第17話 記憶・梵天と安曇
「精神力がどうのというより……あんたは栄養状態が悪すぎるね」
結局討伐から帰って来てからほぼ丸一日寝てしまった蒼玉に、三号四が呆れて溜息混じりにそう言った。
「精神力が尽く前に、体力がなくなったんだよ。ちゃんと飯は食べてるのかい?」
朝餉を食べていつも通り訓練に姿を見せた蒼玉に聞くと、彼は躊躇いながらも頷いた。
「出されたものは、出来るだけ残さずに毎食頂いています。流石に剣士の方の量は、食べられませんが……」
剣士の量は、蒼玉が食べる量より一人前以上多い。あの量を食べるのは、蒼玉には無理だった。
「あんたは、間違いなく優秀な戦士の素質があるよ。戦場の中でも冷静な判断出来るし、放つ術の威力も申し分もないから即戦力になる――だけど、体力が持たないなら役に立たないよ」
三号四の言葉は、
「……まあ、今回は張り切り過ぎて練習し過ぎたのがいけないのかもねぇ……その細すぎる身体を、もう少し丸くするように気にしなさい」
練習しだすと夢中になる蒼玉の事を知っていたので、三号四は止めなかった自分の責任も感じていた。だから。小言はそこで終わった。
「王子と王女の合格を手助けした功は、高いよ。まして、王女は忍術士で止めを刺せた。それは、あんたのお陰だ」
倒れる間際に放った蒼玉の捕縛の術のお陰で、身動き取れない魔獣の喉を裂いて王女は合格した。使い手達は、王子である五曜が弱らせた魔獣を王女が止めを刺すと考えていた。だが、蒼玉は二人それぞれを助けたのだ。王子も王女も、それぞれ一体を倒した。これは、予想外だった。それだけ、蒼玉の補助が優れていたのだ。
「あんたの能力なら、望むなら王宮兵士所か王族付きの側近になれる筈だ。頭もいいしね」
それは、三号四が口添えをしてくれるという事だろう。だが、蒼玉は首を横に振った。
「いえ……私は、戦士になって冒険したいのです。一緒に冒険したい人がいるのです」
「おや、それは意外だったね。あんたがそんな事を考えていたなんて」
王宮兵士は、農民出の者なら憧れる働き口だ。出世すれば、家族を助けられる程の収入を確実に得られるだろう。まして側近という役職は、限られたごく一部の者しかなれない。しかし、戦士になるという選択は、蒼玉らしいとも三号四は考えた。
「それで、今回の報酬が王族から出てるよ」
三号四は、懐から布袋を取り出し蒼玉へ手渡した。受け取った蒼玉は袋の口を開けて中身を確認する。そこには、見た事もないほどの硬貨が入っていた。
「こんなに? 受け取れません!」
蒼玉は驚き、慌てて口を閉めた袋を三号四に彼女に差し出す。だが、彼女は受け取らない。
「これは、あんたの働きに対しての正当な報酬だよ。受け取っときなさい。戦士になるなら、自分の功績に見合った対価を貰うのが筋ってもんだからね」
六星も、金額は分からないが魔獣を倒して村から報酬を貰っていた。慈善行動だけでは生きていけない、とも教えられた。「戦士として生きる」なら、報酬を貰わなければいけない。
蒼玉は躊躇いながらも、その袋を握り直して頭を下げた。
「有難く受け取ります」
「はいよ、お疲れ様だったね――あと、三日お休みが与えられた。明日からは訓練も休んで、少し羽を伸ばしなさい」
その言葉に、蒼玉の顔が輝いた。それは三号四が始めて見る、本当に蒼玉の嬉しそうな顔だった。
「では、このお金を部屋に置いてから訓練に戻ります」
頭を下げて、蒼玉は自分の部屋に向かった。あの雪が降った日から、次第に寒さが穏やかになってきた気がする。王宮に連なる訓練所の中に居ても寒さが身に沁みたが、動きやすくなった気がした。
自分の部屋の簡易金庫にお金を入れて鍵を閉めると、蒼玉は再び座学室に向かって足早に戻る。その途中の廊下で、蛍の後ろ姿を見つけた。
「蛍さん」
「――蒼玉様」
声をかけられた蛍は振り返って、嬉しそうに笑顔を見せた。その彼女には、暫く気にしないようにしていたが、やはり悲し気な女がまとわりついている。
「昨日のご活躍は、ここにも伝わって皆さんお話されています。蒼玉様は、やはりお強い方なんですね!」
自分が褒められたかのように、蛍は嬉しそうだった。その蛍の言葉に、蒼玉は気恥ずかしくなってしまう。
「そんな事ありません、まだまだ未熟だと怒られました」
「そんな事――あ!」
蛍の笑顔が、急に消えて慌てて膝を着いて頭を下げた。その行動に驚いた蒼玉は、背後に誰かが立っている事に気が付いてゆっくり振り返った。
「……梵天様……!」
そこに立っていたのは、綺麗な檸檬色の光の加護を受ける梵天の姿だった。今日の彼は戦士服ではなく、着物姿で豪華な金糸で刺繍された単を羽織っていた。蒼玉も慌てて頭を下げる。
「蒼玉と言ったな?」
よく通る、凛とした声だった。蒼玉と変わらぬ年だろうが、既に王族としての貫禄を身にまとっていた。
「はい、蒼玉です」
梵天がなぜ自分に声をかけてきたのかは分からないが、幸い首から下げている小袋には安曇の根付が入っている。今が、渡せる機会なのかもしれない。
「今日から、俺の傍に付け。訓練は中止だ」
梵天が放った言葉は、蒼玉にとっては衝撃的なものだった。あまりの理不尽さに、信じられないと蒼玉は顔を上げて、梵天の端正な顔を見つめた。蒼玉の視線を受けても、梵天は表情を変えない。
「……いえ、恐れながら私は訓練を続けます……そして、戦士になるので王宮兵士にはなりません」
昔の蒼玉なら、考えられない拒否の言葉だった。蒼玉の脳裏には、蒼玉に笑いかける六星が映っている。彼と冒険する未来を、出会ってからずっと願っていた。だから、蒼玉には梵天の命は受け入れられなかった。
「お前の昨日の活躍した話を聞いた。その美貌で優秀なら、俺のものにする。兵が嫌なら、文官でも構わん。俺の許に来て貰う」
「私はものではありません!」
思わず、蒼玉は王子である梵天に反論した。蒼玉の人間性を無視して、「使えるから」と自由を奪うのは、王族であろうが間違っている。
「俺の命は絶対だ――来い」
梵天は蒼玉の細い腕を掴むと、ぐいと引っ張って王宮へ通じる廊下へと足を向けた。梵天は無駄な肉のない、筋肉質な体をしている。確実に痩せぎすな蒼玉より力があった。しかし、蒼玉はその腕を引っ張り抵抗する。その様子に小さく舌打ちした梵天は一度立ち止まり、蒼玉を抱え上げるとそのまま歩き出した。
「――蛍さん!」
蒼玉は、床に膝を付き頭を下げていた少女の名を呼んだ。呼ばれた蛍は、慌てて顔を上げた。抱えられ連れ去られる蒼玉を見て、何も出来ず涙を浮かべていた。
「五曜に――五曜に、伝えて下さい……!」
なぜ訓練生である五曜に、と蛍は不思議に思ったが蒼玉の言葉には意味がある筈。蛍は涙を零しながら頷いて、その涙を着物の袖で拭うと弾かれる様に五曜を探しに走り出した。
梵天は、王宮の廊下をずっと歩いて奥の王族の部屋が並ぶ自室まで、蒼玉を抱えて来た。蒼玉が軽すぎる悪影響が、ここにも出たようだ。途中ですれ違う文官や使い手が声をかけようとするが、彼が睨むと黙り込んだ。器用に片手で引き戸を開けると、さっさと中に入りまたその扉を閉める。
「手間をかけさせるな」
梵天は、抱えていた蒼玉を寝台へ転がすように寝かせた。蒼玉は、初めて自分の身の危険を感じて体を守る様に後ずさる。部屋は薄暗く、あまりよく見えない。だが、豪華な調度品と家具が見え、夜岳ではあまり嗅がない花のような甘い香が焚かれているようだ。
「奏州から来たと言ったな。何故、
梵天は聡明だ、と蛍が言っていた気がする。取り敢えずは身の危険はないようなので、蒼玉は強張った体の力を僅かに抜いた。梵天は蝋燭に灯りをともした。するとさっきより明るくなった室内を歩いて、寝台の正面にある椅子に腰を落とす。そうして、どこか鋭く蒼玉を見ていた――彼の様子を、探るかのように。
夜岳は、梵天が生れる頃には内戦が始まり今も続いている。今は身を隠しているが、再び反乱の機会を窺っている倶留守元宮の命を受けた者が、王宮や城下町に紛れているかもしれない。特に、夜岳の王族に忠誠を誓っていない他国の者なら、その可能性が高い。梵天は、それを警戒していたのだろう。
害がないものなら気にならないが、蒼玉が優秀なのは昨日の内に城下町から王宮にまで伝わった。梵天が危険視するのも、仕方ないのかもしれない。
「私は、己の加護が強い夜岳で修行したかったのと――梵天様、貴方に渡したいものがあり、生まれ故郷の奏州を出て夜岳へ来ました」
「何だと? ――俺に?」
梵天は、警戒を滲ませた表情で眉根を寄せた。その彼から視線を逸らすと、蒼玉は首から下げている小袋を着物の中から取り出す。彼の行動を監視する様に目で追う梵天は、その袋から現れた黒い房が付いた
「それは……!」
蒼玉はそれを掌に置くと、梵天に差し出した。
「貴方の母君である、安曇様の形見です。安曇様は、奏州で昨年の冬にお亡くなりになりました」
瞬間、大きな音を立てて椅子を倒して立ち上がった梵天は、蒼玉に歩み寄るとその根付を奪い取った。
「梵天様、どうかなさいまし……」
「入るな! 何でもない、呼ぶまで入るな!」
音に心配した使い手が声をかけてきたが、梵天は彼らしからぬ声を上げて使い手を追い払った。
「俺の母の最期を、お前は知っているのか?」
じっとその根付を見つめてから、梵天は少しかすれた声で蒼玉に尋ねた。
「はい。私と一緒に魔獣討伐に向かい、私が安曇様が亡くなるのを看取りました――少し、長い話になります。どうぞ、おかけください」
蒼玉は、梵天に椅子に腰かける様に進めた。梵天は素直に倒れた椅子を元に戻すと、さっきと同じように腰を落とした。
そうして、蒼玉は六星に話したように安曇が蛍石だと名乗っていた、懐かしい奏州の話を始めた。
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