第15話 記憶・五曜の正体
それからの二日、蒼玉は五曜に誘われなければ、また蛍が声をかけねば食事を忘れるほど修行に没頭した。特に加護の術は反動が少ないとは言うものの、術の跳ね返りで体に負担がかかる為に討伐日までに唱えたのは三回ほどだ。蒼玉はもっと練習したかったが、師範である三号四がそれ以上の詠唱を当日まで禁止した。一度目の詠唱で、蒼玉は見事に対象を捕縛出来たのが大きい。
蒼玉はまだ自分の術に納得できなかったが、短期間で仲間を巻き添えにせず正確に術を唱える蒼玉に、他の訓練生は彼を純粋に褒め称えた。慣れぬ称賛に蒼玉は恥ずかしそうだったが、自分が誰かの役に立てることが認められたようで、次第に肝が据わってきた。
明日が討伐日だという日、蒼玉はしっかりと夕餉を食べた。五曜が差し入れてくれた蜂蜜を茶うけに、夕餉を終えた食堂で彼とゆっくり討伐の話をした。
「三号四師範は、十分な才があるから君を選んだんだろ?蒼玉は自分に厳しすぎるよ……全く、また痩せて此処に来た時くらいになったじゃないか」
五曜は呆れたように、蒼玉の少しやつれた美しい顔を眺めて溜息を零した。お茶を運んできた蛍も、同感だと言うように小さく頷く。少し肉がついてきた身体なのに、また痩せぎすに戻っていた。
「精神力の使い過ぎ……でしょうか。ですが、倒れないようにしっかり食事を摂っていますよ?」
自覚がない蒼玉は、不思議そうに二人を見返していた。
「まあ、その緊張も明日が終わればなくなるだろうし…無事討伐が終わる様に願ってるよ。集合は、卯の初刻だったっけ?」
干した
「はい、必要なものは全て用意していただけるので、身軽で参加できるのが有難いです――あ、
蒼玉は氷連地の氷の大地を思い出して、橇がないと草履だけでは転んでしまうと慌てて明日の荷物に追加することを忘れないように口にした。
「橇?」
聞き慣れないその単語に、五曜は首を傾げた。
「あれ? 五曜は知らないのですか? 氷連地は、氷の大地です。草鞋では氷連地は歩けず滑ってしまうので、橇と呼ばれる鉄の刃が付いたものを草鞋の上に装着する履物です」
「氷連地の事は知っていたけど…へぇ、そうなんだね。そんなものが有るんだ」
蒼玉の説明を、五曜は真剣に聞いていた。彼に説明しながらも、蒼玉はふと不思議に思った。去年の訓練生の魔獣討伐は、もう終わっているはずだ。召喚士だけの討伐も、終わっていると聞いた。討伐に行っているなら、橇は身に着けた筈だ――余裕さを身にまとっている五曜は二年目ぐらいと思っていたが、実は彼は一年目でまだ参加していないのだろうか。
「じゃあ、もうお風呂に入って寝ないと。朝早いから、今日は早く布団に入らないと起きれないんじゃないか? 蒼玉、行こうか」
五曜について考えようと黙り込んだ蒼玉から視線を逸らすと、五曜は木綿の袋に入った残りのお菓子も蛍に渡して、ゆっくりと椅子から立ち上がった。「部屋でみんなで食べてね」と、蛍が気にしないように一言付け加えて。
「そうですね、有難うございます。では、蛍さん。おやすみなさい」
「おやすみ」
「蒼玉様、明日はお気をつけて」
頭を下げて二人を見送る蛍に、二人は声をかけて風呂に向かった。その日も二人は蒸気を気持ちよく体に浴びると、湯冷めしないうちに部屋に戻って早々に布団に潜り込んだ。
「見守っていてください――六星」
布団の中、手首に巻いた紅赤の組紐にそう呟いてそっと唇を触れさせると、疲れのせいもあって蒼玉は直ぐに眠りに落ちた。
その日の朝は、少し曇っていた。そのせいで起きるのが少し遅くなってしまった蒼玉は、慌てて身支度をして紅赤の組紐で髪をくくって今日の成功を願う。そうして朝餉も口にすることなく瞬湊村で作った杖を手に、防寒着と橇を手に城下町へ向かう門へと足を向けた。門前で集合する様に、三号四から言われていた。
朝早い城下町も、まだ静かだった。開店の準備をする町人も少しはいるが、まだ眠りについているものが多い。曇っているせいか、霧も少し出ていた――蒼玉は、水の国の
「待たせたね、蒼玉」
名を呼ばれて振り返ると、そこには
「守護師の師範の四号八と、剣士の使い手師範の四号四だよ」
剣士の師範は、大剣使いの様だ。大剣を見ると、蒼玉は六星を思い出してしまい会いたくなってしまう。その二人の使い手は、蒼玉に軽く頭を下げた。蒼玉も慌てて頭を下げる。
「もうそろそろ、兵士と王族が来るよ――おや、来たようだね」
王宮に続く門が再び開いて、兵士と豪華な戦士服を身に着けた王子と王女が姿を見せた。王女は、忍術士らしい。
「やあ! おはよう、蒼玉」
「おはようございます……五曜様……」
悪戯っぽく笑みを浮かべる五曜に、蒼玉は状況が分からずただ失礼のないように頭を下げた。
王女は側室が産んだ第二王女で、五曜は倶留守元宮の息子なのだという。沖昴王に忠誠を誓ったので、父の様に追放されずに第三王子として王家に残ったのだ。沖昴王の正室に子供はなく、また沖昴王は側室であった安曇を深く愛していたそうなので、他の側室に出来た子供も少ない。反逆者の留守元宮の息子である五曜を残さなくてはいけないほど王家の血を引く者は少なく、だからこそ王家が途絶えぬように護らなければならないのだ。
「王位継承者は、第一王子の梵天。第一王女の
援護補助は、王宮兵士である守護師の統星と呪術師の
蒼玉と統星が五曜を挟んで歩き、五曜は蒼玉に王族の現状を教えた。この国の者ではなく、また世間知らずなところがある蒼玉の為に、五曜は王族の名前を順番に口にする。
「ごめんね、蒼玉を
最初に、五曜はそう言ってすまなそうに蒼玉に手を合わせた。
「中々話す機会がなくてさ――それに、他の訓練生は僕の事知って避けるから、蒼玉みたいに対等に話してくれる人がいるのが嬉しかったんだ。だから、今まで通りに接してくれていいから」
「ですが――」
蒼玉は、統星を始め他の兵士に視線を向ける。王族と対等に話すなど、兵士や使い手が許すはずがない。
「いいんだよ。僕は、王族のおまけなんだから」
五曜は、自分は倶留守元宮の子である事を恥じているようだった。王族だと言っても、反乱を起こした元宮の子、と陰で言われて居心地が悪いのだろう。それに、五曜は今まで蒼玉に良くしてくれていた。統星に視線を向けたが、彼は何も言わなかった。
「では――五曜、今日はよろしくお願いします」
「うん! よろしくね、蒼玉!」
蒼玉の言葉に、五曜はいつもの笑顔になって頷いた。
「仲がよろしいのは構いませんが、お気を付けて下さい」
ようやく、統星が口を挟んだ。彼は歩き進む先の氷連地を、警戒する様にじっと見ている。
「どうやら、魔獣は二体いるようです。離れていればよいのですが……」
統星の心配げな言葉が気になったまま、一行は氷連地に辿り着いた。そこで兵士は橇を取り出して配りだす。蒼玉は「持っているので」と断り、自分の橇を慣れた手で装着した。
「これが、橇なんだ」
五曜が珍しそうにそれを眺めてから、蒼玉に手伝って貰ってそれを草履の上に装着した。最初は歩き難そうにしていたが、氷連地を歩きだすと次第に慣れてきたのか歩く速度が速くなる。
「煙が……? 霧でしょうか?」
先を見ていた蒼玉が、怪訝そうに統星に尋ねた。統星は険しい顔で蒼玉の指差す先を見つめて、眉を寄せた。
「どうやら……火の魔獣が火を噴いて氷を溶かしている。それに……最悪だ、もう一体も傍に居る」
統星の言葉を受けて、一同は黙り込む。確かに、蒼玉が見つけたのは炎で氷が融ける時の水蒸気だ。その近くを、大きな鳥と獣が走っているのが見える。一番避けたかった、二体の魔獣が一緒に居る。誰もが口を閉ざしていた。王族に、二体同時に相手しろ、とは言い難いのだろう。しかし、その静寂さを破ったのは三号四だ。
「私たちは、後ろから付いて行くよ。北斗王女、五曜王子。統星と淡路と蒼玉を指揮して、二体の魔獣を退治してください」
その言葉に、兵士たちは使い手の後ろに回った。その内の一人が、蒼玉に精神力回復草が入った袋を渡す。それを受け取った蒼玉は、着物の上衣の合わせにそれを直して王子と王女の言葉を待つ。
「今回、淡路が回復担当だったね? それでは、統星と淡路は北斗と行動してくれ。蒼玉は僕と……それでいいかな?」
五曜が北斗に問うと、彼女は頷いた。
「私は接近戦だから、淡路は回復が遅れないように――統星は、淡路を護って」
淡路と統星は頷いて、北斗を庇うように前に立つ。
「火の狼と、氷の鷲か……狼の方が、北斗と相性がいいね?」
「そうね、飛ばれては攻撃が届かない。鷲を、五曜に任せるわ」
王子と王女は、聡明だ。言葉は少ないが、重要な事を短くやり取りして互いのすべき事を決めた。
「行こう、蒼玉! 北斗の為に、鷲を狼と離そう!」
近くで戦うと、戦場は混乱してしまう。蒼玉は頷いて、滑らぬように気を付けながら走り出す。その後を、五曜が続いた。
「北斗! 鷲をこっちに来させるから奥に向かって!」
「分かったわ!」
五曜の言葉に、北斗たちも走り出す。五曜の邪魔にならないように、緩やかな曲線を描くように。避けて奥に回るのだ。
「蒼玉、鷲の気を引いて!」
「――黒爆破!」
蒼玉は瞬湊村で長老に教えて貰った、一番馴染み深い術を唱えた。術は空を舞う火の鷲の
「いでよ、
何もない空間から紙の札が現れ、それを手にした五曜が叫びながら鷲の魔獣に向かいその紙を投げつける。その紙はふわりと舞うと、翼のある虎へと姿を変えた。
「ギャァアアアアアアアアア!!」
窮奇と呼ばれた式神は、目の前に現れた火の鷲に齧りつく。式神の姿を始めて見た蒼玉は、驚いてその姿をまじまじと見つめてしまった。
「キィィィィィイイイイイ!」
首を齧られた火の魔獣は、炎を窮奇に浴びせて逃れようとする。全身炎に包まれた窮奇は、それでも魔獣を噛む力を緩めない。式神という存在を知らなければ、魔獣同士の戦いに見えたかもしれない――召喚士が他の戦士と違う、という意味が初めて分かった気がした。魔獣と変わらぬものを、使役しているのだ。
「統星!」
北斗王女の声にそちらに視線を向けると、統星が火の壁を創り出して王女と魔獣の間を塞いだ所だった。その火の壁にぶつかった狼は、身体に火がまとわりつき悲鳴を上げている。素早く王女は短剣を取り出すと、狼の喉を狙い躊躇わず火に飛び込む。が、狼は冷気を吐き出して火を消すと向かってきた王女に噛みつこうとする。慌てて王女は身を捩り氷連地を転がった。
王女は軽い火傷を負ったようで、淡路が回復の呪文を唱えてその傷を治した。安堵した蒼玉が、意識を自分の相手である火の魔獣に向ける。窮奇と鷲の魔獣は、互いを抑え込んで動きが取れないようだ。
「いでよ、
五曜が次の紙札を投げると、猿の顔に胴は狸、虎の手足に蛇の尾を持つ式神が現れて窮奇が噛みついている火の鷲に飛び掛かった。そして、火の鷲の胴を鋭い牙で裂く。
「キャァアアアアアアアアアアアアア!」
ドゥ! と、火の鷲が氷連地に落ちた。そして、バタバタと暴れだす。捕縛の術を唱えるため、蒼玉は近くまで走り寄った。
「……そんな!?」
後ろで、五曜が叫んだ。火の鷲の魔獣が、落ちて暴れた時に窮奇の牙から逃れて、再び空に舞い上がったのだ。
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