第四話 矛盾にならない矛盾
「ハッ!! どんな奴かと思ってたら、まだガキじゃねーか。噂なんて当てにならないな」
無精ヒゲを生やした男が値踏みするような視線で俺を見ながらこう言う。
ああ、またか。
自業自得だと言われればその通りであるが、あの
予想された結果ではあるが、あの後、港でのお仕事はクビ……というか、派遣元につき返される事になる。仕事を始めて一ヶ月もしない内のトラブルだったからな。その名の通り不良品は要りませんという形だ。しかも、怪我を負わせた班長はそのまま治療院送りとなり、その治療費が俺への借金として重くのしかかる。踏んだり蹴ったりである。
悪い事というのは続くもので、この乱闘騒ぎは港町の職場だけで収まらなかった。程なく次の肉体労働の現場への派遣が決定したが、どこであの話を聞いてきたのか二週間もしない内に因縁をつけられる羽目となる。
俺は今度こそ長く続けようと思っていたから、何とか許してもらえるように頭を下げてその場を収めようと努力した。だが、取り囲んでいる数人の内の一人が言った「コイツ、食い物を捨てられて泣いたらしいぞ。面白れーからちょっとやってみようぜ」という言葉。食べる物でずっと苦労してきた俺がキレるにはそれだけで充分だった。
後はお決まりのコース。最初の一人は一撃でKOするが、続いて数人でタコ殴りにされる。お陰で先の港町で頂いた痣が減るどころか逆に増えていく。トドメに足で顔面を地面に押し付けられ唾を吐かれる。否応なくさせられた地面とのキスの味は屈辱の味だった。
そうしてまた、ふりだしに戻される。これを二度三度と繰り返した。
異世界だからと言っても人の行動は何も変わらない。本質は同じである。転生前もいじめや理不尽な要求に対してすぐに反発していたから、余計な揉め事を起こす事が多かった。更にはそれが悪い方向に転がる事も同じ。それを思い出していた。
長いものに巻かれたくない訳ではない。ただ、自分自身であり続けたいと願うだけ。それは難しい事なのだろうか。
「デリック君。またですか。まだ君は子供だからこれだけはしたくなかったですが、後は剣闘士くらいしか残っていないですよ」
「剣闘士ですか……」
もう顔見知りとも言える仲になった役人風の人からのあきれ返った言葉が出てくるが、当の本人からすれば「もうどこに行っても同じじゃね」という程度にしか思えない。剣闘士というとかなり特殊な職場となる筈だが、そんな事は全く考えずに「次は何日でここに戻ってくるのだろう」と彼の言葉を上の空で聞くだけであった。
こうした経緯があったので、剣闘士の興行を行なう一座に派遣されて面通しの際に言われた言葉には、いつもの繰り返しとしか思えなかった。
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
どうしてこういう展開になったのかは今でも分からない。
何故か俺は今、先ほどの無精ヒゲを生やした筋骨隆々の現役剣闘士の一人とステゴロでストリートファイトをする事になった。名目は入団試験。今、目の前にいる男の鶴の一言で決まってしまう。
「ちょっと顔貸せ」と言われ、断る余裕もなく付いて行ったのが運の尽きとも言える。到着した場所が食堂らしき場所だったので、その瞬間に何をするか分かってしまった。
相手は180cmを超す体躯。腕は俺の何倍だと言わんばかりの太さ。こんなので首筋にラリアットでも喰らえば即死する自信はある。当然、鍛え上げた肉体は腕だけでない。反面、俺の方はまだ140cmを少し超えた程度だ。加えて細身を通り越してガリガリの状態。栄養失調らしく少々腹が出ているのもポイントと言える。
身体的なスペックだけでもこれ程違う。要するに負け戦である。初めから俺をボコボコにするのが目的なのだろう。
当然……逃げ場など無い。気が付けば、俺達二人の周りはここの一座と思しき男達に囲まれていた。昼間っから飲んでいる奴、もう既に出来上がっている奴が紛れているのもありがちである。とても嬉しい事に、そういう奴等から俺への罵声という名の激励を頂く。
「聞いたぜ! その拳で何人も治療院送りにしたらしいな。その実力、この俺にも見せてみな」
右拳を左掌に打ち付ける仕草をしながら、ニヤついた表情でこう言う。
どうやら覚悟を決めないといけないようだ。口では入団試験なんて言っているが、そんな気は更々ないのは分かっている。
ただ……悪いな。俺は賢くないんでね、そのまま「はい。どうぞ」とサンドバッグになる気は毛頭無い。同じ結果になる事は分かっていても精一杯足掻かせてもらおう。せめて一発だけでも良いのを入れないと気が済まない。どうせ失う物なんか無いんだ。狂犬の一噛みに付き合わせてやる。
……とは言え、まだ怪我が完治していないのか身体の節々が痛む。痣も引いていないんだから当然と言えるが、これじゃあ大した動きはできないか。割り切って捨て身でいくしかないだろうな。
そうして、両方の拳を頬の位置へ。転生前に一番長い期間習ったキックボクシングの構え。他にも空手も経験したが、なんだかんだ言ってこれが一番しっくりくる。お陰で一人で鍛錬していた時の基礎はこれがベースとなっていた。
「おっ、やる気になったか。そうでなくっちゃあな。それじゃあ楽しませて貰おうか」
周囲からはやんやの歓声。下品なダミ声に下品な口笛、そして下品な野次。下品三段活用の嵐がこの場に吹き荒れる。
向こうは俺のように格闘技は習っていないのだろう。構え一つできていないからその辺はありがたい。まあ、剣闘士だからな。当たり前と言えば当たり前か。
しかし、その代わりに下半身はとても安定していた。ただ立っているだけなのにそれだけで分かる。腰の据わりやブレていない軸。実力者である事の証明。さすがの一言。
「そっちから来ねぇなら、コッチから行くぞ。かわせるものならかわしてみな」
「げっ」
肩に力も入っていない、一見すると緊張感のないような姿。いわゆる自然体と言われる形。その状態から何気なく前に倒れるような動きをしたと思った時にはもう遅かった。気が付けばあの巨体が俺の目の前に出現する。
「ぼーっと突っ立ってたら良い的だぞ」
鈍い音をさせ右の頬骨に衝撃が走る。ガードを隙間をすり抜けて入ってきた素早い攻撃。痛み自体はほぼ感じなかったが、慌てて数歩後ろに下がる。
「ほらほら、『止まるな』って言ってんだろう」
次は「きっちりガードするぞ」と腕を内側に締めた途端、鳩尾に入ってくる刺したような痛み。咳き込むまでにはならなったが、一瞬息が止まった。
堪らず大きく距離を取る。そのまま下がれば野次馬という壁に邪魔されるので、孤を描くように方向転換をしながらの移動。まずは落ち着く時間が欲しい。
「何だ逃げてばっかじゃねぇか。やる気あるのか。ほらいくぞ」
相手が左脚を踏み込んだ瞬間、右へとステップ。これなら回避できる筈だ。
「…………なーんてな」
しかし、向こうは踏み込みをしただけ。距離を詰めようともしなければ攻撃のモーションさえもない。単純なフェイク。もう完全に遊ばれている。
俺の必死の回避に周りからは盛大な笑い声が巻き起こった。こんなイジメに近い状態なのに何が可笑しいんだ。今すぐにでも殴りかかりたいが、今は優先順位を間違ってはいけない。俺がする事は目の前のコイツに一矢報いる事である。
「……クソが」
「あ゛っ! 何か言ったか!!」
アイツの言う通りにするのは癪に障るが、常に相手と真正面に位置しないよう歩を進め、ほんの少し軸をずらす。当然向こうも向きを変えたり、死角を取らせないように動いてくる。
「ハッ! 何が『剣闘士』だ。やってるのは栄養失調のガキをいたぶってるだけだろうが。そんな事しかできないのか?」
一矢報いる為に必要な事。それは単純に攻撃を当てれば良いという訳ではない。相手を悔しがらせるような大技を入れなければいけない。
今の俺の一番の武器 ── それはあの班長を一撃でKOした渾身の右ストレート。それを如何にして叩き込むか。
「ガキが粋がるんじゃねぇぞ。実力差が分からねぇようだな。そんなに死にたきゃ望み通りにしてやるぞ」
"来る"
チャンスは一度だけ。失敗したらそのまま吹っ飛ばされて終了。成功してもあの体格だ。俺の攻撃で致命傷を与えられるとは限っていない。その場合も結局はフルボッコにされて終了となる。
なんて俺は馬鹿なのだろう。分の悪い賭けだと分かっていてもそれを選択する。もしくはそれ以外の選択肢を知らない。これまで散々辛い目を見てきたのに結局は何も変わらず、何も学ぼうとしない。
敢えて足を動かすのを止めて相手を正面に見据える。そうして挑発するかのように渾身の笑顔を作った。こんな極限状態で自然な笑顔を出すなんて器用な事ができる訳はない。無理矢理なそれは、さぞや俺以外の人からすれば気持ち悪く映るだろう。小さい子供なら、夜トイレにいくのが恐くなるレベルかもしれない。
「馬鹿が!! 『止まるな』って言っただろうが!」
ゆらりと身体を前に傾けるのが見て取れた。このままなら瞬き一つの後には俺の目の前に現れ、渾身の一撃が繰り出される未来が待っている。かと言って逃げた所で元々の身体のスペックが違うのだから、すぐさま追撃されれば結果は変わらない。
──だからこそ、
一歩足を前に進める。更にはガードを内に入れ、腕を締める。
ははっ。予想通りに縮地と思しき歩法で一気に距離を詰めてきてくれた。しかも、おあつらえ向きにガードの上から俺を吹っ飛ばすつもりで腕を振り被ってくれる。
さあて、最強の矛と最弱の盾、勝負をしたならどちらが勝つか?
ダンッ
打ち下ろしの右拳が放たれる直前、更に左脚を踏み込んで瞬時に前に出る。交錯する拳と前腕部のガード。スピードが乗り切る前にポイントをずらし、本来の威力を出させないための攻撃的防御。だがそれでも、腕の痛みに一瞬でも気を抜けば押し切られて叩き潰されてしまう。故に最後は右脚のバネを使用して飛び込むように一気に押し戻す。
"シールドバッシュ" ── 但し、使用するのは盾ではなく二本の腕。
解答:使い方によっては最弱の盾でも最強の矛に勝てる。
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