第二話 さらばバッタ

 転機となったのは十歳を過ぎた辺りだろうか? 特別な日でもないある秋の日に突然訪れた。手伝いをしていた収穫作業も後少しで終わりという頃合だったと思う。元々が雨の少ない地域ではあるが、良く晴れた心地良い日でその日は作業が捗ったのを覚えている。


 今年は普段よりも早く冬の準備に入れそうだと思いながら、そのまま死んだように眠ってしまった。普段は扱いに困る態度を見せる両親が、ここ数日何だか優しく感じたので嬉しくなって柄にもなく張り切ってしまう。多分、疲れが溜まっていたのだろう。倒れこむようにボロボロの藁ベッドに頭から突っ込んだ後は何があったかも覚えていない。


 それからしばらく後の事になる。どうにも身体が痛くなって眼が覚めてしまった。


 身体が痛くなった原因は変な姿勢で寝ていた事が理由だという事がすぐに分かったが、意識が覚醒するとそんな事はどうでも良くなるとんでもない現実が俺を襲っている事を理解する。


 さっきまで藁ベッドで寝ていた筈なのに、気が付けば手足を紐で拘束され馬車の荷台と思しき場所に転がされていた。御丁寧に猿轡も噛まされている。声を出そうにも出せないこの状況。


 最初は気が動転して必死で抜け出そうと試みるが、ある程度時間が経つと自分の置かれた立場は何となく理解して、それは意味の無い行為だと悟る。間違いであってくれと願いつつも、余分な体力を使うのを止め、大人しく状況に身を任せる事とした。


 時間の感覚のないまま、木箱に入った荷物と一緒に馬車の旅は続く。そして、旅の終点は予想通りに格子木こうしぎが組まれた牢屋の様な部屋だった。


 もうここまで来れば疑いようはない。俺は親に売られたのだと理解する。何度も夜盗の可能性を考えたが、馬車の荷台には俺以外の子供がいなかった点、そしてそもそも村を襲った所で得られる物が無い点からあり得ないと結論。もし襲うなら、俺の家ではなく名主様(村長)の家一択となる。


 こんな事にならなくても本当なら後もう少し、十二歳になれば勉強を教わっていた師匠が紹介状を書いてくれて、町での仕事を斡旋してくれる予定であった。そうすれば家の負担も減り、上手くすれば仕送りもできるかも……と思っていたらこの顛末。普通の生活から逆に遠ざかる結果となってしまう。


「おいっ! 飯だ! いいから食っとけよ!」


 格子の窓から乱暴に置かれた食事。メニューは麦の粥と飲み水だけという豪華仕様。作りたてなのか、お粥からはほのかに湯気が立つ。


 ざっと部屋を見回してみる。二畳ほどの窓の無い土壁の狭い部屋に今は俺一人だけ。ここは雑居房だと思うので今一人なのは偶然という事なのだろう。隅にはトイレ用の穴が掘ってあるが、蓋はされていない。お陰で室内には排泄物と思われる芳醇ほうじゅんな香りが漂う。セットでせわしなく飛び回るハエ達がいるのはお約束だろう。……そうだな。住人は俺一人じゃないか。


 後は……寝る時に使うのだろう。薄汚れたブランケットが一枚あった。勿論これものみやダニだらけ。素晴らしいアメニティである。以上、確認終了。


 要するに衛生観念のまるで無い汚物との共同生活をこれからしなければいけないという事だった。不愉快な音もオマケで付いてくる。


 出された食事をちらりと見る……こんな状況で「食え」とかふざけんなと思うが……


「うっひょーー! 何だコレ! 実家のより麦の量が多いじゃねーか。しかも塩もきちんと効いてるし」


 当然美味しく頂きます。バッタじゃなくて良かった。


 護送中ずっと飲まず食わずだったので腹が減っていたというのもあるが、自暴自棄になった所で何も事態は進展しない。こんな場所で野垂れ死ぬなら、今までの努力が全て無になってしまう。


 木匙で掬った麦をふぅふぅしながら口の中に運ぶ。背後から漂ってくる芳しい臭いのお陰で味わうなんて余裕はないが、それでも空腹が紛れた事で多少は落ち着いた。


 確かに何も告げられないままに勝手に売られるという仕打ちには恨み言の一つも言いたくはなる。だが、家が貧乏過ぎて俺を育てるのがこれ以上は困難だった可能性も高い。もしかしたら、一家で飢え死にするよりはマシと考えたのかもしれない。そう考えると素直には怒れないかな。


 きっと俺はここで一定期間過ごした後は何処かに奉公に出されると思う。どんな所に飛ばされるかは賭けになるだろうが、普通に考えれば大きな農場辺りが手堅い。もしくは職人見習いもあり得る。


 まあ、詳しい事はこれから分かる。とにかく「これで終わりではない、まだ何とかなる」と考えて、まずは身体を休める事を優先すべきだ。余計な事をすれば殺されるだろうし、今は大人しく従うのが吉だと思う。


 …………となると、


「何もしなくてもメシが食える。ヒャッホー! に・ぃ・と・最高ぉ! フォーー!!」


 これくらいの開き直りをする位で丁度良い。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



 住めば都という言葉があるが、今の俺にその言葉は"まさに"と言える。


 格子木で阻まれ外に自由に出る事はできないし、プライバシーの欠片も無い丸見え状態だが、誰にも邪魔されないプライベート空間をこの世界で手にしたこの喜び。ただひたすらにゴロゴロしていても罪悪感一つ感じることはない。


 そして、粥と水だけという質素なものではあるが、驚く事に一日に二食も食事が出る。何もしなくても食事が出るというのは、なんと幸せな事か。


 問題点があるとすれば、この場所が臭くて汚い事だろう。それも最上級の称号が良く似合う。だが、そんな事は些細な事。要は考え方をほんの少し変えるだけである。食うに困って犯罪者になる人間の気持ちが今回痛いほど分かった。


 だが、そんな幸せな時間も長くは続かないのは世の定めであろう。


 丁度ここに連れて来られてから一週間くらい経った頃であったろうか? 俺を訪ねて一人の男性がやって来た。


 身なりがきちんとしたお堅い雰囲気から、役人を思わせる。その彼が持っていた書類を広げて、


「デリック君だね。行政代執行……って、言っても分からないか。要は君のご両親が君の税金をずっと払っていなかったから、売られて奴隷になりました」


 と予想通りの現実を俺に突きつけてきた。


 今更の内容ではあるので驚く事はないが、気になる事があったので話に付き合ってもらおう。なるようにしかならない事は分かっているが、今の自分の状況を少しでも知りたい。


「売られたのは何となく分かってたので諦めますが、『奴隷になる』というのはどういう事ですか? 後、もう少し近寄ってもらっても良いですか?」


 俺の言葉に役人風の男がとても嫌そうな顔をする。説明するのが面倒臭いのか、それとも臭くて近寄りたくないのかは分からないが、お仕事だと思うので少しの時間だけ我慢して欲しい。

 

「まだ成人していない君には関係のない話と思いますが、奴隷になるという事は"市民権"を剥奪されるという事になります」


 真面目な人で良かった。俺の質問にもきちんと答えてくれるし、臭いを我慢してこっちに来てくれた。広げられた書類もいい加減な物ではなそさうである。最後にある空欄には日付と署名が入るのだろう。多分、説明に納得すると代筆してくれるのだと思う。


「"市民権"の剥奪というのはどういう事ですか? 何も聞かされずにここに連れてこられたので分からない事だらけなんですよ」


 田舎者でごめんなさい。今回初めて市民権という単語を聞きました。……というか、随分としっかりした制度のように聞こえるな。


「"また"ですか。いつもきちんと説明してから引き受けるようにと通達しているんですけどね。まあ、デリック君は泣いたり騒いだりしないから、こちらも説明が楽ですが……」


 言われて気が付いたが、確かにそうかもしれない。普通は突然こんな所に連れてこられたら、冷静に話を聞けるような状態にはならないよな。そうなると、この人がすぐに来なかった理由も納得できた。きっと気持ちを整理する時間をくれたのだと思う。


 それはさて置き、そういう事ならこの機会に色々と質問させてもらった。「少しの時間だけ」と言いながら、結構な時間を取られてしまうのは、セールスなどでは良くある事。運が悪かったと思って諦めて欲しい。


「デリック君も納得したようなので、後は日付と署名を入れれば完了です。こちらで代筆して良いですか?」


「ちょっと待った!!」


 つい話に夢中になってしまい、肝心な内容を聞くのを忘れてしまう。これがしっかりと担保されなければ、俺は絶対に納得できない。


「血相を変えて突然どうしたんですか?」


「はい。俺にとっては生死を分ける大事な事です。これを聞くのを忘れてました。…………奴隷として派遣される職場ではきちんと食事は出ますか?」


 普通に生活をしてきた人には絶対に理解できないだろう。だが、俺にはこれが一番重要となる。もうこれ以上は食うや食わずの生活を続けたくはない。過酷な所でも良いから、これを保証してくれなければ動く気は無い。


 しかし、俺の決意は虚しく空回りしたようだ。


 対する役人風の人は、しばらく口をぽかんと開けて質問の意味を理解するのに苦労していた。やがて、「何を言ってんるんだコイツ」という雰囲気を出しながらも


「あっ……食事ですか……普通なら出ると思いますよ」


 と丁寧な回答をしてくれる。本当に真面目な人だ。きっと想定外の内容だったんだろうな。


 ともあれ、


「やった! 奴隷最高!! もうバッタとはおさらばだ!」


 世間的にはどうか分からないが、俺に取っては一歩前進。ついにバッタの恐怖に怯える日々に終止符を打った。

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