第16話 記憶・闇王家の悲劇

 火の鷲の魔獣は、多分激怒しているのだろう。その体をまとう火の強さが、先ほどよりぐんと上がった。近くに居るだけでも、その熱量が強く蒼玉と五曜は後ろに数歩下がってしまう。

 窮奇に噛まれ鵺に腹を切られたその魔獣は、甲高く鳴きながら五曜と蒼玉を見下ろしている。攻める時期を窺っているようだ。

「黒く聖なる雫 清き水と対なるもの 北より現れし将軍が牙をむく―――黒破飛沫こくはしぶき!」

 先に攻撃を仕掛けたのは、蒼玉だ。杖を掲げて彼が詠唱すると、激しく迸る強烈な黒い水の球の襲撃が火の魔獣に襲い掛かる。その飛沫しぶきを浴びた火を纏う魔獣から、水蒸気が沢山溢れだす。その水蒸気で辺りの視界が悪くなった隙をついて、今度は火の魔獣が蒼玉めがけて飛び込んできた。

「蒼玉!!」

「暗黒より生まれし将軍 北より生まれし雷風らいふう 黒き光を捧げてその刃で天を裂け 黒雷連刃こくらいれんば!」

 心配の声を上げる五曜の前で、後ろに飛びながら蒼玉は黒くうねる尖った刃の一撃を火の魔獣に与える。五曜より魔獣との対峙が多い蒼玉は、相手が襲ってきても慌てずに次の術を唱えたのだ。それを遠くで眺めている三号四は、小さく微笑む。

 蒼玉からの応戦は意外だったのか、その連なる刃は火の魔獣の両眼を裂いた。

「ギィァアアアアアアアアアアア!」

 火の魔獣は落ちる事はなかったが、苦しそうにフラフラと宙を舞う。苦しいのか辺りに火を吐いて、氷連地を僅かに溶かして水で氷の大地が滑りやすくなる。

黒羽連舞こくはれんぶ!」

 蒼玉の杖から羽のような小さな刃がたくさん生まれると、火の魔獣に襲い掛かりその体を浅くだが全身を切り刻む。そして、蒼玉は魔獣を避ける時に後ろに重心を傾けたせいで、そのまま後ろに倒れそうになる。

「蒼玉!」

 駆け寄った五曜が、慌てて背後からその体を抱き留めた。そして、火の魔獣を睨んだまま片手を上げる。

「かかれ、窮奇!」

 指示された窮奇が、自身の羽を羽ばたかせて火の魔獣に飛び掛かる。バタつかせている片羽に齧りつくと、大きく首を振り根元からその羽を引き抜いた。

「ギャァアハァアアアアアアアア!!」

「鵺、行け!」

 片羽を失った火の魔獣が、大きな音を立てて地面に墜落する。落ちた魔獣に、鵺が突進すると魔獣の首に噛みついてその肉を食べだした。窮奇もその横たわる魔獣に向かい、同じように肉を齧り裂く。

「アガァアアアガガァアアアアア……」

 もがく魔獣だったが、五曜の二体の式神に生きたまま食べられて、次第に鳴き声と暴れる音が小さくなる。

「蒼玉、大丈夫だった?」

 もう大丈夫だろうと、腕の中の蒼玉に視線を落として、五曜は心配げに蒼玉を気遣う。蒼玉は安心させるように頷いて、笑みを浮かべた。

「有難うございます、五曜。私は、大丈夫です」

「王女!」

 淡路の叫ぶ声に、二人は慌てて北斗に視線を向けた。その視線の先で、北斗は氷の魔獣の足に踏みつけられて、顔や体は爪で傷付けられていた。統星も淡路も、魔獣と対峙しているので下手に動けない。彼らが動けば、北斗が被害を受ける。

「地を割る雨 走るは黒き光 風を抜けて輝く蛇よ星を砕け――黒き稲妻!」

 離さなかった杖を五曜の腕の中で掲げ、蒼玉は教えられたばかりの術を唱えた。「援護攻撃に向いている」と三号四の言葉を思い出したのだ。杖から走った黒い光は雷の様な速度で、真っ直ぐに氷の虎に向かいその片目を射抜いた。

「ギャン!!」

 予想しなかった位置からの攻撃に軽く仰け反り、氷の魔獣は北斗を踏んでいた足を浮かせた。その瞬間を、蒼玉は見逃さなかった。

「闇の加護により命じる――黒龍の鍵爪!」

 蒼玉の杖が黒く光ると、その杖から伸びた黒い光が北斗の体に巻き付く。そして蒼玉は黒く光る網に閉じ込められた北斗を引き寄せる為に黒い光の網と繋がっている杖を自分の方に引き、北斗の体を魔獣から素早く離して統星の横で開放した。黒い光が消えるとくたりと倒れる北斗の前に柘榴色の盾を構え、統星は淡路を呼ぶ。

「淡路!」

「慈愛に満ちた光が深淵より朽ちた花に与える自由と愛に 君臨した女王に嘆きの聖杯を捧げ 漆黒の酒が汝を赦し神の雫にその身を委ねろ 闇詠唱やみえいしょう黒き癒やし風」

 淡路の回復術で北斗の傷は癒えた。しかし、気を失っていて目を覚まさない。

「失礼いたします!」

 統星は謝罪の言葉と共に、北斗の頬を叩いた。瞬時、北斗は目を覚ましてさっと立ち上がり構えた。

「私は? 気を失っていた?」

「はい、ですが直ぐに救出して起こしました」

 北斗は直ぐに状況を理解すると、片目に傷を負っている魔獣を睨みつけた。やはり、忍術士一人で魔獣と対峙するのは難しいようだ。しかし、火傷を負っても爪で怪我を負っても、北斗は魔獣に挑む。

「蒼玉?」

 術を複数唱えたのと加護の術の反動で、蒼玉は気力を随分疲労して意識が朦朧としていた。片手で五曜の腕をつかみ、足を踏ん張る。ふわりと、蒼玉の濡羽色の髪をくくる紅赤色の組紐の端が視線の隅に映った。

「王女を――」

 気を失うかもしれない、しかしそれでも蒼玉は再び杖を振り上げた。

「闇の加護により命じる――黒龍の鍵爪!」

 再び、加護の術を蒼玉は唱えた。今度は黒い光の網は氷の魔獣に絡みついてその動きを封じた。それを確認した北斗は、短剣を手に高く飛び上がった。


 その姿を最後に、蒼玉の意識は途切れた。




 ゆらゆらと揺れる感覚に、蒼玉はゆっくりと瞳を開いた。どうやら、歩いている誰かに背負われているらしい。まだぼんやりとする視界の中、鮮やかな柘榴色の髪が目に入った。

「統星……さん?」

「起きたか」

「良かった、目が覚めたのね」

「蒼玉! 心配したんだよ」

 統星の名を呼んだ蒼玉に、脇を歩いていたらしい五曜と北斗が声をかけてきた。

「有難う、蒼玉。お陰で私達訓練に合格したわ」

 北斗は緊張していたのだろう。戦闘までの厳しかった顔つきが、今は愛らしい笑顔を浮かべて、蒼玉に礼を述べている。しかし、統星に叩かれて赤くなった頬が痛々しい。

「それは良かったです、お二人の合格おめでとうございます」

「まさか、捕縛の術をあんな風に使うとは思わなかったよ」

 前を歩く三号四が振り返らず、しかし楽し気な声音でそう零した。確かに、捕縛は敵の動きを封じるものだ。しかし杖で光を切らない限り、杖と捕縛の光は繋がっているのだ。あの場合、魔獣から北斗を引き離す必要があった。蒼玉が機転を利かせたのだ。

「重いでしょう、統星さん、自分で歩きます」

 統星に背負わせたままなのが気になるのか、蒼玉は統星に降ろしてくれるように頼む。しかし統星は降ろそうとはせずに、北斗や五曜の歩調に合わせて歩いて行く。

「北斗王女より軽いと思う」

「まあ! 統星、そんなこと言ってると女の人に嫌われるわよ!?」

 そう言いつつも、北斗は怒っている様子はない。試験に合格したのと、年の近いものと一緒に居るのが嬉しいようだ。

「五曜は無理を言って皆さんと一緒に訓練しているのだけれど、普通王族は王族だけで訓練を受けるのよ」

 北斗は、蒼玉に説明してやる。同じ適性の訓練生に師範一人が教えるのが普通だが、王族の場合一対一で教えるのだという。北斗も彼女専用の中級使い手が師範になっているのだという。

「蒼玉がすごかったから、僕の新しい式神の出番はなかったよ」

 そう言えば、五曜は先日新しい式神を使役出来るようになったと言っていた。新しい式神、と言うよりも式神自体を蒼玉は初めて見た。

「でも、私は初めて式神を見ました――すごいですね」

「そうね、私も初めて見たわ。でもね、蒼玉は見てなかったと思うけど、あの後五曜の式神ったら、あの魔獣二体の死体を食べ尽くしたのよ」

 北斗はその光景を思い出したのか、眉根を寄せて気持ち悪そうに呟いた。

「褒美なんだから、仕方ないよ。魔獣を食べる為に、戦ってくれてる訳だしさ」

 魔獣のような見た目だが、五曜にとっては可愛いのだろう。彼は拗ねたように唇を尖らせた。それを見た蒼玉と北斗は小さく笑う。

「北斗王女が、恐れずに魔獣に挑む姿に私は勇気付けられました。ですから、私は気を失う覚悟で術を唱えられたのです」

 女性で、接近戦で魔獣に挑む怖さ。攻撃をいくつか受けているのは、彼女の豪華な戦士服が所々破れて、血の跡が付いている事で分かる。それでもなお立ち向かい戦うのは、彼女の強さだろう。蒼玉は、自分には出来ないと思い、純粋に彼女の強さに感動していた。

「仕方ないのよ。他の国の王族の事を知らないけれど、この国の王族は生き残るために強くならなきゃいけないから」

 北斗の言葉に、五曜も真剣な顔になった。

「北斗王女のお母様のやなぎ様は、正妻である夜門よど王妃により処刑されています。また、五曜王子の母君で倶留守元宮の正妻の赤星あかほし元宮妃は、所在が確認されて捕まった際広場で処刑されました」

 自分の口では言い難いだろう、と代わりに統星が説明した。倶留守元宮妃は、夫の為降伏しなかったのだろう。しかし、何故側室の柳様が処刑されたのだろうか。怪訝そうな蒼玉に、五曜が小さな声で説明する。

「夜門王妃は、子供を産めなかった事もあってか側室の方にとても厳しい態度をされていてね。梵天の母君である安曇様が懐妊された時も、無茶な理由で処刑しようとしたんだ。そのせいなのか、梵天を産んですぐに安曇様は姿を消されたんだ。側室の方だけじゃないよ、使用人や下男下女も気分次第で処刑されているよ」

 蒼玉には、信じられなかった。民を指揮して国を守る王族が、自分の気分で人を殺すなど。そんな事が許されている事にも。

「蛍のお母さんも、確か王妃の機嫌を損ねて処刑されたはず……」

「五曜王子、それ以上は」

 止まらない五曜の言葉を、統星が制止した。確かに、五曜の立場を考えればこの話を誰かに聞かれるのはあまり良くないだろう。

「王族って、裕福で恵まれているかもしれないけれど……怖いのよ、他人が」

 曖昧な笑みを浮かべる北斗は、それから口をつぐんだ。五曜も、静かに歩く。統星の背に揺られながら、蒼玉は五曜が最後に口にした言葉が気になって蛍の姿を思い出した。彼女にまとわりつくように見える、自分にしか見えない悲し気な女。あの女性は、蛍の母の姿かもしれない――そうなら、安心させて冥府へと送ってあげなければいけない。


 そう思いながらも、暖かな統星の背中と心地よさに、蒼玉はそのまま眠ってしまった。そのまま蒼玉は王宮についても統星の背中で眠り続けて、仕方なく統星と淡路が彼の部屋の寝台に彼を寝かせた。

 次の日、王宮の兵士たちに「蒼玉のお母さん」と呼ばれて複雑な顔の統星に、蒼玉は何度も頭を下げていた。

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