第10話

  Ⅹ


 足元に擦り寄ってきたのは、紛れもないただの猫だった。

 人懐こい。

 人間を全く恐れないのは、飼い主が人間である証拠だろう。

 俺は少しだけ安心した。

 この家の主が、物の怪でも幽霊でもない、ただの人間だと知ったからだ。


 「おいで。」

 暗闇の中ではっきりとした姿は分からないが、足元を歩き回る気配と足音のする方へ向かって手を伸ばすと、猫は迷わず頭を摺り寄せてから、座っている俺の膝の上に飛び乗った。

 ごろごろ。

 咽喉を鳴らして、猫は俺の事を歓迎してくれている。

 猫だけは。

 そう言い換えた方が良いかも知れない。

 少なくとも、俺はこの家に招かれざる客であるのだ。

 家の主は、この猫ほど俺の事を歓迎してくれるとは到底思えなかった。


 何となく勝手に縁側に腰掛けて、ゆっくり猫の頭など撫ぜてはいるが、誰に招かれたわけでもなく、他人の家に侵入しているのは事実で。

 だからこそ、俺はこの状況を家主に何と言って説明したらいいのか、そればかりを考えていた。

 俺は猫と一緒になって中庭を少し歩き、また座って猫の頭を撫ぜた。

 家主に会うのを恐れ、そうして愚図愚図しているうちに、一体どれほどの時間が経ったのだろう。


 ふと気付いたとき、先ほどまで自分の居たあの縁側に人影があった。

 こちらを見ている。

 俺の存在に気付いている。

 それだけは間違いなかった。


 「あの、えぇと、すいません・・・」

 俺は取り敢えず先に声をかけて、とっさに謝った。

 「ゴエモン、おいで。」

 人影はそれだけ言って、縁側に腰を下ろす。

 「みゃぁ。」

 俺の足元に居た猫は、嬉しそうに返事をして、本来の飼い主の下へ駆けていった。


 俺は重い足取りで、その人物の方へ歩み寄る。

 髪の長い女性、やはり先ほどの車の運転手だろう。

 それがこの家の家主か、家の住人である事はもはや疑いなかった。

 「すみません、えっと、あの、道に迷いまして、その・・・」

 しどろもどろである。

 だが、そんな俺の声を全く無視したように、女性は猫を抱いて座っている。


 「えっと・・・ゴエモンですか、この猫の名前は。」

 何を言っているのだ、俺は。

 「そう。」

 意外だった。

 なぜこのような他愛ない問いかけに答えてくれたのだろう。

 俺は激しく混乱しながらも、

 「ゴエモンって、あの石川ゴエモンですか?」

 また意味の分からない事を尋ねた。

 「そうよ。」


 「石川ゴエモンって、2つありますよね?釜茹でのゴエモンですか、それともルパン3世の・・・?」

 「・・・」

 ジッと、彼女は俺の方を見た。

 何かマズイ質問をしただろうか?

 しかし、彼女の目は、別段怒っている風でもない。

 「えぇと・・・その・・・」

 どうしていいのか分からず、俺は取り敢えず腰を下ろして、ゴエモンだといった猫の頭を撫ぜてみた。

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