異世界で物理最強してますが底辺力も最強でした
カバタ山
第1章 ニセ必殺技
第一話 いきなりの強敵
──そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
新約聖書 マタイによる福音書 三章、その中にある一文。それが今、頭の中をよぎる。
俺自身、自分を一度たりとも敬虔なキリスト教の信者だと思った事などない。むしろ正月には神社にお参りし、クリスマスには家族で祝うような定型的な無信教の日本人である。
ただ、昔興味本位で聖書を読んだ時、
──ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。
キリスト教の使徒は、「いなご」が主食だと書いてある事が強烈に記憶に残っていただけである。
その時は思った。どんなに貧乏をしても、虫を食べないといけない程困る事はないだろうと。そこまで落ちぶれる事はまずないだろうと。
──現実とは時に残酷なものである。
遠くでパチパチと木が
その名は「バッタ」
聖書の中ではいなごと書かれていたが、それは誤訳で正しくはこちらとなる。某ヒーローのモチーフでもあり、知らない人がいない位のメジャーな昆虫。
すぐ近くでは父母の笑い声がする。今の状況を異常だとは全く思っていない。ごく普通の家族団らんの食事シーン。当たり前のようにその歯ざわりを楽しみ、咀嚼した後は喉越しを味わう。時折潰れてはみ出る内臓で唇の一部が緑色になる。それを舌で嘗め取るまでが一セット。
「ほらっ、焼けたぞ。暖かい内に食べろよ」
ついに俺にも洗礼の日がやって来た。これまで様々な言い訳をして食べるのを回避していたが、今年は本格的な不作で食料が足りず、もう逃げられない状況。覚悟を決めるしか……ない。
大き目の葉の上に乗せられたとても凛々しいお顔立ち。多分、トノサマバッタだろう。大きさ約五センチ。しかも四匹。そんな事はある筈がないのに、四匹全てがじっと俺を見ているような気がした。
そっと手を伸ばして…………結局は覚悟が決まらず、そのまま空を切る。
「今日はこれぐらいにしといたるわ!」
負け惜しみの一言を言って外へと駆け出す。両親が何かを言う前の行動。生きるためには仕方ないと頭では分かっていてもどうしようもなかった。
目から零れる涙が頬を伝うのが分かる。余りにも自分が惨めに思えて、つい泣いてしまったようだ。弱い自分を受け入れて強くならないといけない事も分かっている。俺にはやらなければいけない事がある事も分かっている。
でも……でも、きっと俺は悪くない。そう。悪いのは全て貧乏なんだ!
▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽
「異世界転生」という言葉がある。その意味は、魂そのものが別世界へと導かれ新たな肉体を得て人生をやり直す事だと思う。何の因果か分からないが、俺はそういう形でこの世界へとやって来た。
「プハー! 生き返るー!」
村外れの川に頭から突っ込み、軽く水分補給をする。清涼な水の流れでスッキリとした。
そのまま地面に腰を下ろすと、乱立する白樺の木の隙間から心地良い風が流れ込んでくる。太陽の光を受けた水面の輝きが幻想的な美しさを醸し出す。何か嫌な事があるとここに来て心を落ち着かせるのがクセになっていた。
この世界に来る切っ掛けは今思い出しても本当に何となくだった。
どうして俺に白羽の矢が立ったのかは今でも分からない。夢に現れた女性に助けを求められ、二つ返事で安請け合いをしてしまう。その時、何故か自分の中で「これは夢」だという事を理解していた。本来ならその状況を疑うべきではあるが、そんな事には気が付かずについ思ってしまった。夢の中でならどんな事でもできるだろうと。
それがまさかこうなるとは……。
やって来たのはただただ
原理はよく分からないが、現実として俺は異世界で一から生をやり直す形となる。本当、もう少しきちんと話を聞いていれば良かった、とその時は激しく後悔した。
彼女の憂いを帯びた瞳に魅了され、我を忘れてしまった……いや、美人を目の前にして格好を付けたかっただけなんだろうな。
昔から後先考えずに馬鹿な事ばかりをしていたので、周りからは「早死にする」だの「馬鹿は死ななきゃ治らない」だのと言われ続けていた。本人はそんな雑音は気にせず、ただ面白ければそれで良いという感覚。今回は特大級の馬鹿な真似である。
普段ならどんなに大怪我してもあっけらかんと「次はもっと上手くやる」と強がりを言えるが、さすがに今度ばかりはその強がりさえも出ない。どうしても耐え切れなくなった時はいつもここに来る。
「俺って弱いな……もう少し何とかできると思ってたんだけどな」
水に映る自分の姿を見ると、年齢こそ大きく下がり子供になっているものの、痩せこけ、眼だけがギラついた姿で明らかな栄養失調状態だという事が分かる。所々に穴が空き、裾が擦り切れボロボロになった服は、替えも無いのでずっとそのまま着続けている。お陰でサイズが全く合っていない。
つまりは貧乏なのである。それも"ド"が付く。一応、土地持ちの農家の長男という立場だが、土地はそこら辺に余っているので何のありがたみもない。勝手に耕して「今日からここは俺の物」と言えばそれが通る世界。そんな辺鄙な場所。
そんな場所で機械も無く両親の労働力だけで農業をしているのだから、生活水準は……お察しのレベルである。お陰で「腹減った」という言葉が口癖となってしまった。俺も一応家業の手伝いはするがまだ子供の身体なので大した労働力にはならないという悪循環。
勿論、持っている知識を使って何かできないかとも考えた。しかし、俺はこれまで農業経験ゼロな上に専門知識も無いので、余計な事をしない方が良いという結論になる。例を挙げれば肥料を作って単位面積当たりの収穫量を増やすよりは、農地を広げる方が効率が良いという実情。つまりはコストが見合わない。
そこで自分自身がするべき事として選んだのは、普通に身体を鍛える事と勉強であった。特別な事ではないが、少しでも良い生活をしたいと考えるなら現実的にはこれが一番確実と言える。良い所に就職できれば、仕送りする事もできるだろう。
元々がどちらも苦に感じるタイプではなかったので環境が悪かろうが問題はなかった。勉強に付いてはこんな辺鄙な村でも探せば教えてくれる人がいたし、鍛錬も転生前に格闘技を習っていた事があったので、その時を思い出しながらやり直せば良かったからだ。
良いか悪いか分からないが、農家の仕事は農繁期以外は午前中で終わる事が多い。お陰で時間だけは結構あった。遊びを選ばなかったのは、元々多くはない村の同年代からは浮いた存在だったというのもある。自分で選んだとは言え、楽しそうな声が聞こえてくるのを横目にひたすらランニングしていると、寂しくて涙を流しそうになった事が何度もあったのは内緒である。
そんな時、ひょんな事から今の場所を見つけた。
「けど、あの時約束もしたからな」
今の生活に何度もへこたれ、一人泣く時はあるが、俺が諦めてしまっては何のためにここに来たのかが分からない。もはや単なる意地である。俺をこの世界に導いてくれた彼女を捕らわれの場所から助け出すという目標は、現状では雲を掴むような話だ。何の手掛かりも無ければ実行する力も無い。だから、できる事から精一杯しよう。とりあえずは地道な努力と生き残る事だな。
スマートな方法は俺には似合わない。泥臭く地べたを這いずり回るのが性に合う。諦めの悪さがチャームポイント……にはならないか。
自らの弱さを受け入れ、確実に一歩ずつ進む。一足飛びの結果が出る事はないが、それが自身の強さに繋がると言い聞かせるしかなかった。
「俺、後何回バッタを食べないといけないんだろう」
現在最大の強敵……それは村にいるガキ大将や餌を求めて山から下りてくる鹿ではなく、食卓にのぼる素焼きのバッタである。戦績は二勝八敗。
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