第18話 記憶・梵天の思惑

 長い話を、蒼玉そうぎょくは思い出しながらゆっくりと話し、自分が旅に出た所で話を終えた。梵天ぼんてんは黙って蒼玉の話を聞き続けて、小さく吐息を零した。

「俺は、産まれてすぐに母と離れた。どんなに思い出そうとしても、顔を思い出せないほどだ。俺を捨てた母を恨んだが――そうか、俺に会いたかったと、その言葉を残して死んだか」

 梵天は綺麗な檸檬れもん色の瞳を閉じて、自嘲めいた笑みを唇の端に浮かべた。彼も、蒼玉の話だけでは信じなかっただろう。だが、王族しか持つことが許されない黒い房の薔薇の根付が、蒼玉の言葉を信じさせた。

「今は手元にありませんが、梵天様の名前と産まれた日を書いた紙と貴方様のへその緒もあります。梵天様を忘れた事なんて、捨てたなんて、そんな事は絶対にありません!」

 蒼玉は、あの美しくて心の強い彼女を思い出した。あの魔獣討伐の時、巻き添えになってしまった白童子しろわらしを護った安曇が、我が子を置いて消えたのは何か事情があるからだと。

「――お前は、倶留守くるす側ではないようだな」

 ようやく瞳を開いた梵天は、先ほどより穏やかに蒼玉を見返した。

「俺の母は、どんな人物だった?ここでは、母の事を誰も言わないから知らないんだ。姿絵も、夜門よど王妃に全て焼かれて見た事がない」

 僅かに、口調も先ほどと違い年相応になったように感じる。蒼玉は自分の記憶にある彼女の姿を、目の前の彼女の息子に見せられる術が使えない事を、申し訳なく思った。

「鮮やかな臙脂えんじの髪と瞳で、意志が強そうなとても美しい女性でした。選ぶ着物もとても素敵で綺麗に着こなして、あの方がいるとその場が華やかになります。小さな白童子にも私にも優しくて、鞭の扱いに長けていました」

「そうか、母も鞭師だったのか……それは、母譲りなのか」

 梵天は、大事そうに安曇の根付を懐にしまった。

「母は、二人の人物から逃げたんだ。王家の為を思い、俺を残して姿を消したのだろう――母の判断は、確かに間違っていなかった」

 現在の、王位継承者が少ない事を言っているのだろう。しかし――夜門王妃が処刑しようと思うまで、側室である安曇を憎んでいたことは分かる。自分は産めなかった子を生したことも、理由としてあるだろう。昨日五曜や北斗が言っていたからだ。だが、考えれば一番の寵愛を受けていた安曇なら、また子を身籠ったならその身を王が全力で護るだろう。沖昴王が存命の間は、夜門王妃から逃げなければならない必要はない。なら、逃げたのはもう一人の存在のせいなのだろうか。

「倶留守だ」

 考え込む蒼玉に、梵天はポツリと呟く。瞳を丸くした蒼玉は、何処か安曇の面影がある梵天の顔を見つめた。

「倶留守は、兄の側室である俺の母親を愛していたんだよ。そして、その側室と王位を奪う為に、国を巻き込んで反乱を起こしたんだ」

 まさか、と蒼玉は息を飲んだ。安曇は、自分が姿を消せば倶留守が反乱を起こさないと考えたのだろうか。しかし、王位も狙う倶留守は結局反乱を起こした――自分の子供と別れなければならない決断までした安曇にとって、こんなに辛い事はないだろう。

「そんな……安曇様があまりにも……不憫です……」

 知らず、蒼玉は涙を零した。

「――母の為に泣いたのは、王と俺を育てた使い手だけだ」

 涙を浮かべる蒼玉を見つめて、梵天は悲しげに笑った。

「私には、闇の加護を受ける者が稀に与えられる『黄泉の眼』と呼ばれる能力があります。梵天様の許に安曇様がいらっしゃるかと思ったのですが、どうしてかお姿が見えなくて……」

 再び思案気な表情を見せる蒼玉に、梵天は目頭を押さえて深くため息を零した。

「そうか、なら――王の傍に居るのかもしれん。王は……もう、あまり長くはない」

 言葉が出ずに、蒼玉は梵天を見つめる。王が亡くなるなら――きっと、倶留守元宮はこれを好機として挙兵するだろう。


 夜岳が、再び戦火に包まれる。


「俺は七日前、監視目的で倶留守元宮の領地である最北の黒波くろな村と、その周辺の村を回っていた。お前と初めて会った日、此処に帰ってきた」

 あの、最後の雪の日だろう。王に報告があると言っていた事を、蒼玉は思い出した。それを理解して、小さく頷く。

「村の倉庫に、かなりの食糧を備蓄していた。最北だから、作物は育ちにくい。まして、まだ雪が降るこの時期だ。黒波村だけの備蓄だとは考えられない量だった…近く王都である黒雫町に向かってくると、使い手達と判断して急ぎ戻ってきた」

「何とか、和解出来ないのでしょうか?実の兄弟で、何故そこまで争うのですか?」

 蒼玉は、下の子の藍玉を思い出す。あの子と喧嘩は勿論した事はあるが、家族なのですぐに仲直りをした。沖昴王と倶留守元宮は、そんな小さな喧嘩をしているのではない。彼らは、沢山の人間や使い手を巻き込んだ戦をしているのだ。民を護る為に、和解するべきではないのか。

「安曇の存在が、全てを狂わせたんだ」



 安曇は、今は途絶えた遠い宮家の娘だったという。倶留守との結婚が決まり城に姿を見せたのだが、もう正妻がいた沖昴と一目で恋に落ちたのだという。沖昴も安曇も深く想い合って、倶留守との婚姻は白紙になり彼女は沖昴の側室になった。本当は安曇を正妻にしたかったのだが、夜門王妃はそれを承諾せず、また夜門王妃には裕福な実家の後ろ盾があった為、無下にも出来ない。「傍に居られるなら、側室で構わない」と、安曇はそれ以上を望まなかった。

 不幸なのは倶留守で、見合いとはいえ自分が惚れた相手を、正妻のいる兄に奪われたのだ。兄は弟の気持ちを知ろうともせず、側室の安曇を溺愛した。その結果安曇が懐妊すると、子を生せない夜門王妃と倶留守の怒りを買ったのだ。

 安曇を失い、失意の中でも沖昴王は反乱の制圧、そして王位継承者を他にも産ませる為側室を抱かねばならなかった。

 しかし、側室が懐妊しても夜門王妃による理不尽な側室の処刑、別の側室に子が産まれても、成人するまでに怪死する事が多かった。倶留守の子を引き取ってもなお、王家は呪われたかのように王位継承者が増えなかった。



「俺は、この王家の呪いを払う為にも次の王にならなければならない――新しい王家を作る」

 梵天は、幼い頃からそう自分に言い聞かせていたのだろう。沖昴王には五年ほど前から心臓に腫物はれものが出来て、それが年々大きくなっているとの事だ。回復系の術が効かない、自然しぜん摂理せつりの病だ。神が人に与えた病なので、術では治らない。

「これが、われ宿命さだめである」

 沖昴はそう言って、痛みを和らげる薬を飲むだけだった。昨年までは自分で歩けたが、今年に入ってから床に伏したままだという。食事もあまり喉を通らず、すっかり痩せて痛々しい姿になっている。

「戦が始まるのなら、優秀な人材の確保をしなければならない。それに、指揮を執る俺は、信頼出来る者を手にしなければならない――だから、蒼玉。お前は俺の傍で力になれ」

 梵天の言う事は、理解できる。しかし、蒼玉は六星と共に旅に出る夢がある。

「私は、まだ修行中の身です。奏州から来たとはいえ、まだ知識は浅く世の出来事を理解出来ておりません――梵天様には、もっと相応しい人材が居るはずです」

「お前は、何の得にもならない女の頼みを引き受けて迄、内戦中の夜岳に来た。それはつまり、俺の為に戦う為だからだ!」

 梵天は、椅子の手置きに拳を叩きつけ、大きな音を立てて怒鳴った。しかし、蒼玉は手首に巻かれた紅赤の組紐に手を添えて大きく首を横に振る。

「いいえ、いいえ! 私は――ここに、私の『魂の伴侶』がいるから、その人に逢う為に夜岳に導かれたのです!」

 蒼玉は、六星と引き裂かれるのだけは絶対に受け入れられなかった。だから、梵天と共に、戦場には行けない。梵天に従う気は、なかった――そう、この想いが『魂の伴侶』なのだ。六星を想って苦しくなったり嬉しくなったり――何よりも、出逢った時から惹かれたのは彼一人だけだから、と。

「あくまでも、俺の言う事は聞かないというのか?」

 梵天の眉間に、皴が出来る。ゆらりと立ち上がる梵天は、怒りを隠そうともしなかった。蒼玉は杖を手にしていない今、抗う術がない。身体を庇うように、寝台の端まで後ずさる。

「俺はこの国の為に、母から命を与えられた。俺を残したのは、俺が王になる事が母の願いだという事だ――お前が俺の言う事を聞くまで、この部屋からは出さない」

 帯の後ろに挟んでいた檸檬色の鞭を取り出すと、梵天は鞭を軽く振る。すると、蒼玉の両手足首に檸檬色の光が紐の様に絡まって、嫌がる彼を寝台の柵に縛り付けた。

「やめて下さい、離してください、梵天様!」

「蒼玉、お前が俺に忠誠を誓うのなら――解放してやる」

 蒼玉は、言葉を失った。まさか、こんな目に遭うとは思いもしなかった。



 ……六星……!

 


 そうして、この日から蒼玉は梵天の私室に閉じ込められることになった。

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