第五話 右手の代償

 賭けには勝った。だが、ここからが一番大事な部分。まだ勝負は終わっていない。


「なっ……」


 俺のガードに押し込まれて、相手がよろめき後ずさる。何とか隙だらけの状態を作り出した。後は強力な一撃が入れるだけ。


 しかし、こんな時ほど落ち着く必要がある。何故なら俺も無理に体重を掛けたので、前につんのめってバランスを崩しているからだ。焦ってはいけない。


 まずは左脚を大きく前に出し一歩。ここで重心を固定して踏ん張る。一見無駄なアクションに見えるが、下半身が安定していなければ打撃の威力が出せない。足がもつれた状態で殴り掛かった所で、ダメージはたかが知れている。


「トドメだ」


 そして、少しでも威力を増すために右手を大きく振り被ってタメを作る。


 普段ならこんな事はしない。何故なら、この動作をすると余計な動作をする分パンチの出は遅くなる上に、下手をすれば拳が左に流れて逆に威力は減る可能性があるからだ。だが、これが使いこなせるなら、今の非力な俺に更なるパワーを加える事になる。対強敵用を想定し、実は村時代の一人での鍛錬中に厨二病っぽく試行錯誤しながら練習していた。


 その瞬間、相手がにやりと笑ったような気がした。ぞくりと悪寒が走る。


 これは誘いではないのか? いや、それともハッタリか? そんな迷いが頭の中でせめぎ合うが、


 ──知るか。


 ここで決めなけりゃいつ決める。賭けに勝利して得た最初で最後のチャンスだ。どの道、次のチャンスなんて来やしない。


 ──構わず行く。


 伸びきった右脚を引き寄せ、身体を前傾させる。そしてそのまま──


 ダンッ


 大きく前に出した。


 予想通り相手は俺の動きに合わせて小さくバックステップ。もし、そのまま右ストレートパンチを出していたなら、大きく空振りをしただろう。あの笑いは俺の振り被りによって後ろに下がる時間ができた事を喜んだものだと読んだ。


 故に俺の選んだ行動はもう一度の距離の詰め。その場で右脚を一歩前に出す事により、身体一つ分前に進める形となる。それは、相手のバックステップを無意味な形にし、俺を勝利に近づける大いなる一歩。


「ハッ!!」


 痛みを堪えて腰を反時計回りに捻る。大きく旋回する右肩。縮んだスプリングが解放されるかのように、鋭い勢いで右拳が鳩尾目掛けて弾かれた。


 "右順突き" ── 但しストレートパンチ仕様。


 空手の技とボクシングの技、更には素人のテレホンパンチを融合させたとても頭の悪いニセ必殺技を今穿つ。


「ふぅ。危っねー」


 ……前言撤回。穿てなかった。


「はっ……ははっ……」 


 天国から地獄とはまさにこの事。腕が伸びきった状態で身体が固まってしまう。


 当てた瞬間骨の固さを感じながらも、無理矢理押し込んで吹っ飛ばすまでは良かった。だが、上手くいったのはそこまで。尻餅をつかせた時点で相手の状態を確認をしたが、俺の目標とする鳩尾部分は腕で覆われ、しっかりとガードされていた。


「……って、何だこの威力。お前本当にガキか? しかも腕が超痛てぇし。噂は本当だったな」


 まだ戦闘継続中にも関わらず、そんな事を言いながら隙だらけの仕草でゆっくりと立ち上がってくる。それもその筈。もう俺自身がさっきの一撃で限界となり、ピクピクと身体を震わせ立っているのが精一杯となっているからだ。最早俺に対しての警戒はする必要がない。 


 身体全体から脂汗が流れ出す。右拳から悲鳴が上がる。多分、骨まで影響が出ているだろう。右肩も無理な動作をさせたのでズキズキする。そして、全力で出した必殺の一撃をあっさりとガードされてしまった事で、完全に心が折れてしまった。


 もう動く事もできない。耳障りなヤジも遠くに聞こえる程。そんな中、巨漢が一歩ずつ近付き、やがて右拳を大きく振り被ってくる。


 その時の俺は何をするでもなく、自身に迫ってくるそれを他人事のようにただ見守るだけであった。


 ──ああ、またか。

 


▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「マズイ」


 突然目が覚め身体を起こす。状況も何も分からないのに無意味に腕を上げ、ガードを作ってしまった。


 しかしさっきまでいた人だかりは既になく、俺の対戦相手もいない状態。その上、確かさっきまでは食堂のような場所で戦っていた筈なのに、気が付けばベッドの上だった。下には藁が敷き詰められているのだと思うが、綺麗なリネン製のシーツが掛けられている。丁度俺はその上に寝かされていたようだ。


 何だろう……ここは。一見、前世での学校の保健室を髣髴とさせる。


「痛つつ……」


 いや、それよりも今の状態の確認か。あっ、あれ? 各部に包帯らしき布が巻かれている。治療をしてくれたのか?


 って言うか俺、今上半身裸じゃないか。何があったんだ?


「って、治療してくれた以外の結論はないか……」


「おっ、目が覚めたようだな」


 と一人ノリツッコミをしている時に男がやって来た。年の頃は三十台後半と言った所だろうか。知的な顔立ちをしている割には、オヤジ体型と言うかでっぷりと腹が出ている。


「私の名はジャンだ。ここの医療スタッフをしている。確か……デリック君だったな。はじめましてだな」


「こちらこそはじめまして。あっ、この度は治療ありがとうございました。まだ痛む箇所はありますが、何とかなりそうです」


 そうしてベッドから降りて立ち上がろうとしたが、「無理はするな」という事で逆にベッドに押し込まれる羽目になる。一体どうなっているのか未だに分からない。


 命に別状……とまではいかないが、俺の現状は結構な満身創痍らしい。栄養失調は当然だが、色んな箇所に打ち身が残っており、よくそんな状態でいたものだと叱られてしまった。しかも、右の拳は多分ヒビが入っているだろうと。何をしてそうなったんだ、と呆れられもした。


 何だか物凄く新鮮な対応だった。彼の言っている事は前世では普通だが、転生してからこれまで、空腹を満たす事しか考えていなかったので「怪我はその内治る」くらいにしか考えていなかった。鍛えていたからという事もあったかもしれない。体力的な過信をして、自分自身に無頓着になっていたのだと思う。


「二、三日は安静だな」


 後、今更ながら気が付いたのだが、右目が腫れぼったくてきちんと眼が開けられない状態だった。今はほぼ左目だけで見ている形となっている。これならそう言われるのも当然か。


 けれども、


「そう言ってくれるのは嬉しいですが、余りゆっくりとしてられないと思うのですが……」


 そう。俺は今後の身の振り方を考えなければいけない。今回剣闘士の仕事ならという事でここに来たが、初日からトラブルを起こしてしまった以上はまた新たな職場という事になる筈。


 どんな仕事なら俺でもできるだろうか? もっと最下層の仕事なら何とかなるだろうか? 今までは役人風の人の言いなりで職場を決めていたが、次はきちんと考えて交渉をしなければと考えていた。


「ああ、その事か。心配しないでここで待っていろ。多分、大丈夫だと思うぞ」


「それはどういう……」


 その言葉を遮るようにガラガラと音を立てながら、部屋の扉を開け、誰かが入ってくる。


「ジャン。書類を貰ってきたぞ! 後でこの書類をあのガキに……って、おっ、もう目が覚めたのか?」


「いつも言っているだろう。治療中の時もあるんだから、必ずノックしてから入って来い!」


 さっき俺と勝負をした無精ヒゲのオッサンだった。彼も彼で腕に包帯のような布を巻いている。あの時は攻撃を喰らっても何ともないようだったが、実際にはそれなりのダメージは与えたようだな。ニセ必殺技は所詮はニセモノかとかなりガックリしたが、この姿を見ると少し安心した。


「そう固い事言うなって。それよりもガキ、さっきは凄かったな。最後のアレ、喰らっていたら俺でもヤバかったかもだぞ」


「……はっ、はあ。変な言い方ですが、大事にならなくて良かったです」


 こういう時、どういう反応をすれば良いのか分からない。微妙な表情をしながらこう返すのが精一杯となる。


「ぷっ。お前馬鹿か。……って、そういう事じゃないな。喜べ。テストは合格だ。今日からお前は剣闘士見習いだ」


「えっ?」


 まさかの結果だった。まるで狐に摘ままれたような感覚である。


 呆けている俺に気を使ってか、順を追って事情を話してくれた。それによると、話が来た時点で俺の事は最初から預かる気だったらしい。


 ただ、俺のような未青年をこれまで預かった経験が無いのでどうして良いか分からない。なら、大人と同じくここの環境やローカルルールにも適応できるかどうか知りたかった。それが、あの"テスト"だと教えてくれる。


 どうやらこの一座で剣闘士として受け入れてきたのは、今までは大人しかいなかったのが理由のようだ。


「うちのボスはそれ程乗り気じゃなかったんだけどな、俺とそこのジャンがお前の事面白そうだという話になってな」


「えっ?」


 そして聞かされる新たな事実。まさか俺の噂を知った上で前向きに捉えてくれる人がいるとは思わなかった。これまでの職場での受け入れは人手が足りないから渋々という形だったが、それとは真逆の驚きの発言である。


「これまで結構大変だったらしいと聞いてな……」


「何神妙な顔して言ってんだよ。本音は何だ?」


「そりゃ大穴狙いに決まっているだろう。こんなガリガリの子供が大の大人を一撃で吹っ飛ばすんだぞ。上手く育てたら毎日美味い酒が飲める」


「それが聖職者の台詞かよ。けどそれは同感だ。こんなイキの良い奴、滅多にいないからな」


『はっはっははは……』


「えっーと」


 どうやら職業的な適正の話のようだ。仕事が仕事なだけに、口だけの人間は続かないからあまり受け入れたくないらしい。逆に言うと、多少素行が悪くとも根性がある人材を欲しがっていたという事になる。つまり、あのテストは俺が困難な状況でも逃げずに立ち向かうかが主眼で勝ち負けは関係無かったという事だった。


 つまり、体育会系的な理不尽な事を言われても適応できる事と強い敵にも立ち向かっていける勇気を持っているか、この二点を見ていたという事になる。言いたい意味は分かるな。


 …………何だか喧嘩自慢の不良がボクシングジムや空手道場の門を叩いていきなり洗礼を受けたようなものだな。異世界でもこういう所は変わらないのだと思うと、少し可笑しくなってしまう。


 それにしても、俺の怪我を治療してくれた人は聖職者なんだ。聖職者と聞けばもう少しお堅いイメージがあったが、随分と型破りだな。


「あっ、デリックだったな、俺はこの一座でトップを張っているジラルドだ。これから楽しくやっていこうぜ」


「こちらこそ宜しくお願いします」


 そう言いながらそっと右手を出してくる。


 と、まさかのトッププレイヤーが俺の対戦相手だった訳か。どおりで強い訳だ。手を見るだけでも今の俺には敵いそうもない力強さである。


 同じくそっと右手を差し出し固く握手。これで今日から俺もこの一座の一員になれたかと思うとほっと一安心だが……あれっ? 何だろう? 何だか妙に右手に力が入っている気が……。


「っ、イデーーーー!!」


「あの時の一撃、本気でヤバかったぞ。一発殴ったくらいじゃ気が治まらん。これでチャラにしてやるから耐えろ」


 爽やかな笑顔でこの仕打ち。言いたい事は分かるのだが、今締め上げている右手は怪我をしている箇所な訳で。


「ぎゃぁぁああああーーー!!」


 この場にいるジャンも苦笑しながらも一切止めようとしない。和やかな雰囲気の中、響く悲鳴。


 こうして何とか"見習い"という形ではあるが、ようやく俺を受け入れてくれる所が見つかる。色々と紆余曲折はあったが、この世界では今日が初めてかもしれない。俺を必要としてくれたのは。


 その事が嬉しくてつい涙が出そうになるが、そんな事とは関係無く今の俺は完全に涙目になっているのは間違いない。痛みで。


 今から思えば、本来の目的が目的だけに、自らを鍛え高みを目指すこの剣闘士という職業は渡りに船と言える。下手に普通の仕事で堅気の生活を送ろうとしていたのが間違いだったのかもしれない。本当に塞翁が馬だな。


 欲を言うなら、もう少し綺麗な形で大団円となりかった。よく「何かを手に入れるためには何かを差し出さないといけない」とは言うが、俺の右手は全治何ヶ月になるのだろう。それだけが心残りである。


「もぅ、やめてーーーー!!」

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