反乱軍との戦い

第20話 解放された蒼玉と想い

 多分、この部屋に閉じ込められて四日目だったかもしれない。暗い部屋に軟禁される事は初めてだったので、時間の経過が把握できなかった。梵天が部屋を暗くしているのは、蒼玉の時間の感覚を狂わせるためなのだろう。窓は雨戸がずっと下ろされていて、外の様子が見れずにいた。明るいのか暗いのかも分からず、灯りはゆらゆらと揺れる数本の蝋燭ろうそくのみだ。

 肌着姿にされたが、梵天は蒼玉を手籠てごめにする事はなかった。『魂の伴侶がいる』と、蒼玉が口走ったからだろう。水の女神が与えたこの加護は、対なる者にしか己の純潔を与えたくなくなる。自分の絆の存在を知っている者をもし万が一無理やりにでも犯そうとすれば、自決するほど対の者への絆が深いからだ。蒼玉の美貌に惚れた事もあるのだろうが、梵天は自分が王位継承者の一人であることを忘れてはいなかった。戦士として優秀な蒼玉を失う事は、今の王室にとっても大きな打撃だ。それだけの理性はちゃんとあるようで、蒼玉は少しだけ安堵していた。

 蒼玉は闇の加護を受けているが、この部屋の暗闇は落ち着かなかった。洞窟などの暗闇で瞑想するのは得意だったが、この部屋は全く蒼玉を落ち着かせない。多分、かれている薔薇そうびの油の強く甘い香りのせいなのかもしれなかった。


 また、蒼玉は出される豪華な食事をほとんど口にしなかった。食事の時は両手を、かわやへは手と足のかせも外して貰った。だが、梵天はずっと彼を監視していた。蒼玉が梵天に忠誠を誓うと口にするまでは、色々な意味での拘束を解く気はなさそうだった。それが、軟禁を長くしているのだ。

 痩せる一方の蒼玉を心配したのか、梵天の身の回りの世話をしている上級使い手の一人が、梵天の目を盗んで蒼玉の許にひっそりと来た。胃に優しいだろうすりおろした林檎に蜂蜜をかけたものを、梵天には内緒で蒼玉に差し入れてくれたのだ。

 匙でゆっくり口に運ばれる林檎と甘い蜂蜜は、蒼玉にひと時の安らぎを与えてくれた。半分も食べる事は出来なかったが、蜂蜜の甘さのお陰で弱っていた精神力が僅かに回復した。蒼玉は、その使い手に感謝して礼を述べた。

「ご安心を――三号四と五曜王子とは、秘かに連絡を取っています。私は、二号六です、貴方の味方ですよ」

 こそりと耳に囁かれたその使い手の言葉に、蒼玉は顔を輝かせた――蛍が、五曜に話してくれたのだ。それに、敬愛する師範の三号四が事情を理解してくれている。その言葉が、どんなに蒼玉に活力を与えたか。


 しかし、笑顔を使い手に向けたと勘違いした梵天に見られていたようで、彼の怒りを受けてしまった。

 五日目の夜に肌着姿の蒼玉の体に触れる梵天は、いつも以上に執拗だった。もう、痺れを切らしたのかもしれなかった。「使い手を処分した」と口にした彼は、蒼玉の肌着の中に指先を忍ばせようとしている。蒼玉は唯一の拠り所である二号六を失ってしまい、更に梵天は蒼玉の体を無理やり支配しようとしている。


 ――駄目だ、杖がない私には刃向かう力がない……六星、助けて……!


 脱がされた戦士服と共に落ちている、六星から貰った紅赤色の組紐が見えた。それが、涙で歪んで見えなくなる。脳裏に浮かぶのは、六星の笑顔ばかりだ。彼以外に体を差し出すなんて、蒼玉には考えられず、恐ろしさに体が震えて耐えられそうになかった。


 五曜が、必ず助けに来てくれる筈、だから何としても耐えなければ……しかし、身体を許したくない、どうすれば……?

 蒼玉が、迷いながら震える舌を噛み切ろうかと諦めた時だった。


「開けなさい! 梵天、王の命令です!」

 知らない女性の声だった。その声の女性と思われる人物は、ドンドンと遠慮なく梵天の自室の扉を叩いた。その声に、梵天はハッとなり体を上げて蒼玉から離れた。

「姉上……?」

 怪訝そうな声を、扉の向こうへと向けた。端正な梵天の顔は、「王の命令」と言う言葉に眉をひそめていた。

「妙見が王より与えられた命を受けて、参りました。蒼玉を解放しなさい、これは王のお言葉です」

 扉越しでもよく通る、凛とした張りのある声だった。梵天は険しい顔で唇を噛むと、扉に向かい解錠した。すると、梵天の脇を通り抜けて見慣れた孔雀青の少年が部屋に飛び込んできた。

「蒼玉! 蒼玉、無事なの!?」

 蒼玉の少ない友人であり第三王子の、五曜だった。その懐かしく感じる顔を見て、蒼玉は思わずぽろぽろと涙を零した。

「五曜、有難うございます……助けに来てくれたのですね、信じていました……!」

 舌を噛まずに良かったと、蒼玉は未だ梵天の鞭で縛られたままの体を五曜に抱き締められて、安堵した。

「兄上、解いて下さい」

 訓練の合間の時の、のんびりとした口調ではない五曜の鋭い声が、不機嫌な表情の梵天に向けられた。小さく舌打ちした梵天は、檸檬色の鞭を取り出すと軽く振った。すると、蒼玉を縛り付けていた光の縄は無くなり、その体は力なく四肢が布団に落ちた。

倶留守くるすの挙兵がもうすぐだという時に、何を呆けているのですか」

 先ほどの声――第一王女の妙見だ。蒼玉が視線を向けた先、山葵わさび色の短い髪に切れ長の同色の瞳の、男性と間違えるような凛々しい王女がいた。風の加護を受けているようだ。そうして爪に印されているのは、剣士の紋章。確かに、彼女の後ろに立つ使い手は山葵色の薙刀なぎなたうやうやしく持っていた。

「申し訳ありません。私は、王家側の手駒が不足していると……」

「それだけではないでしょう。蒼玉は、今の訓練生でも優秀な呪術師だと聞きました。また、濡羽色の髪と瞳を持つ、麗しく人を魅了する美貌の持ち主だと……確かに、梵天は魅了されたようですね」

 蒼玉を真っ直ぐ見る妙見は、ふっと小さく笑った。

「弟が失礼をしましたね。申し訳ありません、王と弟に代わり、妙見が詫びを申します」

 妙見は、深々と頭を下げた。それを見ていた使い手達は、慌てて彼女を止めようとする。

「何をしている。皆、頭を下げなさい。王族の名誉の為にも」

 頭を下げたまま、きっぱりと妙見は言った。その言葉に、梵天と五曜も頭を下げた。つられる様に、その場にいた使い手達全員も揃って蒼玉に頭を下げた。

 慌てたのは、蒼玉だった。自分は、ただの農民の息子でしかない。そして、未だ功績も上げていない戦士見習いだ。王族に頭を下げられるだなんて、夢にも思わなかった。慌てて震える足で妙見の許に向かった。

「王女様、どうか頭を上げて下さい。梵天様も、五曜様も。私は、解放して下さるのなら、それだけで十分です」

 蒼玉の必死さが伝わったのだろう、妙見はゆっくり頭を上げた。そうして、他の者達もそれに倣った。

「呪術師、回復を」

 自分でもできると口にしようとしたが、杖がない上に精神力がほとんど無い状態の蒼玉には無理だった。

「私が」

 前に出てきたのは、処分されたと言われた二号六だった。驚いたように唖然と彼を見つめる蒼玉に、二号六は小さく微笑んだ。どうやら、梵天は蒼玉に嘘をついたのだろう。王族側の使い手を無暗に殺すほど、梵天は無能ではない。

「姉上、兄上。蒼玉を訓練所の部屋に連れて帰ります。取り敢えず、彼を休ませたい」

 二号六に回復を唱えられて腕や足に出来た痣は消えたが、体力も精神力も回復していない。五曜がすっかり軽くなった蒼玉を抱き上げると、二人を振り返った。梵天は何も言わなかったが、妙見は頷いた。

「倶留守が挙兵するのも、時間の問題だ。とにかく、蒼玉は休ませてあげましょう。我々は、王と話し合い迎え撃つ準備にかからなければ――蒼玉の力も、今後必要になるかもしれません」

 妙見の言葉に頷く五曜は、服と共に落ちている紅赤色の組紐に気が付くと、使い手の一人にそれを拾わせて蒼玉に握らせた。何時だったかその組紐を大事そうに、嬉しそうな顔をした蒼玉を思い出したのだ。

「……すまなかった」

 小さな梵天の言葉を聞き、その組紐の感触に安心したのか、蒼玉は微笑んでそのまま瞳を閉じた。蒼玉は緊張してずっと寝ていなかったので、見慣れた五曜の顔を見て安心すると眠くて眠くて、仕方ないのだ。

「蒼玉!?」

「落ち着きなさい、眠っただけでしょう」

 慌てる五曜の声と威厳のある妙見の声が遠くなり、蒼玉の意識はぷつりと途切れた。

  




 それから蒼玉が目を覚ましたのは、二日後だった。ずっと傍にいてくれていたのか、蛍が「蒼玉様!」と叫ぶとわんわんと泣きながら、急いで部屋を飛び出した。

 眠っていたのは、見慣れた自分の部屋だった。頭がぼんやりとしていて、蒼玉は暫く何も考えず蛍が出て行った扉を眺めていた。しかしそう時間も経たず、扉の向こうが賑やかになる。

 それが開けられると、三号四を筆頭に蛍と五曜、食堂のおばちゃんが盆を手に姿を見せた。彼らを見て、蒼玉は流石に自分がどんな目に遭っていたのかを思い出して、無事にここに帰れた事を実感して僅かに涙を滲ませた。

「蒼玉様、お辛かったでしょう。こんなに痩せてしまって……私は何も出来なくて、申し訳ありませんでした」

 蛍が自分の着物をぎゅっと握り、先ほどと変わらずにずっと涙を流していた。

「蛍さんが、五曜に知らせて下さったから……助かりました、有難うございます」

 それは、蒼玉の心からの想いだった。あの場に蛍がいなければ、今頃自分は梵天に凌辱りょうじょくされていたかもしれない。

「王の具合が悪いから、中々謁見できなくてさ。ごめんね、蒼玉。何とか間に合ったみたいだけど」

 五曜がそう言いながら蛍に手ぬぐいを差し出すが、蛍はじりじりと後ずさり床に膝を付けて頭を下げた。

「五曜様が王族の方とは知らずに、下女の私が軽々しくお話をしてしまい申し訳ありません」

「だから、それは気にしなくていいって何度も話しただろ? 僕は、ただの訓練生だから。ね?」

「知らなかったなんて、本当にあんたは鈍いねぇ。五曜様がそう言ってんだから、気にしなさんな」

 蒼玉が寝ている間、このやり取りが何度も繰り返されたようだ。食堂のおばちゃんが豪快に笑って、手にした盆を蒼玉の横に置いた。暖かな湯気が、美味しそうな香りを漂わせている。

「三号四様に言われて、牛の乳で重湯おもゆを作っておいたよ。呪術師は、精神力も大事だって聞いたから、砂糖も入ってるからね」

 重湯とは、水分の多い粥を長時間炊き薄布で漉したものに僅かな塩で味を整えた、胃に負担がない飲む食事だ。それを牛の乳を使い砂糖を入れているのは、呪術師用なのだろう。

「よく耐えたね、蒼玉。普段の梵天様なら、こんな無体な真似はしないと思うんだが……恋とは難しいものだね。勝手を言うが、恨まないで欲しい。あの方は、夜岳の希望なんだよ」

 蒼玉の枕元の三号四は、彼女が悪い訳ではないのに心底申し訳ない顔をしていた。『王の命は残り少ない』と、梵天は話していた。そうなれば、次の誰かが王となる。妙見か梵天が王位を継ぐのを、国民が願っているようだった。

 確かに、梵天は賢く人に任せず王子である身ながら斥候せっこうにも赴く。妙見は落ち着きもあり、民にも親身に寄り添える方に見えた。二人とも、王になるには相応しいと、蒼玉も素直に思えた。

「……人の想いは、止められぬものです。梵天様も、いずれ良いきさき様を迎えられるでしょう」

 自分が、六星を慕っているように。六星が本心で蒼玉を好きだと分からないが、蒼玉は六星が違う誰かを好きでも、多分ずっと恋しているだろう――そう思うと、梵天を憎もうとは思えなかった。


 想いは、誰も自在に扱えない。それは、神ですら。


 白童子の頃に読んだ、水の女神と人間の男の恋の話を思い出した。『神様に想われるなんて、なんて素敵な事でしょう』と、読み聞かせてあげた下の子の藍玉あいぎょくがにこにこと笑って言っていた。

 あの頃の自分は、誰かを想う日が来るとは思わなかった。



「まあ、とにかく今は元気になる事が優先だよ!」

 五曜の言葉に、蒼玉は遠く離れた故郷を思い出すのを止めた――藍玉は、元気にしているだろうかと、僅かに心にその思いを残しながら。

「じゃあ、蒼玉。誰に食べさせてもらいたい?」

 何処か楽しそうな五曜と椀を見比べて、蒼玉は恥ずかしさに両手で顔を覆った。

「……五曜と師範は、お断りします……」

 小さく、だが念を押すようにそれだけははっきりと蒼玉はそう口にした。

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