。どうしたものかと今後の方針を考えようとした所で、


「……デリック……」


 今まで沈黙を貫いていたジャンが俺にそっと声を掛ける。


「何ですか? リーダー?」


 さすがは聖職者。もしかしたら医学的な見地から「俺のデビューは危険だ」とでも掛け合ってくれるのだろうか? いや、それとも仮病を使って試合自体をやり過ごしてくれるかもしれない。一座での実力者であるジャンの言葉があれば皆が思い留まるだろう。そんな期待が広がる。


 ……だが、


「全ては神の御心のままだ」


 出てきた言葉は、聖職者が言いそうな尤もらしい一言であった。けれども、この場合の意味は…………明らかに「受け入れろ」である。完全に今の状況を楽しんでいる。表情こそ硬いままだが、その実、眼はギャンブラーのそれになっていた。


 ああ、もう。こいつら本当に……。


 良い予感は何故か当たらないのに、悪い予感というのはどうしてこうも当たるのだろう。

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