第2章 ニセデリック

第一話 はじめてのおつかい

 光陰矢のごとしとは言うが、見習いとなって二年が過ぎた。


 その間、厳しいトレーニングを課せられ、血反吐を吐き、ついには力強い肉体と強力な技を手に入れる……こんな事を思っていたのはいつまでだったろうか?


 前世の日本のようなテレビも無ければスマートフォンも無いこの世界、己の身一つで怪物と戦う剣闘士の興行はある意味最高峰のエンターテイメントである。勝者は全てを手にする華やかな世界、もしくは自分の命をも屁とも思わない男の世界というのもありだろう。


 そんな風に考えていた時期がありました。


 だが違った。現実はとても厳しい。例えるならここは地方巡業をメインとしたプロレス団体のような場所である。華やかさや男の世界はごく一部。蓋を開ければ地味な仕事ばかりだった。とにかくする事が色々とあるのだ。主に雑用で。


 やはり奴隷として入ったのが良くなかったのだろうか? そう言えば俺のようなガキを剣闘士見習いとして受け入れるのは初だと言っていたし、どう指導すれば良いのか分かっていないのかも知れない。


 それにしても放置はやり過ぎではないか。仕方がないので空いた時間、特に試合中は思った以上に暇になるので、そういう時間にせっせと自主練習を繰り返している。村時代とやっている事は変わらないな。後は、時々思い出したようにジラルド先輩から稽古と称してボコボコにされるくらいだろうか。


 そんなこんなで内弟子として入門したつもりが、気が付けば裏方のスタッフとして働いているような感覚になっていた。


「それにしても何で俺が……」


「それではこれが許可証になります。御確認下さい」


 現在、役所の窓口。


 奴隷である俺がこの町から出るための外出許可証を、俺自身が書類申請して、そして受け取っている。


「大丈夫です。間違いありません」


 いや、これ絶対に間違っているだろ。


 確かに俺の今の待遇は奴隷である。木製の柵でぐるりと囲まれた町から勝手に外に出す訳にはいかないというのは当然だ。皆多かれ少なかれ債務というか借金を背負っているからな。勝手に町の外に出ても良いのならその後の成否はともかく、逃げてそのまま帰ってこないだろう。だからこそ、町の外に出るなら許可書類が必要というのは分かる。


 そして、俺は村時代に勉学の師匠から読み書きと計算の手解きを受けている。しかも、それは日常会話レベルではない。手紙の書き方から公文書の書き方、各種申請書類の書き方まで教わった。いや……課題をこなせばオヤツを貰えるという事で、ムキになって頑張っていたら気が付けば教材が専門書とかこの辺にまで及んだだけだが。


 そう言えば、師匠からは魔法の手解きも受けた。この世界は魔法のような要素は無いだろうと思っていたので、最初はかなり興奮したが、残念ながらこっちの方は落第生扱いをされた。


 それはさて置き、どうして俺が手続きをするという結論になるのか分からない。


 書類申請が面倒なら俺を町の外に出さなければ良いし、俺が遠征先でも必要というなら事務方の人が手続きをすれば良いだけの話である。


「お前がするのが一番早いんだからそれで良いじゃねぇか。後、あそこの書類も提出しておいてくれよ。不備があった場合は修正しろよ」


 と、このいい加減な回答が俺の入団試験を担当したジラルド先輩の言葉である。最近は剣闘士を引退し、事務方に転向していた。


 ああもう、どこから突っ込めば良いのやら……。


 今、俺の所属する剣闘士の一座はここ「ニトラ」という、穀倉地帯を近くに持つ地方都市を本拠地にしている。


 俺自身も経験したから分かる事だが、この世界の農業は農繁期以外は思った以上に空いた時間があり、皆結構暇を持て余している。そして、ここから程近い大農園で食糧生産を支えているのが数多くの奴隷なのだが……そうした人達もそれは同じくだったりする。奴隷と言えど人である以上は普通に休みや娯楽は必要。無茶な仕打ちをすると簡単にサボタージュや脱走が起こり、最悪の場合は農園を巻き込んでの反乱となる。


 万が一そんな事が起きてしまうと多くの血が流れる事となり、たちまち労働力不足=食糧不足となり、農場主は逆に自分達の首を締めてしまう。ソ連兵のように新たな労働力が畑でとれるなら話は別だが、そんな都合良い事は起こらない。結果、農場主は奴隷に対しても一定の配慮が必要になる形だ。


 故に俺達のような存在が必要となる。例えるなら大阪の西成の日雇い労働者が、競馬やボートレースをするのと同じようなものだ。勿論、奴隷以外の市民階級の人も遊びに来るが……。


 そんなギブアンドテイクのような関係で成り立つ我が一座だが、問題が一つある。それは秋風薫るこの農繁期である。どこに問題があるかと言うと……単純にお客様がこないのだ。しかも、洒落にならないくらい。


 この時期は多い時でも五〇人行くかどうか。少ない時は当然ゼロである。農繁期の農業と言えば、機械化されていないこの世界では御近所総出の一日仕事となり遊ぶ余裕が無くなるからだ。農閑期のお客様が常に六〇〇人を越える事を考えると、もう笑うしかない。


 そうなると、普通の経営者なら興行をするだけ馬鹿らしくなる。お客が入らないなら、最初から「興行をしない」という選択が合理的だ。意味も無く赤字の垂れ流しをする訳にいかないからな。


 だが、興行としてはそれで良くても、働いている俺達にとってはその判断は致命傷である。普通に考えればレイオフ、一時解雇となり、収入が途絶えてしまう。下手をすると途端に食うに困る人が出るかもしれない。


 なら、雇い止めもせず収入を得るにはどうすれば良いか? 答えは簡単。この時期でも剣闘士の興行をしている所に出稼ぎに行けば良いだけである。


 という事で、今回俺はその遠征メンバーに選ばれてしまった。役割は先輩剣闘士のサポート及び各種書類手続きの補助である。選ばれた理由は……俺に書類仕事をさせるつもりなのだろうな。なお、当たり前だが遠征自体は全員では行なわない。施設保全等の居残り組みの仕事もある。俺はその居残り組みになると思っていた。


 この一座は普段から人手不足という側面もあるが、奴隷だからといって変に差別したり行動を縛るような所がなく、かなり自由で融通が利く変わった所である。その代わり「奴隷だからできません」という言い訳は一切利かず、忙しい時はどんな仕事でもやらされる。


 要するに、書類仕事のできる人間は少ないので、奴隷であろうと駆り出すというオチだ。なんていい加減な。この世界にこの言葉があれば、ウチの団体は間違いなくこう言われるだろう。「ブラック剣闘士一座」と。


 ああ、そうそう。今回の俺の遠征参加はメンバーの一人であるジャンからの推薦もあったらしい。何でも遠征先の地酒の買出しをさせるとか……って、おいっ。


 ウチの団体の医療スタッフのリーダーをしているジャン。俺も入団試験の際に世話になったが、彼はこの国のメジャー宗教である光神教から派遣されてきた聖職者である。聖職者で医療の知識も腕もある、となればこの国では間違いなくスーパーエリートと言える。だが、彼の好物は酒……つまり、ウチの団体へは酒で失敗して左遷されてやって来た。しかも、一切懲りていない。


「はぁー。やっぱりこうなったか」


 予想通り提出書類に一部不備が見つかり、現在修正中。隅のテーブルで作業をしていると自然と溜息が出てくる。


 これで本当に遠征に出て大丈夫なのだろうか? 行く前からトラブル発生が決定な気がして仕方ない。普通ならこういった場合は楽しみでワクワクするものだが、俺の場合は逆に不安になってしまう。


 まあ、なるようになるしかないか……。


 その後は代理人申請の書類を新たに書いて提出し、そのままの足で組合に行って、つなぎ融資の書類を貰い帰る事となる。


 秋風薫るこの季節、赤く染まった夕焼けはとても綺麗だった。

 


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「リーダーは遠征先の町に行った事はありますか?」


「そりゃあ勿論あるが、どうしたんだ急に」


 見所の無くなった景色にガラガラという車輪の音が退屈さを彩る。


 だが、それを子守唄代わりにしようと思っても車中は別世界。下品な笑い声とアルコールに混じった汗臭い臭い、そして引っ切りなしに訪れる縦揺れと眠りを妨げる要素には事欠かない。


 俺達の一座で貸切とした馬車が一路目的地を目指して街道をひた走る。


 乗り合いなんて上等なものではない。木箱に入った荷物が隣人というVIPルームでだらりと横になっていた。


 そんな中、珍しく酒盛りに参加していなかったジャンが難しそうな書類を読むのを止め、手持ち無沙汰になっていた。暇潰しになればと話掛けてみる。


「いえね。俺は生まれ育った村以外はニトラしか知らないので、これから行く町がどんな所か知りたくて」


「おや? 私の知る限りではデリックは幾つもの町を転々としたと聞いているぞ」


 高級品であるメガネを外し、片付けをしながら悪戯っぽい表情で俺の質問に返してくる。知っててはぐらかしたのだろう。ジャン自身も気分転換を兼ねて俺との雑談に付き合ってくれるようだ。


「俺の感覚では駅に止まったようなものですね。すぐに格子付きの我が家に戻ったから、景色さえ楽しむ余裕もなかったですよ」


「『格子付きの我が家』とは面白い言い方をするな。そう言えば辺境生まれとも言っていたな」


「はい。だから今のニトラでも俺にとっては大都会なんですが、今回の『コタコタ』はニトラ以上の都会だったりしますか? 迷路みたいな町だと迷いそうですからね」


 俺も俺で上半身を起こし、板張りの床に座り直す。横になっている時は分かりにくかったが、こうして座ると思った以上に揺れが激しいのが分かる。よくこんな中で先輩達は酒盛りをしているものだ。


「うん? 何か勘違いしていないか? 今回は仕事だぞ。物見遊山とは……ああ、なるほど。ついにデリックも神の偉大さが分かったようだな」


 言い方が悪かったのか、今回の遠征を観光気分で考えていると誤解をされてしまったようだ。個人的には各種お使いの時に道に迷わないか心配で質問をしたつもりだった。俺のような生粋の田舎者にとっては、ナビも無ければ案内板も無い都会の町並みは超巨大な立体迷路にしか見えないからである。


 それも束の間。何だか急に納得したジャンが話を変な方向に進め出す。


「安心しろ。神への供物である酒の調達の際は、私が詳細な地図を書こう。以前からデリックは神への信心が足りないと思っていたが、ようやく目覚めたようだな」


「えーと、リーダー。一体何を言ってるんですか?」 


 もう手遅れのような気もするが、一応ツッコミを入れておく。多分聞いちゃいないだろうが、変な言質だけは取られないようにしないといけない。


「ニトラは酒が安いのであれはあれで良いのだが、いかんせん種類が少ないからな。その点、コタコタは色んな種類の酒が楽しめる」


 駄目だ。完全にスイッチが入ってしまった。ジャンの暴走が止まらない。恍惚とした表情でありがたい説法をするかの如く話す。雰囲気だけはやはり本職というか聖職者のそれである。


「コタコタが宿場町で様々な人の出入りがあるからだろう。彼の地のワインも様々なフレーバーで私達を出迎えてくれる。それは時に安らぎを与え、時に悲しみを癒やし、そして時に楽しみを更に深める。その千差万別の移ろいは女性の化粧を髣髴とさせる……」


 何だか凄い事を言っているように聞こえてしまう。タレーランのコーヒーの話を思い出す。熱を帯びたその口調に酒盛りをしていた先輩達の騒ぎも収まり、皆静かに聞いていた。


 俺は俺で聞くのも馬鹿らしくなってきたので、再び横になる。

 

「……デリック、聞いているか」


「はいはい。聞いてますよ」


 当然真面目には聞いていない。この辺は最早様式美だろう。


 俺の態度にお構い無しに話は続く。話題は酒だけに留まらなかった。


「また、コタコタには多くの人を楽しませる多種多様の娯楽もある。今最も注目しているのはドッグレースだな。あの汚らわしい犬にこのような使い方があるとは思わなかった。それを知った時、改めて神の懐の深さを学んだ」


 あっー、キリスト教の聖書でも犬はあまり良い扱いじゃなかったな。確か異民族を表していたんだっけ。ここの光神教も根本は似ているようだが、この口ぶりなら少し扱いは違うようだな……って、そういう事じゃないか。


「おうコラ、オッサン! 聖職者が何優雅に賭け事を語ってんだ! 少しは自重しろ!」


「何を言っている! 迷える子羊達を救う為には同じ悩みを共有するのが一番だ。賭け事ほどこれに適したものはない。故に正当な布教活動だ!!」


 誘惑に負けて思わずツッコんでしまったが、こちらの予想を上回る見事な理論武装が返ってくる。まさかの布教活動とは恐れ入る。


 その後もジャンの演説という名の生臭披露は続く。俺はもう本気で聞かなくなっていたが、何故か先輩達はその話に目を輝かせていた。


 初めての遠征。見知らぬ新たな町。荷物のように雑な扱いで運ばれる俺達。そういうのとは関係なく、今日はジャンがとても素晴らしい聖職者だという事を実感できた。本当、これで医療の腕だけは良いのだから始末に負えない。

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