第三話 塞翁が馬

「ふぅー。今日も良い天気だな」


 じりじりと肌を刺す太陽の光。時折海からの塩を含んだ風が頬を撫でる。空を舞う海鳥がその身をクルリと回し孤を描く。そんな何でもない事が心を和ませる。数日前までいた狭くて汚い環境が嘘であったかのような開放感に包まれていた。


 目を凝らせば数多くの帆船が停泊しているのが分かる。大小様々。まさに壮観の一言である。そして、その船からは日々大量の物資が下ろされていく。


「おーい。そろそろ作業再開するぞー」


「はい。かしこまりました」


 木陰から身を起こし立ち上がり駆け出す。気持ちが前向きになっているからか、返事をする声も妙に爽やかになっていた。さあ、飯の時間まで精一杯頑張ろうか。


 最初、この町に派遣された時はかなり驚いた。個人的には大規模農場にでも派遣され、そこでこき使われるだろうと思っていたからだ。農家出身という事もあるし、食糧生産には人手が必要となる。


 しかし連れてこられたのは、様々な人・物・金が動くこの港町。港町と言えば船という事で、漕ぎ手をやらされるのかもと一瞬思ったが、こんなガリガリの子供では足手纏いにしかならないと即座に否定、同じ理由で船員は務まらないという結論が出る。


 そんな経験も身体的な強さも無い俺のできる仕事は何だったかとなると……荷物の仕分けだった。確かにこれなら経験がなくてもできる。よく考えられているな。


 港には多くの物が集まる。船から下ろされた荷物もそうだが、船に積み込むのも勿論そう。なら、それを雑多に積み上げる訳にはいかない。どの倉庫でどの程度預かるか、どの船に積み込むのか等々、常に仕分けが必要となるのは当然と言えるだろう。しかも大小様々。故に人手が必要となる。


 ……ただ、親方的には本当は俺に荷物の運搬をさせたかったらしい。けれども、まだ子供だという事で仕分けに回された形である。重い物でなければ何とかなるというていだ。なお、親方に初めて面通しした際、俺の身体を見てがっくりしていたのは申し訳ないと思いながらも笑いそうになってしまった。栄養失調でごめんなさい。


 確かにこの仕事ならハードワークになるから、俺のような奴隷に仕事が回ってくるのもある程度分かる。現代日本で言う所の危険・汚い・きついの3Kに当たるだろう。港だから荷物も多いしな。


 最初は奴隷と聞くと転生前の黒人奴隷の事しか思い浮かばなかったが、あの時役人風の人としっかりと話をしたお陰で、実はそうではない事を教えてもらっていた。奴隷と一口で言ってもピンキリなのだと言う。


 どうやら、今の俺の扱いは奴隷というよりは日本の実習生制度に近い。まあ、あれも世界基準で言えば奴隷制度とそう大差ない。違いはこちらで労働先を選べないくらいだと思う。


「"市民権"の剥奪というのはどういう事ですか?」


「まだ君には早いと思いますが、結婚したり、家を持ったりする事ができなくなります。後は、こちらで指定した仕事をしてもらう事になります。その際、住む場所もその職場で決められた所になりますので自由に選べなくなります。この辺が大きな部分ですね」


「分かりました。指定された場所で住み込みで働けば良いんですね。確かに結婚や家はまだ考えられないです」


 あの時、こういうやり取りをしたのを思い出す。端的に言えばある程度の自由というか、権利が制限されるという事なのだろう。その上で人手が足りない職場に強制的に労働者を派遣する。役人風の人が言っていたが、キツイ仕事はすぐに辞める人が多いので奴隷がいないと回らないらしい。特に肉体労働系は長く続かないとか。


 個人的には肉体労働は金になる仕事だと思うのだが、だからこそ、ある程度纏まったお金を手にすると来なくなるとの事。元日本人の感覚からするとあり得ないが、この世界はそんなものらしい。


 とは言え、この奴隷の状態がずっと続くかというとそうではないらしい。話を聞く限り、奴隷として働いていても給金は発生すると教えてくれた。その給金で市民権を買い戻すらしい(天引きで返済)。当然年単位で行なうのだが、真面目に頑張れば五年程度で大丈夫との事。


 個人的には五年も働けばかなりの金額になると思うのだが、住み込みでの仕事という事で、住居費や食費等を引かれた上での給金になるので大した金額にはならないらしい。本当、良く考えられている。


 ここで疑問に思ったのが、真面目に数年働けば元の奴隷から解放されるなら、労働者としての奴隷が足りなくなるんじゃないか? となるのは当然だろう。だが世の中というのは良くできているもので、解放へのハードルが低い分、奴隷に落ちる事への忌避感が低いらしい。生活に困れば奴隷になれば良いと考える人が意外と多いとの事。例えるなら、食うに困ると窃盗などの犯罪を犯して刑務所に保護を求めるような感覚である。


「ただ、デリック君の場合は滞納……いや、税金を払わなかった期間が長いので、人よりは大変な職場になると思います」


 そう言えば、こうしたやり取りもあったのを思い出す。よくよく話を聞くと、実は俺の両親はずっと俺の税金を払っていなかったらしい。それも生まれてから。滞納していたのはいわゆる人頭税(住民税の強化版)なのだが、滞納額に延滞金を加算するととんでもない金額となるので、今回の職場になったという事情もある。普通ならもう少し軽めの労働となるらしい。よく今まで払うのを逃げ切ったものだと、逆に両親の図太さに感心してしまった。


 何にせよ、仕事はきついが住む場所もあり、飯も出してくれる。その上、お小遣いもくれるらしいので、今の俺にすれば思った以上の好待遇のような気がした。……単純に実家が極限過ぎたので感覚が麻痺しているだけだろうな。


 なお、奴隷なのにお小遣いを貰えるという事に最初は驚いたが、それ位なら許容範囲らしい。それで偶にはオヤツでも食べるようにと言われた。ただ、大金を持ったり宝石のような高価な品は持てないらしい。当たり前の話だが、そんな金があるなら返済に充てろというオチである。さもありなん。


 色々と思う所はあるが、俺の場合は奴隷になった事が命を繋いだとも言える。「塞翁が馬」、まさにこの言葉がピッタリだろう。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 …………そんな風に思っていた時がありました。


「痛つつ……」


 現在の俺、筵の上で無造作に転がされている。しかも手足がロープで拘束された状態。その上でやたらと据えた臭いが鼻をつく。においのお陰で目が覚めたのだろう。


 どうしてこんな事になっているのか最初は分からなかったが、後頭部の疼きと共にあの時の出来事を思い出してきた。


 ああ、そうか。俺、リンチされたんだ。


 事の起こりは倉庫担当の班長とのちょっとした行き違いである。その日は荷物が多くて急いでいた事もあり、つい持ち込んだ荷物の総数を報告するのを忘れてしまう。確か三往復したから、結構な数になっていた。


 そうなると当然叱られる事になるのだが、改めて数を報告する際、俺は何も考えずに暗算で掛け算を使ってあっさりと数を報告した。


 それがどうやら癇に障ったようだ。班長からすれば、これまで掛け算を使って数を読む作業員を見た事がなかったのだろう。でっち上げで報告したと判断されてしまう。


 止せば良いのに、その時は面倒臭くなって「ああ、分かりました」と言いながら不貞腐れた態度で一から数を数えて報告した。この時の態度が悪かったのだと思う。


 その日は忙しかったので、後のフォローとか一切考えずに一日の仕事を終える。そして、お楽しみの飯の時間。しかも、何と肉料理の日。プレートに盛られた分厚い肉の塊(多分豚肉だと思う)が香ばしい匂いを立てて、食欲をそそる。


 そんなスーパーウルトラデラックスな料理を、事もあろうにあの班長が、俺の目の前でプレートを奪い取り、そのまま床に思い切りぶちまけやがった。


 ザマーミロという思いか食堂中に高笑いが響く。俺は涙目になりながらも瞬時にキレてしまう。その時は俺の体格がどうとか、相手が大人であるとか一切関係無かった。


 雄叫びを上げながら「死ね! このクソハゲ」の一言。何も考えずに突っ込んでいく。


 きっと普通なら、俺のような栄養失調のガキのパンチが当たった所で大した事はないと思う。けれどもその時は違った。ほぼ無意識ではあったが、これまでの鍛錬の成果がしっかりと出て、全体重を乗せ遠心力が加わった必殺の右ストレートが班長の鳩尾にヒット。ふっ飛ばした際の打ち所が悪かったのか、たった一撃で昏倒させてしまう。


 その後はどうしようもなかった。馬乗りになり、怒りに任せて顔面をひたすら殴り続ける。転生してからこれまでずっと食事で苦労してきたので、アイツの行動だけは許せなかった。あの時は血走った眼で「俺の肉を! 俺の肉を!」とひたすら言っていたような気がする。


 当然、大勢のいる中でこんな事をするとただで済む筈もなく、突然後頭部に痛みが走ったかと思ったら、後は数人に取り囲まれて蹴られまくった。後頭部へのダメージもあり、そのまま意識を手放すのは順当な流れだろう。


 そうして今、この状況となっている。


 …………それにしても自分自身でも驚きである。まさかこんなに簡単にキレて人を殴る事ができるとは思わなかった。長年の極限状態が性格を変化させたのかもしれない。その証拠に今でも班長に対して「突然殴りかかってごめんなさい」という良心の呵責が一切ない。むしろ「良い気味だ」とさえ思っている節がある。


 とは言え、こうして荒事に何の躊躇も無いのは今後を考えるなら充分に意味はある。大事な場面でビビッてイモを引いていたら逆に自分の方が危なくなるからな。


 後は……自分でも驚いたが、まさかの一撃KOとはな。鍛錬の成果が実感できたのは嬉しい誤算と言えるだろう。


「しかし、俺……これからどうなるんだろう」


 村時代の生活から一変、これからは飯の心配をしなくても良い所に来られたと思ったけれども、世の中そう簡単には上手く行かないらしい。俺はいつまで「塞翁が馬」なんて言っていられるだろうか。

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