第21話 蒼玉を慕う人

 蒼玉そうぎょくが自分で食べられるようになるまでの二日、ほたるが彼の食事や、熱い湯に浸し絞った布で体を清め、甲斐甲斐しく看病をした。

 蒼玉の世話は正式に第一王女の妙見みょうけんから命じられたので、蛍は下女の仕事はせずに一日蒼玉の傍にいられたのだ。それに戦士訓練が終われば、五曜ごようも彼の様子を見に来る。更には、蒼玉が自分で粥のさじを手にした三日目の朝に、妙見まで自ら見舞いに来てくれた。蒼玉は、囚われていた時を忘れるほど、蛍と五曜、そして妙見王女の三人に安心を貰えた。



 話す機会が増えた事で妙見は蒼玉を気に入ったのか、彼が自分で風呂に入れるようになった五日目。それでも彼の負担にならない程度に夜岳やがくの現状を話し、地図を広げて蒼玉に王都を護る案を求めた。

 「おそれながら」と蒼玉は一度頭を下げてから地図をじっと見て妙見に向き直った。

「確か梵天ぼんてん様がお調べになって分かったのは、倶留守くるす元宮の領地であった最北の黒波くろな村に、大量の食料の備蓄があった事ですね。各村を襲い食糧を奪えば、騒ぎになりますし兵も疲労する事でしょう。ある程度王都に近づくまでは、静かに旅人の振りをして……きっと騒ぎは起こさないはずです――もしかして、ですが。備蓄している食料を運ぶより前に、倶留守元宮の兵士は王都に向かってきているかもしれません。そうなると黒波村より王都側に近い村に、既に集まる戦士達の為の食料を備蓄している村があると思われます。そうして戦が始まる頃に、黒波村からの食糧が届く手はずでしょう」

 対人戦の知識は、蒼玉にはほとんどない。しかし広げられた地図を見て、もし自分が王都を占拠するならと考えたのだ。兵を使うという事は、食料がとても重要だ。蒼玉の美しい細い指先が、黒波村と王都の間にあるいくつかの村を指差した。貯蔵した食料を王都での戦の時の為に保存しているなら、もう兵は集められているだろう。そして、もしかすると――王の命がもう僅かである事も、王都に潜んでいる内通者が報告しているかもしれない。

「この辺りの村は近くに森があって身を隠しやすく、またこちらの村は隣村と離れて――ここは田畑が多いようですね。私なら、この辺りの村を王都までの拠点として、物資を温存します。馬を走らせたり、もし――転移の術を使える使い手つかいて様が倶留守元宮の傍にいるなら、丁度良い距離でしょう」

 蒼玉が指をさした村の幾つかを見た妙見は、一瞬顔を強張らせてから深い悲しみを滲ませて瞳を細めた。

「なるほど……蒼玉の案、大変参考になりました」

 王女は筆で幾つかの村の名前を丸で記して、地図を丸めて閉じた。そうしてその地図を控えている使い手に渡すと、中性的な顔を精悍せいかんに見せる切れ長の瞳を和らげて蒼玉に向き直った。

「そなたは、本当に頭が良い。やはり正式に我が国の軍師として迎え入れたいのですが、今も気は変わりませんか?」

「――私は、奏州そうしゅうの平凡な農民の息子です。そのような名誉ある職など、私には似合いません。それに、まだまだ世間を知りません。旅をして、この中ノ地なかのちを見て――色んな事を学びたいのです」

 妙見の山葵わさび色の髪と瞳は、遠い祖国を思い出させる。次の年には、下の子の藍玉あいぎょくが成人の儀を迎える筈だ。どうか、良い戦士になって――あの子こそ、この様な名誉ある王国の職に就くべきだ、と家族を懐かしんだ。

「実は、蒼玉。そなたが示した村は――夜門よど王妃の一族が多くの田畑を持ち所有している村なのです」

 その言葉に、蒼玉は思わず息を飲んだ。


 それはつまり、夜門王妃と倶留守元宮が裏で繋がっているかもしれない。王妃による、王への裏切り――しかしこのような場所で、これ以上の事を妙見は口に出来なかった。


「この国の者なら、考えつかなかった案なのです。そなただからこそ、冷静に判断出来たのですよ――次に会う時は、そなたの気が変わっている事を願っています。では、ゆっくり体を休めなさい。失礼しますね、また話しましょう」

 どこか悲し気にそう言うと、妙見は椅子から立ち上がった。胸を張り、既に民を束ねるに相応しい風格を、王女は身に着けていた。途端、部屋の隅にいた蛍が扉を開けて彼女と使い手に、深々と頭を下げる。

「良いのですよ、頭を上げなさい。蛍、でしたね? 蒼玉をよろしくお願いします」

 床に膝を付き頭を下げるとき色の蛍の髪を優しく撫で、妙見は使い手を伴い蒼玉の部屋を後にした。

「……素敵ですね、妙見様……今日も凛々しく、お美しいです……」

 ほぅ、と蛍は何処かうっとりとその後ろ姿を見送った。その様子に、蒼玉は小さく笑った。

「五曜が拗ねると思いますよ、蛍さん。でも、確かに妙見様は気高く意思の強いお方ですね」

 蛍は赤い自分の頬を両手で隠して蒼玉を振り返り、それから何かを思い出したように困った様な表情になった。

「蒼玉様。あの……梵天様から、またお花が届いています」

 鶏が鳴くより朝早く。昨日少し熱が出た蒼玉がまだ眠りについていた時に、戦士服に身を包んだ梵天がこの部屋を訪れたのだという。倶留守元宮の偵察に行く、と、言っていたそうだ。そうして蛍が「蒼玉様は体調が悪くまだお休みになられています」と伝えると「これを」と、一本の薔薇そうびを渡して去って行ったという。

 その薔薇は梵天を象徴とする花とされた、『甘月かんづき』と名付けられた香りの強い藤色の中輪花ちゅうりんかだ。自身の代わりに傍に、という想いだろう。

 その想いに答える事が出来ない蒼玉にとって申し訳なく、だが花に罪はない。五曜が用意してくれた花器かきに、日ごとに『甘月』が増えていく。

 蛍が花を花器に並べていると、部屋の扉が叩かれた。

近衛このえ兵の統星すばるだ。蒼玉に会えるだろうか?」

 珍しい訪問者に、蒼玉と蛍は顔を合わせた。

「統星さん、どうぞ」

 蒼玉が少し大きな声を上げると、慌てて蛍が扉の傍に行き扉を開いた。


「……! 六星むつぼし……!?」

 開かれた扉の向こうには、柘榴ざくろ色の髪と瞳の統星の後ろに、どこか居心地が悪そうな――懐かしく今は愛おしく思う薄花うすはな色の髪と瞳の大柄な戦士姿。左目を黒い布できっちりと覆っている、蒼玉の心を深い愛情で占めている六星の姿があった。

「蒼玉の事を心配された妙見様からの命で、連れてきた。ほら、六星。蒼玉に話しかけてやってくれ」

 口数が少ない統星はそう言うと、後ろにいた六星の背を押して前に押しやる。

「蒼玉、大変だったみたいだな……その、前より痩せちまったんじゃねぇか?」

 六星は蒼玉の顔を真正面から見て、彼に歩み寄るとその濡羽ぬれば色の髪を優しく撫でた。


「六星……」


 途端、蒼玉はゆっくりと腕を伸ばして立ち上がると、ぎゅっと六星に抱き着いた。これには、統星も蛍も、抱き着かれた六星すら驚いた表情になった。普段の蒼玉なら、きっとこんな大胆な事はしないだろうからだ。

「……統星様」

 蛍は統星の上衣の裾を掴むと、扉を指差した。「二人きりにさせたい」と、蛍の心遣いだったのだろう。統星はもう一度抱き合う二人をチラリと見てから、仕方ないという面持ちで僅かに表情を曇らせて蛍を伴い部屋を出た。

 六星は安心させる様に彼の薄い背中を撫でて、蒼玉を寝台に腰掛けさせると自分もその隣に腰を落とした。

「心配しなくても、俺がお前の傍にいるからよ」

 蒼玉の肩を抱いた六星は、優し気な声音でそう彼に話しかける。その言葉に、蒼玉は深く安心した様に吐息を零した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る